仔犬だと思ってたのに

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#5 俺はいったい何者にちんこを舐められたのか

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 すわ俺に当たるかと思われた光の球は間一髪、ミシェルの魔法によって砕かれた。グローリアは蒼白になっていて、俺が声をかけると、ぎゅっとしがみついてきた。その小さな体は恐怖で震えていた。
 浴場にはいくつかの穴があいていた。修復不可能とまではいかないにしても、明日明後日は使えないかもしれない。ぼんやりと俺が考える間に上官たちがやってきて、どういうことなのかと問うた。
 高熱によって金属の表層が溶けた破壊痕に、だらしなく伸びている男五名。それからグローリアと全裸の俺とミシェル。
 ふと、俺は考える。

(“どこまで”なら、殺されないんだ?)

 十年後にマリー・カンタビレを滅ぼすと予言されたグローリアを俺は英雄にすると宣言し、その判定役としてアーサーがあてられた。
(俺は十年かけるつもりだった)
 あんなに愛らしくていい子でかわいいグローリアのどこをどうしたら予言が実現するのか俺にはサッパリわからないが、ともかく、時間をかけて未来を変えるつもりだった。
 だけど、アーサーは言った。“正しくは十年未満だ”だと。

(『未満』)

 そのときは単に、直前、という意味合いでしかとらえていなかった。八年目か九年目で何かが起きてグローリアがそうなる、みたいなさ。
 だけど、本当にそうなのだろうか。俺はグローリアを強く抱きしめる。
 たとえば、グローリアは魔法を使った。
 これを契機に彼の自由意志で扱えるようになったが、“まだ”目覚めたてで威力自体は弱く、ランドルやアデアルドの処置範囲内に“まだ”おさまる。加えて彼は非力な子どもであり“まだ”脅威にはならない。
 上官の一人がこう分析したとする。だが、それを容れるのは誰だろうか。ここの村や基地で偉い人たち十人が話し合って九人がグローリアを脅威ではないと判断したとして、それは容れられるのだろうか。

 『魔王になった』を決めるのは誰だ?

 俺は上官たちの後方からこちらを見ている金髪碧眼の男を睨みつける。そうだ、この国は最初からグローリアを殺そうとしていたし、いつでも殺すことのできる環境下に俺たちを置いている。
 アーサー・エル・ユリウスが“そう”だと判断したとき。それが『未満』の答えだ。
(いまさら気づくとか)
 おめでたいにも程がある。こんなんでグローリアを守る気でいたとか笑える。
 ともかくだ。
 俺は頭をきりかえた。今するべきこと。グローリアが魔法を使えることを、連中に――とくにアーサーに知られるわけにはいかない。

「聞こえなかったのか? これはどういうことなのだ」

 なかなか答えない俺たちに業を煮やした上官の一人がせかした。どうする。必死に考える前、「えーと」と、ミシェルがのんびりと口をひらく。
「訓練のときユースケにさんざんボコられたのがくやしくて仕返ししようとしましたー」
「なんだ貴様は」
 服を着ろ、と上官に言われて、俺はあらためて自身が真っ裸だったことに気づいた。所属と名前を述べ、ミシェルがまず着用を完了する。
「ユースケは訓練のあと疲れきってて毎日一人で浴場行ってる。からの、よしチャンスだー、まてまて、どうせなら疲労が限界になるだろう今日あたりにしようぜ、からの、ついでに皆でユースケのこと掘ってアンアン言わせてとことんヘコませてやろうっていう流れです」
 言って、もぞもぞとうごめいていた肉塊五体にトンと手を置いた。にっこりと笑む。

「ね、リーダー?」
「“リーダー”!?」

 指名された男の一人がとび起きた。ミシェルはへらへらと笑いながらうなずく。
「途中までよかったんですけどぉ、ユースケには抵抗されるしそのガキに邪魔されるしで頭きて、僕が魔法使ったんです」
 ミシェルの報告を受けて、ベテランっぽい上官が眉根を寄せた。
「…実戦および戦闘訓練以外での魔法の行使は禁止されているはずだが」
「マッセーン」
 生徒指導に注意された学生か。
 思わずつっこみながらも、俺はミシェルの意図を理解する。こいつ、俺たちを庇う気だ。
「ミシェ――」
「残念だなあ、空っぽじゃ嫌っておねだりしてくるくらいトロットロにして、自分がちんぽついてることさえ忘れるくらいかわいがってあげようと思ってたのになあ」
 ゆっくりと立ち上がって、ミシェルが俺に近づく。思わず俺が体をのけぞらせるのへ、上官の一人がミシェルの頭をわしづかんだ。なおも言い募りながら、ミシェルが鋭い視線を俺によこす。

