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第16話 「戻らないもの」
第16話 「戻らないもの」
侯爵邸、執務室。
重い沈黙が、部屋を満たしていた。
机の上には、いくつもの書類。
だが――
どれにも、手はつけられていない。
「……まだ、見つからないのか」
低い声が落ちる。
「は、はい……」
執事が、硬い声で答える。
「奥方様の行き先は、いまだ……」
「そんなはずがあるか」
言葉を、遮る。
苛立ちを隠さない声。
「三日だぞ」
「三日も経っている」
机を指で叩く音が、響く。
「……はい」
執事は、頭を下げたまま動かない。
だが。
部屋の空気は、明らかに変わっていた。
焦り。
そして――
苛立ち。
「……どうせ、実家だろう」
吐き捨てるように言う。
「どうせ、実家だろう。あいつに行く場所など、他にない」
自分に言い聞かせるような声。
「今までだって――」
そこで、言葉が止まる。
今まで。
戻ってきたことなど、一度もない。
そもそも――
出て行ったことがなかったのだから。
「……」
無言が落ちる。
その沈黙を破ったのは。
「旦那様」
執事だった。
「一点、報告がございます」
ためらいがちな声。
「何だ」
苛立ちを含んだまま、返す。
「奥方様の件で……」
「だから、まだ――」
「王城に入られた、との情報が」
その一言で。
空気が、止まった。
「……は?」
間の抜けた声が漏れる。
「誰がだ」
「奥方様が、でございます」
淡々とした報告。
だが、その意味は重い。
「……馬鹿な」
思わず、笑う。
あり得ない、と言うように。
「なぜ、あいつが王城に入る」
「その……」
執事が、一瞬言葉を詰まらせる。
だが、やがて。
「王太子殿下の指示で、とのことです」
――沈黙。
完全な、沈黙。
「……誰の、指示だと?」
低く、問う。
「王太子殿下、でございます」
繰り返される。
否定の余地もなく。
はっきりと。
「……なぜだ」
理解が追いつかない。
なぜ、王太子が。
なぜ、あいつを。
「……確認中ではございますが」
執事が続ける。
「現在、王城内で保護されているとの情報が」
“保護”。
その言葉が、やけに引っかかる。
まるで――
こちらが、危険であるかのような。
「……ふざけるな」
低く、吐き捨てる。
「なぜ、あいつが保護される」
「何も問題はなかったはずだ」
言い切る。
そうでなければならない。
そうでなければ――
「何も問題はなかったはずだ。あいつは、何も言わなかった」
言葉が、重なる。
自分に言い聞かせるように。
「……」
だが。
執事は、何も言わない。
否定もしない。
肯定もしない。
ただ、沈黙している。
その態度が。
何よりも雄弁だった。
「……面会の手配をしろ」
絞り出すように言う。
「王城だろうが何だろうが、関係ない」
「すぐに――」
「それが」
執事が、言葉を挟む。
「すでに、断られております」
静かに。
だが、決定的に。
「……断られた?」
理解できない、という顔。
「王太子殿下のご意向で」
「今後一切の面会は取り次がない、とのことです」
完全な拒絶。
「……っ」
言葉が出ない。
何かを言おうとして。
何も出てこない。
あり得ない。
そんなはずがない。
あいつは――
あいつは、戻るはずだ。
そう思っていた。
当然のように。
だが。
「……旦那様」
執事の声が、静かに響く。
「離縁の手続きも、進んでおります」
とどめだった。
「……は?」
また、同じ声が漏れる。
「正式な書面が、すでに王家を通じて確認されております」
現実が、突きつけられる。
終わっている。
すでに。
「……そんな、はずは……」
机に手をつく。
力が、入らない。
何も、かもが。
想定と違う。
戻ってくるはずだった。
何も変わらないはずだった。
それなのに。
――何一つ、思い通りにならない。
静まり返った執務室に。
彼の呼吸だけが、重く響いていた。
そして。
ようやく理解する。
――戻らないのだと。
あの女は。
もう。
二度と。
