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30 いろはにほへと、散り、集まりて
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「和葉様、お手紙が届いておりますよ。」
仲居から手紙を受け取る。従兄弟の和穂に連れられ、実家の佐倉屋に戻った。天野 桂樹が起こした件は知られる事はなく、加賀美屋の旦那様が白露の偽造をしてお咎めを受けた、と言い「そんなところで働く事はないよ、うちの店を手伝いなさい。」と父親に言われ乾物問屋を手伝う事になった。
しかし、喜船で習得した料理の腕前がぼろぼろと出て言い訳に困った頃、和穂に「和葉は懇意にしていた料亭の丁稚と仲良くなって、板前を教えてもらったそうですよ。」と、口添えしてもらい、その腕を買われ温泉旅館の方で働かせてもらう事になった。
「和葉、本当に修行したくらいにお上手ね。」
叔母に褒められ顔が緩む。嫌々始めた喜船の奉公も無駄ではなかったな。
「そういえば、和葉も十六歳でしょ。このまま佐倉屋の料理長補佐になるのなら、お嫁さんもらったら?」
「お嫁さん、ですか。」
喜船にいる頃から出ていた話だ。しかし、喜船の奉公としてなのか、加賀美屋の奉公としてなのか…どっちで縁談をして良いものかと悩んでいたので先延ばしにしていた。
「良い人がいれば…。」
その返事に叔母はにやりと笑う。目星いい人がいるのだろうか…?
「常連さんの知り合いの娘さんなんだけどね、会ってみない?」
その娘さんは東の国のお米屋さんの三番目。上のお姉さんは十九歳、お兄さんは十六歳とボクと同い年。その娘さんは十四歳と歳下であった。次女であるにも関わらずどうしても婿が欲しいと言っていて、それを聞いた常連さんが次男であるボクの話をしたという。すると是非にと返事があったそうで、東の国と遠い所から改めて話を持ってきたのだという。
「どうしても和葉が良いみたいよ?可愛らしいお嬢さんみたいだし、お家も大きなお米屋さんだっていうし。また引っ越しする事になるけれど、いいんじゃないかしら。」
本当に、(引っ越し)ばかりの人生だ。最後の引っ越しにしたいな。
「う、うん。会ってみるよ…うん。」
和葉は再び旅支度をして東の国に向かった。旅は慣れた。東の国に行くのなら葵一のところに顔を出そう。
葵一の勤め先、梅辰に縁談の前の日に伺うと手紙を出した。それから一週間後、ボクは東の国へ発った。
(梅辰、梅辰…。あっ、ここかな。)
「め、飯屋?え…?」
昼に着いたその店には、狭い店内に屈強な男達がひしめき合い、片手に大きな丼飯と山盛りの煮物や大きな焼き魚、味噌汁、漬物を次から次へと頬張り夢中で食べている。
「おかみさん、飯お替りっ」
「はいよ、葵一、味噌汁まだあるかね?」
「ない、夜の分の野菜汁出すか。」
「葵一、それに味噌溶いて温めてくれ。焼き魚あがったよ。」
「はい。…ん?ケイキ!」
店内入り口で棒立ちになるケイキに気付き、葵一が声を掛けた。
「あっ、葵一。い…忙しいのに悪いね。後で来るよ。」
「もう少ししたらだいぶ引けるから、待ってて!」
そう言われて店の外に出る。いつか小間物屋を探し歩いた街。その、一本中に入ったところにある梅辰は大工や出稼ぎ労働者など、独り身の男達の飯処なのだろう。引けると言われても尚、次から次へと客が入っていく。料理を出す店なのだとは思っていたが、まさか飯屋だったとは…。