 余計なことを言うな。

 ほとんど殺気のような無言の圧力に、俺はそれ以上の言葉を呑んでしまう。男たちは最後までミシェルと自分たちは無関係だと主張していたが、その後、ミシェルとそろって反省房に入れられた。
 俺とグローリアに対するペナルティは発生しなかったけど、以来、俺に対して妙に優しくしてくる奴とかやたらにウィンクしてくる奴とか、訓練中に尻に触ってくる奴が発生するようになった。グローリアはじめアデアルドたちにひどく心配されたが、そのうち飽きるだろうと思って放っておいてある。
「…ふぁ、」
 あくびをすると目端に涙がにじんだ。松明の焼ける音と炭のにおい。街明かりのない宙は深く、そこへ星が砂糖をまぶしたようにひろがっている。繁華街のように色とりどりの光をたくわえた天の川の雄大なうねり。
 なんだか不思議な気分だった。さすがにこんなファンタスティックな夜空は写真でしか見たことがないけど、異世界でも宇宙は共通しているんだろうか。
(まずい、眠くなってきたな…)
 丘陵のうえに位置するカプリース村の見張りは国境の外に向けた三か所と、定時に出る遠見だけだ。見張りは二人一組。役割としては一人が緊急時の連絡役、あるいは交替で仮眠をとるためなのだそうだ。
 俺の相方はずいぶん前にションベンに行ってくると言ったきり帰ってこないままだ。もしかして俺は一晩中ここから動くことができないんだろうか。

「こんばんはー」

 てっきり相方が戻ってきたのかと思ったら、違った。ミシェル、と思わず呼びそうになった口を、ミシェルの人さし指が軽くおさえた。
 芝居がかってるのにちっとも嫌味のないしぐさ。俺がもし貴族の令嬢だったら真っ赤になって恋に落ちたに違いない。おまえは少女漫画から飛び出してきた王子様か。
 俺は心もち声量を押さえて問う。

「おまえ、どうやって」

 反省房は三週間だったはずだ。夜陰に乗じて脱走する兵は少なくない。房の前には見張りがいるはずだし、建物内にもここに来るまでだって人の目があるはずなのに。
「そんなの渡り方でどうとでもなるよ。ここは娯楽が少ないから、余計に」
 影のように階段をあがって、ミシェルが見張り台の中に入った。
「なんでもかんでも規律規律で縛ればどこかで爆発したり、いざというときに使い物にならなくなる。同じ訓練を受けていても、人間の許容量はそいつごとに違うからさ。そこんところを上官もわかってて、お互いに上手にズルをしたり見ないふりをするんだ」
 持ちつ持たれつなのだとミシェルは言う。
「ただし、それが成立するのは限定的な関係だけ。ユースケ、今夜の相方は先輩だろ」
 ずばりと言い当てられて、俺は眉根を寄せた。なぜわかった。
「ははっ!」
 たまらないって声でミシェルが笑った。そうしてなぜか俺の視界がくるんと反転する。

「あー、もうほんと、食べちゃいたい」

 俺を床に組み敷く体勢で、ミシェルが俺の耳を噛んだ。俺が悲鳴を上げる間もなく耳の下を吸って舐めて、すくいあげるように起こす。
 見張り台のしたで松明がはじけた。あのさ、と俺はきりだす。
「ごめんな。その…反省房行くことになっちゃって」
 グローリアがやったとも言えず、かといってほかにミシェルの潔白を晴らす言い分も見つからない。俺がこの一週間していたのはただただわが身可愛さの保身だけだった。
 ミシェルが首をかしげる。

「なぜ? 僕が煽らなければあの子はあんなふうに怒ることはなかっただろう。あれは試したんだよ、僕が」
「試した?」
「そう。知りたかったんだ。本当にあの小さな子が予言の魔王なのかどうか。あとは私情。あの子に少しだけいじわるをしたかった」

