38 / 40
第38話 工房の未来
第38話 工房の未来
王都からの第二依頼が完成したのは、アーシェルに戻って三週間後だった。
先方からの返答は早かった。修正なし、即承認、さらに三件の追加依頼。ボッシュ経由で届いた書状には、魔法師協会の推薦状が添えられていた。
リアナはその書状を、ゴードンに見せた。
ゴードンは黙って読んだ。眼鏡を外して、また読んだ。やがて机に置いた。
「……お前、工房を出るつもりはあるか」
唐突な問いだった。リアナは少し考えた。
「ありません」
「なぜ」
「ここが好きだからです」
ゴードンが少し、リアナを見た。値踏みではなかった。確認していた。
「王都の商会から直接声がかかるようになれば、工房を通す必要はなくなる。独立してやる方が、お前の取り分も増える」
「取り分より、ここで仕事をしたいです」
「……理由は」
リアナは少し考えた。
「親方の下で、まだ学べることがあります。クレイの施工技術は、私にはまだ及ばないところがあります。トーマスの現場感覚も、設計だけやっていれば身につかないものです。工房全体で仕事をすることで、私の設計は良くなっています」
ゴードンが黙っていた。
「それだけか」
「……あとは、ここが居心地いいです」
少し間があった。
ゴードンが短く、笑った。
「そうか」
それだけだった。書状を折り畳んで、リアナに返した。話は終わり、ということだった。
リアナは作業台に戻りながら、ゴードンが聞いた理由を考えた。出るつもりがあるかどうか確認したかったのではないと思った。出るつもりがない理由を、リアナ自身の言葉で聞きたかったのかもしれない。
午後、クレイに声をかけた。
「少し教えてほしいことがあります」
「何だ」
「施工のとき、石材の張力をどう判断しているか。設計では計算できますが、実際に手で判断するときの感覚を知りたいです」
クレイがしばらく、リアナを見た。
「……設計者が施工を聞くのは珍しい」
「設計だけでは限界があると思っています」
「正しい」
クレイが道具を置いた。石板を一枚取ってきた。
「触ってみろ。この石の、どこが一番固い」
リアナは石板に手を当てた。指先で、少しずつ位置を変えた。
「……ここです」
「正解だ。なぜわかった」
「温度が、少し低かったです。密度が高い部分は熱を通しにくい」
クレイが短く頷いた。
「お前、手がいい」
ゴードンの口癖と同じ言葉だった。リアナは少し、笑った。
トーマスが横から来た。
「なんか楽しそうなことしてる! 俺も!」
「うるさい」とクレイが言った。
「でも俺も教えたいことある! 現場でのコツとか!」
「……聞きます」
リアナが言うと、トーマスが嬉しそうに話し始めた。クレイが呆れた顔をしながら、でも途中で補足を入れた。
工房の午後が、賑やかに過ぎた。
夕方、片付けをしながらゴードンが言った。
「来年、弟子を一人取ろうと思っている」
リアナは手を止めた。
「……弟子ですか」
「ああ。わしも年だ。技術を伝える人間が必要だ」
「それは、良かったです」
「お前も、教えることになる」
「……私が、ですか」
「お前の設計理論を、次の世代に伝えられる人間はお前しかいない。わしが施工を教える。お前が理論を教える」
リアナは少し、考えた。
教える、ということを考えたことがなかった。自分がまだ学んでいる途中だという感覚があった。でも、伝えられるものが自分の中にあることも、今日クレイと話してわかった。
「……やってみます」
「やってみます、ではない。やれ」
「……やります」
ゴードンが短く頷いた。
帰り道、リアナはその話をルシアンにした。夕食のあと、中庭に出たときだった。
「工房に弟子が来るのか」
「来年、一人取ると言っていました。私も教えることになりそうです」
「向いているか」
「わかりません。でも、やります」
ルシアンが少し、リアナを見た。
「以前は、わかりませんと言ったらそこで終わっていた」
「……そうでしたか」
「今は、わかりませんでもやる、と言う」
リアナは少し考えた。確かにそうかもしれなかった。以前は、できるかどうかわからないことに踏み込むのが怖かった。一人だったから。失敗したとき、支えてくれる場所がなかったから。
「……ここに帰ってくる場所があるので」
ルシアンが黙った。
リアナは夜空を見上げた。星が出ていた。いつも通りの、アーシェルの夜空だった。
「ルシアン様」
「何だ」
「ここが、帰ってくる場所になりました」
ルシアンが何も言わなかった。でも、隣に立っていた。それで十分だった。
夜風が吹いた。
工房に弟子が来る。理論を伝える人間が生まれる。父が始めて、自分が完成させた理論が、次の誰かへ渡っていく。
そういう未来が、見えてきた。
悪くなかった。
むしろ、楽しみだと思った。
王都からの第二依頼が完成したのは、アーシェルに戻って三週間後だった。
