きみと明日の約束をしないで

おく

文字の大きさ
22 / 45

#19 足音

しおりを挟む
 依頼人の家は中心部から離れた、周囲を白い岩壁に囲まれた海のそばにあった。本邸は改装中のため現在は別邸のひとつに滞在しているのだそうだ。
 それ自体はめずらしくはない。ユーゴたちを驚かせたのは、男が乗ってきたという「乗り物」だった。なんと、魔物だったのである。

「主人は魔物と仲良くなるのが得意なのです」

 背中を鋼鉄のような外殻装甲に覆われた四足の魔物は見た目だけでいえば虎のようだったが、手綱と鞍をのせられており、さながら馬のようにユーゴたちを運んだ。
「本邸にはもっと多くの魔物が飼育されています。こちらにいるのは一部です。主人のそばを離れたがらないのですよ」
 目的地に到着すると、別の使用人が魔物をひきとっていった。風が永い時間をかけて削り上げた天然の門を抜け、四面のコンテナが思い思いの面をむけながら結晶のように集合している「家」に入る。
 エントランスは天井までの吹き抜けになっていて、ガラスで断面された各部屋がショーウィンドウのように並んでいた。ロビー中央には噴水が置かれ、すずしげな水音をたてている。乳白色の壁で統一された室内は明るかったが、ユーゴはなんとなく監獄塔を連想した。

「道中申し上げました通り、主人はただいまでかけておりますので、ご自由におくつろぎください」
 男は主人の耳目となっていっさいの運営を取り仕切っている頭取の役目にあり、個人名ではなく「プレジス」と呼ばれているそうだ。ユーゴの知るパターンであれば、むしろ彼の口から詳しい依頼内容や段取りなどが説明され、主人との面識は省略されるものなのだが、曰く、彼の主人は「人と話すのが好き」なのだそうだ。なんとなくユーゴは彼の主人がどんな傾向の人物なのかわかった気がした。
 席にはすでに茶器と複数のケーキスタンドが用意されていて、果物や焼き菓子などが載っていた。さっそくそれへ手をのばしかけて、ユーゴはソファーの裏に室内犬よろしく魔物がねそべっていることに気づく。
「金持ちの趣味はわかんねーな」
 隣のルーファスに同意を求めるが、ルーファスは邸宅に到着したときからずっと沈黙している。いつもの彼ならむしろユーゴに率先してあらゆる発見を教えてくれるのに、心なしか青ざめているようだ。

「どうした」

 プレジスなる男はとうに姿を消していたが、ユーゴは小声でルーファスにたずねる。しばらくの重苦しい間を挟んで、ルーファスがやっと口を開いた。
「私、……この家の方を知っているかもしれません」
「“知ってる”?」
 上質なバターのたっぷり使われている焼き菓子を口に含んだまま、ユーゴはルーファスの言葉の意味を考える。

(「リュカ」の知り合いか?)

 さらに問うとルーファスがうなずいた。
「その、…婚約を申しこんでくださった方の名前の中に」
「お気の毒に。会ったことは?」
「あります。ミュッセンから見えていた方で知っている方は多くなかったので、その、…大丈夫だと思っていたのですが」
「そーだよなあ、四大国一美人のお姫さまだもんなー。綺麗なものが大好きなミュッセンの貴族さまならこぞって見に来るよなあ」
 失敗だったかな、とユーゴは考える。出会ったときと比べれば別人のような変化を遂げているとはいえ、『四大国一の美姫』と呼ばれた美貌は健在だ。勘のいい者なら何かしら“リュカ”との接点を疑うかもしれない。

「やっぱ断るか」

 ユーゴは腰を上げた。ユーゴの気配に気づいて魔物がぬっと首をあげるが、すぐに興味を失ったように戻る。
 待ってください、とルーファスが引き止めた。
「せっかく見つけた仕事です。それに、迷惑をかけてしまいます。もう見つからないかもしれませんし、ユーゴだって早くお金を手に入れてミュッセンのごちそうを食べてみたいでしょう。…そうだ、」
 にわかにルーファスが手を打って、フードを脱いだ。何をするのかとみていると、くしゃくしゃと髪を混ぜ始める。フードをとるよう求められたときに備え、あらかじめ顔を見えなくしようというつもりらしい。ユーゴははっきり言ってやった。
「いや、かえって怪しいだろ」
「うう……」
 ルーファスがしょんぼりとうなだれる。もぐもぐと自分の髪を噛むうしろ、魔物が再び首をあげた。何かの気配をキャッチしたようにたてがみの下で耳がぴくりと動き、のしのしと入り口の方へ歩いていく。
 その頭を両手で抱えるようにしてなでて、頭が上がった。ゆったりと編まれた亜麻色のおさげが腰のあたりで尾のように揺れる。

