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第十四話 仮面のない日々
第十四話 仮面のない日々
エミリアの薬草店での最初の仕事は、干した薬草を種類ごとに仕分けることだった。
店の奥の作業台に座り、エミリアに教わりながら、ソフィアは黙々と手を動かした。葉の形、茎の色、香りで種類を見分ける。最初は似たようなものばかりに見えたが、慣れてくると少しずつ違いがわかってきた。
「これはラベンダー。こっちはセージ。似てるけど香りが全然違うでしょ」
「本当ね。こちらの方が甘い香りがする」
「そう。ラベンダーは眠れないときや不安なときに使う薬草よ。セージは消化を助ける」
「薬草にそれぞれ意味があるのね」
「そう。花言葉みたいなものかな。知れば知るほど面白いのよ。ちなみにうちの夫のルカは最初全然覚えられなくて、今でも時々間違えるのよね」
エミリアが笑いながら言った。ソフィアも思わず笑った。
エミリアは楽しそうに話しながら、手際よく仕分けを進めていった。ソフィアは話を聞きながら、自分の手を動かし続けた。
不思議なことに、この作業が嫌いではなかった。
侯爵夫人として過ごした五年間は、常に人の目があった。社交界での立ち居振る舞い、使用人への指示、来客へのもてなし。何をするにも「見られている」という意識があった。しかしここでは、ただ手を動かすだけでいい。誰も見ていない。評価されない。ただ、薬草を仕分けるだけだ。
その単純さが、心地よかった。
昼過ぎになって、店に客が来た。
六十代ほどの男性で、腰が悪いらしく、杖をついていた。エミリアと顔馴染みらしく、気軽に話しながら薬草を選んでいた。その様子をソフィアは作業台の奥から眺めていた。
「あんた、見慣れない顔だね。エミリアの知り合いかい?」
老人がソフィアに気づいて、声をかけてきた。
「はい、幼馴染です。しばらくお世話になっています」
「そうかい。どこから来たんだい」
「王都から、少し離れた場所です」
「ほう。王都か、遠いところから来たねえ」
老人はそれ以上詮索しなかった。王都から来た伯爵令嬢だとも、侯爵夫人だったとも、誰も知らない。ただの旅人として、気軽に声をかけてもらえる。それがソフィアには新鮮だった。
夕方になって、エミリアの夫・ルカが店から戻ってきた。
穏やかな目をした男性で、体格がよく、日に焼けた肌をしている。エミリアを見ると自然に笑顔になる、そういう男性だった。
「おかえり」
「ただいま。あ、ソフィアさんですね。エミリアからよく聞いています」
「はじめまして。お世話になります」
「いえいえ、こちらこそ。エミリアが張り切って料理を作ってますよ」
ルカが笑いながら言った。エミリアが「余計なこと言わないで」と笑って返した。その二人のやり取りを見ながら、ソフィアは胸の奥でじんとするものを感じた。
——夫婦というのは、こういうものか。
気軽に笑い合い、気軽に言葉を交わす。特別なことは何もない。しかしその当たり前の温かさが、ソフィアには眩しかった。
五年間、セイルとこういう瞬間が一度でもあっただろうか。
思い返しても、浮かんでこなかった。ただ並んでいた。ただ同じ屋根の下にいた。笑い合ったことも、くだらないことを話したことも、ほとんどなかった。
——もういい。
ソフィアは静かに視線を外した。終わったことを引きずっても仕方がない。今は目の前にある温かさを、ただ受け取ればいい。
夕食は四人でとった。
エミリアの手料理は素朴で、しかし美味しかった。鶏肉と根菜の煮込み、黒パン、季節の野菜を使ったサラダ。侯爵家の料理長が作る洗練された料理とは違うが、食卓を囲む温かさが、料理をより美味しくしていた。
マリアも同じテーブルに着いた。
