上 下
1 / 1

1

しおりを挟む
ジャー。……ジャー。


 水が二回流れる音。

 流した男はちらりと隣の男、孝浩たかひろのことを見る。自分の喉がごくりと音を鳴らしたのが聞こえた。

 何度も調べた内容を頭で思い描き、ゆっくりと小便器のセンサーへと手をかざす。


 ジャー。……ジャー。…………ジャー。


 三回流れた音に、隣に立った男が満足げに笑い、自然な動きで孝浩の腰に手を回した。

 一番奥の個室まで連れていかれ、そのまま便器に座らされる。不安げに顔を上げた孝浩の目の前には、後ろ手に個室の鍵をかけながら、ベルトに手をかける初対面の若い男。


「とりあえず口でしてよ」


 予想通りの言葉に、孝浩は緊張した面持ちで頷いた。

 見た目の通り軽い話し方の男は、性急にベルトを外し、下着と一緒にズボンをおろした。

 覚悟はしていたが、突然鼻先に現れた男のモノに一瞬顔をしかめそうになる。なんとか表情を繕い、孝浩は恐る恐る口を開けた。


「早くしてよ。俺さぁ、待つのって嫌いなんだよね。それともなに? 今すぐぶちこんで欲しいってこと?」


 血の気が引く内容の男の言葉に、慌てて孝浩はそれに唇をつけた。

 まだ柔らかなソレは力なく下を向いている。仕方なく手を添え、先端をちろっと舐めてみる。


 本当は他の男のモノなんて、こんな近くで見たくもないし、触りたくもないし、ましてや舐めたくなんてない。でも、仕方ない。失ったプライドを取り戻すためには仕方ないことだ。


 意を決した孝浩は、固く目を瞑り、今日あったばかりの素性も知らぬ男のイチモツを口内へと招き入れた。

 とたんに広がる生臭いようなしょっぱいような、何とも言えぬ味と臭い。

 吐き出しそうになるのを何とか我慢して、丁寧に先端を舐め、添えた手も緩く前後させる。何度もチロチロと舐めていると男も興奮してきたのか、先程よりも固さと大きさが増してきた。

