随想

bily

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親子 2014.01.03

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年末年始を実家で過ごしている。
私、妻、息子0歳。

関東から九州まではやはり遠く、この時期は、飛行機もなかなかのお金がかかる。やはり遠のく。

赤ちゃん連れだと、なおさら、こちらも周囲も気を使う道中が目に見えていた。
(事実そうだったが)

さすがに、全く帰らないわけにもいかないので、久しぶりの帰省。
親に孫も見せねばな、と、帰省はしたが、やはり疲れた。


ただ、いざ帰ると、そこは実家。

子どもを見守る人も増えて、楽なもんです。
道中の苦労も、たまには良いのかもしれない。

長居しているうちに苦労を忘れ出し、明日には、帰路に着くのに、なんか工夫するんだったはずなのに、何だったかも忘れた。



年末年始のこの時期は、皆地元に帰るのか、散歩をすればなじみの顔に出会った。

そして、親バカな私は、息子が私に似ていると言われ、上機嫌。

出会う人、出会う人、皆、私に似ていると言ってくれた。


だけど、私の母だけは、初日から今日まで、一度も言わない。

私と息子(母からしたら孫ですが)は、やっぱり違うと言い、
私の顔はここがこうで、もっとこうで、こうだった、と。

似ているとは決して言わない。
何だろう、私からすると、ちょっと面白くない。


今も息子をだっこし、あやしている母。

流石に姉達や私を育てた上げただけあり、あやすのは上手。

よくあやしてくれているし、その様子を見るかぎり、孫のことは可愛く思っているみたいだが、ならなぜ似ていると言わないのだろう。

私が思うに、絶対に似てなくはないはず。
だって、孫と祖母で笑い合っていて、母とも似ている部類だろうから。


今も笑ってて、、、

そう言えば、母は、抱っこすると、ずっと笑顔で孫に何か話している。

なんとなく私の記憶の中にもあった、母の笑顔。
デジャブのようなその光景。

そして、気づいた、私の中での母のイメージが、その笑顔だったことに。

母は私を育てる時、それだけ私の顔を細かな点まで見てくれていたのだろうな、と。

きっと他の誰よりも見ていたのだろう。

だから、他の誰も気づかない違いがわかるのは母だけだったんだろうな、と。
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