「おかみさん、お茶くれ。」
「俺、焼き魚定食ね。大盛りで。」
「お替りまだー?時間ねぇんだ早くっ。」
忙しそうだなぁ…。ふと、手に持つ荷物の端から前掛けの紐が出ているのに気付く。葵一と一緒に料理ができたらな、と持参していたのである。
ケイキは前掛けを引っ張り出し身に付け、荷物を店内の酒樽の上に放り厨房に入った。
「おっ、若いの。飯のお替りくれよ、」
「かしこまりました、大盛りでよらしいですか。」
そう言って丼を受け取りお櫃から飯を盛る。
「はい、お待ちどう様でした。」
「何だぁ?畏まった言葉遣いなんかしやがって。」
丼飯を受け取った大工の男が怪訝な表情で言った。
「えっ?い…いいよ、いいよ手伝わなくて、」
ケイキが接客しているのに気付き、葵一が味噌汁を掻き回しながら言った。
「いいんだ、手伝わせてよ。無茶な事はしないからさ。」
「悪いわねぇ、ちょっとそこの小皿取ってくれる?…ってか、どこのお坊ちゃんよ?」
小皿を受け取った理代が、改めてケイキをまじまじと見る。しかし、質問に答えている暇はない。次から次へと客が来て、注文を取り、作り、片付けをしてまた客が来る。そこにケイキが入り注文を取り、飯、味噌汁を準備し盆に乗せる。注文を受けた定食のおかずを光吉と葵一が作り皿に盛る。おかずと漬物を乗せて出来上がった盆をケイキ、理代が配膳する。後は理代がお会計をし食べた後の片付けをして「ありがとうございました。いらっしゃいっ。」を繰り返す。面白いように店内は上手く回り、いつもよりだいぶ多く来た客を捌き切る事ができた。
「ありがとよ、今日は何でったってこんなに客が来たのかね。」
「町の隣りの村の、大規模な普請(工事)が始まったのよ。来週って言ってたけど早まったのね。あぁ…。」
ぐったりと疲れた光吉と理代を横目に、自分達の昼飯を用意する葵一がケイキに丼飯を渡す。
「え、ボクこんなに食べられないよ、」
「食えるよ、うちの出す料理は美味いんだぜ。腹がいっぱいでも箸が出るんだよ。」
小上がりのお膳に丼とさほどかわらないお椀の味噌汁と大盛りの漬物、大皿のまま運ばれた(人参、蓮根、里芋、こんにゃく、椎茸、さやえんどう)を醤油と砂糖で甘辛く煮付けた煮物が、ドンッと目の前に置かれた。更に、脂がじゅうじゅうと音を立てている鯵の干物が三皿並べられた。
「いつもより豪華じゃねぇか。美味そうだなぁ。」
「ケイキが来てくれたお陰で昼飯で一日分くらい儲けが出たよ。お礼に…いいよな親父。」
「かまない、かまない(構わない)。食え、食え。」
光吉はそう言いながら既に口いっぱいに飯を掻き込んでいる。理代もお茶を淹れながらケイキに食べるよう勧める。
「ケイキくん、って言うの?葵一とはどういったお友達なのかしら。」
「あ、葵一…さんが、柿谷にいた頃、ボ、ボクが西の国の料亭で働いていまして。その、指南で一緒に。」
「そうだったの。なら、結構前からの知り合いなのね?この子ったら何も話さないんだから。」
理代が煮物に箸を伸ばした葵一の額を叩く。「痛てっ。」と言って、理代の小皿に人参を放った。
「嫌な子、嫌いな物だってわかっててこういう事するんだからっ。」
理代の人参に、光吉が笑いながら箸を刺す。
「俺が食ってやるよ、葵一そんなんじゃ好きな女に嫌われるぞ。」
「うるせぇな、そんなんいねぇよ。」
仲の良い家族だなぁ。ボクの家とは違う、何かほんわかとした雰囲気。