 同じ男だ。孝浩にフェラチオをされた経験はないが、次にどうしたら気持ちいいかはなんとなく分かる。しかし、それは今以上に勇気が必要であった。

 躊躇した孝浩に焦れたのか、男が聞こえるように舌打ちをした。


「あのさぁ、そんなにちんたらやってたら終わんないよ? そもそもやる気あんの? 俺、そんな上品なフェラ求めてないんだけど」


 男の言葉にびくりと肩を揺らした孝浩が慌てて、先端よりもその先を口内へと押し込む。そのままゆっくりと前後に顔を動かす。


「っ、そうそうやればできるじゃん」


 満足そうな男の声に、ほっと胸を撫で下ろした。

 その直後だった。顔を前後させる孝浩の後頭部に男の手がかかる。目だけで男を伺うと、興奮の色が滲んだ瞳で男はにやりと笑った。


「でも俺はもっと激しいのが好きなんだよ、な!!」

「っ!ごっ!」


 突然、喉奥にまで叩きつけられたソレを目を白黒させながら受け止める。咳き込む孝浩に構うことなく、男は容赦なく腰を振った。

 喉奥に異物が叩きつけられるのを体が排除しようと何度も喉や腹筋が上下する。苦しさに涙が滲み、息ができなくなる。


「がっ!っぐぉ、っ……!」

「あはっ、苦しい? 俺は気持ちいいよー。あーもうちょい。イきそー」


 絶頂が近いのか、激しさを増す男の動きに孝浩は必死に呼吸をすることしかできない。口の端からは、男の先走りなのか自身の唾液なのか分からない液体が零れ落ちる。

 これ以上は本当に死んでしまうと思ったとき、今まで以上に奥まで、男の陰毛に鼻先が埋まるほどに押し込まれ、男の動きが止まった。

 喉奥に何かが流し込まれる。勢いで飲み込んでしまった。鼻奥で広がる何ともいえない、経験したことのない臭い。

 口内を占拠していたソレがゆっくりと引き抜かれる。

 満足そうに息を吐いた男が孝浩を嘲笑うように見た。


「あんた、もしかして童貞処女? 俺、初心者の相手はめんどくさくて嫌いなんだよね。フェラも下手くそだし」


 身なりを整えた男は孝浩を鼻で笑うと、「別の人あたってよ」と言って、個室から出ていってしまった。


 汚れた口元をハンカチで拭いながら、孝浩は祈るような気持ちで視線を下に向ける。そこには、当たり前であるが、少しも反応していない孝浩の股間があった。

 情けない気持ちでいっぱいになる。前ほどまでとは違う涙が滲み始め、叫びたいような怒りたいような泣きわめきたいような名前のつけられない感情が溢れた。


 こんなことして何になるのか。一体何のためにこんなことを。


 考え出すと思考がどんどん落ちていく。

 あと一回瞬きをしたら溢れる、というところまで涙が溜まったとき、個室の扉がコンコンと小さくノックされた。


「あの、大丈夫ですか?」


 心配するような声。

 驚いて思わず瞬きをした孝浩の目から涙が一粒零れ落ちた。


「あの、すみません。少し前から外で聞いてしまって……、それで……なんというか、心配になって」

「あ、だ、大丈夫です……!」


 本当に心底心配しているような男の声に慌てて孝浩は扉を開ける。

 そこにはグレーのスーツに身を包んだ、こんな公衆トイレが似合わない上品な出で立ちの男がいた。銀縁眼鏡の奥に心配そうな瞳が見える。


「大丈夫ですか? 随分手荒くされたみたいですね」

「え、あ」


 男の視線を追って、自分の襟元から胸元を辿ると、見事に唾液か何かが分からないものでぐちゃぐちゃに汚れていた。

 男がハンカチで孝浩のシャツを拭く。大丈夫だと遠慮しようとすると、「いいから」と強引に続けられた。


「でもジャケットにつかなくてよかったですね。紺色だと目立ちますし、なかなか落ちないですから。こんなところにスーツで来ては駄目ですよ。もっと汚れていい服で来ないと」