 だから俺が気にすることはないのだと、ミシェルは言う。
「信じてくれる? きみに一目惚れをしたんだ、ユースケ」
 乾いた夜の風がミシェルの赤い前髪を揺らした。土と炭のにおい。息と息のふれあうような間近にせまったミシェルを威嚇するように、俺は「ミシェル」と呼ぶ。

「…かわいい」

 ミシェルが両手で俺の頬を挟んだ。青灰色のひとみがうるんで、しあわせそうに笑む。
「…ミシェル、」
 甘ったるい声。まるで恋人のように扱われて、俺はちんこを舐められたことを思いだす。
 俺が体をこわばらせたタイミングで、ミシェルがパッと離れた。攻めながら離れる。やろうと思ってもなかなかできることじゃない。
 ミシェルが腰をあげた。房に戻ると言う。

「ズルをするにも人を見る目が必要なんだよ、ユースケ。融通の利かない野暮な奴っていうのはどうしてもいるんだ」
「…ミシェル、おまえ、何しに来たんだ」

 渡り方云々とこいつは垂れたけど、リスクを冒すことには違いないはずだ。こいつははたして、ただ雑談をするためだけにこんなところまで来たんだろうか。
 ミシェルは薄く笑っただけだった。

「現ロマネ・ワイゼン王王弟のテオドールはマリー・カンタビレの魔王を手に入れようとしている」
「…え?」

「愚かにも、完成する前ならどうとでもできると思ったのさ。人の身、それもものを知らない子どものうちならいくらでもその世界をつくりかえることができるだろうと」
 聞き返した俺の頬に、ミシェルはすばやく唇を寄せた。言う。
「魔王は目覚めた。幸運を。ユースケ」
「ミシェル!」
 ひときわ大きな音を立てて松明がはじける。のぞきこんだ階段のしたに、ミシェルの姿はどこにもなかった。

        *

「え、……ミシェル?」
 翌日。
 ミシェルに言われたことが気になって反省房に行った俺は、ぽかんと口を開けた。
 そこに入っていたのはたしかに『ミシェル』だった。でも、俺の知っているミシェルじゃなかった。そこにいたのは赤毛と名前だけが同じの見知らぬ少年だった。

「うわあああ、なんだよぉっ! 知らねえよ、おまえなんか! なんで俺がおまえなんか襲うんだよ! 俺はぽっちゃり系熟女専門なんだよ! ふざけんなよ!」

 俺の姿を見た途端、少年がめちゃくちゃに言う。記録帳によれば、この少年兵が例の男たちと共謀し、俺によからぬことをしようとした、ということだが。
(こいつじゃない)
 俺は信じられない思いで房の中の少年兵と房の管理兵とを見る。あの、と言いかけて俺は結局口を閉ざした。
「ケツを掘られかけたんだ。仕返ししたい気持ちはまあわからんでもないが、私情による私闘は禁じられてるからな」
 管理兵が言う。「あとで慰謝料でも請求するんだな」と追い出されてしまった。

(どういうことだ…?)

 じゃあ、俺が浴場で会った『ミシェル』は誰だったんだ?
「アデアルド、グローリア知らないか?」
 日常訓練は必要だが、敵はさあ襲いますよと言って襲ってきてくれるわけじゃない。いざ応戦となったときに兵全員がバテていてはしょうがないので、交代で休養日が設定されている。
 というわけで、今日は休養日だ。ランドルが村の店をいくつか教えてくれたので、グローリアと出かける約束をしてたんだけど。
 アデアルドが本から顔をあげた。部屋にいたのはアデアルドだけだった。

「グローリアならユリウス副長のところに行くといっていましたよ」
「は!?」

 くらりと、視界が揺れた。漫画とかで女の子が「よろっ」ってなってる、まさにあんな感じだ。まさか魔法のことがバレたのか? アデアルドが止めるのも聞かず、俺は部屋を飛び出す。
 基地責任者の部屋とかでふんぞり返っているかと思えば、アーサーは兵たちと一緒になって日常訓練に参加している。そして野郎の新たな信者が誕生するわけだ。迷惑な話だ。
 何が迷惑って、訓練でちょいちょいアーサーと組まされることなんだよな。やっつけてやれだのなんだのって。アーサーが拒否するから今のところ実現してないけど。
(でも、ちょっといいよなあ)
 ヘルム野郎とはいえ、肩書は国内最強の騎士団最強なわけじゃん。正統派騎士様の剣と俺の学生竹刀で勝負になるとは思えないけど、叶うなら一回剣を合わせてみたいなって気持ちは実はないでもない。初日のアレはやらせみたいなもんだしさ。力つけたいなら強いやつと戦うのが一番いいってじーちゃんも言ってたし。
 それを、グローリアが知っていたかどうかはわからない。わからないが、俺がそこに到着したとき、グローリアはその騎士団最強と手合わせの真っ最中だった。
 訓練だと一目でわかったのは、アーサーに殺気を感じなかったからだ。
(あー…びっくりした…)
 兵舎敷地内にいくつかあるオープンスペースを使ったそれは個人的な訓練らしく、二人のまわりには野次馬がたかっていた。俺が来るまでにも何度か転がされたのだろう、グローリアの顔も服も土で真っ黒だ。