「うちはね、親子でこの店やってるのよ。料亭の修行したのに飯屋で働くなんて、ね。驚いたでしょ。」
はい。とは言えない。
「い、いえ。家族みんなで働けるなんて…羨ましいです。」
「ケイキくんのお家は何をしてるの?」
干物の身を箸でせせりながら理代が聞く。
「乾物問屋です。今は親戚の家の温泉旅館に、」
「…?あやめのとこに似てるわね?もしかして、遠原さん?」
「えっ、はい。」
「おいおい、何だよ?あやめに何かあったのか?」
「い、いや違います。あやめさんは確かに従兄弟のお嫁さんで。でも、ボクは一回皆様と会ってるんですが…その、あやめさんの婚礼で。」
「あっ。」「あっ。」
…思い出してくれた。
「そうね…あなた、いたわねぇ。ごめんなさいね?」
「お前のせいで祝言駄目になったんだったなぁ。せっかく作ったご馳走が、ぱぁ、だぜ。」
「す、すみません。本当に申し訳ありませんでした。」
「いいのよ、あの祝膳だって初めに作ったやつ、納得してなかったじゃない。遅刻したお陰で葵一が美味しいっていう物が作れたんだから。」
理代が笑いながら、ああだった、こうだったと思い出話を話した。それから少し落ち着いた声で、光吉と目を合わせてから話し始めた。
「葵一はね、小さい頃から…離乳食を食べ始めたくらいから変わった子でね。」
飯を食っていた葵一も、箸を止め理代の目を見る。
「匂いや味にやたら敏感で。前とちょっと違うだけで食べないし、嫌がるしで大変だったの。大きくなったら多少は良くなるかと思ったら逆で。」
「本当になぁ…飯屋といっても人様から銭貰ってやってるんだ。その飯屋の店主が作る料理を臭いだの、味が違うだの文句ばっかり言ってよ。参ったよ。」
そう言いながらも光吉は笑っている。
「色々作ってあげても、買ってきた物を食べさせても美味しいって言わなくてね…それでね、天下の料亭、(柿谷)に奉公に行って、美味しい物とはこういう物で、こうやって作ってるのよって経験してきて欲しくてね。」
そうだったのか。ボクとは違う意図だったんだなぁ…。
「まぁ、結果的には飯屋に戻って柿谷とは比べ物にならねぇ飯作ってんじゃぁ、なぁ。」
お茶を飲みながら、少し悔しそうな、でも嬉しそうに光吉が言った。
「葵一さんは指南で味当ての問題を全問正解していました。小さい頃から凄かったのですね。」
「そういう時は持て囃されるけど、ふつうに生活してる分には不便でしかなかったよ。変な味だな、って思っても俺以外は気付かないし、そんなもんかって出した料理が不味いって言われたりさ。最近はふつうの人の感覚もわかってきたから、楽にはなったけどね。」
(神の舌)も、苦労したんだ…。ケイキは葵一の遠い存在だと感じていた部分に、若干の親近感を感じた。
「で、お前さんは何用で東の国まで来たんだ?まさか飯屋を手伝うために来たんじゃねぇもんな?」
悪戯っぽく光吉が尋ねる。
「あ、あの…え、縁談に…。」
「えっ?」「結婚するのか。」「縁談?」
一斉に大声で言われる。反応が一緒、親子だなぁ…。
「はい。お米屋さんの娘さんが是非に、と言ってくれて。取り敢えず会ってこいと、叔父と一緒に来ました。縁談は明日、柿谷で行うんです。」
「あらまぁ。葵一、先越されたわね。」
「うるせぇな。結婚なんて競うもんじゃないだろ。」
「お市婆ちゃんの曾孫だろ?可愛いよな。早く好きだって言っちゃえよ。取られるぞ?」
「お婆ちゃんとこ、男の子もいたわよね、ふふっ。」