先方からの返答は早かった。修正なし、即承認、さらに三件の追加依頼。ボッシュ経由で届いた書状には、魔法師協会の推薦状が添えられていた。
リアナはその書状を、ゴードンに見せた。
ゴードンは黙って読んだ。眼鏡を外して、また読んだ。やがて机に置いた。
「……お前、工房を出るつもりはあるか」
唐突な問いだった。リアナは少し考えた。
「ありません」
「なぜ」
「ここが好きだからです」
ゴードンが少し、リアナを見た。値踏みではなかった。確認していた。
「王都の商会から直接声がかかるようになれば、工房を通す必要はなくなる。独立してやる方が、お前の取り分も増える」
「取り分より、ここで仕事をしたいです」
「……理由は」
リアナは少し考えた。
「親方の下で、まだ学べることがあります。クレイの施工技術は、私にはまだ及ばないところがあります。トーマスの現場感覚も、設計だけやっていれば身につかないものです。工房全体で仕事をすることで、私の設計は良くなっています」
ゴードンが黙っていた。
「それだけか」
「……あとは、ここが居心地いいです」
少し間があった。
ゴードンが短く、笑った。
「そうか」
それだけだった。書状を折り畳んで、リアナに返した。話は終わり、ということだった。
リアナは作業台に戻りながら、ゴードンが聞いた理由を考えた。出るつもりがあるかどうか確認したかったのではないと思った。出るつもりがない理由を、リアナ自身の言葉で聞きたかったのかもしれない。
午後、クレイに声をかけた。
「少し教えてほしいことがあります」
「何だ」
「施工のとき、石材の張力をどう判断しているか。設計では計算できますが、実際に手で判断するときの感覚を知りたいです」
クレイがしばらく、リアナを見た。
「……設計者が施工を聞くのは珍しい」
「設計だけでは限界があると思っています」
「正しい」
クレイが道具を置いた。石板を一枚取ってきた。
「触ってみろ。この石の、どこが一番固い」
リアナは石板に手を当てた。指先で、少しずつ位置を変えた。
「……ここです」
「正解だ。なぜわかった」
「温度が、少し低かったです。密度が高い部分は熱を通しにくい」
クレイが短く頷いた。
「お前、手がいい」
ゴードンの口癖と同じ言葉だった。リアナは少し、笑った。
トーマスが横から来た。
「なんか楽しそうなことしてる! 俺も!」
「うるさい」とクレイが言った。
「でも俺も教えたいことある! 現場でのコツとか!」
「……聞きます」
リアナが言うと、トーマスが嬉しそうに話し始めた。クレイが呆れた顔をしながら、でも途中で補足を入れた。
工房の午後が、賑やかに過ぎた。
夕方、片付けをしながらゴードンが言った。
「来年、弟子を一人取ろうと思っている」
リアナは手を止めた。
「……弟子ですか」
「ああ。わしも年だ。技術を伝える人間が必要だ」
「それは、良かったです」
「お前も、教えることになる」
「……私が、ですか」
「お前の設計理論を、次の世代に伝えられる人間はお前しかいない。わしが施工を教える。お前が理論を教える」
リアナは少し、考えた。
教える、ということを考えたことがなかった。自分がまだ学んでいる途中だという感覚があった。でも、伝えられるものが自分の中にあることも、今日クレイと話してわかった。
「……やってみます」
「やってみます、ではない。やれ」
「……やります」
ゴードンが短く頷いた。
帰り道、リアナはその話をルシアンにした。夕食のあと、中庭に出たときだった。
「工房に弟子が来るのか」
「来年、一人取ると言っていました。私も教えることになりそうです」
「向いているか」
「わかりません。でも、やります」
ルシアンが少し、リアナを見た。
「以前は、わかりませんと言ったらそこで終わっていた」
「……そうでしたか」
「今は、わかりませんでもやる、と言う」
リアナは少し考えた。確かにそうかもしれなかった。以前は、できるかどうかわからないことに踏み込むのが怖かった。一人だったから。失敗したとき、支えてくれる場所がなかったから。
「……ここに帰ってくる場所があるので」
ルシアンが黙った。
リアナは夜空を見上げた。星が出ていた。いつも通りの、アーシェルの夜空だった。
「ルシアン様」
「何だ」
「ここが、帰ってくる場所になりました」
ルシアンが何も言わなかった。でも、隣に立っていた。それで十分だった。
夜風が吹いた。
工房に弟子が来る。理論を伝える人間が生まれる。父が始めて、自分が完成させた理論が、次の誰かへ渡っていく。
そういう未来が、見えてきた。
悪くなかった。
むしろ、楽しみだと思った。
あなたにおすすめの小説
『病弱な幼馴染を優先してください』と言った妻が消えた翌日、夫は領地の会計書類が全て白紙になっていることに気づいた
歩人
ファンタジー