 男の優しげな声音に、さっきまで孝浩を好き勝手にした軽そうな男とは何もかもが反対に見え、安堵が押し寄せる。

 安心したのがいけなかったのだろう、分散した惨めな思いや見ないふりをしていた恐怖が急に頭をもたげ始めた。

 そして、気付いたときには引っ込んだ筈の大粒の涙がぼろりと零れ落ちた。


「っう、ひっく」

「…………」


 突然泣き始めた孝浩に男は手を止める。


「……場所変えましょうか」


 男を見上げたが涙で滲む世界では、男がどんな顔をしていたのか孝浩には分からなかった。

 ただ、変わらず声はとびきりに優しく、無意識に頷き、男に手を引かれるままついていった。




 ◆◆◆




「何か飲みますか?」


 ぼんやりと男を見つめていた孝浩は突然のことに慌ててメニューに目を通す。

 だが、こんがらがった頭ではうまく理解できず、結局、男と同じものを注文した。

 手際よく飲み物と食べ物を注文した男は、「さてと」と仕切り直すように孝浩を見る。


「それで気分は落ち着きましたか?」

「あ、はい」

「それならよかった」

「すみません。驚きましたよね」


 祐一ゆういちと名乗った男は否定するように首を左右に振った。

 祐一のフルネームは分からない。こういう場合、あまり本名やフルネームは名乗らないらしい。馬鹿正直に名乗ろうとした孝浩を祐一は優しく止めて、そう説明した。


「ああいう場所は初めてですか?」

「は、はい」


 個室の居酒屋を選んでくれた上、言葉も濁してくれているとこをみると、孝浩に気を遣ってくれているのが分かった。それでも孝浩はドギマギしてしまう。


「初めてであそこはマズかったですね。あの駅のトイレはこのあたりでも特殊な方が集まりやすいですから」

「そうなんですか……。俺、なにも知らなくて」

「初めてなら仕方ないですよ。こういうことは教えてくれる人もいませんし」


 運ばれてきた飲み物を受け取りながら、祐一は人好きしそうな笑みを浮かべる。

 笑みを向けられたスタッフがほんのりと頬を染めたのを横目で見ながら、女性に不自由しなさそうな祐一も男とセックスがしたいのだろうかと思った。


「ひとまず飲みましょう。お酒が入った方が話しやすいこともありますから」


 促されるままグラスを持った孝浩に祐一はカチンとグラスを重ねた。

 グラスの中には並々と注がれた美味しそうなビール。祐一はそれを美味しそうに飲んでいる。

 孝浩もトイレでの嫌な味を洗い流すように、勢いよく流し込んだ。

 さきほどとのギャップからか、今はビールがとんでもなく美味しく感じる。


「美味しそうに飲みますね」


 祐一が目を細めた。

 人前ということも忘れて、ついがっついてしまったことに恥ずかしくなる。唇についた泡を拭って、「すみません」と小さくなりがらグラスを置いた。


「気にしないでください。悪いことではありませんし、むしろ長所ですよ」

「俺、昔から食い意地張ってるって言われて」

「ふふ、良いじゃありませんか。美味しく食べられた方が食べ物も本望でしょう。何より美味しそうに食べる姿は官能的です」


 思わずビールを吹きそうになる。なんとか胃に押し込んだ。


 この男はなんてことを言い出すのか。


 しかし、焦っているのは孝浩だけのようで、祐一は焦った様子もなくにこりと笑う。

 変わった様子のない祐一に、なんとなく恥ずかしくなり視線を反らした。


「あんな場所で出会ったんですから、今さら隠すこともないでしょう」

「そうですけど」

「では、孝浩くんは何故あの場所に? 」

「それは……」


 言葉を詰まらせた孝浩は、真っ直ぐに見つめてくる祐一から視線を反らす。

 今日会ったばかりの男に話すには情けなさすぎる話だ。

 プライドが邪魔をしてなかなか話すことができない。それはそうだ、できることなら、誰にも話したくはない。

 だが、情けなさで言うならば、個室のトイレで知らぬ男に口内を好き勝手に犯され、半泣きの状態で助けられ、さらには本気で泣き出した失態の方が何倍も上だろう。

 もしかしたら、何か抜け出す手がかりが見つかる可能性もある。

 話してみよう。もう一人ではどうしていいか分からない。

 渇きかけた口内を潤すために、一口ビールを流し込んだあと、孝浩はゆっくりと口を開いた。


「俺、半年くらい前に彼女と別れたんです。直接の理由は彼女の浮気でした。でも、浮気した理由が俺は優しすぎてつまらないと。特に、その、……セックスがつまらないと言われたんです」

「ほう」

「刺激がない。もっと激しいセックスがしたいと。彼女そう言ったんです。それで」

「他の人に行ってしまったと」


 祐一の言葉に力なく頷く。


「学生時代からの彼女で、付き合って10年近くでした。俺は女性は彼女しか知らなかったし、彼女も俺しか知らないと想ってました。でも本当は何回も何回も浮気してたって。俺、彼女のことが大好きで大好きで、本当に好きで、彼女も同じだって思い込んでたから、疑うことなんて、全然、なくって……っ」

「孝浩くん……」

「それで彼女と別れてから、セックスができなくなったんです」


 自分で言いながら可笑しくなって、笑ってしまう。フラれてセックスができなくなった、なんて聞いたら、彼女はもっと嫌な顔をするだろう。

 彼女とのセックスがマンネリ化してる自覚はあった。

 だから、自分なりに工夫をしてみたつもりだった。

 でも彼女には物足りなかったのだろう。好きだから傷付けたくなかった。好きだから優しくして甘やかしたかった。

 でも彼女はそれを望んでなかった。

 どうして気付けなかったんだろう。そう後悔する反面、彼女を恨む気持ちもあった。だから。


「別れてすぐに会社の先輩に連れられて風俗に行ったんです。別れたって知ってたから励まそうとしてくれてたし、俺も彼女への当て付けみたいな気持ちもあったので、他の女性に触れてみようと」

「うん」

「でも何もできなかったんです。女性を前にすると動悸がして息が上がって、それで……それで」

「それで?」

「勃たなかったんです」


 綺麗な女性の裸を目の前にしても、少しも反応しなかった。吃驚するほどに少しも。

 相手の女性はフォローしてくれたけれど、そのフォローはさらに虚しさを増すだけだった。


「最低かもしれないけど、色々な女性で試してみました。でも全部駄目でした。だから」

「男で試してみようと?」


 祐一の言葉に孝浩は静かに頷く。


「それがさっきの有り様です。男性でもだめでした」


 苦笑いを溢すと、孝浩の話を真剣に聞いていた祐一が考えるように口元に手を当てた。

 全て話してしまったことで、つっかえが取れたように、なんとなく気持ちが晴れた孝浩は、反対に難しい顔で黙り混んでしまった祐一を不思議に思いながら見る。

 これまでの諸々で、恥ずかしさや情けなさから今まで祐一の顔をまともに見ていなかったが、こうやってじっくり見ると整った顔をしている。銀縁の眼鏡が真面目そうで堅そうな雰囲気を作っているが、穏やかに弧を描く口元や物腰の柔らかさがそんな雰囲気を打ち消している。さぞかしモテるのだろう。もし自分が女なら、放ってはおかない。