好きな女の子がいるのか。好きな子と結婚するっていいだろうなぁ。ボクは、明日会う子を好きになれるだろうか。
「お米屋さんて、何処のお米屋さん?柿谷でやるって事はここら辺?」
「いや、少し遠くの。黒村さんというところのお米屋さんです。」
「…黒村?黒村って。」
「蒼助さんの妹さんのところよね?」
「…末娘の色葉ちゃん?」
「はい、黒村 色葉さんです。そ、蒼助さんとは、どちら様で?」
三人が顔を見合わせる。何か良くない事でもあるのだろうか。
「うちの遠い親戚なのよ。あやめもそうだけど、また親戚が増えるわねっ!」
途端喜び声を上げた。葵一もにこっと笑って見せた。葵一と親戚になるのか…。
色葉の母親、黒村 安記は蒼助の妹で安森家の人間である。遠原の事は蒼助から聞き知っていたが、遥か遠い親戚だし血は薄い、問題ないわよ、とケロッと言った。
安記と色葉は、近所の知れたお店の息子を婿にもらうのを嫌がっていた。ならば、と南の国の乾物問屋の息子はどうだ、と断られる前提で話をしたら、「そこにする!」と、即決されてしまった。しかも聞いたら次男もいる。安記母娘はノリノリになった。蒼助は和葉の事もよく知っている。わざわざ件(くだん)の人物を婿にもらう事はない、と安記を諭したが聞く耳を持たず、「取り敢えず、会う。」と、縁談の日取りを決めていた。話をまとめる気満々じゃないか…。
「街ではちょっと有名な、素敵な顔立ちの息子さんなんですってよ。ここらの芋男なんて色葉に釣り合わないわ。」
「婿に来てくれるだけでいいだろう。長男も是非、って言ってる家もあるんだろ?」
「色葉が嫌だって言うのに結婚なんてさせられないわよ。いいじゃない、遠原 和葉さん?名前も素敵だし、紺屋に勤めてたあやめちゃんの婚家でしょ?安心だわ。」
安記は相変わらず人の言う事は聞かないし、我儘だし頑固だ。娘の色葉は残念ながら、そんな安記の遺伝子をがっつり受け継いでしまった。見た目が美しくてもこれでは遠原 和葉もげんなりするだろう。
「結納の日取り、決まったわよ。」
…嘘だろ。
「和葉さん、ここら辺にはいない素敵な方だったわぁ。」
頬を赤くし色葉が浮かれる。きっと柿谷の座敷では猫を被っていたのだろう。遠原 和葉の今後の人生を不安視した。
仲居から手紙を受け取る。従兄弟の和穂に連れられ、実家の佐倉屋に戻った。天野 桂樹が起こした件は知られる事はなく、加賀美屋の旦那様が白露の偽造をしてお咎めを受けた、と言い「そんなところで働く事はないよ、うちの店を手伝いなさい。」と父親に言われ乾物問屋を手伝う事になった。
しかし、喜船で習得した料理の腕前がぼろぼろと出て言い訳に困った頃、和穂に「和葉は懇意にしていた料亭の丁稚と仲良くなって、板前を教えてもらったそうですよ。」と、口添えしてもらい、その腕を買われ温泉旅館の方で働かせてもらう事になった。
「和葉、本当に修行したくらいにお上手ね。」
叔母に褒められ顔が緩む。嫌々始めた喜船の奉公も無駄ではなかったな。
「そういえば、和葉も十六歳でしょ。このまま佐倉屋の料理長補佐になるのなら、お嫁さんもらったら?」
「お嫁さん、ですか。」
喜船にいる頃から出ていた話だ。しかし、喜船の奉公としてなのか、加賀美屋の奉公としてなのか…どっちで縁談をして良いものかと悩んでいたので先延ばしにしていた。
「良い人がいれば…。」
その返事に叔母はにやりと笑う。目星いい人がいるのだろうか…?
