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#25-1 在り方
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ジーンを拘束具から解放し牢から出すことには成功したが、問題は誰が彼を地上まで運ぶかということだった。体格的には火兎が可能だがジーンに火が移ってしまうし、ルーファスではとても成人男性一人背負って階段を上ることなんてできない。もちろんジーンが自力で動くことはもっと不可能だった。
『……』
子狐が黙って体を変化させた。美しい白銀の体毛に包まれた白い狐がふるりと尾を伸ばし、ジーンを口にくわえる。気になるのはところどころその体に黒いシミのような汚れがあることだが、ともかく今は一刻もはやくこの場から脱出することだった。火兎にしんがりを頼み、ルーファスは一行を率いる形で敵の軍列へと突進する。
『人間ハ、ウソツキ、ダ』
アーガンジュの炎に焼かれながら黒い魔物が音声を発した。ルーファスは気づく。最初に確認したときはただ木偶のような黒い影が連なっているだけだったのに、今やそれらは衛兵服やエプロンなどを身につけていた。
『腐食だ』
ルーファスの後ろで子狐が告げる。
『ヤンガルドで見たでしょ。ヤンおじさんの憎しみが城の人間たちを食らって魔物に変えるのを』
「つまり、」
ルーファスの喉がかつて目にした恐怖を思い出して小さく動いた。つまり、それは。子狐の言葉の意味を、ルーファスは慎重に解釈する。
(四祖ミュッセンが、堕ちかけているということ)
ヤンガルドのように。あるいはスイファンのように。陽気なこの神までもが魔に堕ちようとしているのか。
(獅子王さま)
うそつき、うそつき。
炎に怯む様子も恐れる様子もなく、一段、また一段とくだってくる魔物たちを、ルーファスは見上げる。柄を握ったまま動かないルーファスにじれたように大剣が自ら炎を噴きだした。何が起きたのかわからないような顔で魔物たちが炎に呑まれていくのを、ルーファスは目の前に見る。
(ユーゴ)
思わず呼んだのはかつて見た光景がそこに重なったからだった。ルーファスを抱え、あちこちからわき出る魔物たちにひたすら剣をふるい続けた人。垣のように重なる炎の中でうめき声をあげながらそれらが焼き消えていったのを今でも覚えている。
だけど同時に、自分が目にしたものがその一部にすぎないこともルーファスは知っていた。見るな。そう言って何度もユーゴがルーファスの視界をさえぎっていたから。
(そんなふうに、守ってくれなくてもいいのに)
魔物たちを焼いていくユーゴの様子がおかしいことには気づいていた。ついにたずねることはなかったが、おそらく彼は「人間」を斬ったことがないのだと理解した。あとで思い至ってどれだけ自分を責めたかわからない。
「!」
ルーファスは意を決して顔をあげる。自分だけではない、後ろにはジーンがいる。しっかりと柄を握り、魔物たちを袈裟懸けに斬り捨てた。
昨日までこの城の中で笑っていた人。暮らしていた人。きっと明日も同じ日が来るのだと思いながら眠りについたひと。
(どれだけ、守られてきたか)
(どれだけ、あなたが心を砕いてくれたのか)
一段、また一段を上がっていく。払い、あるいは突いていくうち汗が涙と一緒に宙へ散った。指先が冷たい。呼吸が乱れ、腕の筋がこわばってくる。
ルーファスを叱咤するようにアーガンジュが咆哮する。
(どんな思いで、あなたはあのとき走っていたのだろう)
(どんな思いで、あなたはあのとき斬り続けていたのだろう)
出口はまだ見えない。上の階から飛び降りてきた魔物を火兎が砕く。
「ああ……」
子狐の背中でジーンがうめいた。
「こんなところで、俺一人だけ、休んでいるわけには、いかないな……」
『何を言ってるのさ、朝まで生きていられたら奇跡のような状態のくせに』
「もうほとんど…見えないよ。耳はまだ生きているが」
けれど。ジーンが言った。
「俺には名がある。誰がどのような意図で残したにしろ、…そこに俺はとても重要な意味があるような気がしているんだ。たとえば、なぜ俺たちは消されなければならなかったのか、とかね」
『やめてよ』
顔にふりかかってきた魔物を首を振って払い、子狐が悲鳴のように拒絶する。
『ボクは、ボクはもう嫌なんだ、エディのことは心配だけど、考えてることはヤンガルドと大差ない。こんな世界なんかどうだっていい。人間なんか消えちゃえばいいんだ!』
炎が吼える。幾筋にもつらなって駆けるそれらが点滅するたびに魔物たちが焼き消え、鬱屈した闇の中を怨嗟がうつろに反響する。
「俺の名は」
ジーンの声が細く、しかし確固と告げた。子狐のシルエットが光に包まれ、小さなひとつの光に収束する。
「我が名は、ユージーン。ユージーン・ヤッシャ・オル・ミュッセン」
今やいったい誰が、彼がそれまで死の淵にあったと信じられるだろう。ゆるやかに起こした上体は力強くまばゆいばかりの意思の力に満ち、その手には白銀の美しい弓が握られていた。
「たとえ残らぬ名だとしても」