「最悪外まで調達へ行かなきゃならないかと思っていたのだけど、その日のうちに見つけてくるなんて、さすがだね」
「おかえりなさいませ」

 プレジスが深々と礼をし、その腕に主人の上着をうけとった。顔の上半分を隠すマスクに覆われているが彼の主人はずいぶん若いようだとユーゴは見当をつける。背が高く見えるのは、姿勢のよさと挙動が颯爽としているためだ。手ごわそうだなとユーゴは内心で唇を舐める。苦手なタイプだ。
「“ジーン”と呼んでくれ」
 青年が名乗った。
「オレゴテッド公と人は呼ぶが、俺は家の名よりも一人の芸術家であることを自負している。だから、直感には逆らわないことにしているんだ」
 まったく悪びれない声音でひょうひょうと、ジーンがユーゴたちに顔を見せるよう命じた。ユーゴはすぐにこれがジーンの、こちらの人間性を見るための採用試験だという確信を持つ。ルーファスのことを考えれば不正解を返すべきだったが、ユーゴは彼に従った。嘘をついても結果は同じだと判断したからだ。

「真紅。それから、…驚いた、なんて美しい、なんて完璧な陽光の髪だろう。残念なことに鳥の巣のようにひどいありさまだが」
 名前は、とジーンが問う。プレジスには、必要があれば主人の前で名乗るよう言われている。ユーゴはまず自分を差した。
「“ヒュー”。と、弟子の“スフレ”だ」
「風の音と甘いお菓子だ。だからきみの髪はこんななのかな。ひどい師匠だね」
 言いながら、ジーンがルーファスの髪に手を伸ばした。あまりにもそれが自然な、流れるような動作だったので、ユーゴは止めるタイミングを逃してしまう。そして、ルーファスの碧眼が現れた。

「なんてことだ、天頂にふりかけられた白砂糖を割ってみたら、こんな仕掛けがあるなんて」
「!」

 突然の近距離に対応できず、ルーファスは硬直したままだ。一方、スキャンした対象を検索するようにひとみを細めながら、ジーンが首をかしげる。
「あなたとどこかで会ったことがあるような気がするけれど、どこだったかな」
「で、あんたは傭兵を使って何がしたいんだ? 魔物退治って聞いたけど、あんた方はその魔物を見たことがあるわけ?」
 ルーファスを奪うようにして回収し、ユーゴはジーンに話を進めるよううながした。それで、自分たちはお眼鏡にかなったのか、否か。
 ジーンがくすっと笑った。

「恋人?」
「弟子は極度の人見知りでね。特に、あんたみたいに距離が近くて踏み込み方に遠慮のないやつは苦手なんだ」

 弟子は、の部分をユーゴはことさらに強調したが、聞いているのかいないのか。プレジス、とジーンが呼んだ。
「やはり俺の直感は正しいようだ、まさに灯火のように俺を導いてくれる。そして、ヒュー、きみはかなりの場数を踏んできている、経験豊富な傭兵のようだ。観察力があって頭もいい」
「そういうのは舞台の上か小説の中だけにしてくれ。背中がかゆくてたまんねー」
「出会いに感謝しよう。プレジス、この二人を客人として歓迎してくれ。くわしい話は夕食後に、とっておきのワインをあけて」
「おれは酒は飲まねーよ」
「かしこまりました」
 プレジスが一礼し、ユーゴたちを先導した。ジーンはまだ仕事があるのだそうだ。

「お貴族さまなのに仕事?」
「ジーン様は建築家でいらっしゃいます。この別邸もジーン様が図案に起こしました。ご婦人のドレスなども手がけております。たとえば、エドモントのリュカ姫が先のお祝いの際お召しになる予定だったドレスとか」
「……」