「もう一本!」

 グローリアが立ち上がる。下手したら女の子で通じるくらい小さな体なのに、グローリアは驚くほどタフだ。
「根性見せろ! 土にまみれたいだけなら犬っころとでも遊んでろ!」
「ユリウス副長、やっちゃってくださいよ!」
「そら、もう一本!」
 飛び交う声は野次中傷が九割、声援が一割といったところか。とにかく勢いで押すようなグローリアに対して、アーサーはステップを使ってうまくかわし、あるいはいなしている。ときどきグローリアがきわどい剣筋を見せるものの、体が剣を扱いきれていないせいで、アーサーに見透かされているのが惜しい。
 またしてもグローリアの剣が飛んだところで、アーサーが剣を降ろした。

「時間の無駄だな」

 肩をすくめ、アーサーが言う。ヘルムのない額には汗が見えるが、疲労困憊には程遠いという様相だ。
「おつかれ」
 アーサーが去って、野次馬がそれへついていくように解散したところで、俺はグローリアに声をかける。アーサーがちらりとも俺を見なかったせいで、俺はすんなりとグローリアに近づくことができた。
「健闘してたな」
「全然だ。あいつ、おれとやる前にわざわざ鎧脱いだんだぞ。おれには必要ないってことだろ」
「相変わらず性格悪い野郎だな…」
 俺はアーサーの行った方向に向かって黒い念を飛ばす。真剣を使っていたはずなのに、目立つところにはそれと思しき傷が一切ない。つまりこれが、グローリアとアーサーとの圧倒的な実力差だった。
 グローリアがシャツの肩口で汗をぬぐった。ふう、と深い息をつくのへ、俺はたずねる。

「なんでアーサーに?」

 アーサーは俺たちを殺す人間だ。脅威と見なされればグローリアは排除されてしまう。
 アーサーが受けた理由はともかく、グローリアはそれを知っているはずだった。

「この国で一番強いっていうから」

 俺が水を持ってきてやると、グローリアはそれを頭からかぶった。土汚れの落ちたプラチナ色の髪が露に濡れた花のようにきらきらと光を放つ。
「おれ、ユースケを守りたいんだ」
 神秘的な色合いの陽光が水滴にとじこめられて髪の先端から種のようにはじけた。ひとつ、ふたつ。まるで妖精がそこからうまれて飛び立っていくかのようだった。動物のように頭部を振って、グローリアが水気を払う。

「力を扱うなら、力が必要なんだろ。アデアルドが言ってた」
「アデアルドが?」

 グローリアがうなずいた。
「おれ、きいたんだ。魔法が使えるのに、なんで訓練に参加してるんだって。そうしたら、アデアルドが言ったんだ」
「そうか」
 俺はグローリアを見下ろす。すこしだけ隈のある目。魔法を初めて使ったあの日以来、グローリアはあまり眠れていないようだった。

「おとぎ話だと、魔王は強いんだ。軍隊でも倒すことができない。アーサーは強いけど、魔王じゃない。アデアルドもランドルも魔法を使えるけど魔王じゃない。なんでかっていうと、あいつらがきちんとそれを制御してるからなんだ」

 自分でたくさん考えたのだろう。しずかに語る表情は大人びて、確固たる意志を感じる。もともとグローリアは年のわりに自立した考えの持ち主だけど、そうか、自分なりに自分の力と向き合おうとしてたんだな。
 俺は靴底で意味もなく地面を揉む。不意に通路で笑声があがった。ユースケ。金色をまぜこんだひとみに射られて、俺はたちすくむ。夕焼け色。
「おれが守る。あんたのことは、おれが、絶対に」
 同じ色のひとみはつい前まで、めざめたばかりの強大な力に呑まれかけおびえていた。

