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第七話 夕暮れの約束
第七話 夕暮れの約束
放課後の学園は、授業中とは別の顔を見せる。
急ぎ足で帰る者。
中庭で友人と話し込む者。
部活動の棟へ向かう者。
それぞれが、それぞれの目的で動いている。
授業中は教師の目があるから、皆それなりに取り繕う。
でも放課後は違う。
気が緩む。
本音が出る。
わたしはいつも、少し遅めに教室を出る。
急いで帰る理由がない、というのもある。
でも本当の理由は——この時間が、一番よく見えるからだ。
―――
廊下を歩いていると、ミレイユが並んできた。
「今日もお遅いですね、殿下」
「ミレイユさんこそ」
「殿下と帰り道が同じなので」
「そうでしたか」
「嘘ですけど」
わたしは少し笑った。
ミレイユも笑った。
こういうやりとりが、最近増えてきた。
最初の頃は互いに腹を探り合っていた。
今もそれは変わらない。
でも、少しだけ違う。
探り合いながら、同時に笑えるようになった。
「クラリス様のことで、少しお話ししてもよいですか」
廊下の人が減ったタイミングで、ミレイユが声を落とした。
「どうぞ」
「今日の昼、わたしの取り巻きに接触したようです」
「取り巻き、ですか」
「わたしと仲良くしている令嬢たちに、です。直接ではなく、その令嬢たちの友人を通じて。遠回しに、わたしと距離を置くよう示唆したらしい」
なるほど。
クラリスは先日の牽制が効かなかったことを受けて、次の手を打ってきた。
直接ミレイユを攻撃するのではなく、周囲を切り崩す。
孤立させることで、ミレイユの影響力を削ぐ作戦だ。
「それで、その令嬢たちは」
「今日は普通に話してくれました。でも明日はわかりません」
ミレイユの声は平静だ。
動揺していない。
でも少しだけ、疲れている。
「クラリス様は焦っているのだと思います」
わたしは静かに言った。
「焦り、ですか」
「先日の昼食のあと、フォンタン家と第三王女が近しいという印象が教室に生まれた。それがヴァレン家にとっては誤算だったはずです」
「誤算」
「クラリス様はわたしを計算に入れていなかった。そこが最初の失敗でした」
ミレイユはしばらく黙っていた。
それから、ゆっくりと頷いた。
「殿下は、どう動くつもりですか」
「わたしが動く必要はありません」
「と、おっしゃいますと」
「焦っている人間は、必ず次の手を急ぎます。急いだ手は、雑になる。雑な手は、隙を生む」
わたしは窓の外を見た。
夕焼けが、校舎の石壁をオレンジ色に染めていた。
「待てばいい、ということですか」
「待ちながら、準備をします」
「準備、とは」
「ミレイユさんの周囲の令嬢たちに、ひとつお願いがあります」
ミレイユが、わたしを見た。
「クラリス様から接触があったとき、すぐに断らなくていいと伝えてください」
「……断らない?」
「ええ。曖昧に、保留にしておくよう。どちらにも決めない態度を取るよう」
「それは」
ミレイユは少し考えてから、続けた。
「クラリス様に、揺さぶりをかけるということですか」
「揺さぶりではありません。ただ、情報を集めるだけです」
接触してきた令嬢が曖昧な態度を取れば、クラリスはもう一手打ってくる。
その手の内容で、クラリスが何を本当に恐れているかが見える。
人は焦ったとき、本当に守りたいものに向かって動く。
「なるほど」
ミレイユは静かに息をついた。
「……わかりました。伝えます」
「ありがとうございます」
「お礼を言うのはわたしの方です、殿下」
彼女はそう言って、少し微笑んだ。
今度は目も笑っていた。
―――
学園の正門まで並んで歩いた。
夕焼けが、石畳をじんわりと赤く照らしている。
「殿下は、なぜそこまでしてくださるのですか」
ミレイユが、ふと聞いた。
「フォンタン家に恩を売りたいわけでも、クラリス様を潰したいわけでもないはずです。殿下にとって、わたしは何ですか」
真っ直ぐな問いだ。
底の読めないミレイユが、初めてこちらに底を見せようとしている。
わたしは少し考えてから、答えた。
「面白い人です」
「……面白い」
「同じ目を持っている人は、そう多くない。それだけです」
ミレイユはしばらく黙っていた。
夕焼けの中で、彼女の赤茶の髪がきれいに光っていた。
「殿下は、怖い方ですね」
「また同じことを言う」
「また同じことを思ったので」
彼女はそう言って、正門の前で立ち止まった。
「来月、フォンタン家で小さな茶会を開きます。よろしければ、殿下もいらしてください」
「喜んで」
「では、また明日」
ミレイユは一礼して、迎えの馬車へと歩いていった。
わたしはその背中を見送りながら、夕焼けの空を見上げた。
茶会。
フォンタン家での茶会に第三王女が参加する。
それがどういう意味を持つか、クラリスはすぐに察するだろう。
焦りは、また一段階深まる。
——さて。
次の手が楽しみになってきた。
夕焼けがゆっくりと、深い紺色に変わっていった。
