脛の傷と

三毛狐

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 どうしましょう。こんな姿で大丈夫かしら。ここまで来たらやるしかないわ。
 コンコンとノックをすると、ドアを開け旦那様が現れた。
 こんにちは。道に迷ってしまったのです。泊めていただけませんか。
 流石ね。こんなに怪しい女でも助けてくれるのね。
 いくらでも泊まって良いだなんて、私はここで一生を暮らすわ。
 でも2人で暮らすなら薪の売上だけでは心もとないわね。
 あら、機織機。そう、昔から家にあって、今は使ってないの。
 お願いがあります。機織機で反物を織らせてください。
 はい、いいのですね。大丈夫、私も覚悟があります。
 え、やるなら材料が沢山ある?
 よく売ろうとしませんでしたね。価値があると思わなかった? そうですか。
 とにかく、機織機があり、押入れに大量の糸があり、道具を使いこなす腕もある。
 任せてください。良いモノを仕上げますよ。
 え、手伝う?
 そうですね。糸はあるし、覚悟も無駄になったし、引き篭もる意味もないから二人で共同作業をしましょうか。
 カタン、カタン、カタン。
 翌日から二人で奏でる静かな音が、簡素な木造の家の中に響く。 
 程無く反物を数反こしらえた。
 旦那様が町へ持ち込むと呉服屋で良い値が付いたようで、代わりに米や味噌を買って帰ってきた。
 良かった。まだまだ材料はあるし、何の不安もないわね。
 そんな生活を幾月か過す。
 あら、足袋で隠していたのに気が付いていたのですか。
 いつも足袋だけ脱がないから? それもそうね。
 はい、もう大丈夫。脛にあった傷はもう癒えました。
 旦那様が優しく撫でてくれるそこに傷はもうない。
 いつか罠に掛かって旦那様に助けていただいたあの絆の証は、脛の傷から新しい関係性へと変わっていた。
 
 ここが例の反物屋ですかい。
 昔は近くの町の呉服屋に持ち込んでいたらしいが、最近では取り扱いたい商人が直接ここへ買い付けに人を遣すという。
 最初はちんけな小屋から始めたと聞いちゃいるが、想像できませんなあ。
 今では寝泊りできる宿も併設された、すっかり行商人たちにも有名な中継地点だ。
 どうも何代か前は腕の良い製糸職人だったらしく、その時の糸の在庫が大量にみつかったらしい。
 しかも何処で捕まえたのかべっぴんの奥方が織物の腕に長けた方だったようで、あれよあれよという間に蔵まで建てちまいやがった。
 今ではお殿様もこの店の品を愛用してるってんだから驚きだ。
 あやかりてぇなぁ。
 薪を集める体力も、銃の腕もねぇからなぁ。
 あっしは罠一筋でなあ。
 もっぱら猪が相手だが、前にいちど鶴も引っ掛けた。
 が、逃げちまいやがったからなぁ。
 暴れたのか抜けた羽が幾枚も落ちていて、あれは綺麗だったなぁ、ちくしょう。
 おっと。
 いけね、店のでかさに見惚れて足首を捻っちまった。
 痛ぇなぁ。ああ、そこの人、ちょっと手を貸してくれないかい。
 そうなんだ。捻っちまって。え、お医者さんかい、それは助かる。
 そうッ、そこが痛、イタタタタ、痛いって、だから。
 え、折れてる? 脛の辺りにもヒビが?
 なんてこった。こんな足じゃ仕事も碌な事にならねぇ。
 もっとましな仕事に、転職するかな。
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