「常連さんの知り合いの娘さんなんだけどね、会ってみない?」
その娘さんは東の国のお米屋さんの三番目。上のお姉さんは十九歳、お兄さんは十六歳とボクと同い年。その娘さんは十四歳と歳下であった。次女であるにも関わらずどうしても婿が欲しいと言っていて、それを聞いた常連さんが次男であるボクの話をしたという。すると是非にと返事があったそうで、東の国と遠い所から改めて話を持ってきたのだという。
「どうしても和葉が良いみたいよ?可愛らしいお嬢さんみたいだし、お家も大きなお米屋さんだっていうし。また引っ越しする事になるけれど、いいんじゃないかしら。」
本当に、(引っ越し)ばかりの人生だ。最後の引っ越しにしたいな。
「う、うん。会ってみるよ…うん。」
和葉は再び旅支度をして東の国に向かった。旅は慣れた。東の国に行くのなら葵一のところに顔を出そう。
葵一の勤め先、梅辰に縁談の前の日に伺うと手紙を出した。それから一週間後、ボクは東の国へ発った。
(梅辰、梅辰…。あっ、ここかな。)
「め、飯屋?え…?」
昼に着いたその店には、狭い店内に屈強な男達がひしめき合い、片手に大きな丼飯と山盛りの煮物や大きな焼き魚、味噌汁、漬物を次から次へと頬張り夢中で食べている。
「おかみさん、飯お替りっ」
「はいよ、葵一、味噌汁まだあるかね?」
「ない、夜の分の野菜汁出すか。」
「葵一、それに味噌溶いて温めてくれ。焼き魚あがったよ。」
「はい。…ん?ケイキ!」
店内入り口で棒立ちになるケイキに気付き、葵一が声を掛けた。
「あっ、葵一。い…忙しいのに悪いね。後で来るよ。」
「もう少ししたらだいぶ引けるから、待ってて!」
そう言われて店の外に出る。いつか小間物屋を探し歩いた街。その、一本中に入ったところにある梅辰は大工や出稼ぎ労働者など、独り身の男達の飯処なのだろう。引けると言われても尚、次から次へと客が入っていく。料理を出す店なのだとは思っていたが、まさか飯屋だったとは…。
「おかみさん、お茶くれ。」
「俺、焼き魚定食ね。大盛りで。」
「お替りまだー?時間ねぇんだ早くっ。」
忙しそうだなぁ…。ふと、手に持つ荷物の端から前掛けの紐が出ているのに気付く。葵一と一緒に料理ができたらな、と持参していたのである。
ケイキは前掛けを引っ張り出し身に付け、荷物を店内の酒樽の上に放り厨房に入った。
「おっ、若いの。飯のお替りくれよ、」
「かしこまりました、大盛りでよらしいですか。」
そう言って丼を受け取りお櫃から飯を盛る。
「はい、お待ちどう様でした。」
「何だぁ?畏まった言葉遣いなんかしやがって。」
丼飯を受け取った大工の男が怪訝な表情で言った。
「えっ?い…いいよ、いいよ手伝わなくて、」
ケイキが接客しているのに気付き、葵一が味噌汁を掻き回しながら言った。
「いいんだ、手伝わせてよ。無茶な事はしないからさ。」
「悪いわねぇ、ちょっとそこの小皿取ってくれる?…ってか、どこのお坊ちゃんよ?」
小皿を受け取った理代が、改めてケイキをまじまじと見る。しかし、質問に答えている暇はない。次から次へと客が来て、注文を取り、作り、片付けをしてまた客が来る。そこにケイキが入り注文を取り、飯、味噌汁を準備し盆に乗せる。注文を受けた定食のおかずを光吉と葵一が作り皿に盛る。おかずと漬物を乗せて出来上がった盆をケイキ、理代が配膳する。後は理代がお会計をし食べた後の片付けをして「ありがとうございました。いらっしゃいっ。」を繰り返す。面白いように店内は上手く回り、いつもよりだいぶ多く来た客を捌き切る事ができた。
「ありがとよ、今日は何でったってこんなに客が来たのかね。」
「町の隣りの村の、大規模な普請(工事)が始まったのよ。来週って言ってたけど早まったのね。あぁ…。」
