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1.つまらない今について

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「ドリンク交換はこちらでーす。コインは当日のみ交換可能です」
 一時間半程度のライブは大団円で終わり、フロアには熱気が満ちている。客は口々にライブを感想を語り合い、フロアは騒がしい。その喧騒をかき消されないように、俺はフロアに声をかけた。俺の仕事は再開され、店長も加わって、ドリンク交換に勤しんだ。桜川はいつの間にか列整理をしている。
 ようやくドリンク交換の列が捌け終わった後、フロアは閑散として、一種の寂しさが残った。PA卓ブースやステージでは他のスタッフが片付けをしている。俺はドリンクカウンター内の片づけをしていた。
「いや、最高でしたね、マジで」
 桜川はドリンクカウンターにもたれ、プラスチックコップに入ったビールを飲んでいた。手伝ったお駄賃として、店長が一杯奢ってくれたようだ。
「ハルタさん、見てました?よくここでじっとしてられましたね」
「俺バイト中だから」
「そうなんですけど、全然盛り上がってないですよ」
「心の中では盛り上がってるって」
「なんすか、それ」
 けらけらと笑った桜川は、ビールを飲みきって、空のカップを俺に差し出す。俺はそれを受けとり、ゴミ袋へ入れた。
「なにか手伝うことあります?なかったら、俺帰りますけど」
「大丈夫、十分手伝ってもらったから」
「じゃあお疲れ様でーす」
 桜川は片手を上げて、出口へと歩いて行った。明るくて気が利く奴だ。ちなみに桜川も俺と音さんが付き合っていたことを知らない。
 俺はドリンクカウンターの片づけを終え、客のいなくなったフロアの掃除に取り掛かる。モップで掃除をしながら、落とし物がないかを確認する。案外財布やスマホが落ちていることが多い。せっかくのライブの後に悲しい気持ちにはなって欲しくない。
 モップを動かしながら、今日のライブを反芻する。アンコールで演奏していた曲は俺が知らない曲だった。音さんの指が滑らかにギターを奏で、新城さんの刻むリズムは精確でテンポよく、最後の転調での音さんの高音が綺麗に伸びていた。耳に残る演奏の余韻に、俺は浸っていた。
「その曲気に入った?」
 急に目の前に音さんが現われ、俺は驚く。モップがカランと床に倒れてしまった。俺は慌ててモップを拾い、顔を上げたところで、音さんと目が合う。ライブの時とは違う、優しい視線に、俺はじわりと頬が熱くなる。
「どの曲ですか?」
「今、鼻歌で歌ってた曲」
「俺が?鼻歌歌ってました?」
「うん。よく歌ってる」
 音さんは、ふふっと楽し気に笑った。俺に鼻歌を歌っている意識はない。完全に無意識なのだろう。
「ポチはよく鼻歌歌ってるし、作曲とかやってみれば?」
「いや、無理ですって」
 俺は首を横に振った。OTOでは俺は完全に演奏専門で、曲は音さんと新城さんが作っていた。
「案外できるもんだよ」
 音さんは手に持っていたギターケースを肩にかけた。ギターケースのポケットのチャックで、イルカの小さなキーホルダーが揺れている。そのキーホルダーはぬいぐるみのピンク色のイルカで、俺のベースのケースには、同じものが付いたままだ。捨ててくれればいいのに、と恨めしく見ながら「ライブ、お疲れ様でした」と伝える。


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