 だが、彼もあのトイレにいたということは性的対象は男ということなのだろうか。


 ふと祐一のじっと見つめる視線に気づく。じっとりとまるで頭の先から足の爪先まで、服の中まで見つめられるような視線。

 先ほどまでの穏やかそうな雰囲気とは、どこか違うような空気に思わず体を震わせた。


「ああ、すみません。失礼でしたね」

「あ、いえ」

「孝浩くん、さっきのあれで男も無理だったと決めるには尚早ではありませんか?」

「え……?」


 祐一の銀縁眼鏡の奥の瞳が鈍く光ったように見えた。


「よければ僕と一晩いかがですか?」


 さらりととんでもないことを言った。

 思わず口が開く。

 落ち着きを無くした孝浩を宥めるように、祐一は孝浩から目を離すことなく続ける。


「あれはあまりにも一方的で性行為とは呼べたものではありません。そもそも彼が君を一方的に使っていただけですし」

「それはそうですが……」

「判断するならもう少し色々な男を知ってからでもよろしいのでは? 僕は君の事情を知っているし、相手を探しにあそこに行ったわけだから時間もある。ちょうどいい相手ではありませんか」


「ね?」と最後の一押しを加えた祐一の有無を言わさぬ雰囲気に孝浩は何も言えない。


「最後までしようというわけではありませんし、試して駄目なら止めればいい。今さら男の相手が一人から二人に増えたって変わりませんよ」

「……確かにそうですが。…………本当に駄目なら止めてくれますか……?」

「もちろん。無理強いはしません」

「……それなら」


 祐一の勢いに負ける形で孝浩は頷いてしまった。

 妖しく光ったように見えた祐一の瞳に、選択を間違えたかもしれないと後悔しかけたが、勢いよくビールを流し込んで見なかったことにした。




 ◆◆◆




 注文した食べ物を食べきる頃には、ビールも二杯目を飲みきり、ほんのりと酔いも回ってきた。

 根拠はないが、いけるのではないかという謎の自信も出始め、もはや祐一とこれから性的なことをするというのもごく自然な流れのように感じ始める。


「そろそろ出ましょうか」

「はい!」


 祐一の言葉に店をあとにし、そのまま近くの適当なホテルへと入ったが、違和感も羞恥心もなくなっていた。それどころか、酔いが回った孝浩はホテルの部屋を自ら選び、少し乗り気になりつつあった。