戻らないのだと、思い知らされた。
侯爵邸、執務室。
重い沈黙が、部屋を満たしていた。
机の上には、いくつもの書類。
だが――
どれにも、手はつけられていない。
「……まだ、見つからないのか」
低い声が落ちる。
「は、はい……」
執事が、硬い声で答える。
「奥方様の行き先は、いまだ……」
「そんなはずがあるか」
言葉を、遮る。
苛立ちを隠さない声。
「三日だぞ」
「三日も経っている」
机を指で叩く音が、響く。
「……はい」
執事は、頭を下げたまま動かない。
だが。
部屋の空気は、明らかに変わっていた。
焦り。
そして――
苛立ち。
「……どうせ、実家だろう」
吐き捨てるように言う。
「どうせ、実家だろう。あいつに行く場所など、他にない」
自分に言い聞かせるような声。
「今までだって――」
そこで、言葉が止まる。
今まで。
戻ってきたことなど、一度もない。
そもそも――
出て行ったことがなかったのだから。
「……」
無言が落ちる。
その沈黙を破ったのは。
「旦那様」
執事だった。
「一点、報告がございます」
ためらいがちな声。
「何だ」
苛立ちを含んだまま、返す。
「奥方様の件で……」
「だから、まだ――」
「王城に入られた、との情報が」
その一言で。
空気が、止まった。
「……は?」
間の抜けた声が漏れる。
「誰がだ」
「奥方様が、でございます」
淡々とした報告。
だが、その意味は重い。
「……馬鹿な」
思わず、笑う。
あり得ない、と言うように。
「なぜ、あいつが王城に入る」
「その……」
執事が、一瞬言葉を詰まらせる。
だが、やがて。
「王太子殿下の指示で、とのことです」
――沈黙。
完全な、沈黙。
「……誰の、指示だと?」
低く、問う。
「王太子殿下、でございます」
繰り返される。
否定の余地もなく。
はっきりと。
「……なぜだ」
理解が追いつかない。
なぜ、王太子が。
なぜ、あいつを。
「……確認中ではございますが」
執事が続ける。
「現在、王城内で保護されているとの情報が」
“保護”。
その言葉が、やけに引っかかる。
まるで――
こちらが、危険であるかのような。
「……ふざけるな」
低く、吐き捨てる。
「なぜ、あいつが保護される」
「何も問題はなかったはずだ」
言い切る。
そうでなければならない。
そうでなければ――
「何も問題はなかったはずだ。あいつは、何も言わなかった」
言葉が、重なる。
自分に言い聞かせるように。
「……」
だが。
執事は、何も言わない。
否定もしない。
肯定もしない。
ただ、沈黙している。
その態度が。
何よりも雄弁だった。
「……面会の手配をしろ」
絞り出すように言う。
「王城だろうが何だろうが、関係ない」
「すぐに――」
「それが」
執事が、言葉を挟む。
「すでに、断られております」
静かに。
だが、決定的に。
「……断られた?」
理解できない、という顔。
「王太子殿下のご意向で」
「今後一切の面会は取り次がない、とのことです」
完全な拒絶。
「……っ」
言葉が出ない。
何かを言おうとして。
何も出てこない。
あり得ない。
そんなはずがない。
あいつは――
あいつは、戻るはずだ。
そう思っていた。
当然のように。
だが。
「……旦那様」
執事の声が、静かに響く。
「離縁の手続きも、進んでおります」
とどめだった。
「……は?」
また、同じ声が漏れる。
「正式な書面が、すでに王家を通じて確認されております」
現実が、突きつけられる。
終わっている。
すでに。
「……そんな、はずは……」
机に手をつく。
力が、入らない。
何も、かもが。
想定と違う。
戻ってくるはずだった。
何も変わらないはずだった。
それなのに。
――何一つ、思い通りにならない。
静まり返った執務室に。
彼の呼吸だけが、重く響いていた。
そして。
ようやく理解する。
――戻らないのだと。
あの女は。
もう。
二度と。
戻らないのだと、思い知らされた。
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