仔犬だと思ってたのに

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#2 このヒト大丈夫なの?

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 『マリー・カンタビレ』の言い伝えはおれも知っている。親から子へつたえられる有名なおとぎ話だ。おれには父も母もないけれど、ときどきおれを餌付けてくれた娼婦たちが聞かせてくれた。
 昔、悪い魔王がいた。当時大陸半分を支配していた大きな国が軍隊を派遣したけど倒すことができなかった。だけどあるとき、魔王と人間との争いに胸を痛めていた小国の姫が魔王に話をしにいった。その後、魔王はこの大陸を初めて統一した伝説の王になったっていう筋書だ。
 筋書なのだが。

 マリー姫は女の人だったはずだしユースケは男だ。結局おばあさんは姿を消してしまうし、あの場にいた人でおばあさんを知っている人は誰もいなかった。
 それからもう一つわからないことがある。処刑が中止になった理由だ。王が一度発した命令を撤回するなんてことがあるんだろうか。
 謁見したカンタビレ王は、実際に会ってみると、王座に座ってるから王様って感じのオッサンだった。王様ってもっと怖いのかと思ってたんだけど、もしユースケが助けてくれなかったら、おれはあんなオッサンの言葉ひとつで殺されていたのか。
 ベッドの上、おれは頬杖をついて、ぐーすか眠ってるユースケの寝顔を見ろした。

(見ず知らずのガキに命懸けちゃうって、どこでどういう育ちしてきたんだろう。金が入るわけでも、貴族になれるわけでもない。むしろ面倒や悪いことしかないのに)

 スラムでは、カミサマが説くような無償の愛なんか存在しない。お人よしは弱者とみなされてむさぼられ、善意はただ利用される。ユースケみたいなやつは骨も残らないだろう。
 生きるためなのだから仕方がないという名目があれば人間はなんだってできる。おれだってそうだ。殺しはないけど盗みくらいなら数えきれないほどやってきた。人身売買で食ってる連中から逃れるために仲間を見捨てたことだってある。

(売ったらどれくらいの値がつくんだろう)

 おれは鑑定士のように目をすがめる。
 この国標準の黒髪黒目だけど顔立ちがちょっと違う。白くはないけど肌はきれいだ。細身に見えて肉付きがいいことは知ってる。
 美醜はよくわからないけど嫌いな顔じゃない。性格とか育ちのよさみたいなものが雰囲気でわかる。“よごれてない感じ”は男でも女でも上位貴族の変態どもに需要が高いから、出すところに出せば相当な値がつくはずだ。
(まぬけな顔…)
 まぶたにかかっている前髪をよけてやると、ユースケがへらっと笑った。おれは深刻なため息をつく。
 このひと、おれが金目のものだけ奪って自分を殺すかもとか、寝てる間に自分を裏切って逃げるかもとか絶対考えてなかっただろうなあ。

「一応言っておくが、無駄だぞ」

 部屋の隅、殺気を含んだ声が言った。王国騎士団副長アーサー・エル・ユリウス。
「そいつを殺すのは貴様の勝手だが、俺が貴様を逃がすことはない」
「……」
 なんで宿なんかと思ったけど、見張りに適してるからなんだな。暗闇でもわかる、入口側からビンビンよこされる殺気が痛いくらいだ。せっかくベッドだっていうのに、おかげで気が高ぶってちっとも眠れない。水の中に沈んでる方がよっぽどマシだ。むしろこんなところで熟睡してるユースケがおかしい。

「逃げるつもりはないよ」

 おれははっきりと言う。
「もとより、どうせ誰にも求められない命だ。別に死んだっていいけど、そうしたらユースケは殺されてしまうんだろ?」
 沈黙は肯定。思った通りだ。
 おれの処分は王命だった。それに逆らったのだからユースケは立派な反逆者だ。
 おれは息をつく。

「正直、おれがマリー・カンタビレを滅ぼすって言われても思い当たるふしがないよ。その日その日を生きるのに精一杯で誰が悪いとか考える余裕もなかったし」

 スラムに王国騎士団が乗り込んできておれをつかまえて。スラムからおれを連れ去ろうとするとき、誰もおれを助けようとはしなかった。それは別にいい。おれだってそうしてここまで生きてきた。あの広場にいた人間たちが全員おれの死を望んでいたことも、いいんだ。
 でも、心はずっと悲鳴をあげていた。たすけてって何度も何度も叫んでいた。おれなんか生きてたってしょうがない。口で言ってても生きたかった。

