異世界で子育てしながら静かに暮らしたい元スパイ

ライカタイガ

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1章

第15話:開かれた空

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黒い亀裂が空に浮かび上がってから、三日が経った。

それは夜空の一部が破れたような異様な光景で、村人たちも不安を隠せない様子だった。最初は「ただの雲の影だろう」と誤魔化していた者たちも、次第に口を閉ざすようになり、誰もが空を見上げることをやめた。

ゼインは毎夜、その“門”を見つめていた。

遠く離れていても、胸の奥をざわつかせる不快な圧力。まるで、呼ばれているような気配。

(この世界の“向こう”から、何かがこっちを見ている)

そんな錯覚にすら陥る。

「ゼインおじさん……あの空の裂け目の中に、誰かがいるの?」

焚き火の光のなか、リリィが問う。彼女もまた、日に日にその存在に引き寄せられるような感覚を覚えていた。

「……ああ、いるかもしれない。もしくは、何かが“出よう”としてるのかもな」

ゼインの言葉に、リリィはしばらく黙り込んだ。

「でも、私はもう……逃げないよ」

その言葉に、ゼインは目を細める。

(そうか……この子は、俺よりも強いのかもしれない)



その日、村の長老リオは、すべての村人を集めて広場で会合を開いた。

「皆、聞いてくれ。空に現れた“裂け目”——あれは、世界の理が崩れかけている証じゃ。原因はまだ完全には分からぬが、わしらには“備え”が必要じゃ」

誰もが不安げな顔をしていたが、ゼインが前に出て口を開いた。

「俺たちは、ただ怯えるだけじゃ終わらない。準備をする。来るべき時に備えて、村を守る力を持たなきゃいけない。剣が持てる者は訓練を、子どもたちと老人は避難場所の確認を。俺が指揮を執る」

最初は戸惑っていた村人たちも、ゼインの力強い声と揺るぎない眼差しに、少しずつ頷き始めた。

「俺たちは、ただの“待つ側”じゃない。守る側でいよう」

その夜から、村では訓練が始まった。ヴァルドは剣術の指南役を引き受け、ゼインは斥候の配置や見張りの巡回を管理した。

リオは古文書の中から、再び“封印の術”の痕跡を探し、リリィには巫女としての訓練が与えられた。

「……この力を、自分の意志で制御する。そう思っただけで、胸が震えるの」

リリィはゼインにだけ、小さく打ち明けていた。

「怖いか?」

「うん。でもね、怖いって思えるってことは、ちゃんと前を見てるってことだって、前にパパ言ってたから」

その返事に、ゼインはそっと笑った。



三日目の夜。

空の亀裂が、はじめて“光”を放った。

黒く裂けた空の向こうに、まばゆい蒼白の輝きが見えたのだ。

それは希望ではなく、圧倒的な“異質”だった。

リリィはその瞬間、立ち上がり、胸を押さえて呻いた。

「……中から……声が……!」

「リリィ!」

ゼインが駆け寄ろうとした瞬間、リリィの足元に魔法陣が浮かび上がり、彼女の身体を包むように光が広がった。

ヴァルドが飛び込んでくる。

「結界が展開してる! ゼイン、離れろ!」

「ふざけるな、離れられるか!」

リリィの両目が金色に染まり、声を持たない何者かの言葉が彼女の口から紡がれる。

「門は目覚めを迎える。運命を選ぶ者よ——汝、どちらの理に従うか」

ゼインはリリィの肩を抱き、叫んだ。

「リリィ! お前は“自分”を選べ! 誰の理でもない、お前の人生を選ぶんだ!」

その言葉が届いたのか、一瞬リリィの瞳に光が戻り、魔法陣が音を立てて崩壊する。

その場に崩れ落ちたリリィを、ゼインは強く抱きしめた。

「……怖かった……でも、聞こえたの。お姉ちゃんの声が……」

「ミアの……?」

ゼインはその言葉に眉をひそめた。



空の亀裂は静かに広がっていく。

それは、まるでこの世界が裂ける音のように。
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