 ああ、そういうご縁ね、とユーゴは内心でうなずいた。
「じゃあ、当日もいたわけ」
「もちろん。体調を崩されてしまったとのことで、残念ながら拝見することは叶いませんでしたが」
「本当に申し訳――」
 べち、とユーゴは手のひらをやってルーファスの口をふさいだ。プレジスが目をあげるのへ、「手首が凝っちゃって」と返す。
 人間の頭部ほどもある蜘蛛に迎えられ、ルーファスが卒倒しそうになった場面もあったが、ユーゴたちは三階の部屋に通された。この部屋は“監獄”の角度から逸れているらしく、奥がガラス張りになっていない。
「ジーン様のご友人として一同歓迎いたします。邸内は自由に歩き回っていただいて結構です。ご覧になりたいものやご用の際は家の者に気兼ねなくお申しつけください」
 そう言ってプレジスが辞した。



        *



 翌日、ユーゴたちはジーンとともに魔物探しに出かけることになった。魔物収集はジーンの個人的な趣味で、目標は火兎という魔物だった。
「おれたち、必要だったか?」
 ユーゴは収集され、ジーンの腕に収まっている火兎を見た。名前の通り火属性の魔物で、見た目はウサギそのものだ。戦闘態勢になると体がクマ程度にまで巨大化し、普段はふわふわの毛が燃えだして火球のようになる。賢く非常に警戒心が強い上にすばしこいという話だったが、ジーンが「おいでおいで」と招くと自ら寄ってきてブーツに顎をこすりつけた。
 “魔物を手懐ける”なんていったいどんな方法を使うのかと思いきや、まるで犬か猫にするようだった。この島自体がジーンの所有物で、火兎ももともとジーンのペットだったのではないかと疑ったほどだった。

「たしかに手をかけ、満足のいく成果が出たことほど友人に褒めてもらいたいものだが」

 ジーンが笑った。
「すべての魔物が俺を許してくれるわけじゃない。そこは人間と同じかな。誰かは俺を嫌いだと言い忌むが、誰かは悪くないと思ってくれる。俺とこうして仲良くなってくれるのは、そういう子たちなのさ」
 ジーンに同意するように火兎がピスピスと鼻を鳴らす。具合のいい場所を探すようにみじろぎをして、まもなく寝息をたてはじめた。その背を撫でながら、ジーンが問う。

「魔物ではない魔物を知っているか」
「魔物ではない魔物?」

 ジーンがうなずいた。
「ほら、こんな特技があるだろう。噂をきいて声をかけられるんだ、人間と魔物の調停役としてね。趣味と実益を兼ねて喜んで受けている」
 曰く、その魔物は黒く醜悪でひどい悪臭を放つ姿だったという。黒い魔物は人間への呪詛を吐き、姿を消した。
「なんの愛着もわかないなんて初めてのことだった。それどころか、恐怖さえ感じた。アレは本当に魔物だったのか?」
 姿を現したかと思うと忽然と消える。ひとびとは噂をした。子どもたちの病は魔物がもたらしているのではないかと。

「昨日は結局仕事の話をしなかったよな。魔物退治って、それか?」
「とっておきのワインをあけたときはやっぱり楽しい話をしたいじゃないか」

 森を抜けた。砂浜を洗う波の音と人間たちが境界を抜けたことをしらせるように、鳥が鳴く。外の明るさに目を慣らすように、ジーンが手で陰をつくった。
「五島の一つが沈む前日、スイファン国王は夢を見たそうだ。四祖スイファンが魔に堕ち、五島を食らい、自分たちを食らう夢を」
「……」
「ヤンガルドの王都を襲ったのはカラスと虫の魔物だったそうだね。そして、エドモント国王の突然の発表。なぜ『今』だったのか。まるで長年隠してきた自らの罪に耐え切れず口を割った臆病な罪人のようだ」
 ジーンの声音には強い批難があった。おそらくその告白がミュッセンに何らかの悪い影響をもたらしたのだろうとユーゴは想像する。

(跡継ぎの生まれないスイファン王家、病死したヤンガルドの王子、流行病におかされたミュッセンの王子と王女、性別を偽られていたエドモントの王子――)
 まるで罰を受けたかのようにスイファンは五島を、ヤンガルドは王都を失った。得体の知れない黒い魔物の出没。呪いの言葉。
 もともとあった点が事象とむすびあい、じょじょにひとつの形を成しつつあるかのような不安を、ひとびとは抱き始めている。エドモント国王の“告白”は奇しくもそれを強く裏付けてしまったのだった。
 帰ろうかとジーンが言った。
「このごろ、魔物たちが何かを恐れるように鳴くんだ。いったい今この世界で何が起きているというのだろう」
 ルーファスがうつむいて、胸元を握った。


しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

【完結】抱っこからはじまる恋

  *  ゆるゆ
BL
満員電車で、立ったまま寄りかかるように寝てしまった高校生の愛希を抱っこしてくれたのは、かっこいい社会人の真紀でした。接点なんて、まるでないふたりの、抱っこからはじまる、しあわせな恋のお話です。 ふたりの動画をつくりました! インスタ @yuruyu0 絵もあがります。 YouTube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます。 プロフのwebサイトから飛べるので、もしよかったら! 完結しました! おまけのお話を時々更新しています。 BLoveさまのコンテストに応募しているお話を倍以上の字数増量でお送りする、アルファポリスさま限定版です! 名前が  *   ゆるゆ  になりましたー! 中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!

