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#11-2
しおりを挟む畑の奥は住居部分になっていて、竹や木などを使ってさまざまな家具がつくられていた。子どもたちと話をしながら、ルーファスはユーゴたちを気にしてしまう。
(何を、話しているんだろう)
自分がいてはしづらい話題なのだろうか。うらめしく思いかけて首を横に振った。
以前にユーゴからドハラの話を聞いたとき、ルーファスは漠然と二人の関係について「親友」を想像していた。ユーゴの態度から察するに、男は「ドハラ」なのだろうとも思う。
(一度でも背中をあずけ心を許した友人が、再会した時に自分のことを覚えていないというのは、どれほどさびしいことなのだろう)
そうだ、と思う。いつもの自分なら、そういうふうに考えていた。そういうふうに、ユーゴの心情に痛みを感じていた。
なのに今は、戦力外通告を受けるように蚊帳の外へ追いやられたことに傷ついている。まるで二人の間に入ることを許されていないかのように。
あさましいと思った。金銭の管理に交渉ごと、情報収集、野営での食事、見知らぬ土地でのガイド。地図の読み方。ここまでずっとユーゴにおんぶされだっこされ導かれてきた。ユーゴがいなければ、ルーファスは文字通り歩くことさえ満足にできない。
そんなルーファスにもあれこれと教えながら、ユーゴは言った。「そのための自分なのだから任せればいい」。今までずっと城の中にいたのだからあたりまえなのだと。
その言葉にどれほど安心したかしれない。自分の無知や「できないこと」に出合うたびに戸惑い委縮していたルーファスの心は救われていた。知らないのなら知っている人間から学べばいい、できないのなら誰かに教わってできるようになればいい。
(城にいたときは、ただ綺麗にして微笑んでいればよかった)
外に出られない分本を読んだこともあった。だけどそれもそのうちつまらなくなってしまった。だって知ったところで話をする相手がいない。何かを発見したって共有する相手がいない。何かをできるようになったって、喜んでくれる相手がいない。
まわりの大人たちはルーファスが何かを口にしなくても身の回りのことを全部やってくれるのだ。王族である自分が“何か”をすることは、すなわち彼らの仕事を奪うことだった。
だけど、今は違う。乞えば知識や技術をわけあたえてくれる人がいて、共有した景色やできごとについて感じたことを交換できる人がいて、何かを得ようとする自分を歓迎し応援してくれる人がいる。
(“あなたのために変わりたい”)
自分の知らないユーゴの過去。彼が心をゆるした相手。こんなふうに心細くみじめな気持ちになるのは、自分に自信がないからなのだ。ルーファスは顔を上げる。
あの、と言った。
「あなた方は、ドハラさんに戦い方をおそわって、その、大人にも負けないと言っていましたよね」
「うん」
「ならば! ユーゴたちの話が終わるまででかまいません。私に、稽古をつけていただけませんか」
「稽古?」
目をぱちくりさせたのち、いいよ、と子どもたちが言った。
「そんな力まなくたって、普通でいいのに」
「あのお兄ちゃんに、恩返しがしたいんだね」
わかるよ、とやさしい眼がうなずく。彼らには語らずともルーファスとユーゴの関係について想像がついているようだった。
「だってあのお兄ちゃん、あなたのことを守ろうとしてたでしょ」
「ぼくたちにつかまったのも、ぼくたちがあなたに危害を加える気がないのがわかってたからなのかなって」
使いやすいものでいいというので、ルーファスはユーゴからあずかっている短剣を出す。
「ヒイロノカネじゃん!」
北部の村出身の子どもだった。曰く、顔料として使われる赤い鉱石のなかでまれに掘りだされる、かがやきを持った鉱石を言うのだそうだ。とても稀少で美しいことから『大地のかけら』とも呼ばれ、男性が意中の女性にプロポーズするときに宝飾品に加工する。ほかには祭祀用の刀剣の材料など、特別なときにしか使われないのだという。
「質が悪いやつは鋼と混ぜて武器にして売ってるらしいから持ってる人は持ってると思うけど、…これは、たぶん、」
「こらこら、おまえたち」
パンパン、と手を打つ音が聞こえて、振り向くと男が立っていた。ユーゴとの話は終わったらしいが、ユーゴの姿がない。
「礼らしい礼できなかったし、飯食ってけよって誘った。そういうわけだから、デカイのは赤毛の兄ちゃんと食糧調達、チビどもは残って準備」
「はーい!」
子どもたちがてきぱきと動きだす。ルーファスと話をしていた子どもたちが男の前で足を止めて言った。
「ドハラ、ルーファスの剣見てあげてよ」
「剣?」
「うん、強くなりたいんだって」
がんばれ、とルーファスに声援を送ってちらばっていく。一人にしないでください、と喉まで言葉が出かかったが、ルーファスはおそるおそる男へと視線を移した。
まず、ユーゴよりも背が高い。そして体も大きい。はじめて畑で見たときは「大人の男」の見本のようだと思ったが、こうして二人きりで相対してみると迫力がある。
ふとルーファスは男の立ち方に違和感があることに気づいた。言う。
「左足を、怪我しているのですか?」
