「声に出せなかった五年分の気持ちを、離婚届と一緒に置いていきます」

まさき

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第八章 言いかけた言葉

第八章 言いかけた言葉
 
友達の結婚式は、一人で出席した。
 
蓮は出張と重なった。一週間前に「やっぱり行けない」と言われた。陽菜は「わかった、しょうがないね」と笑って答えた。
 
しょうがなかった。仕事なのだから。
 
でも結婚式の当日、白いドレスを着た友人が誓いの言葉を読み上げるのを聞きながら、陽菜は隣の空席を見た。
 
蓮がいるはずだった席だった。
 
泣きそうになった。でも堪えた。今日は友人の大切な日だった。陽菜の寂しさなんて、関係なかった。
 
披露宴が終わって、二次会が始まった。
 
友人の綾香が隣に来た。大学からの親友で、陽菜の結婚を一番喜んでくれた人だった。
 
「蓮くん、来られなかったんだね」
 
「出張で。ごめんね」
 
「陽菜が謝ることじゃないよ」綾香は陽菜の顔を見た。「最近どう? 元気にしてる?」
 
「元気だよ」
 
「本当に?」
 
綾香はまっすぐ聞いた。誤魔化しが効かない目だった。
 
「……まあ、蓮が忙しくて。なかなか会えなくて」
 
「会えないって、どのくらい?」
 
「同じ家にいるんだけどね」陽菜は笑った。「でも顔を合わせる時間が少なくて」
 
「それって、すれ違ってるってこと?」
 
「すれ違いっていうほどじゃないと思う。仕事が忙しいだけで」
 
綾香は少し黙った。
 
「陽菜、無理してない?」
 
「してないよ」
 
「ならいいけど」綾香はグラスを持ちながら言った。「でも何かあったら言ってね。話を聞くから」
 
「ありがとう」
 
陽菜は笑って答えた。
 
帰り道、電車の中で陽菜はスマートフォンを開いた。
 
蓮からメッセージが来ていた。
 
「式、どうだった?」
 
陽菜は少し驚いた。蓮から聞いてくることは、最近少なかった。
 
「きれいだったよ。綾香、すごく幸せそうだった」
 
「そうか。よかったな」
 
「蓮も来たかったね」
 
少し間があった。
 
「……ごめん」
 
陽菜は画面を見つめた。
 
蓮が謝った。言い訳じゃなく、ただ「ごめん」と言った。
 
「いいよ。仕事だもん」
 
「来年、何かあれば一緒に行く」
 
「約束ね」
 
「ああ」
 
陽菜はスマートフォンを胸に当てた。
 
電車の窓の外を、夜の景色が流れていった。
 
蓮はちゃんと気にかけてくれていた。出張先から、式がどうだったか聞いてくれた。謝ってくれた。来年の約束をしてくれた。
 
それだけで、今日の寂しさが少し和らいだ。
 
家に帰ると、誰もいなかった。
 
蓮はまだ出張中だった。帰ってくるのは明日だった。陽菜は一人でお風呂に入って、一人でベッドに入った。
 
暗闇の中で、天井を見上げた。
 
今日、綾香に「すれ違ってるってこと?」と聞かれた。
 
すれ違い。
 
そんな大げさなことじゃない、と思った。蓮は仕事が忙しいだけで、陽菜のことを忘れているわけじゃない。今日だって、メッセージをくれた。謝ってくれた。
 
でも、言いかけた言葉がいくつかあった。
 
今日の結婚式、隣に蓮がいてほしかった。誓いの言葉を聞きながら、二人で並んでいたかった。そういう言葉が、喉まで出かかって、飲み込んだ。
 
言ったら、蓮が辛くなる気がした。
 
仕事で行けなかったのに、そんなことを言われたら、蓮はどう思うだろう。申し訳なく思うだろう。だから言わなかった。
 
でも言わなかった言葉は、どこへいくんだろう。
 
飲み込んで、消えるのだろうか。それとも、どこかに積み重なっているのだろうか。
 
陽菜は目を閉じた。
 
隣が空だった。蓮の体温がなかった。
 
早く帰ってきてほしい、と思った。
 
でもそれも、言わなかった。
 
メッセージを打ちかけて、消した。
 
「早く帰ってきて」なんて、蓮を困らせるだけだ。出張は仕事なのだから、早く帰ってこいとは言えない。
 
だから陽菜は何も送らなかった。
 
おやすみとだけ打って、送った。
 
すぐに返ってきた。
 
「おやすみ」
 
たった四文字だった。
 
でもその四文字が、今夜の陽菜には十分だった。
 
目を閉じて、蓮のことを考えながら、陽菜は眠った。
 
言いかけた言葉は、また明日に持ち越された。
 
そういう日が、これからも続いていくことを、陽菜はまだ知らなかった。
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