(うれしかった)

 あんなふうに抱きしめられたことなんかなかった。ひと肌をあったかいって思ったのなんて初めてだった。しがみついて、ガキみたいに泣いてみたいと思った。そんな自分に戸惑った。
 あんなに死にたくないって思ってたのにな。剣をかかげたユースケの背中を見ながら、もういいやって思った。この人のためになら死んでもいいって。
 おれはおれが本当に予言書のいう破滅なのかどうかなんて知らない。だっておれには何の力もないもの。おとぎ話の魔王はすべての精霊および精霊の王をも従え、天と地それぞれの神の力を行使していたというけれど、おれは精霊の一匹だって見たことがない。
 だけど、予言書はおれをそうだと言って、騎士団の連中は「おれがガキのうちに」捕まえに来た。この先十年のどこかで、おれはそんな力に目覚めるのかもしれない。
「ふん…」
 アーサーがつまらなそうに鼻を鳴らした。

「ひとつ教えてやるが、貴様らがこれから行く村は国境の最前線だ。隣国ロマネ・ワイゼン国は王位継承権をめぐり、現在王弟側と王息側にわかれて戦争をしている。したたかな王弟側は、国内の混乱をいいことにこちらへ侵攻しようとしているそうだ」
「…マリー・カンタビレを滅ぼす『魔王』の存在がその牽制になるってこと?」

 よくわからない。だったら最初からそうしてくれればよかったのに。そうすればユースケを巻き込むことはなかったのに。
(早馬でも入ったのかな…)
 おれは考える。おれを殺す立場にあるアーサーがこのタイミングで情報を落とした理由を。だって、おれにそれを教えたところでアーサーには何の利益もない。
 アーサーが酒場の男のような口笛を吹いた。
「その調子だ。死にたくなければささいな情報を聞き漏らすな。頭を使え」
 そういって沈黙した。

       *

 結局おれは一晩中眠ることができなかった。王側がどんな思惑でいるにしても、ユースケをとりまく状況は変わらない。
(でも、あいつ、なんでおれにあんなこと教えてくれたんだろう)
 おれはいわば鳥脅しだ。少し調べればすぐに中身のないハリボテだってバレてしまうはずだ。
(大人様の考えることは、ガキにはさっぱりわかんねえや…)
 井戸の前ではあ、とため息をついたときだった。おはよう、と背後から声をかけられた。

「俺って寝相悪いらしいんだ。ごめんな」

 ユースケがしょんぼりした顔で言う。おれは首をかしげた。
「朝起きたらおれがいなかったから、逃げたと思った?」
「なんでそうなるんだ!?」
 ユースケがびっくりしたように目を見開いた。え、そうじゃないの?
 困惑するおれに、ユースケがまもなく、観念したように言った。

「…俺にベッドから蹴り落とされて……その、…怒ってるんじゃないかって…」
「おれが?」
「グローリアが」

 居心地悪そうな様子は、どっちが年上かわかりゃしない。あほか、と喉まで出かかった声を、おれはすんでのところでこらえた。
「べつに、その程度で怒ったりしないし、もともとおれはユースケにベッド譲る気でいたしそのつもりだったし現に昨日そういってたはずだし」
 だけどそれを嫌がって無理やりおれをベッドに引っ張りこんだのはユースケだ。てか蹴り落とされてねーしおれが自主的に早起きしただけだし。
 そんなことより、おれにはユースケにもっと気にしてほしいことがあるんだけど…。

「グローリアは優しいなあ」

 ごく自然な動作で、ユースケの手がおれの髪にふれた。いい子いい子とくりかえして、おれの頭をなでる。
(きもちいい…)
 ほわっとしかけて、おれはあわてて頭を横に振った。あぶねー!
 べしっとユースケの手を払う。
「き、きやすく触るなよ! これでも八年は生きてるんだぞ!」
 今までユースケみたいに触ってくれる人なんていなかったから、どう受け止めていいのかわからないっていうのはある。うれしくないって言ったらうそになるよ。ただ、おれにだってあのスラムで生き抜いてきたプライドというものがあるんだ。両親の庇護下でぬくぬくと守られて甘やかされてる王都のガキどもとは違う。戦うための牙と爪を失うわけにはいかないのだ。

(あんたを守るのはおれだ! ていうかおれしかいねえじゃん!)