ぐったりと疲れた光吉と理代を横目に、自分達の昼飯を用意する葵一がケイキに丼飯を渡す。
「え、ボクこんなに食べられないよ、」
「食えるよ、うちの出す料理は美味いんだぜ。腹がいっぱいでも箸が出るんだよ。」
小上がりのお膳に丼とさほどかわらないお椀の味噌汁と大盛りの漬物、大皿のまま運ばれた(人参、蓮根、里芋、こんにゃく、椎茸、さやえんどう)を醤油と砂糖で甘辛く煮付けた煮物が、ドンッと目の前に置かれた。更に、脂がじゅうじゅうと音を立てている鯵の干物が三皿並べられた。
「いつもより豪華じゃねぇか。美味そうだなぁ。」
「ケイキが来てくれたお陰で昼飯で一日分くらい儲けが出たよ。お礼に…いいよな親父。」
「かまない、かまない(構わない)。食え、食え。」
光吉はそう言いながら既に口いっぱいに飯を掻き込んでいる。理代もお茶を淹れながらケイキに食べるよう勧める。
「ケイキくん、って言うの?葵一とはどういったお友達なのかしら。」
「あ、葵一…さんが、柿谷にいた頃、ボ、ボクが西の国の料亭で働いていまして。その、指南で一緒に。」
「そうだったの。なら、結構前からの知り合いなのね?この子ったら何も話さないんだから。」
理代が煮物に箸を伸ばした葵一の額を叩く。「痛てっ。」と言って、理代の小皿に人参を放った。
「嫌な子、嫌いな物だってわかっててこういう事するんだからっ。」
理代の人参に、光吉が笑いながら箸を刺す。
「俺が食ってやるよ、葵一そんなんじゃ好きな女に嫌われるぞ。」
「うるせぇな、そんなんいねぇよ。」
仲の良い家族だなぁ。ボクの家とは違う、何かほんわかとした雰囲気。
「うちはね、親子でこの店やってるのよ。料亭の修行したのに飯屋で働くなんて、ね。驚いたでしょ。」
はい。とは言えない。
「い、いえ。家族みんなで働けるなんて…羨ましいです。」
「ケイキくんのお家は何をしてるの?」
干物の身を箸でせせりながら理代が聞く。
「乾物問屋です。今は親戚の家の温泉旅館に、」
「…?あやめのとこに似てるわね?もしかして、遠原さん?」
「えっ、はい。」
「おいおい、何だよ?あやめに何かあったのか?」
「い、いや違います。あやめさんは確かに従兄弟のお嫁さんで。でも、ボクは一回皆様と会ってるんですが…その、あやめさんの婚礼で。」
「あっ。」「あっ。」
…思い出してくれた。
「そうね…あなた、いたわねぇ。ごめんなさいね?」
「お前のせいで祝言駄目になったんだったなぁ。せっかく作ったご馳走が、ぱぁ、だぜ。」
「す、すみません。本当に申し訳ありませんでした。」
「いいのよ、あの祝膳だって初めに作ったやつ、納得してなかったじゃない。遅刻したお陰で葵一が美味しいっていう物が作れたんだから。」
理代が笑いながら、ああだった、こうだったと思い出話を話した。それから少し落ち着いた声で、光吉と目を合わせてから話し始めた。
「葵一はね、小さい頃から…離乳食を食べ始めたくらいから変わった子でね。」
飯を食っていた葵一も、箸を止め理代の目を見る。
「匂いや味にやたら敏感で。前とちょっと違うだけで食べないし、嫌がるしで大変だったの。大きくなったら多少は良くなるかと思ったら逆で。」
「本当になぁ…飯屋といっても人様から銭貰ってやってるんだ。その飯屋の店主が作る料理を臭いだの、味が違うだの文句ばっかり言ってよ。参ったよ。」
そう言いながらも光吉は笑っている。
「色々作ってあげても、買ってきた物を食べさせても美味しいって言わなくてね…それでね、天下の料亭、(柿谷)に奉公に行って、美味しい物とはこういう物で、こうやって作ってるのよって経験してきて欲しくてね。」
そうだったのか。ボクとは違う意図だったんだなぁ…。