(いつも一緒にいるのにな)

 俺はまぶしいような気持ちで思う。この子はいったいいつの間にこんな力強い目を手に入れたのだろう。
(きっとすぐに仔犬なんて呼べなくなっちゃうな)
 今は小さく頼りない体も、もう数年もすれば見違えるほど大きく育つだろう。グローリアは素材がいいから、きっと女の子たちも放っておかないに違いない。
 とても小さく、そのとき心臓が音を立てた。川底で石が少しだけ動くようなささやかな気配。俺はおもむろにうなずく。
 そうだな、グローリア。どんな存在を『英雄』というのか俺にもよくわからないんだけど、二人で強くなろう。おまえを滅びの魔王なんかにさせない。俺はわらう。
「俺も、グローリアをまもるよ」

        *

 夜。
 今日も今日とて見張りだが、例によって相方は「ションベン」にお出かけされたまま行方をくらませている。前回は夜が明けるころだった。つまり、うろうろしてても見つかりにくい時間帯。
 うらめしく思う反面、安堵してもいた。一人になって考える時間がほしかった。

(俺に何ができるんだろう)

 グローリアとの外出は楽しかった。グローリアにとっても息抜きになったようで、翌日からまたもりもりと訓練にとりくんでいた。暇を見つけてはアーサーに挑戦しているらしい。正直ちょっとさびしい。
(俺、何もしてないよなあ)
 グローリアを英雄にするって言って、守らなきゃって思って守るよって言ったのに、俺はいまだに日常訓練でへばっててグローリアに気遣われて、おまけにちんこ舐められるし、なのにグローリアは一人でどんどん答えを見つけて決めていく。約束を投げ出す気はこれっぽっちもないけどさ、思っちゃうわけですよ。俺って必要なのかな?
 情けない。
 見張り台のすみっこに座ってがっくりとうなだれる。自分のことがひどく小さく感じた。俺ってもしかして口だけ男なのかな?

 ――だれかたすけて!

 初めて出会ったあの日、俺の腕のなかで震えていた子どもを思い出す。がりがりに痩せて青ざめていた子ども。
 俺はあの子に何をあげられるだろう。何をしてあげられるだろう。
 グローリア、どうしたらアーサーはおまえを魔王じゃない、もう心配ないと認めるかな。
 俺はポケットから腕時計をひっぱりだす。兵舎に入る前の身体検査でいくつか私物を回収されたけど、これについてはスルーだった。腕時計という形態はないけど、時計そのものは日用品として使われているせいかもしれない。
 大好きな俺の家族。友達。部活の後輩たち。卒業しても応援にきてくれた先輩。時計の表面を袖でぬぐいながら思い出す。さびしいとか会いたいとかは依然とない。でも、元気でいるかなとは思う。
 こんなことならじーちゃんにもっといろいろ教わっとくんだったなとか、あの漫画の続きはどうなったのかなとか。ねえちゃんの結婚式に出たかったなあとか。
 知らなかった。俺ってこんなにメンタル弱かったんだ。

(ださすぎ…)

 俺が落ち込んでいると決まってねえちゃんが話を聞いてくれて背中を叩いてくれたけど、ここにねえちゃんはいない。
 虫の声。炭のときおりはじける音。地面を這う虫のような葉擦れ。静寂。闇。
 俺は時計に耳をよせる。目を閉じて秒針の音に聞き入った。8時36分でとぎれた俺の朝。
 目を開ける。いつのまにか眠っていたようだ。あわてて俺は立ち上がる。反射的に時計を見て、「え」と声をもらした。

 8時37分。

(進んでる!?)
 見間違いじゃなかった。たしかに時間が動いていた。なんで。

「おい!」

 呼ばれて下を見ると、長いションベンに行っていた相方がいた。平穏そのものだった夜の静寂がなくなってざわつきはじめている。
 遠見が戻ってきたのだと相方が言った。一気にあがってきて「見ろ」と指をさす。息がちょっと酒臭い。
 新月。
 カンカンカンとけたたましく鐘が鳴らされるなか、俺は目をこらした。丘陵のむこう。ひろびろと両裾をひろげる闇の中にぼうぼうと、あかりが揺れている。

「おいでなすったぞ」

 相方が言った。
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