君に望むは僕の弔辞

爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。 全9話 匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意 表紙はあいえだ様!! 小説家になろうにも投稿

死に戻り騎士は、今こそ駆け落ち王子を護ります!

時雨
BL
「駆け落ちの供をしてほしい」 すべては真面目な王子エリアスの、この一言から始まった。 王子に”国を捨てても一緒になりたい人がいる”と打ち明けられた、護衛騎士ランベルト。 発表されたばかりの公爵家令嬢との婚約はなんだったのか!?混乱する騎士の気持ちなど関係ない。 国境へ向かう二人を追う影……騎士ランベルトは追手の剣に倒れた。 後悔と共に途切れた騎士の意識は、死亡した時から三年も前の騎士団の寮で目覚める。 ――二人に追手を放った犯人は、一体誰だったのか? 容疑者が浮かんでは消える。そもそも犯人が三年先まで何もしてこない保証はない。 怪しいのは、王位を争う第一王子?裏切られた公爵令嬢?…正体不明の駆け落ち相手? 今度こそ王子エリアスを護るため、過去の記憶よりも積極的に王子に関わるランベルト。 急に距離を縮める騎士を、はじめは警戒するエリアス。ランベルトの昔と変わらぬ態度に、徐々にその警戒も解けていって…? 過去にない行動で変わっていく事象。動き出す影。 ランベルトは今度こそエリアスを護りきれるのか!? 負けず嫌いで頑固で堅実、第二王子(年下) × 面倒見の良い、気の長い一途騎士(年上)のお話です。 ------------------------------------------------------------------- 主人公は頑な、王子も頑固なので、ゆるい気持ちで見守っていただけると幸いです。

完結|好きから一番遠いはずだった

七角@書籍化進行中!
BL
大学生の石田陽は、石ころみたいな自分に自信がない。酒の力を借りて恋愛のきっかけをつかもうと意気込む。 しかしサークル歴代最高イケメン・星川叶斗が邪魔してくる。恋愛なんて簡単そうなこの後輩、ずるいし、好きじゃない。 なのにあれこれ世話を焼かれる。いや利用されてるだけだ。恋愛相手として最も遠い後輩に、勘違いしない。 …はずだった。

後宮の男妃

紅林
BL
碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

殿下に婚約終了と言われたので城を出ようとしたら、何かおかしいんですが!?

krm
BL
「俺達の婚約は今日で終わりにする」 突然の婚約終了宣言。心がぐしゃぐしゃになった僕は、荷物を抱えて城を出る決意をした。 なのに、何故か殿下が追いかけてきて――いやいやいや、どういうこと!? 全力すれ違いラブコメファンタジーBL! 支部の企画投稿用に書いたショートショートです。前後編二話完結です。

側妻になった男の僕。

selen
BL
国王と平民による禁断の主従らぶ。。を書くつもりです(⌒▽⌒)よかったらみてね☆☆

告白ごっこ

みなみ ゆうき
BL
ある事情から極力目立たず地味にひっそりと学園生活を送っていた瑠衣(るい)。 ある日偶然に自分をターゲットに告白という名の罰ゲームが行われることを知ってしまう。それを実行することになったのは学園の人気者で同級生の昴流(すばる)。 更に1ヶ月以内に昴流が瑠衣を口説き落とし好きだと言わせることが出来るかということを新しい賭けにしようとしている事に憤りを覚えた瑠衣は一計を案じ、自分の方から先に告白をし、その直後に全てを知っていると種明かしをすることで、早々に馬鹿げたゲームに決着をつけてやろうと考える。しかし、この告白が原因で事態は瑠衣の想定とは違った方向に動きだし……。 テンプレの罰ゲーム告白ものです。 表紙イラストは、かさしま様より描いていただきました! ムーンライトノベルズでも同時公開。

処理中です...