「まぁ、結果的には飯屋に戻って柿谷とは比べ物にならねぇ飯作ってんじゃぁ、なぁ。」
お茶を飲みながら、少し悔しそうな、でも嬉しそうに光吉が言った。
「葵一さんは指南で味当ての問題を全問正解していました。小さい頃から凄かったのですね。」
「そういう時は持て囃されるけど、ふつうに生活してる分には不便でしかなかったよ。変な味だな、って思っても俺以外は気付かないし、そんなもんかって出した料理が不味いって言われたりさ。最近はふつうの人の感覚もわかってきたから、楽にはなったけどね。」
(神の舌)も、苦労したんだ…。ケイキは葵一の遠い存在だと感じていた部分に、若干の親近感を感じた。
「で、お前さんは何用で東の国まで来たんだ?まさか飯屋を手伝うために来たんじゃねぇもんな?」
悪戯っぽく光吉が尋ねる。
「あ、あの…え、縁談に…。」
「えっ?」「結婚するのか。」「縁談?」
一斉に大声で言われる。反応が一緒、親子だなぁ…。
「はい。お米屋さんの娘さんが是非に、と言ってくれて。取り敢えず会ってこいと、叔父と一緒に来ました。縁談は明日、柿谷で行うんです。」
「あらまぁ。葵一、先越されたわね。」
「うるせぇな。結婚なんて競うもんじゃないだろ。」
「お市婆ちゃんの曾孫だろ?可愛いよな。早く好きだって言っちゃえよ。取られるぞ?」
「お婆ちゃんとこ、男の子もいたわよね、ふふっ。」
好きな女の子がいるのか。好きな子と結婚するっていいだろうなぁ。ボクは、明日会う子を好きになれるだろうか。
「お米屋さんて、何処のお米屋さん?柿谷でやるって事はここら辺?」
「いや、少し遠くの。黒村さんというところのお米屋さんです。」
「…黒村?黒村って。」
「蒼助さんの妹さんのところよね?」
「…末娘の色葉ちゃん?」
「はい、黒村 色葉さんです。そ、蒼助さんとは、どちら様で?」
三人が顔を見合わせる。何か良くない事でもあるのだろうか。
「うちの遠い親戚なのよ。あやめもそうだけど、また親戚が増えるわねっ!」
途端喜び声を上げた。葵一もにこっと笑って見せた。葵一と親戚になるのか…。
色葉の母親、黒村 安記は蒼助の妹で安森家の人間である。遠原の事は蒼助から聞き知っていたが、遥か遠い親戚だし血は薄い、問題ないわよ、とケロッと言った。
安記と色葉は、近所の知れたお店の息子を婿にもらうのを嫌がっていた。ならば、と南の国の乾物問屋の息子はどうだ、と断られる前提で話をしたら、「そこにする!」と、即決されてしまった。しかも聞いたら次男もいる。安記母娘はノリノリになった。蒼助は和葉の事もよく知っている。わざわざ件(くだん)の人物を婿にもらう事はない、と安記を諭したが聞く耳を持たず、「取り敢えず、会う。」と、縁談の日取りを決めていた。話をまとめる気満々じゃないか…。
「街ではちょっと有名な、素敵な顔立ちの息子さんなんですってよ。ここらの芋男なんて色葉に釣り合わないわ。」
「婿に来てくれるだけでいいだろう。長男も是非、って言ってる家もあるんだろ?」
「色葉が嫌だって言うのに結婚なんてさせられないわよ。いいじゃない、遠原 和葉さん?名前も素敵だし、紺屋に勤めてたあやめちゃんの婚家でしょ?安心だわ。」
安記は相変わらず人の言う事は聞かないし、我儘だし頑固だ。娘の色葉は残念ながら、そんな安記の遺伝子をがっつり受け継いでしまった。見た目が美しくてもこれでは遠原 和葉もげんなりするだろう。
「結納の日取り、決まったわよ。」
…嘘だろ。
「和葉さん、ここら辺にはいない素敵な方だったわぁ。」
頬を赤くし色葉が浮かれる。きっと柿谷の座敷では猫を被っていたのだろう。遠原 和葉の今後の人生を不安視した。
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