「ああ。俺自身は知らないが、そうらしい。でも、チビたちがよく動いてくれるから不便は特に感じてないな。ここに来たばかりのころは力仕事ばっかだろ、足どころか膝も腰もやばかった。あいつら遠慮なく背中乗ってくるし」
男がルーファスの右手に視線を落とした。
「それは、きみのかい?」
「いいえ、ユーゴに、借りているだけです。王都で、武器を見てもらうまでの……」
「そうか。きれいだな。あいつ、――ユーゴの髪も火みたいに赤くておどろいたが」
「……」
我知らずルーファスは男の顔を見つめてしまう。ユーゴの髪色を連想して贈られたという短剣をきゅっと握った。
ヒイロノカネについて教えてくれた子どもや「ドハラ」について語るユーゴの声色を思い出しながら、ルーファスは心が窮屈になっていくのを感じる。違和感にも似た焦げつき。
(ユーゴは、どういう状況でこれをこの方にもらったのだろう)
くわしくたずねておけばよかったと思った。
地元の男性が意中の女性に思いをつげる際に贈るという神聖なそれを、たとえば大切な「友人」への餞別として贈ることもあるのだろうか。
「強くなりたいんだって?」
ルーファスは男の声で我に返る。ルーファスがユーゴに少し習ったことを告げると、男は「ふむ」と顎をなでた。それから、ルーファスにむかって両腕をひろげて見せる。
「言うて、うちのチビどもに捕獲されちゃうくらいだからなあ。まあとりあえず、どこからでもどうぞ?」
*
気絶していたのだとルーファスが気づいたとき、洞窟内は寝静まっていた。竹で編んだ敷物の上で、ルーファスは身を起こす。誘導灯のようにいくつかランプが置かれている。夜中に起きる子どもがいるのだろう。
喉を動かすと血の味がする。口の中を切ってしまったらしい。枕元に短剣が置かれているのを見、くやしい、とルーファスは思う。
歯が立たないとか、そんなレベルですらなかった。くやしい。からだじゅうが煮えたぎって、熱くなっていくような感情だった。ルーファスはまわりで眠っている子どもたちを起こさないように離れる。
頭も目も完全に冴えて、とても眠れそうになかった。風に当たりたいなと思って、ルーファスは畑まで歩いていく。
水の流れていく音に耳をかたむけた。鍾乳石と天井のちょうどつなぎ目のあたりから水があふれて、噴水のように落ちていく。鍾乳石の周りは階段状になっていて、暖色にともるランプを反射していた。
川岸の濡れていない石の上に腰をおろして、ルーファスは目を閉じる。身を包むようなせせらぎの音にしばらくたかぶる感情を流していたが、にわかに目を開いた。
洞窟内を流れる空気とは明らかに種類の異なる寒気がひたひたと満ち始めているのだった。どこから。ひさしく忘れていた怖気に支配されそうになりながら、ルーファスは視界を探る。
(あれは!)
ランプに照らされた岩かべ。あるいは鍾乳石のかげ。川べり。地面からぞわぞわと、黒い影が植物のように伸びていく。そうしてゆらゆらと揺れながらじょじょに増殖していくさまに、ルーファスの膚がざわついた。
引き返して短剣をとり、ルーファスは腹の底から声をあげる。
「起きてください!」
カア、とカラスが鳴いた。まずは一羽。それから輪唱のように声がかさなって、子どもたちを囲む。
奪え。ルーファスの背後で別の声が響いた。奪え。奪え。びしゃりびしゃりと水音をたてて、影の魔物たちが近づいてくる。それらはヒトの形をしていて、その手には武器や農具らしきものがあった。
「ユーゴ! ドハラさん!」
何度呼んでも誰を呼んでも起きてこない。まるではじめから誰もいないかのようだと、ルーファスは思った。見渡せばそこに子どもたちがすこやかな寝息を立てているのに。
(私が、戦わなければ!)
ルーファスは前に踏み込んで魔物を斬る。相手は魔物だ。もしかしたら何か魔法が使われているのかもしれない。ならば自分が彼らを守らなければ。
さいわい魔物たちはずるずるとナメクジのように前進するだけで攻撃してくる様子はなかった。ルーファスは子どもたちを気にしながら奮闘する。そのうち、それまで留まって静観していたカラスたちがいっせいに羽ばたいてルーファスにおそいかかった。手の甲をつつかれ、ルーファスは短剣を落としてしまう。
『口惜しい』
カラスが言った。
『なぜ、――なぜ、あのとき、それができなかった!』
『人間――人間! 自分たちが誰に守られているのかも知らず、いつまでもどこまでも醜悪な欲の名よ!』
腿をつつかれ、ルーファスは悲鳴をあげた。腕をつつかれ髪をむしられる。背中や腹からえぐられた肉片が地面に落ちた。好き勝手につついていると見せて、カラスたちは致命傷になる喉や心臓と言った場所は避けているようだった。
このままなぶり殺されるのか。どうすることもできずあちこちをつつかれながら、ルーファスは見た。魔物たちが子どもたちをつまみあげて、大きく口をあけていた。
やめて。
彼らが何をしようとしているのかを悟って、ルーファスは叫ぶ。落とした短剣を探して、どうにか手を伸ばしたときだった。
短剣の、赤くうつくしい刃が黒く汚らわしい臭気を発しながらどろりと溶けて液状化した。まるでルーファスに触れられるのを拒むようなさまに、カラスたちが哄笑する。
『楽に死ねると思うなよ、エドモントの王子!』
食いちぎられた場所から新たに血がしぶいた。
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