サイコパス

ハイブリッジ万生

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偶然

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風祭大悟が突然席を立った後暫くの間、不思議な沈黙がその場にいる誰にも破ることの出来ないジンクスの様にまとわりついていた。

刑事は見るともなく眼前に広がる透明な硝子越しの湖を見ていた。

レストランから眺望できる彩湖の湖面が突然の強風に煽られて波立つと雲間から指す太陽光線をキラキラと反射して神秘的な光景を一瞬見せた。

その絵画のような光景に一瞬心を動かされた刑事だったが、先程の大悟の黙秘の謎がそれで晴れるわけもなくモヤモヤとしたわだかまりとなって心に影を落としている。

その影を払拭するかの様に刑事と湖の間に現れた2人はにこやかにこちらに微笑んでいた。

「え?あれ?なぜここに?」

刑事は堪らずそう聞いてしまった。

普通に考えれば彼らがここに居るのはとりわけ不思議ではなく、どちらかといえば刑事がここにいる方がイレギュラーではあるのだが。

「いえ、たまたまです。2人で小腹が空いたんで来てみたら知ってる顔が何人も居たので、つい.......おじゃまでした?」

「いえいえ、お邪魔だなんて.......な、なんでしたら一緒にどうですか?」

「え?良いんですか?なにやら深刻そうな顔をしてましたけど」

「え?ええまぁ、でも、実はお2人にも十分に関係のある話ですので、出来ればご参加して貰えませんか?」

「われわれに?」

「そうです、そうです。いやぁ、本当に偶然だなぁ」

そう言って満面の笑みを浮かべる刑事を今井翼と高橋優子は訝しげに見つめ返した。







「なるほど、そういう事でしたか」

今井翼は爽やかな笑顔と同時にそういって頷いた。

「ええ、つまりこれで、教授のお誕生日会の時に居た学生全員が集まった事になるんです.......先程まで居た大悟くんを除いて」

刑事は奢ると言ったのだが、遠慮して飲み物だけ頼んだ今井翼と高橋優子を交互に見ながらそう返してぎこち無い笑顔を振り撒いた。

「まず聞いておきたいんですけど、北条みなみさんから何かしら頼まれたって事はありませんか?」

「いえ、無いですね。特に頼み事をされるほど親しくもないですし」

今井翼は言下に否定した。

「え?あ、わたしも.......特には」

高橋優子は目の前のコーンポタージュを両手で大事そうに包みながらそう答えた。

「ふむ、そうですか.......弱りましたね」

刑事は頭を抱える様な仕草をしたが、目は2人から離していなかった。

今井翼は即座に否定していて動揺している様には見えない。

もし嘘だとしたら、大した演技力と言えるだろう。

高橋優子はかなり動揺しているように見えるが.......それが、嘘をついているからなのか、元々の性格から来ているのか判然としなかった。






「では、質問を変えましょう。お2人とも、事件の夜の9時から10時までの間、何をされてました?」

「え?アリバイってことですか?」

今井翼は少しだけ驚いた顔を見せた。

高橋優子はさらに動揺したのか、肩を僅かに震えさせたのを刑事は見逃さなかった。

「いやぁ、正確な時間までは覚えてないなぁ、でもその日は演劇の練習してましたよ。ねぇ」

そう言った今井翼の最後のねぇは、高橋優子に向けての確認でもあった。

「は、はい.......たしかに、練習.......してました」

「練習、ですか?ええと、お2人だけで?」

「いやいや、もちろん他の部員も居ます、つまり、何人も居ると思いますよ。その.......証言してくれる人が」

「なるほど、わかりました。沢山の証人がいるなら安心です」

そう言って笑顔で返した刑事に今井翼は思い出した様な顔で続けた。

「あ、そうそう。そう言えば、彼女が何について意見してきたか思い出しました」

「ほう。彼女と言うと.......北条みなみさんですね?」

「ええ、そうです。確か、新しい演劇の中では太宰治の実話を入れるシーンがあるんですけどね」

「実話?どのような?」

「簡単に言うと、太宰治がとある遊び場で借金をしてしまい、そこに友人を呼び出して借金の工面に奔走する間に友人に身代わりとして人質になってもらうということがあったんです」