鞭傷や毒によるダメージなどどこにもない。恋人のご機嫌取りをするようなしぐさで、ジーンがそれへ口づける。ゆっくりと天へ向けて矢をつがえた声は自らのうちにわきおこる感情をもてあますかのように揺れていた。
「俺の国だ。守るべき、俺の」
矢が放たれる。ルーファスは夜の帳をまっすぐに割く日昇の光を思い出した。
『……』
子狐が黙って体を変化させた。美しい白銀の体毛に包まれた白い狐がふるりと尾を伸ばし、ジーンを口にくわえる。気になるのはところどころその体に黒いシミのような汚れがあることだが、ともかく今は一刻もはやくこの場から脱出することだった。火兎にしんがりを頼み、ルーファスは一行を率いる形で敵の軍列へと突進する。
『人間ハ、ウソツキ、ダ』
アーガンジュの炎に焼かれながら黒い魔物が音声を発した。ルーファスは気づく。最初に確認したときはただ木偶のような黒い影が連なっているだけだったのに、今やそれらは衛兵服やエプロンなどを身につけていた。
『腐食だ』
ルーファスの後ろで子狐が告げる。
『ヤンガルドで見たでしょ。ヤンおじさんの憎しみが城の人間たちを食らって魔物に変えるのを』
「つまり、」
ルーファスの喉がかつて目にした恐怖を思い出して小さく動いた。つまり、それは。子狐の言葉の意味を、ルーファスは慎重に解釈する。
(四祖ミュッセンが、堕ちかけているということ)
ヤンガルドのように。あるいはスイファンのように。陽気なこの神までもが魔に堕ちようとしているのか。
(獅子王さま)
うそつき、うそつき。
炎に怯む様子も恐れる様子もなく、一段、また一段とくだってくる魔物たちを、ルーファスは見上げる。柄を握ったまま動かないルーファスにじれたように大剣が自ら炎を噴きだした。何が起きたのかわからないような顔で魔物たちが炎に呑まれていくのを、ルーファスは目の前に見る。
(ユーゴ)
思わず呼んだのはかつて見た光景がそこに重なったからだった。ルーファスを抱え、あちこちからわき出る魔物たちにひたすら剣をふるい続けた人。垣のように重なる炎の中でうめき声をあげながらそれらが焼き消えていったのを今でも覚えている。
だけど同時に、自分が目にしたものがその一部にすぎないこともルーファスは知っていた。見るな。そう言って何度もユーゴがルーファスの視界をさえぎっていたから。
(そんなふうに、守ってくれなくてもいいのに)
魔物たちを焼いていくユーゴの様子がおかしいことには気づいていた。ついにたずねることはなかったが、おそらく彼は「人間」を斬ったことがないのだと理解した。あとで思い至ってどれだけ自分を責めたかわからない。
「!」
ルーファスは意を決して顔をあげる。自分だけではない、後ろにはジーンがいる。しっかりと柄を握り、魔物たちを袈裟懸けに斬り捨てた。
昨日までこの城の中で笑っていた人。暮らしていた人。きっと明日も同じ日が来るのだと思いながら眠りについたひと。
(どれだけ、守られてきたか)
(どれだけ、あなたが心を砕いてくれたのか)
一段、また一段を上がっていく。払い、あるいは突いていくうち汗が涙と一緒に宙へ散った。指先が冷たい。呼吸が乱れ、腕の筋がこわばってくる。
ルーファスを叱咤するようにアーガンジュが咆哮する。
(どんな思いで、あなたはあのとき走っていたのだろう)
(どんな思いで、あなたはあのとき斬り続けていたのだろう)
出口はまだ見えない。上の階から飛び降りてきた魔物を火兎が砕く。
「ああ……」
子狐の背中でジーンがうめいた。
「こんなところで、俺一人だけ、休んでいるわけには、いかないな……」
『何を言ってるのさ、朝まで生きていられたら奇跡のような状態のくせに』
「もうほとんど…見えないよ。耳はまだ生きているが」
けれど。ジーンが言った。
「俺には名がある。誰がどのような意図で残したにしろ、…そこに俺はとても重要な意味があるような気がしているんだ。たとえば、なぜ俺たちは消されなければならなかったのか、とかね」
『やめてよ』
顔にふりかかってきた魔物を首を振って払い、子狐が悲鳴のように拒絶する。
『ボクは、ボクはもう嫌なんだ、エディのことは心配だけど、考えてることはヤンガルドと大差ない。こんな世界なんかどうだっていい。人間なんか消えちゃえばいいんだ!』
炎が吼える。幾筋にもつらなって駆けるそれらが点滅するたびに魔物たちが焼き消え、鬱屈した闇の中を怨嗟がうつろに反響する。
「俺の名は」
ジーンの声が細く、しかし確固と告げた。子狐のシルエットが光に包まれ、小さなひとつの光に収束する。
「我が名は、ユージーン。ユージーン・ヤッシャ・オル・ミュッセン」
今やいったい誰が、彼がそれまで死の淵にあったと信じられるだろう。ゆるやかに起こした上体は力強くまばゆいばかりの意思の力に満ち、その手には白銀の美しい弓が握られていた。
「たとえ残らぬ名だとしても」
鞭傷や毒によるダメージなどどこにもない。恋人のご機嫌取りをするようなしぐさで、ジーンがそれへ口づける。ゆっくりと天へ向けて矢をつがえた声は自らのうちにわきおこる感情をもてあますかのように揺れていた。
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