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第3話 彼女は孤独なんだ
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第3話 彼女は孤独なんだ
その夜、大輝が帰ってきたのは、日付が変わる頃だった。
玄関のドアが開く音で、私は顔を上げた。
リビングのソファに座ったまま、時計を見る。
午前〇時十七分。
テレビはつけていない。
部屋の中は静まり返っていた。
「……あれ、まだ起きてたの?」
コートを脱ぎながら、大輝が少し驚いたように言う。
「うん」
私は短く答える。
「仕事、遅かったね」
「ああ、急に呼ばれてさ」
ネクタイをゆるめながら、大輝は言った。
「上司に付き合って飯食ってた」
私は小さく頷く。
きっとそうだろう。
ただし。
その上司が、誰なのかも。
私はもう知っている。
「ご飯食べた?」
私は聞いた。
「あー……うん。食べた食べた」
少しだけ間があった。
ほんの一瞬。
それでも、嘘だとわかるくらいの。
「そっか」
私はそれ以上聞かない。
キッチンへ行き、冷蔵庫を開ける。
朝作っておいたハンバーグが、まだ残っていた。
「食べる?」
「いや、大丈夫」
大輝はソファに腰を下ろす。
「もう腹いっぱい」
私は冷蔵庫を閉めた。
それから少し迷って、口を開く。
「ねえ」
「ん?」
「真由子さんってさ」
その名前を出した瞬間。
大輝の動きが、ほんのわずかに止まった。
「……どうしたの、急に」
「ううん」
私はテーブルの前に立ったまま言う。
「最近、よく名前聞くなって思って」
大輝は少しだけ笑った。
「仕事の上司だしな」
「そうだよね」
私は頷く。
「優しい人なんでしょ?」
「ああ」
大輝はすぐに答えた。
「すごくいい人だよ」
その言い方が、少しだけ嬉しそうに聞こえた。
「前に言ってたよね」
私は言う。
「バツイチだって」
「うん」
「一人暮らしなんだっけ」
「ああ」
大輝は頷いた。
「結構大変そうなんだよ」
私は黙って聞く。
「あの人さ」
大輝は少し真面目な顔になった。
「結構孤独なんだよ」
「……そうなんだ」
「元旦那とうまくいかなかったみたいでさ」
大輝はスマホをテーブルに置く。
「家帰っても、ずっと一人らしい」
私は静かに頷く。
「だからさ」
大輝は続けた。
「俺、できるだけ支えてあげたいなって思ってる」
その言葉を聞いた瞬間。
胸の奥で、何かが静かに崩れた。
「……支える?」
「うん」
大輝は迷いなく頷く。
「上司としてもさ、色々背負ってる人だから」
私は小さく笑う。
「大輝、優しいね」
「いや、普通だよ」
「でも」
私はゆっくり言う。
「最近帰り遅いよね」
大輝の目が一瞬だけ揺れた。
「……まあ、仕事だから」
「そうだよね」
私はそれ以上聞かない。
聞く必要もなかった。
全部、わかってしまったから。
この人はきっと。
自分のしていることを、悪いとは思っていない。
むしろ。
正しいことをしていると思っている。
「美咲?」
「ん?」
「どうした?」
「ううん」
私は首を振る。
「なんでもない」
そして思う。
ああ。
やっぱり。
この人は、もういらない。
怒りはなかった。
泣きたいとも思わない。
ただ。
静かに。
この人を、人生の外へ出すだけ。
それだけだった。
そのときの私は、まだ知らなかった。
この数週間後。
自分が母になることを。
その夜、大輝が帰ってきたのは、日付が変わる頃だった。
玄関のドアが開く音で、私は顔を上げた。
リビングのソファに座ったまま、時計を見る。
午前〇時十七分。
テレビはつけていない。
部屋の中は静まり返っていた。
「……あれ、まだ起きてたの?」
コートを脱ぎながら、大輝が少し驚いたように言う。
「うん」
私は短く答える。
「仕事、遅かったね」
「ああ、急に呼ばれてさ」
ネクタイをゆるめながら、大輝は言った。
「上司に付き合って飯食ってた」
私は小さく頷く。
きっとそうだろう。
ただし。
その上司が、誰なのかも。
私はもう知っている。
「ご飯食べた?」
私は聞いた。
「あー……うん。食べた食べた」
少しだけ間があった。
ほんの一瞬。
それでも、嘘だとわかるくらいの。
「そっか」
私はそれ以上聞かない。
キッチンへ行き、冷蔵庫を開ける。
朝作っておいたハンバーグが、まだ残っていた。
「食べる?」
「いや、大丈夫」
大輝はソファに腰を下ろす。
「もう腹いっぱい」
私は冷蔵庫を閉めた。
それから少し迷って、口を開く。
「ねえ」
「ん?」
「真由子さんってさ」
その名前を出した瞬間。
大輝の動きが、ほんのわずかに止まった。
「……どうしたの、急に」
「ううん」
私はテーブルの前に立ったまま言う。
「最近、よく名前聞くなって思って」
大輝は少しだけ笑った。
「仕事の上司だしな」
「そうだよね」
私は頷く。
「優しい人なんでしょ?」
「ああ」
大輝はすぐに答えた。
「すごくいい人だよ」
その言い方が、少しだけ嬉しそうに聞こえた。
「前に言ってたよね」
私は言う。
「バツイチだって」
「うん」
「一人暮らしなんだっけ」
「ああ」
大輝は頷いた。
「結構大変そうなんだよ」
私は黙って聞く。
「あの人さ」
大輝は少し真面目な顔になった。
「結構孤独なんだよ」
「……そうなんだ」
「元旦那とうまくいかなかったみたいでさ」
大輝はスマホをテーブルに置く。
「家帰っても、ずっと一人らしい」
私は静かに頷く。
「だからさ」
大輝は続けた。
「俺、できるだけ支えてあげたいなって思ってる」
その言葉を聞いた瞬間。
胸の奥で、何かが静かに崩れた。
「……支える?」
「うん」
大輝は迷いなく頷く。
「上司としてもさ、色々背負ってる人だから」
私は小さく笑う。
「大輝、優しいね」
「いや、普通だよ」
「でも」
私はゆっくり言う。
「最近帰り遅いよね」
大輝の目が一瞬だけ揺れた。
「……まあ、仕事だから」
「そうだよね」
私はそれ以上聞かない。
聞く必要もなかった。
全部、わかってしまったから。
この人はきっと。
自分のしていることを、悪いとは思っていない。
むしろ。
正しいことをしていると思っている。
「美咲?」
「ん?」
「どうした?」
「ううん」
私は首を振る。
「なんでもない」
そして思う。
ああ。
やっぱり。
この人は、もういらない。
怒りはなかった。
泣きたいとも思わない。
ただ。
静かに。
この人を、人生の外へ出すだけ。
それだけだった。
そのときの私は、まだ知らなかった。
この数週間後。
自分が母になることを。
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