「え?なにそれ?走れメロスみたいな話ね」

園子が割って入った。

「ま、まあ。走れメロスの着想になったという説もあるから、まさにそうなんだけど、現実は小説ほど劇的じゃないんだよね」

「へぇ、どう違うの?」

「実は太宰治は帰っては来なかったんだ」

「えー!まじで?」

「あぁ、痺れを切らした友人が太宰に会いに行くんだが、太宰は師匠と優雅に碁を打ってるという話」

「なにそれ!酷いやつじゃない!」

「まぁね。でも今にも怒りを爆発させそうな友人を黙らせる一言をここで太宰は言うんだよね」

「ええ?そんなの無理じゃない?」

「そう思う?」

園子の聞き役としての優秀さに思わず今井翼も話がのってくる。

「思うわよ、私なら何を言われてもタンコブの1つ2つ作ってやるわ」

「そりゃ怖い」

「で、なんて言ったのよ」

「待つ身が辛いかね。待たせる身が辛いかね?と友人に聞いたそうだ」

「なにそれ、単なる開き直りじゃない」

「ま、まぁ、そうとも取れるけど、友人は心を打たれるという一幕」

「私なら心を打たれる代わりに頭を叩き返すわね」

ゴホン

堪らず刑事が咳払いをしたので二人のやり取りを聞いていた全員が刑事を見た。

「なるほど、それで.......北条さんはなんと?」

今井翼は忘れてたとばかりに変な敬礼を刑事に返した。

「そうでした。それで演出上、そのシーンを入れた後にナレーションで太宰治の心の声を入れるんですけどね」

「ほう心理描写ですね」

「はい、『しめしめ、上手く言った』と言うふうに入れるんです」

「つまり、太宰治はそういう裏の顔があったという仮説ですね」

「まぁ、そうですね。でも彼女はそのナレーションはおかしいと言って来たんです」

「ほう、ナレーションだけ?」

「そうですね。本当は全部が気に入らない様子でしたけど、最終的に部外者がそこまで口を挟めないという事もわかってるようでした」

「なるほど、譲歩してそこだけ変えて欲しいと?」

「ええ、他の部分はある意味史実と言えるのでやるかやらないかは自由ですけど、ナレーションは心の声なので事実ではないからと」

「まぁ、でも事実をやるかどうかも表現の自由といえなくもないですけど」

「確かにそうなんですよね。でもその事を言うと彼女は表現の自由で傷つく人もいるみたいな事を言い出して」

「ほう」

「それで学生同士の言い合いだと収集がつかないと思ったんで自分のアイデアはなくて教授の助言だと伝えたんです」

「教授というとつまり」

「はいそうです」





刑事はそこまで聞いて、被害者の書き残した日記の文言《もんごん》を思い出した。


【それにしてもI《アイ》のやつなんであんなにわからずやなんだ?人の気持ちを考えるという事ができない人種だ。忌々《いまいま》しいI《アイ》。変な駄洒落を思い付いてしまった。まぁ、いつか言うことを聞いてもらう、なんとしても.......】

刑事はこのI《アイ》というのが、頭文字だとして忌々しいIというのがダジャレになってしまう関係者はかなり絞られるという事にもう一度思い至った。

「あの、その後北条さんから何かしらのアプローチはありましたか?」

刑事は今井翼に気取られないようにしながらも表情の僅かな変化を見逃さない様にして質問した。

「.......いえ、教授を紹介した後は別段ありませんでした」

そう飄々と答えた顔は全く動揺というものがなかった。

やはり、犯人ではないのか?


それとも.......。


そう思案を巡らせていると、刑事の背後に誰かが立った気配がした。






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