侯爵家では使用人と同じテーブルで食事をすることはなかった。しかしここではそういう決まりはない。エミリアが当たり前のようにマリアにも席を勧めた。マリアは最初遠慮していたが、ソフィアが小さく頷いたのを見て、静かに席に着いた。
食事をしながら、エミリアがふと言った。
「ソフィア、今日薬草の仕分けしてるとき、楽しそうだったよ」
「そうかしら」
「うん。久しぶりに見た、あなたのそういう顔」
エミリアが微笑んだ。
「子供の頃、何かに夢中になってるときのあなたの顔と、同じだった」
ソフィアは少しだけ驚いた。子供の頃の自分の顔を、覚えていてくれている人がいた。侯爵夫人になる前の、ただのソフィアだった頃の顔を。
「……そんな顔、していたかしら」
「してたよ。またそういう顔が見られてよかった」
エミリアの言葉は、さりげなかった。しかしその一言が、ソフィアの胸の奥にある何かをそっと解きほぐした。
夕食が終わって、ソフィアは自分の部屋に戻った。
窓から夜の町を眺めた。王都とは違う夜の静けさがあった。街灯の数も少なく、空には星が瞬いていた。王都ではほとんど見えなかった星が、ここでは無数に広がっていた。
ソフィアは窓辺に座り、しばらく星を眺めた。
今日一日を振り返った。薬草の仕分け、花屋の老婆、ルカとエミリアの笑顔、四人での夕食。どれも小さなことだった。しかしその小さなことが、今日のソフィアを確かに満たしていた。
——仮面をつけていない一日だった。
そのことに、今更ながら気づいた。今日一日、侯爵夫人の顔を作らなかった。完璧な微笑みを練習しなかった。ただ、感じたままに笑い、感じたままに話した。
それだけのことが、こんなにも疲れないのだと、今日初めて知った。
ソフィアは窓を少し開けた。夜風が頬を撫でた。星の光が、白銀の髪をかすかに照らした。
——ここで、少しずつ取り戻そう。
何を取り戻すのか、まだはっきりとはわからなかった。ただ、失くしてしまっていた何かが、この町にある気がした。
ソフィアは静かに窓を閉めて、ベッドに横たわった。
今夜も、ぐっすり眠れそうだった。
エミリアの薬草店での最初の仕事は、干した薬草を種類ごとに仕分けることだった。
店の奥の作業台に座り、エミリアに教わりながら、ソフィアは黙々と手を動かした。葉の形、茎の色、香りで種類を見分ける。最初は似たようなものばかりに見えたが、慣れてくると少しずつ違いがわかってきた。
「これはラベンダー。こっちはセージ。似てるけど香りが全然違うでしょ」
「本当ね。こちらの方が甘い香りがする」
「そう。ラベンダーは眠れないときや不安なときに使う薬草よ。セージは消化を助ける」
「薬草にそれぞれ意味があるのね」
「そう。花言葉みたいなものかな。知れば知るほど面白いのよ。ちなみにうちの夫のルカは最初全然覚えられなくて、今でも時々間違えるのよね」
エミリアが笑いながら言った。ソフィアも思わず笑った。
エミリアは楽しそうに話しながら、手際よく仕分けを進めていった。ソフィアは話を聞きながら、自分の手を動かし続けた。
不思議なことに、この作業が嫌いではなかった。
侯爵夫人として過ごした五年間は、常に人の目があった。社交界での立ち居振る舞い、使用人への指示、来客へのもてなし。何をするにも「見られている」という意識があった。しかしここでは、ただ手を動かすだけでいい。誰も見ていない。評価されない。ただ、薬草を仕分けるだけだ。
その単純さが、心地よかった。
昼過ぎになって、店に客が来た。
六十代ほどの男性で、腰が悪いらしく、杖をついていた。エミリアと顔馴染みらしく、気軽に話しながら薬草を選んでいた。その様子をソフィアは作業台の奥から眺めていた。
「あんた、見慣れない顔だね。エミリアの知り合いかい?」
老人がソフィアに気づいて、声をかけてきた。
「はい、幼馴染です。しばらくお世話になっています」
「そうかい。どこから来たんだい」
「王都から、少し離れた場所です」
「ほう。王都か、遠いところから来たねえ」
