「あなたのことは、もう忘れました」

まさき

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第38話 工房の未来

 第38話 工房の未来
 
 王都からの第二依頼が完成したのは、アーシェルに戻って三週間後だった。
 
 先方からの返答は早かった。修正なし、即承認、さらに三件の追加依頼。ボッシュ経由で届いた書状には、魔法師協会の推薦状が添えられていた。
 
 リアナはその書状を、ゴードンに見せた。
 
 ゴードンは黙って読んだ。眼鏡を外して、また読んだ。やがて机に置いた。
 
 「……お前、工房を出るつもりはあるか」
 
 唐突な問いだった。リアナは少し考えた。
 
 「ありません」
 「なぜ」
 「ここが好きだからです」
 
 ゴードンが少し、リアナを見た。値踏みではなかった。確認していた。
 
 「王都の商会から直接声がかかるようになれば、工房を通す必要はなくなる。独立してやる方が、お前の取り分も増える」
 「取り分より、ここで仕事をしたいです」
 「……理由は」
 
 リアナは少し考えた。
 
 「親方の下で、まだ学べることがあります。クレイの施工技術は、私にはまだ及ばないところがあります。トーマスの現場感覚も、設計だけやっていれば身につかないものです。工房全体で仕事をすることで、私の設計は良くなっています」
 
 ゴードンが黙っていた。
 
 「それだけか」
 「……あとは、ここが居心地いいです」
 
 少し間があった。
 
 ゴードンが短く、笑った。
 
 「そうか」
 
 それだけだった。書状を折り畳んで、リアナに返した。話は終わり、ということだった。
 
 リアナは作業台に戻りながら、ゴードンが聞いた理由を考えた。出るつもりがあるかどうか確認したかったのではないと思った。出るつもりがない理由を、リアナ自身の言葉で聞きたかったのかもしれない。
 
 午後、クレイに声をかけた。
 
 「少し教えてほしいことがあります」
 「何だ」
 「施工のとき、石材の張力をどう判断しているか。設計では計算できますが、実際に手で判断するときの感覚を知りたいです」
 
 クレイがしばらく、リアナを見た。
 
 「……設計者が施工を聞くのは珍しい」
 「設計だけでは限界があると思っています」
 「正しい」
 
 クレイが道具を置いた。石板を一枚取ってきた。
 
 「触ってみろ。この石の、どこが一番固い」
 
 リアナは石板に手を当てた。指先で、少しずつ位置を変えた。
 
 「……ここです」
 「正解だ。なぜわかった」
 「温度が、少し低かったです。密度が高い部分は熱を通しにくい」
 
 クレイが短く頷いた。
 
 「お前、手がいい」
 
 ゴードンの口癖と同じ言葉だった。リアナは少し、笑った。
 
 トーマスが横から来た。
 
 「なんか楽しそうなことしてる! 俺も!」
 「うるさい」とクレイが言った。
 「でも俺も教えたいことある! 現場でのコツとか!」
 「……聞きます」
 
 リアナが言うと、トーマスが嬉しそうに話し始めた。クレイが呆れた顔をしながら、でも途中で補足を入れた。
 
 工房の午後が、賑やかに過ぎた。
 
 夕方、片付けをしながらゴードンが言った。
 
 「来年、弟子を一人取ろうと思っている」
 
 リアナは手を止めた。
 
 「……弟子ですか」
 「ああ。わしも年だ。技術を伝える人間が必要だ」
 「それは、良かったです」
 「お前も、教えることになる」
 「……私が、ですか」
 「お前の設計理論を、次の世代に伝えられる人間はお前しかいない。わしが施工を教える。お前が理論を教える」
 
 リアナは少し、考えた。
 
 教える、ということを考えたことがなかった。自分がまだ学んでいる途中だという感覚があった。でも、伝えられるものが自分の中にあることも、今日クレイと話してわかった。
 
 「……やってみます」
 「やってみます、ではない。やれ」
 「……やります」
 
 ゴードンが短く頷いた。
 
 帰り道、リアナはその話をルシアンにした。夕食のあと、中庭に出たときだった。
 
 「工房に弟子が来るのか」
 「来年、一人取ると言っていました。私も教えることになりそうです」
 「向いているか」
 「わかりません。でも、やります」
 
 ルシアンが少し、リアナを見た。
 
 「以前は、わかりませんと言ったらそこで終わっていた」
 「……そうでしたか」
 「今は、わかりませんでもやる、と言う」
 
 リアナは少し考えた。確かにそうかもしれなかった。以前は、できるかどうかわからないことに踏み込むのが怖かった。一人だったから。失敗したとき、支えてくれる場所がなかったから。
 
 「……ここに帰ってくる場所があるので」
 
 ルシアンが黙った。
 
 リアナは夜空を見上げた。星が出ていた。いつも通りの、アーシェルの夜空だった。
 
 「ルシアン様」
 「何だ」
 「ここが、帰ってくる場所になりました」
 
 ルシアンが何も言わなかった。でも、隣に立っていた。それで十分だった。
 
 夜風が吹いた。
 
 工房に弟子が来る。理論を伝える人間が生まれる。父が始めて、自分が完成させた理論が、次の誰かへ渡っていく。
 
 そういう未来が、見えてきた。
 
 悪くなかった。
 
 むしろ、楽しみだと思った。
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