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精神の隷属(マインド・ディミネーション)
第6話:【バイオリニスト】―孤高の旋律を切り裂く、不協和音の査定(前編)―
第6話:【バイオリニスト】―孤高の旋律を切り裂く、不協和音の査定(前編)―
【前編:黄金のホールと、才能の維持費】
都心の超一等地に建つ、荘厳なコンサートホールの楽屋。
扉の厚い防音壁を抜けて微かに漏れ聞こえるのは、つい先ほどまで数千人の聴衆を熱狂の渦に叩き落としていた、峻烈でいて繊細なバイオリンの旋律だ。アンコールを終え、興奮の余韻が残るその密室へ、僕はノックもせずに足を踏み入れた。
部屋の中央、豪華なカウチに腰掛けたその女は、まるで女王のように傲岸な態度で愛器を磨いていた。
世界的なコンクールを史上最年少で制覇し、今や「天上の調べ」と称賛される天才バイオリニスト。スポットライトを浴び続けたその瞳は高く、並の男など視界にすら入れないといった、凍てつくような美しさを湛えている。
「……何の用かしら。サインならマネージャーを通してちょうだい。今は私の『神聖な時間』なの。無粋な人間に入り込まれると、旋律が濁るわ」
彼女は僕を一瞥もせず、氷のように冷たい声で言い放った。その指先は、世界に数本しか現存しない名器を、まるで恋人を愛撫するかのように滑らせている。
「旋律が濁る、ですか。その旋律を維持するために、我が社がどれほどの裏金……失礼、スポンサー料を各方面にばら撒き、君の『清廉なイメージ』を買い支えているか、ご存知ないようで」
僕の言葉に、彼女の手がぴたりと止まる。鋭い視線がようやく僕を捉えた。
「……何のこと? 私は実力だけでこの場所に立っているわ。下卑た金の計算など、私の芸術には関係のないことよ」
「実力? 確かに指先の技術は一流だ。だが、君が今抱いているその三億円のバイオリン……。あれを海外の秘密オークションで競り落とし、無償で君に貸与している財団の正体を考えたことは?」
僕はゆっくりと彼女の背後に回り込み、その白磁のような耳元で冷徹な事実を囁く。
「あれは我が社の完全子会社、つまりダミーだよ。僕がその契約書を一枚破り捨てれば、明日からその名器は君の手を離れ、倉庫の闇に消える。さらに言えば、来月から始まる世界ツアー……主要なホールの支配人や有力な評論家たちは、すべて我が社の接待漬けだ。僕が指一本動かせば、君の『神聖な舞台』は一夜にして消滅し、残るのは三億円の賠償金と、無残に地に落ちた『元・天才』の肩書きだけだ」
彼女の頬が屈辱で赤く染まり、呼吸が次第に荒くなっていくのがわかる。
「……私を脅すつもり? 芸術を金で汚すなんて、最低だわ。ファンが黙っていない……っ」
「ファン? 彼らが愛しているのは、僕たちが作り上げた『高貴な天才』という偶像だ。例えば……君が夜な夜な、パトロンである政界の長老の寝室に通い、その地位を安売りしている不適切な写真。これが世に出れば、その偶像はどうなるかな? 君の奏でる音楽が、その汚らわしい真実に耐えられるとは思えない」
僕は震え始めた彼女の華奢な肩を、逃げ場を塞ぐように強く掴んだ。
「……何を、させたいの。金? それとも……」
「簡単なことだ。まずは君のその高貴な指先が、僕の支配に対してどこまで忠実か……僕自身の肉体で、直接確かめさせてもらおう。……さあ、査定の時間だ」
僕は彼女を、壁一面に広がる大きな鏡の前へと力任せに押しやった。
最高級のシルクドレスを纏う「芸術の女王」と、それを無慈悲に捕食しようとする冷徹な男。鏡に映るその残酷な対照図が、彼女のプライドが完全に崩壊する序曲を奏で始めていた。
【前編:黄金のホールと、才能の維持費】
都心の超一等地に建つ、荘厳なコンサートホールの楽屋。
扉の厚い防音壁を抜けて微かに漏れ聞こえるのは、つい先ほどまで数千人の聴衆を熱狂の渦に叩き落としていた、峻烈でいて繊細なバイオリンの旋律だ。アンコールを終え、興奮の余韻が残るその密室へ、僕はノックもせずに足を踏み入れた。
部屋の中央、豪華なカウチに腰掛けたその女は、まるで女王のように傲岸な態度で愛器を磨いていた。
世界的なコンクールを史上最年少で制覇し、今や「天上の調べ」と称賛される天才バイオリニスト。スポットライトを浴び続けたその瞳は高く、並の男など視界にすら入れないといった、凍てつくような美しさを湛えている。
「……何の用かしら。サインならマネージャーを通してちょうだい。今は私の『神聖な時間』なの。無粋な人間に入り込まれると、旋律が濁るわ」
彼女は僕を一瞥もせず、氷のように冷たい声で言い放った。その指先は、世界に数本しか現存しない名器を、まるで恋人を愛撫するかのように滑らせている。
「旋律が濁る、ですか。その旋律を維持するために、我が社がどれほどの裏金……失礼、スポンサー料を各方面にばら撒き、君の『清廉なイメージ』を買い支えているか、ご存知ないようで」
僕の言葉に、彼女の手がぴたりと止まる。鋭い視線がようやく僕を捉えた。
「……何のこと? 私は実力だけでこの場所に立っているわ。下卑た金の計算など、私の芸術には関係のないことよ」
「実力? 確かに指先の技術は一流だ。だが、君が今抱いているその三億円のバイオリン……。あれを海外の秘密オークションで競り落とし、無償で君に貸与している財団の正体を考えたことは?」
僕はゆっくりと彼女の背後に回り込み、その白磁のような耳元で冷徹な事実を囁く。
「あれは我が社の完全子会社、つまりダミーだよ。僕がその契約書を一枚破り捨てれば、明日からその名器は君の手を離れ、倉庫の闇に消える。さらに言えば、来月から始まる世界ツアー……主要なホールの支配人や有力な評論家たちは、すべて我が社の接待漬けだ。僕が指一本動かせば、君の『神聖な舞台』は一夜にして消滅し、残るのは三億円の賠償金と、無残に地に落ちた『元・天才』の肩書きだけだ」
彼女の頬が屈辱で赤く染まり、呼吸が次第に荒くなっていくのがわかる。
「……私を脅すつもり? 芸術を金で汚すなんて、最低だわ。ファンが黙っていない……っ」
「ファン? 彼らが愛しているのは、僕たちが作り上げた『高貴な天才』という偶像だ。例えば……君が夜な夜な、パトロンである政界の長老の寝室に通い、その地位を安売りしている不適切な写真。これが世に出れば、その偶像はどうなるかな? 君の奏でる音楽が、その汚らわしい真実に耐えられるとは思えない」
僕は震え始めた彼女の華奢な肩を、逃げ場を塞ぐように強く掴んだ。
「……何を、させたいの。金? それとも……」
「簡単なことだ。まずは君のその高貴な指先が、僕の支配に対してどこまで忠実か……僕自身の肉体で、直接確かめさせてもらおう。……さあ、査定の時間だ」
僕は彼女を、壁一面に広がる大きな鏡の前へと力任せに押しやった。
最高級のシルクドレスを纏う「芸術の女王」と、それを無慈悲に捕食しようとする冷徹な男。鏡に映るその残酷な対照図が、彼女のプライドが完全に崩壊する序曲を奏で始めていた。
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