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第4話:季節外れのキティちゃん
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第4話:季節外れのキティちゃん
深夜のコンビニには、時折、時間の流れから見捨てられたような「遺物」が取り残されることがある。
レジカウンターの下、客の視線からは死角になる棚の隅に、それはあった。
数ヶ月前のサンリオフェアで余った、キティちゃんの小さなマスコット人形だ。クリスマス仕様の真っ赤なサンタ帽を被っているが、季節はもう、春の足音が聞こえそうな二月の終わり。完全に「季節外れ」の落とし子だった。
「……ねえ。それ、どうするつもり?」
事務所の入り口に寄りかかり、彼女が声をかけてきた。
俺は手に持っていたキティちゃんを慌てて棚に戻そうとして、逆に落としてしまった。
「ああ、すいません。掃除してたら出てきたので。これ、廃棄ですよね?」
「ルール上はね。でも、そんなに寂しそうな顔して見つめられたら、ゴミ箱に捨てるのも忍びないじゃない」
彼女はゆっくりと歩み寄り、床に転がったマスコットを拾い上げた。
屈んだ彼女が持つ小さな人形は、彼女の手の中で、まるで自分たちの居場所を見つけたかのように収まりが良く見えた。
「可愛いじゃない。君、こういうの嫌い?」
「嫌いじゃないですけど。……今の時期にサンタは、ちょっと。実用的じゃないですし」
「またそれだ。君の頭の中は、軍手と電池と幕の内弁当でできてるの?」
彼女はくすくすと笑いながら、マスコットの紐を指先でくるくると回した。
事務所の蛍光灯の下、彼女の茶髪のパーマが小さく弾む。その横顔を見ていると、俺の体格が、ひどく無骨で、気の利かない木偶の坊のように思えてくる。
「……じゃあ、それ、先輩にあげます」
「え、私に? これ、店の備品だよ。横領になっちゃう」
「オーナーに許可取ればいいじゃないですか。娘なんだし。それに、誰も欲しがらないですよ、こんな季節外れ」
俺は少し乱暴にそう言った。
本当は、彼女がそれを愛おしそうに眺めている姿を見て、自分の胸の奥がざわついたからだ。彼女の手に、自分の手近にあるものを握らせておきたかった。たとえそれが、価値のない売れ残りだったとしても。
「……ふーん。プレゼント、ってこと?」
「プレゼントなんて、そんな大層なもんじゃ……」
「いいよ。もらう。私、こういう『無駄なもの』大好きなんだよね」
彼女はそう言うと、事務所の机の上にある、自分の使い古したポーチにそのマスコットをぶら下げた。
無機質な事務所の中で、その真っ赤なサンタ帽だけが、異様なほど鮮やかに浮いている。
「ねえ。お返しに、いいこと教えてあげる」
彼女はポーチを片付けると、いつものようにパイプ椅子に腰掛けた。
そして、俺の袖口をくい、と引いた。
俺は抗うこともできず、彼女の隣に並んで座る。
座ると俺たちの目の高さはほぼ同じになり、彼女の肩から伝わってくる微かな熱が、冬の夜勤で冷え切った俺の腕をじわじわと侵食していく。
「女の人が、わざわざスニーカーを履く理由。……君、まだ気づいてないでしょ」
彼女は顔を近づけ、俺の耳元で囁いた。
ふわりと、昨夜の残り香のようなラークの匂い。
「……背が高いのが、嫌だからじゃないんですか」
「半分正解。でも、もう半分はね……」
彼女はそこで言葉を切り、俺の足元を自分のスニーカーの先で軽く突いた。
「君みたいな、意地っ張りのプライドを、守ってあげてるのよ」
俺は息が止まりそうになった。
彼女は知っていたのだ。俺が自分の見栄に、どれほど卑屈で、どれほど身勝手なこだわりを抱いているか。俺が彼女を見下ろすことで、ようやく彼女と対等でいられると信じ込んでいる、そのガキっぽさを。