 その勢いのまま部屋に入り、一緒に風呂まで入った。

 そうして大きなベッドに転がされ、祐一にのし掛かられたあたりでようやく正気を取り戻し始めたが、もう遅い。

 これから裸になるというのに何故か着せられたバスローブは、転がされた拍子にはだけてほとんど意味をなしていないし、照明を調節する祐一はヤル気満々なのがよく分かる。

 今さら焦り始めた孝浩を知ってか知らずか、祐一が孝浩の指に指を絡める。


「最後までしないのはもちろんとして、何かNG行為はありますか?」

「え、NG……?」

「そう、キスは駄目とかフェラチオは駄目とかアナルは触らないとか」

「あ、」


 真面目な顔で言うものだから、思わず孝浩の方が赤くなってしまう。

 薄暗くなった室内ではあまりはっきりとは分からないが、祐一は愉快そうに笑っている気がした。


「それじゃあ……あ、……アナルはなしで」

「ん、了解」


 思わず小声で顔もそらした孝浩を笑った祐一は孝弘の頬に手を添えた。

 正面に戻されると目の前には祐一の顔。驚いて引こうとした孝浩を捕まえるように、頬はまだ包まれたまま。


「んっ」


 ゆっくりと重ねられた唇に思わず声が漏れた。

 何度も何度も角度を変えて口付けられる。唇を割るように優しく唇を舌でなぞられ、孝浩はそろそろと口を開けた。


「んぅっ、ん、はっ」

「ん、そう、じょうず」


 迎え入れた祐一の舌は好き勝手に口内を這い回る。

 歯列をなぞられたかと思うと、上顎を触れるか触れないかでゆるゆると擦られた。

 擽ったさと気持ちよさの中間で、思わず身を捩る。

 引っ込んだ舌を絡めとられるように引きずり出され、今度は祐一の口内へと迎え入れられた。舌先を甘噛みしたり、強弱をつけて吸ったりとここでも好きにされる。


「ん、はぁっ、んんん」


 知らず知らずに鼻にかかったような甘ったるい声が出るが気にしてる余裕はなかった。

 うまいのだ、気を抜くと全部持っていかれそうなほど祐一はうまかった。

 いつの間に耳元に移動していたのか、祐一の指先が孝浩の耳朶を弄ぶ。穴へと指を差し込まれながら触られると、口内の音が耳の中で反響して逃げ出したくなるような刺激だった。


 くちゅっといやらしい音をたてた後、唇を離した祐一はゆっくりと頭を下げた。首もとを濡れた舌でなぞられると、ぞくぞくとした快感が背中を走る。

 指先がバスローブの上から脇腹や腕、肩と優しく触れるか触れないかで這い回る。

 バスローブの胸元だけを割り開くようにはだけさせると、素肌を直接指先がなぞった。


「胸、触ったことありますか?」

「え」

「自分でするときとか、彼女にしてもらうときとか胸も弄りますか?」


 急に質問され一瞬理解が遅れる。

 胸を触ることなんてない。自分ではもちろんのことだし、彼女にはそもそも攻められたことすらなかった。

 どうにか首を左右に振る。孝浩の答えに何を思ったのか、「ふーん、そうですか」と祐一は意味ありげに答えた。


「それなら、ゆっくり触りましょうね」

「っ……」


 優しく乳輪をなぞる指先に思わず体が跳ねた。


「こうやってゆっくり回りから攻めて期待させてやると気持ちよく感じますよ」

「っぅ」

「あ、あと、声も我慢せずに出してください。出した方が気分も盛り上がって、より気持ちよくなれます」


 祐一は、業務説明をするように淡々と言葉を重ねる。話しつつも手は止めないため、体を揺らす孝浩と祐一のギャップが、異様なこの状況を孝浩に嫌というほど理解させた。


「や、いやです!」

「ん? 声を出すことがですか? どうして?」


 孝浩の顔を覗き込んだ祐一が優しく微笑む。

 かぁぁと頬に熱が集まるのを感じて、顔をそらす。言うか言わまいか逡巡したあと、いまさら恥ずかしいなんて思うこともないかと小さく息を吐いた。


「だって、女の子みたいで恥ずかしいじゃないですか」


 動きを止めた祐一を不思議に思い、視線だけで彼を見る。表情はよく分からなかったが、祐一がくすくすと笑っているのは分かった。


「そうですね。確かに僕に組み敷かれて、女の子みたいと言えばそうですが」

「っ」


 孝浩の羞恥心を煽っているのだろう。あえて状況を説明する祐一は心底楽しそうだ。


「でもいいじゃないですか。この部屋には僕ら二人しかいません。孝浩くんは何も気にせず気持ちよくなることだけを考えてください。僕も貴方を気持ちよくさせることだけ考えています」

「うー……」

「それに恥ずかしいことは気持ちいいですよ」


 耳元で囁かれ、一気に耳へと熱が集まる。そのまま無防備な耳朶に口付けられ、耳の形をなぞるように舐め上げられた。耳の中へと舌が差し込まれると、ぐちゅぐちゅとした水気を含む音が頭の中で反響して、思わず声が出る。