(第七話 了)
放課後の学園は、授業中とは別の顔を見せる。
急ぎ足で帰る者。
中庭で友人と話し込む者。
部活動の棟へ向かう者。
それぞれが、それぞれの目的で動いている。
授業中は教師の目があるから、皆それなりに取り繕う。
でも放課後は違う。
気が緩む。
本音が出る。
わたしはいつも、少し遅めに教室を出る。
急いで帰る理由がない、というのもある。
でも本当の理由は——この時間が、一番よく見えるからだ。
―――
廊下を歩いていると、ミレイユが並んできた。
「今日もお遅いですね、殿下」
「ミレイユさんこそ」
「殿下と帰り道が同じなので」
「そうでしたか」
「嘘ですけど」
わたしは少し笑った。
ミレイユも笑った。
こういうやりとりが、最近増えてきた。
最初の頃は互いに腹を探り合っていた。
今もそれは変わらない。
でも、少しだけ違う。
探り合いながら、同時に笑えるようになった。
「クラリス様のことで、少しお話ししてもよいですか」
廊下の人が減ったタイミングで、ミレイユが声を落とした。
「どうぞ」
「今日の昼、わたしの取り巻きに接触したようです」
「取り巻き、ですか」
「わたしと仲良くしている令嬢たちに、です。直接ではなく、その令嬢たちの友人を通じて。遠回しに、わたしと距離を置くよう示唆したらしい」
なるほど。
クラリスは先日の牽制が効かなかったことを受けて、次の手を打ってきた。
直接ミレイユを攻撃するのではなく、周囲を切り崩す。
孤立させることで、ミレイユの影響力を削ぐ作戦だ。
「それで、その令嬢たちは」
「今日は普通に話してくれました。でも明日はわかりません」
ミレイユの声は平静だ。
動揺していない。
でも少しだけ、疲れている。
「クラリス様は焦っているのだと思います」
わたしは静かに言った。
「焦り、ですか」
「先日の昼食のあと、フォンタン家と第三王女が近しいという印象が教室に生まれた。それがヴァレン家にとっては誤算だったはずです」
「誤算」
「クラリス様はわたしを計算に入れていなかった。そこが最初の失敗でした」
ミレイユはしばらく黙っていた。
それから、ゆっくりと頷いた。
「殿下は、どう動くつもりですか」
「わたしが動く必要はありません」
「と、おっしゃいますと」
「焦っている人間は、必ず次の手を急ぎます。急いだ手は、雑になる。雑な手は、隙を生む」
わたしは窓の外を見た。
夕焼けが、校舎の石壁をオレンジ色に染めていた。
「待てばいい、ということですか」
「待ちながら、準備をします」
「準備、とは」
「ミレイユさんの周囲の令嬢たちに、ひとつお願いがあります」
ミレイユが、わたしを見た。
「クラリス様から接触があったとき、すぐに断らなくていいと伝えてください」
「……断らない?」
「ええ。曖昧に、保留にしておくよう。どちらにも決めない態度を取るよう」
「それは」
ミレイユは少し考えてから、続けた。
「クラリス様に、揺さぶりをかけるということですか」
「揺さぶりではありません。ただ、情報を集めるだけです」
接触してきた令嬢が曖昧な態度を取れば、クラリスはもう一手打ってくる。
その手の内容で、クラリスが何を本当に恐れているかが見える。
人は焦ったとき、本当に守りたいものに向かって動く。
「なるほど」
ミレイユは静かに息をついた。
「……わかりました。伝えます」
「ありがとうございます」
「お礼を言うのはわたしの方です、殿下」
彼女はそう言って、少し微笑んだ。
今度は目も笑っていた。
―――
学園の正門まで並んで歩いた。
夕焼けが、石畳をじんわりと赤く照らしている。
「殿下は、なぜそこまでしてくださるのですか」
ミレイユが、ふと聞いた。
「フォンタン家に恩を売りたいわけでも、クラリス様を潰したいわけでもないはずです。殿下にとって、わたしは何ですか」
真っ直ぐな問いだ。
底の読めないミレイユが、初めてこちらに底を見せようとしている。
わたしは少し考えてから、答えた。
「面白い人です」
「……面白い」
「同じ目を持っている人は、そう多くない。それだけです」
ミレイユはしばらく黙っていた。
夕焼けの中で、彼女の赤茶の髪がきれいに光っていた。
「殿下は、怖い方ですね」
「また同じことを言う」
「また同じことを思ったので」
彼女はそう言って、正門の前で立ち止まった。
「来月、フォンタン家で小さな茶会を開きます。よろしければ、殿下もいらしてください」
「喜んで」
「では、また明日」
ミレイユは一礼して、迎えの馬車へと歩いていった。
わたしはその背中を見送りながら、夕焼けの空を見上げた。
茶会。
フォンタン家での茶会に第三王女が参加する。
それがどういう意味を持つか、クラリスはすぐに察するだろう。
焦りは、また一段階深まる。
——さて。
次の手が楽しみになってきた。
夕焼けがゆっくりと、深い紺色に変わっていった。
(第七話 了)
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