「今更、あなたの娘のふりなどできません」〜ずっと支えていた手を、そっと引っ込めただけです〜

まさき

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第十六話「小さな幸せの、積み重ね方」

第十六話「小さな幸せの、積み重ね方」
 
 
 部屋を借りた。
 
 
 ミナが一緒に探してくれて、ギルドから歩いて十分ほどの通りに、小さな部屋が見つかった。二階の角部屋で、窓が二つある。南側と東側。どちらからも光が入る。
 
 
 宿を出てその部屋に移ったとき、リーナは窓から差し込む朝の光を見て、少しの間そこに立っていた。
 
 
 北側の部屋しか、知らなかった。
 光がこんなに入る部屋に住むのは、父が生きていた頃以来だ。
 
 
  ◇
 
 
 部屋は最初、何もなかった。
 
 
 ベッドと小さなテーブルだけがあって、あとは何もない。カーテンもない。棚もない。
 
 
 ミナが言った。
 
 
「少しずつ揃えればいいよ。最初から全部なくていい」
 
 
「そうですね」
 
 
「まずカーテンだね。ないと朝早く目が覚めちゃうから」
 
 
 翌日、ミナと一緒に市場に行った。布を選んで、リーナが自分で縫った。薄い青色の布で、光が透けるくらいの薄さだ。
 
 
 部屋に掛けると、朝の光が青みがかってやわらかく入ってきた。
 
 
 いい、とリーナは思った。
 自分で選んで、自分で作ったものが、自分の部屋にある。
 それだけのことが、なぜか少し誇らしかった。
 
 
  ◇
 
 
 ギルドの仕事は、日々少しずつ深くなっていく。
 
 
 フェルクが新しい調合を教えてくれる。ミナが薬草の応用について話してくれる。エリックが仕入れの話をしてくれる。ベルタが患者の話をしてくれる。
 
 
 ベルタは調合した薬を患者に届ける仕事もしていた。
 
 
「レナさん、今日一緒に来る? 患者さんの様子を見に行くんだけど」
 
 
「いいんですか」
 
 
「フェルクさんの許可はとってあるから」
 
 
 リーナはベルタについて、街の中の小さな家を訪ねた。老夫婦が住んでいた。旦那さんが長い間、足の痛みで悩んでいるらしい。
 
 
「これが先月調合した薬です。続けて飲んでいただければ」
 
 
 ベルタが薬を渡すと、奥さんが深々と頭を下げた。
 
 
「本当にありがとうございます。先月から随分楽になったって言って」
 
 
「それはよかったです」
 
 
 リーナはその隣で、老夫婦を見ていた。
 手のひらが、温かい。
 
 
 この薬を調合したのは、リーナではない。でも、材料の薬草を仕分けたのはリーナだ。この薬の中に、自分の手が触れたものが入っている。
 
 
 それが——誰かの足の痛みを和らげている。
 
 
 帰り道、ベルタが言った。
 
 
「こういう顔を見ると、この仕事してよかったって思うよね」
 
 
「はい」
 
 
「レナさんも?」
 
 
「はい。思います」
 
 
 ベルタが笑った。リーナも、笑った。
 
 
  ◇
 
 
 ある夕方、仕事が終わってギルドを出ると、フェルクが外に立っていた。
 
 
 珍しい、とリーナは思った。フェルクが仕事終わりに外に出ているのを見たのは、初めてだ。
 
 
「お疲れ様です」
 
 
 リーナが声をかけると、フェルクは短く頷いた。
 
 
「少し歩きますか」
 
 
 唐突な誘いだった。リーナは少し驚いたが、断る理由もなかった。
 
 
「はい」
 
 
 二人で、川沿いの道を歩いた。夕暮れで、川面がオレンジ色に光っている。
 
 
 フェルクはしばらく何も言わなかった。リーナも何も言わなかった。
 でも、沈黙が重くなかった。
 
 
「今日、患者のところに行ったそうですね」
 
 
「ベルタさんに連れて行っていただきました」
 
 
「どうでしたか」
 
 
「……思ったより、近い感じがしました」
 
 
「近い?」
 
 
「この仕事が、誰かに届いている感じが。薬草を仕分けているときは、その先が見えないから。でも今日、見えた気がして」
 
 
 フェルクは少し間を置いた。
 
 
「それは大事なことです」
 
 
「そうですか」
 
 
「仕事の意味を知っている人間と、知らない人間では、同じ作業でも質が変わる。あなたはもともと丁寧ですが、今日からさらに変わると思います」
 
 
 淡々とした口調だった。でも、それがこの人なりの言い方だとわかってきた。
 
 
「ありがとうございます」
 
 
「礼には及ばない」
 
 
 また少し、黙って歩いた。
 川の音がした。夕風が吹いた。
 
 
「フェルクさんは、なぜ王都のギルドを辞めたんですか」
 
 
 リーナは聞いてから、少し驚いた。自分でも聞くつもりではなかった。
 
 
 フェルクは少し間を置いた。
 
 
「大きすぎたから」
 
 
「大きすぎた?」
 
 
「患者の顔が見えなかった。薬を作って、誰かに渡して、それがどこへ行くかわからなかった。あなたが今日感じたことの、反対です」
 
 
 リーナはその言葉を聞いて、少し考えた。
 
 
「だからここに来たんですか」
 
 
「そうです」
 
 
 フェルクはそれだけ言った。
 多くを語らない人だ。でも、必要なことだけを、ちゃんと言う。
 
 
 リーナは川面を見た。
 オレンジ色が、少しずつ薄れていく。
 
 
  ◇
 
 
 夜、部屋に戻って、リーナは薄い青のカーテンを見た。
 
 
 今日一日のことを、ゆっくり思い返した。
 ベルタと老夫婦の家に行ったこと。フェルクと川沿いを歩いたこと。
 
 
 屋敷にいた頃の一日と、今日の一日は——同じ二十四時間のはずなのに、重さが全然違う。
 
 
 屋敷では、一日が過ぎるたびに何かが減っていく気がした。
 ここでは、一日が過ぎるたびに何かが増えていく気がする。
 
 
 小さなことだ。
 カーテンを一枚縫った。患者の顔を見た。川沿いを少し歩いた。
 
 
 でも、その小さなことが——確かに積み重なっている。
 
 
 リーナは手のひらを見た。
 温かい。
 
 
 この手が守るものが、少しずつ増えていく。
 それが、嬉しかった。
 静かで、確かな、嬉しさだった。
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