「私が本気でヒール履いたら、君、泣いちゃうでしょ? 視界が逆転して、私に完全に見下ろされたら……君、二度と私に生意気なこと言えなくなっちゃう」
彼女の指先が、俺の顎を軽く持ち上げる。
彼女の視線が、俺の瞳の奥を射抜く。
そこには、俺が贈った「実用品」とは対極にある、甘くて毒々しい「挑発」が混ざっていた。
「……先輩は、底意地が悪いですね」
「あら、心外。これでも一生懸命、君のメンツを立ててあげてるつもりなんだけど」
彼女は笑いながら、再びラークに火をつけた。
換気扇が回り始め、紫煙がサンタ帽のキティちゃんを包み込んでいく。
季節外れのマスコットと、プライドばかり高い大学生。そして、それらすべてを「廃棄」にせず、自分の手元に置き続けるオーナーの娘。
「……来年のクリスマスも、ここでこれ、見てるんですかね」
俺がぽつりと呟くと、彼女のタバコを持つ手がわずかに止まった。
「……さあね。そんな先のことは、防犯カメラにも映ってないよ」
彼女の視線は、無機質なモニターの向こう側、暗闇に包まれた駐車場へと向けられた。
俺はこの時、彼女がときどき見せる、遠くを見つめるような寂しげな瞳の正体を知りたかった。けれど、俺が彼女に渡せるのは、まだ季節外れのマスコットのような、価値のない「善意」だけだった。
事務所の隅で揺れるキティちゃん。
それは、俺たちが共有した初めての「無駄な時間」の証だった。
俺は、彼女のスニーカーが地面を叩く音を聴きながら、自分のプライドが、いかに狭く、脆いものかを噛み締めていた。
「実用品くん。……来年のことなんて考えなくていいから、今は私のために、新しい灰皿、補充しといて。それが一番の『プレゼント』よ」
彼女はそう言って、紫煙の向こうで優雅に脚を組み替えた。
俺は、逃げるように事務所を飛び出し、誰もいない売場で、冷たいステンレスの灰皿を手に取った。
胸の動悸が、いつまでも止まらなかった。
深夜のコンビニには、時折、時間の流れから見捨てられたような「遺物」が取り残されることがある。
レジカウンターの下、客の視線からは死角になる棚の隅に、それはあった。
数ヶ月前のサンリオフェアで余った、キティちゃんの小さなマスコット人形だ。クリスマス仕様の真っ赤なサンタ帽を被っているが、季節はもう、春の足音が聞こえそうな二月の終わり。完全に「季節外れ」の落とし子だった。
「……ねえ。それ、どうするつもり?」
事務所の入り口に寄りかかり、彼女が声をかけてきた。
俺は手に持っていたキティちゃんを慌てて棚に戻そうとして、逆に落としてしまった。
「ああ、すいません。掃除してたら出てきたので。これ、廃棄ですよね?」
「ルール上はね。でも、そんなに寂しそうな顔して見つめられたら、ゴミ箱に捨てるのも忍びないじゃない」
彼女はゆっくりと歩み寄り、床に転がったマスコットを拾い上げた。
屈んだ彼女が持つ小さな人形は、彼女の手の中で、まるで自分たちの居場所を見つけたかのように収まりが良く見えた。
「可愛いじゃない。君、こういうの嫌い?」
「嫌いじゃないですけど。……今の時期にサンタは、ちょっと。実用的じゃないですし」
「またそれだ。君の頭の中は、軍手と電池と幕の内弁当でできてるの?」
彼女はくすくすと笑いながら、マスコットの紐を指先でくるくると回した。
事務所の蛍光灯の下、彼女の茶髪のパーマが小さく弾む。その横顔を見ていると、俺の体格が、ひどく無骨で、気の利かない木偶の坊のように思えてくる。
「……じゃあ、それ、先輩にあげます」
「え、私に? これ、店の備品だよ。横領になっちゃう」