 だったらなおさら、ユースケに甘えるわけにはいかない。おれはフーフーと毛を逆立てる。ちっとも従順じゃないおれに、だけど、ユースケはへらっと笑っただけだった。仔犬みたいとかなんとか聞こえた気がするけど、おれは聞こえなかったことにした。
 魔物に遭遇したのは王都を出て二日目の昼のことだった。大型動物系が三体。アーサーが動かないのは、やつがおれたちの守護者じゃないからだ。
「あれが魔物かー…」
 ユースケがのほほんと言う。王都に観光に来た田舎者のそれだった。おれは頭痛がした。
 おれを助けたとき、王国騎士団から魔法のように剣を奪ってみせたユースケだったが、別に剣の達人というわけでないらしい。「いんたーはい」がどうのとかいっていたが、よくわからない。ようするにあてにしてはいけないんだなとおれは理解した。

(どうする…?)

 聞くところによると、騎士団内では魔物を危険度によっていくつかの段階に分けているようだ。騎士団と魔術師の国家総力であたるのが最上級だとしたら、ヒラ騎士一人で討伐可能なのが最弱級だ。
 スラムには、魔物を違法にもちこんで人間と戦わせる貴族様のお遊び場が存在する。そこでみた限りでは、この魔物は、ヒラの騎士ならそれなりに頭数を集めてようやく、そこそこ精鋭なら数名でという区分だろう。
 ユースケが剣をとった。

「母方の田舎でさー、クマが出るんだよ。それもとびっきり凶暴ででかいやつ」

 ひとりごちるように言う。“クマ”?
「うちのじーちゃん、理不尽で。“おれの孫ならクマくらい倒せ”って言うの」
 はあ、とため息をついて、ユースケが一歩踏み出した。おれとはテンポの違う呼吸。防具もない、たった剣一本で魔物に突進する。
 ユースケ。
 おれが叫んだときには、ユースケの体は魔物の間合いに入っていた。一体。二体。三体。
 そうして、まるで眠りの魔法にでもかかったかのように、魔物たちがその場に倒れていく。ユースケがそれぞれにしたのは、剣のきっさきで魔物の視線をそらし、その隙に魔物の心臓を素手で突く、この二動作だけだった。おれの見間違いでなければ、の話だけど。
「……」
 ヘルムに隠れているけれど、さすがにアーサーも驚きを隠せないようだった。おまえ、とかすれた声でユースケに問う。

「いま、何をした…?」
「“猫じゃらし”。じーちゃんが世界を制した技のひとつだよ」
「“猫じゃらし”…?」
「世界ってなんだよ…」

 おれとアーサーの声が期せずして重なった。気づいて、おれはそっぽを向く。
(なんだ…?)
 我知らず、胸元を押さえていた。胸の底にじわじわとわいてくるような熱がある。よくわからない。そわそわと落ち着かない気持ちにさせる熱だ。今すぐに、めいっぱいに走りだしたくてたまらないような。
 おれは戸惑いながらユースケを見上げる。初めて会ったときと同じように、ユースケがきらきらと光って見えた。

「よーし、」

 ユースケは何事もなかったかのように歩きだしていた。まがりなりにも王国騎士団の最強を驚かせておいて「何事もなかった」わけがないと思うけど、アーサーからもの言いたげによこされてくる殺気から察するに、余計なことは言わない方がいいのだろう。
「正統派の剣は教えてやれないし、この世界のことは俺のほうが教わること多いけど、『これ』なら俺にも教えてやれる。なんたってうちのじーちゃん直伝だからな。グローリア、おまえにじーちゃんの技を伝授してやる!」
 能天気そうな顔。
 ユースケって何者なんだろう。
 おれにできるのは、ただ黙ってうなずくことだけだった。
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