侯爵家に嫁いで五年。ルチアは夫エミルの領地会計・社交・使用人管理を全て一人で担ってきた。だがエミルはいつも幼馴染のアリーチェを優先する。「アリーチェは体が弱いんだ、お前とは違う」——その言葉を百回聞いた日、ルチアは微笑んで離縁届に署名した。「ええ、私は丈夫ですから。どうぞ幼馴染様をお大事に」。翌朝、エミルが目にしたのは——税務報告の締切、領民からの陳情の山、そして紅茶の淹れ方すら知らない自分。三ヶ月後、かつて「地味な妻」と呼ばれたルチアは、辺境伯の財務顧問として辣腕を振るっていた。
「静かで、退屈な婚約者だった」と切り捨てられたので、最後くらい全部言って去ることにしました
桃我タロー
恋愛
「静かで、退屈な婚約者だった」
婚約破棄のその日、王太子は広間でそう言い捨てた。
三年間、失言を隠し、場を整え、黙って支えてきたのに。
どうやら私に必要だったのは婚約者ではなく、“便利な人”という役割だけだったらしい。
しかも隣には、つい三日前まで殿下の従兄に求婚していた令嬢まで立っていて――。
ならばもう、黙っている理由はない。
これは、最後まで笑って終わるつもりだった令嬢が、自分の声を取り戻す話。
離縁され隣国の王太子と海釣りをしていたら旦那様が泣きついてきた。私は別の隣国の王太子と再婚します。
唯崎りいち
恋愛
「真実の愛を見つけた」と言って、旦那様に一方的に離縁された侯爵令嬢。だが彼女の正体は、大陸最大級の鉄鋼財閥の後継であり、莫大な資産と魔力を持つ規格外の存在だった。
離縁成立から数時間後、彼女はすでに隣国の王太子と海の上でカジキ釣りを楽しんでいた。
一方、元旦那は後になって妻の正体と家の破産寸前の現実を知り、必死に追いすがるが——時すでに遅し。
「旦那様? もう釣りの邪魔はしないでくださいね」
恋愛より釣り、結婚より自由。
隣国王太子たちを巻き込みながら、自由奔放な令嬢の人生は加速していく。
五度目の人生でも「君を愛することはない」と言われたので、私も愛を捨てました
たると
恋愛
「ルチア、私は君を愛することはない。この婚約は単なる義務だ」
冷徹な公爵、アルベルトの声が夜会会場の片隅で響く。
これで、五度目だ。
私は深く、そして軽やかに一礼した。
「承知いたしました。では、今後はそのように」
これまでは泣いて縋り、彼を振り向かせようと必死に尽くしてきた。
だが、死に戻りを五回も繰り返せば、流石に飽きる。
私は彼を愛することを、きっぱりと辞めた。
両親から謝ることもできない娘と思われ、妹の邪魔する存在と決めつけられて養子となりましたが、必要のないもの全てを捨てて幸せになれました
珠宮さくら
恋愛
伯爵家に生まれたユルシュル・バシュラールは、妹の言うことばかりを信じる両親と妹のしていることで、最低最悪な婚約者と解消や破棄ができたと言われる日々を送っていた。
一見良いことのように思えることだが、実際は妹がしていることは褒められることではなかった。
更には自己中な幼なじみやその異母妹や王妃や側妃たちによって、ユルシュルは心労の尽きない日々を送っているというのにそれに気づいてくれる人は周りにいなかったことで、ユルシュルはいつ倒れてもおかしくない状態が続いていたのだが……。
"病弱な幼馴染"を完治させたら、なぜか怒られました
ばぅ
恋愛
「ルードル様、大変です!レニ様がまたお倒れに!」
婚約者であるルードルには「灰白病」という厄介な病気を抱えた幼馴染のレニがいる。甘いデートはいつも彼女の急な呼び出しによって邪魔され、その度フラウはずっと我慢を強いられていた。しかし、フラウはただの令嬢ではなく、薬師でもあるのだ。ある日ついに、彼女は灰白病の特効薬を完成させた。これで終わりかと思いきや、幼馴染は再び倒れる。
そこでフラウは、ある作戦を実行することにした――。
【完結】身勝手な旦那様と離縁したら、異国で我が子と幸せになれました
綾雅(りょうが)要らない悪役令嬢
恋愛
腹を痛めて産んだ子を蔑ろにする身勝手な旦那様、離縁してくださいませ!
完璧な人生だと思っていた。優しい夫、大切にしてくれる義父母……待望の跡取り息子を産んだ私は、彼らの仕打ちに打ちのめされた。腹を痛めて産んだ我が子を取り戻すため、バレンティナは離縁を選ぶ。復讐する気のなかった彼女だが、新しく出会った隣国貴族に一目惚れで口説かれる。身勝手な元婚家は、嘘がバレて自業自得で没落していった。
崩壊する幸せ⇒異国での出会い⇒ハッピーエンド
元婚家の自業自得ざまぁ有りです。
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2022/10/07……アルファポリス、女性向けHOT4位
2022/10/05……カクヨム、恋愛週間13位
2022/10/04……小説家になろう、恋愛日間63位
2022/09/30……エブリスタ、トレンド恋愛19位
2022/09/28……連載開始