「そうですよ、上手です」

「んっ、やぁ、んん」


 止まっていた手も動き出すと、もう思考停止状態。

 だんだん体の力が抜けてきたところで、見計らっていたかのように胸の突起を指先がかすめた。


「あっ」


 びくりと体が跳ねる。

 電気が走ったように、頭の先から足の先まで快感が走った。

 孝浩の反応に嬉しそうに笑う祐一が、今度は先程よりもしっかりとした動きで乳首を触る。


「ん、あぁ、あっ、んぁ」


 爪先で掻いたり、指の腹で転がしたりと好き勝手にされる。

 その度にむず痒いような気持ちいいような、快感なのか何か分からないものが押し寄せる。無意識に両足を擦り合わせていると、内股をゆっくりと撫でられた。


「あぁっ!」


 と、同時に今まで優しく転がされるばかりだった突起を、きゅっと摘まれる。


「痛かったですか?」


 口調は優しげに気遣うようだが、指先は孝浩の乳首を離す様子はない。そのまま、クリクリと捏ねるように触られ、曖昧だった快感がはっきりと気持ちいいと脳内で変換された。


「やっ、もう、胸やです! んん、っあ」


 子供のように頭を左右に振る。どうにかして溜まっていく快感から逃れようとするが、全ては祐一に委ねられている。どうすることもできない。


「あぁぁ!」


 空いていた片方の乳首に温かい刺激が走る。慌てて下を見ると、祐一が孝浩のそこを舐めていた。

 何度も何度も舐め上げられたかと思うと、優しく吸い上げられる。ちゅっと卑猥な音が鳴って、恥ずかしさで目の前がくらくらする。

 孝浩の視線を感じたのか、胸元に吸い付いたまま祐一が視線を上げた。

 視線が絡まると、より一層恥ずかしくなり、痺れるような気持ちよさが襲った。

 恥ずかしいことは気持ちいい。そう言った祐一の声が蘇る。


「気持ちいいですか?」

「あっ」


 口を離した祐一に、知らず知らず名残惜しげな声が出た。

 顔から火が出そうなほど恥ずかしい孝浩には、問いかけに無言で頷くことが精一杯であったが、祐一は満足そうに笑う。

 頬にキスを落とされ、そのまま重なるだけの口づけをされた。


「気持ちよくなれてえらいですね。そのまま力抜いてて」

「ん」


 頭を撫でられ、つい声が漏れる。褒められて撫でられて、まるで子供だが、それがなんだか気持ちいい。

 そういえば、人に褒められるだなんていつぶりだろうか。祐一の優しげな声で褒められると、嬉しいし、何よりも快感が増す気がした。


 内股を撫でていた祐一の手がだんだんと内側へと上がってくる。


「うん、反応してる」

「っ!!」

「孝浩くんは快感を拾うのが上手ですね」


 指先で根本から先端までツッッとなぞりあげられ、腰がびくりと反応する。

 いつの間に取り出したのか、ローションを垂らされ、その冷たさにまたぴくりと体が揺れた。


「ゆっくりやりますね」

「っ、ん、あ、……ゆ、祐一さ」


 弱くソレを握られ、ゆるゆると上下される。止めるように祐一の名を呼ぶが、目を細めて見つめるだけで手を離す気はなさそうだった。


「はぁ、ん」


 ローションのおかげで滑りがいい分、気持ちよさも異常だ。少しずつ手のスピードを速められると、もう為すがままで喘ぐしかない。跳ねる腰を止めることもできず、祐一の手に押し付けるようになっている。


「んあ、やっ、やだっ、っあああ!」

「可愛いですね、孝浩くん」

「やだやだ、っも、……あぁ!」


 可愛い可愛いと祐一は何度も言う。快感に涙が滲む。気持ちよさでくらくらする視界には、祐一がどんな顔なのかはっきりと映らないが、声は至極楽しそうだ。

 ときおり、手を緩めたり、先を撫でたりと、動きを変える手に翻弄されっぱなしの孝浩は気付けば、「イきたい」と祐一に懇願していた。


「んやぁぁ、イきたい、……い、っかせて、も、むりっんあああ」

「イけそうですか?」

「ん、いける、ぁっ、いけるからぁっ」


 意地悪をしていたわけではないのだろう。本当に心配するような様子の祐一は、「痛かったり、辛かったら言ってください」と少しずつ手のスピードを上げた。

 祐一の優しさは嬉しかったが、それ以上に溜まった快感をどうにかしたかった。

 徐々に近づく感覚に、思わずぎゅっと体に力が入る。

 先端をグリッと擦られたとき、頭の中で何かが弾けた。


「んぁ、ああああああ!」


 入った力が抜け、ぐったりとベッドに沈み込む。

 久しぶりの絶頂に息が上がる。セックスができなくなってから、自分でするのも避けていた。こんなに気持ちいいものだっただろうかと思い出そうとするが、疲れ果てた体では頭も動かない。