老人はそれ以上詮索しなかった。王都から来た伯爵令嬢だとも、侯爵夫人だったとも、誰も知らない。ただの旅人として、気軽に声をかけてもらえる。それがソフィアには新鮮だった。
夕方になって、エミリアの夫・ルカが店から戻ってきた。
穏やかな目をした男性で、体格がよく、日に焼けた肌をしている。エミリアを見ると自然に笑顔になる、そういう男性だった。
「おかえり」
「ただいま。あ、ソフィアさんですね。エミリアからよく聞いています」
「はじめまして。お世話になります」
「いえいえ、こちらこそ。エミリアが張り切って料理を作ってますよ」
ルカが笑いながら言った。エミリアが「余計なこと言わないで」と笑って返した。その二人のやり取りを見ながら、ソフィアは胸の奥でじんとするものを感じた。
——夫婦というのは、こういうものか。
気軽に笑い合い、気軽に言葉を交わす。特別なことは何もない。しかしその当たり前の温かさが、ソフィアには眩しかった。
五年間、セイルとこういう瞬間が一度でもあっただろうか。
思い返しても、浮かんでこなかった。ただ並んでいた。ただ同じ屋根の下にいた。笑い合ったことも、くだらないことを話したことも、ほとんどなかった。
——もういい。
ソフィアは静かに視線を外した。終わったことを引きずっても仕方がない。今は目の前にある温かさを、ただ受け取ればいい。
夕食は四人でとった。
エミリアの手料理は素朴で、しかし美味しかった。鶏肉と根菜の煮込み、黒パン、季節の野菜を使ったサラダ。侯爵家の料理長が作る洗練された料理とは違うが、食卓を囲む温かさが、料理をより美味しくしていた。
マリアも同じテーブルに着いた。
侯爵家では使用人と同じテーブルで食事をすることはなかった。しかしここではそういう決まりはない。エミリアが当たり前のようにマリアにも席を勧めた。マリアは最初遠慮していたが、ソフィアが小さく頷いたのを見て、静かに席に着いた。
食事をしながら、エミリアがふと言った。
「ソフィア、今日薬草の仕分けしてるとき、楽しそうだったよ」
「そうかしら」
「うん。久しぶりに見た、あなたのそういう顔」
エミリアが微笑んだ。
「子供の頃、何かに夢中になってるときのあなたの顔と、同じだった」
ソフィアは少しだけ驚いた。子供の頃の自分の顔を、覚えていてくれている人がいた。侯爵夫人になる前の、ただのソフィアだった頃の顔を。
「……そんな顔、していたかしら」
「してたよ。またそういう顔が見られてよかった」
エミリアの言葉は、さりげなかった。しかしその一言が、ソフィアの胸の奥にある何かをそっと解きほぐした。
夕食が終わって、ソフィアは自分の部屋に戻った。
窓から夜の町を眺めた。王都とは違う夜の静けさがあった。街灯の数も少なく、空には星が瞬いていた。王都ではほとんど見えなかった星が、ここでは無数に広がっていた。
ソフィアは窓辺に座り、しばらく星を眺めた。
今日一日を振り返った。薬草の仕分け、花屋の老婆、ルカとエミリアの笑顔、四人での夕食。どれも小さなことだった。しかしその小さなことが、今日のソフィアを確かに満たしていた。
——仮面をつけていない一日だった。
そのことに、今更ながら気づいた。今日一日、侯爵夫人の顔を作らなかった。完璧な微笑みを練習しなかった。ただ、感じたままに笑い、感じたままに話した。
それだけのことが、こんなにも疲れないのだと、今日初めて知った。
ソフィアは窓を少し開けた。夜風が頬を撫でた。星の光が、白銀の髪をかすかに照らした。
——ここで、少しずつ取り戻そう。
何を取り戻すのか、まだはっきりとはわからなかった。ただ、失くしてしまっていた何かが、この町にある気がした。
ソフィアは静かに窓を閉めて、ベッドに横たわった。
今夜も、ぐっすり眠れそうだった。
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