「愛していると、一度も言わなかったあなたへ」 ~十年間泣いていたことを、あなたは知らない~

まさき

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第35話「レナの答え」

冬になった。
 王都の工房を開けて、一年と三ヶ月が経った。
 年末の依頼が一段落して、少し静かな時間が戻ってきた。毎日来ていた依頼人が、一日おきになった。レナにとっては久しぶりの、ゆっくりとした時間だった。
 そういう時間に、レナは考えた。
 調合師組合の議長から、技法を教える会への参加を求められて、もう三ヶ月が経っていた。まだ返事をしていなかった。
 なぜ迷っているのか、自分でもわかっていた。
 教えることは、作ることとは違う。自分がやっていることを言葉にして、他の人に伝える。それができるか、自信がなかった。
 でも——イナに教えていた。ルツ老女から教わっていた。教えることは、すでにしていた。
 レナは手帳を開いた。
 手帳には、これまでの調合の記録が書いてあった。
 マリアの依頼から始まって、グレイでの依頼、王都での依頼。一つずつ、どんな話を聞いて、どんな香りを作ったか。うまくいったこと、うまくいかなかったこと。
 読み返しながら、レナは気づいた。
 自分なりの方法が、確かにあった。
 言葉からの調合。感情からの調合。話を聞くときの姿勢。依頼人の目の動きから何を読み取るか。香りと記憶の繋がり方。
 全部、言葉にできた。
 できる、と思った。
 教えることが、できる。
 翌日、組合の議長に手紙を書いた。
 来年の春に、教える会を開くことを承諾する。ただし、条件が一つあること。
 条件は——参加する調合師に、まず自分自身の記憶の香りを作ってもらうこと。技法を教える前に、自分が何を大切にしているかを知ってもらうこと。
 それが、全ての始まりだと思っていたから。
 手紙を封じながら、レナは思った。
 ルツ老女が最初に言った言葉だった。「自分のために作れ」。あの言葉から、全てが始まった。それを、次の人に伝えたかった。
 手紙を出した後、グレイに手紙を書いた。
 イナへ。叔母へ。ルツ老女へ。
 それぞれに、近況を書いた。王都での仕事のこと。組合の教える会のこと。父のノートのこと。自分自身の香りを作ったこと。
 ルツ老女への手紙の最後に、一行だけ付け加えた。
「来年の春、グレイに戻ります」
 書いてから、少し驚いた。
 いつ決めたのだろう、と思った。でも、書いた瞬間に、これが正しいとわかった。
 王都での仕事は軌道に乗っていた。組合の教える会も決まった。でも——グレイに戻りたかった。叔母に会いたかった。イナの工房を見たかった。ルツ老女と並んで作業したかった。
 王都は、レナの場所になっていた。でもグレイも、レナの場所だった。
 どちらかではなく、両方だった。
 返事は早かった。
 イナからの手紙が一番早く届いた。
 短い文字で、こう書いてあった。
「待っています。工房、ちゃんとしておきます」
 レナは笑った。声に出して笑った。
 イナらしかった。余計なことは何も書かない。でも、全部入っていた。
 叔母からの手紙は少し長かった。近況と、グレイの様子と、レナが帰ってきたらしたいことが書いてあった。最後に一行。
「帰っておいで。ここがあなたの家だから」
 レナは手紙を折って、大切にしまった。
 ルツ老女からの手紙は、一行だけだった。
「そうか」
 それだけだった。
 それだけで、十分だった。
 その夜、レナは工房に一人で残った。
 棚に並んだ瓶を見た。父のノートを見た。自分の香りの瓶を見た。
 王都に来てから作った香りが、全部ここにあった。一つずつに、依頼人の顔があった。記憶があった。
 この一年と少しが、確かにここにあった。
 春になったらグレイに戻る。でも、また王都にも来るだろう。教える会もある。依頼人も待っているかもしれない。
 行ったり来たりすることになる。
 それでいい、とレナは思った。
 一つの場所に縛られなくていい。グレイも王都も、どちらもレナの場所だった。
 プロローグの朝、レナは一つの場所から出ていった。行き先もわからないまま、ただ歩いた。
 今は、行き先がある。帰る場所がある。そして、また出かける場所もある。
 それが、答えだった。
 レナの答え。
 工房の暖炉が、静かに燃えていた。
 外では、冬の風が吹いていた。
 でも工房の中は、温かかった。
 それだけで、十分だった。
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