 生きてきた中で一番気持ちよかった。それほどの刺激だった。

 快感で溜まっていた涙が、目尻から零れ落ちる。クリアになった視界で一番最初に見えたのは、孝浩が出したもので汚れた手をベロリと舐める祐一だった。


「え、あ、」

「ん?」

「な、なめ」

「ああ」


 絶句して言葉が出ない孝浩に、祐一は見せつけるように手の平に舌を這わす。最後に指先まで舐めあげて、先をちゅっと音を出して吸った。

 まるで口でするかのような動きに、真っ赤になった顔で口をパクパクすることしかできない。


「本当ならもう三回くらいしたいけど、疲れただろうから今日は休もうね」


 相変わらず優しく笑った祐一は汚れていない方の手で孝浩の頬を撫でた。




 それから、また一緒に風呂に入り(力の入らない孝浩を祐一が入れてくれたと言っても過言ではない)、そのまま同じ布団で朝を迎え、軽く連絡先を交換して別れた。

「いつでもその気になったら連絡して」と祐一は言っていたが、あれをもう一度と考えると恥ずかしくて死にそうになる。

 だが、頭や頬を撫でる優しい手を忘れることもできず、電話番号の書かれた紙は財布に仕舞われたままだ。

 あれから、一週間経つが祐一の存在は孝浩の中にしっかりと残っていた。

 のこるどころか忘れられるはずもない。

 だって、ぶっちゃけめちゃくちゃよかったもの!!


「なに、ぼーっとしてんの」

「あたっ」


 何かの角で頭を小突かれた。気を抜くとついつい祐一の事を考えてしまうのは良くない。

 現実に引き戻してくれた人物に少しの感謝と、痛みの恨みを感じながら振り返ると、上司の高田が資料片手に立っていた。


「これから取引先来るんだぞー、しっかりしろよー」

「すみません。でもその分厚い角で殴るのはやめてください」

「お得意様だろ、ぼんやりされちゃ困るの。起こしてやったんだからむしろ感謝しろー」


 恩着せがましくそう言った高田は笑いながら席へと戻って行った。

 実際に大事な取引先がこのあと来る予定なので、何も言い返せない。

 商談というわけではないので、緊張することもないのだが、取引先というだけで気が張る。

 それも今回は担当者の変更挨拶というのだから、なおのことだ。今までの担当者は温和なほわほわとした女性だったため、商談の席でも和やかな雰囲気があった。常にぴりぴりとした商談の場の中では、彼女は唯一の癒やしといっても過言ではない。

 その女性が産休に入るというので、担当者が変わるのだ。おめでたいこととはいえ、この状況に嘆き悲しんだのは孝浩だけではないだろう。

 悲しさ半分、嬉しさ半分。しかし、嬉しそうに幸せそうに産休を告げた女性の顔を思い出すと、孝浩まで幸せな気持ちになった。


 本当は俺も彼女にあんな顔をさせたかった。


 知らずに落ち込む思考を止めようと、手元の資料に目を向ける。

 同時に来客を知らせる内線が鳴った。




 ◆◆◆




「お待たせしまし、」


 会議室の扉を開いた孝浩は不自然に言葉を止めた。

 相手もそれは同じようで、孝浩を見たまま不自然に固まっている。


「とりあえず、お掛けください」


 なんとかそれだけ絞り出した孝浩は引き攣る頬を抑えながら、男の前に座った。


「えっと……まさかこんなところでお会いするとは」

「世の中は狭いですね」


 気まずげに言葉を発した孝浩に、男もとい祐一はさっきの硬直はどこへやら。なんてこともないように微笑みながら答える。


「新しく担当になりました、長谷川です。前任の近藤は急な体調不良で来られず申し訳ありません」

「そ、そうですか。近藤さんにお大事にとお伝えください。あ、担当の井上です」


 しどろもどろになるのをなんとか整える。白々しいほどに普通の祐一が恨めしい。

 そうだ、あの夜のことは犬に噛まれたと思って忘れてしまおう。これからは担当者として接しないといけないのだ。

 そうするのが最良のように思えた。


「あ、名刺をお渡ししてませんね」


 思い出したようにおもむろに祐一が席を立つ。

 合わせて孝浩も腰を上げる。


「改めまして長谷川です」

「頂戴いたしま、っ!」


 出された名刺を受け取ろうとした孝浩の指先を祐一の指が不自然に撫ぜる。

 思わずびくりと体を揺らした孝浩を祐一は変わらず微笑んだまま見つめている。


「これからよろしくお願いいたしますね」


 覗き込むように視線を絡めた祐一の銀縁眼鏡の奥の瞳が、妖しく鈍く光ったような気がした。


しおりを挟む

この作品の感想を投稿する


処理中です...