『夫のスマホの中で、私は“都合のいい妻”だった』——だから私は、静かに消えることにした

まさき

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第24話「最後の確認」 

第24話「最後の確認」 

 夜。
 リビングの空気は、静かだった。
 以前と同じ場所。
 同じテーブル。
 でも——
 そこにあったものは、もう何も残っていない。
 夫は、ソファに座っていた。
 背中が、やけに小さく見える。
 視線は落ちたまま。
 何も言わない。
 私はテーブルの向かいに座る。
 書類を一式、置く。
「これで最後」
 短く告げる。
 夫の肩が、わずかに動く。
「……」
 返事はない。
 でも、聞いているのは分かる。
「離婚届」
 一枚目を指で押さえる。
「記入済み。あとは出すだけ」
 淡々と説明する。
 事務的に。
「……ああ」
 小さな声。
 力がない。
「慰謝料」
 二枚目。
「三百万円。分割。公正証書作成済み」
 決定事項として並べる。
 もう交渉ではない。
「……分かった」
 短い返事。
 抵抗はない。
 できない。
「引っ越し費用と、当面の生活費」
 三枚目。
「これも振り込み確認済み」
 すべて、終わっている。
 夫がやることは、もうほとんどない。
「……」
 沈黙。
 受け入れるしかない空気。
 私は一度だけ息を吐く。
「あと——」
 最後。
 一番重要なこと。
「もう、終わりだから」
 静かに言う。
 確認じゃない。
 宣言。
 夫の指が、わずかに動く。
「……なあ」
 小さな声。
 久しぶりに、自分から言葉を出す。
「何?」
 私は短く返す。
 距離は変えない。
「……本当に、それでいいのか」
 絞り出すような声。
 遅すぎる問い。
「いいよ」
 即答。
 一切迷わない。
 それだけで、十分だった。
 夫の視線が、揺れる。
「……やり直すとか……」
 言いかける。
 でも——
「無理」
 私は途中で切る。
 一言で。
 余地はない。
「……」
 夫は何も言えない。
 分かっていたはずなのに。
 それでも、言ってしまった。
 その結果。
 完全に、断たれる。
「もう、何も残ってないから」
 静かに続ける。
 責めるわけでもなく。
 ただ、事実として。
 夫の肩が、落ちる。
 完全に力が抜ける。
「……そうか」
 小さな声。
 ようやく、受け入れた。
 私は書類をまとめる。
 必要なものは、すべて揃っている。
「明日、出すね」
 最後の手続き。
 それで、完全に終わる。
「……ああ」
 返事は、それだけ。
 それ以上の言葉はない。
 もう、話すことがない。
 私は立ち上がる。
 書類を手に取る。
 やることは、終わった。
 扉へ向かう。
 その途中で、ほんの一瞬だけ止まる。
 振り返らないまま、言う。
「さよなら」
 短い言葉。
 でも——
 それで十分だった。
 私はそのまま歩き出す。
 足音が、静かに響く。
 後ろは、見ない。
 見る必要がないから。
 扉を開ける。
 外の空気が、少しだけ軽い。
 深く息を吸う。
 そして——
 前を向く。
 もう、戻る場所はない。
 でも——
 戻るつもりもない。
 私はそのまま歩き出す。
 新しい方へ。
 
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