「オーナーに許可取ればいいじゃないですか。娘なんだし。それに、誰も欲しがらないですよ、こんな季節外れ」
俺は少し乱暴にそう言った。
本当は、彼女がそれを愛おしそうに眺めている姿を見て、自分の胸の奥がざわついたからだ。彼女の手に、自分の手近にあるものを握らせておきたかった。たとえそれが、価値のない売れ残りだったとしても。
「……ふーん。プレゼント、ってこと?」
「プレゼントなんて、そんな大層なもんじゃ……」
「いいよ。もらう。私、こういう『無駄なもの』大好きなんだよね」
彼女はそう言うと、事務所の机の上にある、自分の使い古したポーチにそのマスコットをぶら下げた。
無機質な事務所の中で、その真っ赤なサンタ帽だけが、異様なほど鮮やかに浮いている。
「ねえ。お返しに、いいこと教えてあげる」
彼女はポーチを片付けると、いつものようにパイプ椅子に腰掛けた。
そして、俺の袖口をくい、と引いた。
俺は抗うこともできず、彼女の隣に並んで座る。
座ると俺たちの目の高さはほぼ同じになり、彼女の肩から伝わってくる微かな熱が、冬の夜勤で冷え切った俺の腕をじわじわと侵食していく。
「女の人が、わざわざスニーカーを履く理由。……君、まだ気づいてないでしょ」
彼女は顔を近づけ、俺の耳元で囁いた。
ふわりと、昨夜の残り香のようなラークの匂い。
「……背が高いのが、嫌だからじゃないんですか」
「半分正解。でも、もう半分はね……」
彼女はそこで言葉を切り、俺の足元を自分のスニーカーの先で軽く突いた。
「君みたいな、意地っ張りのプライドを、守ってあげてるのよ」
俺は息が止まりそうになった。
彼女は知っていたのだ。俺が自分の見栄に、どれほど卑屈で、どれほど身勝手なこだわりを抱いているか。俺が彼女を見下ろすことで、ようやく彼女と対等でいられると信じ込んでいる、そのガキっぽさを。
「私が本気でヒール履いたら、君、泣いちゃうでしょ? 視界が逆転して、私に完全に見下ろされたら……君、二度と私に生意気なこと言えなくなっちゃう」
彼女の指先が、俺の顎を軽く持ち上げる。
彼女の視線が、俺の瞳の奥を射抜く。
そこには、俺が贈った「実用品」とは対極にある、甘くて毒々しい「挑発」が混ざっていた。
「……先輩は、底意地が悪いですね」
「あら、心外。これでも一生懸命、君のメンツを立ててあげてるつもりなんだけど」
彼女は笑いながら、再びラークに火をつけた。
換気扇が回り始め、紫煙がサンタ帽のキティちゃんを包み込んでいく。
季節外れのマスコットと、プライドばかり高い大学生。そして、それらすべてを「廃棄」にせず、自分の手元に置き続けるオーナーの娘。
「……来年のクリスマスも、ここでこれ、見てるんですかね」
俺がぽつりと呟くと、彼女のタバコを持つ手がわずかに止まった。
「……さあね。そんな先のことは、防犯カメラにも映ってないよ」
彼女の視線は、無機質なモニターの向こう側、暗闇に包まれた駐車場へと向けられた。
俺はこの時、彼女がときどき見せる、遠くを見つめるような寂しげな瞳の正体を知りたかった。けれど、俺が彼女に渡せるのは、まだ季節外れのマスコットのような、価値のない「善意」だけだった。
事務所の隅で揺れるキティちゃん。
それは、俺たちが共有した初めての「無駄な時間」の証だった。
俺は、彼女のスニーカーが地面を叩く音を聴きながら、自分のプライドが、いかに狭く、脆いものかを噛み締めていた。
「実用品くん。……来年のことなんて考えなくていいから、今は私のために、新しい灰皿、補充しといて。それが一番の『プレゼント』よ」
彼女はそう言って、紫煙の向こうで優雅に脚を組み替えた。
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