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10、猟犬リリィは帰れない

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「被告人は前へ」

 ユリウス・バルディと名乗った審判者は、仰々しい黒衣に身を包み、頭にはその地位を現すような金の刺繍が施された黒い冠をかぶっていた。
 そして立っていると、とても旅行者には見えず神々しさすら感じられる。
 彼のその静かな声を前にして、ユーゴは優雅に、そして堂々と胸を張って前へと進み出た。
 周囲からはわずかなざわめきが起こる。
 ユーゴの被告人らしからぬ物怖じしない態度がその要因だろう。

 ここは教会の敷地内に存在する建物だった。『審判の塔』と呼ばれるドーム状のそこはいわゆる裁判所だ。中央を広く開けて周囲を円状に座席が連なり、被告人とそれに対面するように立つ審判者のことを彼らは見下ろしていた。
 その中には当然のような顔をしてジュールがいた。彼は訴えを起こした人間だからか、それとも次期領主候補であるという権威ゆえか、審判者の丁度背後に位置する席で高みの見物を決め込んでいるようだった。
 それを睨みながら、リリィはぎゅっと力を込めてユーゴの掌を握った。
 その掌は熱く、どくどくといつになく素早く鼓動が脈打っていることが伝わってくる。
 虚勢を張っているのだ、リリィにはわかる。
 今から衆人環視の処刑場へと行くのだ。怖くないはずがない。
 しかしユーゴの表情を盗み見ても、その瞳は真っ直ぐと前を向いていて、つゆほども動揺を悟らせない、いつも通りのすまし顔だった。

 そのまま二人は手を繋ぎ、審判の席へと歩んでいく。
 この場の中央に鎮座する真実の腕輪の前へと立った。
 それはその仰々しい名前と無駄に飾り付けられた卓にうやうやしく置かれているわりには、随分と質素で古ぼけた鉄色をした腕輪だった。
 まるで籠手のようにすっぽりと手首を覆ってしまうようなそれは、古びているとはいえど多少暴れたぐらいでは壊れそうにない厚みを有している。

「審議に関係のない者は控えなさい」

 ユーゴの手を握り隣に立つ莉々子に対してユリウスが眉を顰めて苦言を呈した。
 けれどリリィはユーゴの手を離さない。
 一際力強くその手を両手で握りしめると、その場から動かないと主張するように座り込み、俯いて強く首を横へと振った。

「君……」
「いいえ、動きません」

 困惑したような声を遮って、リリィは顔を上げる。
 ユリウスを見つめる目が涙で潤んでいるのが自身でもわかった。

「あんまりではありませんか。わずか13歳の子どもをこのような場に一人で引きづり出すだなんて……。お願いします、審判者様。私は何も邪魔を致しません。一言も口を利きません。声を発した瞬間にこの首を切り落としていただいてかまいません。ですからどうか、こうして弟の手を握らせて欲しいのです」

 それしか、リリィに出来ることはもはやないのだ。
 どちらにせよ、リリィはユーゴと運命共同体だ。彼の虚偽が暴かれればリリィの身柄もどうなるかわからない。もしかしたら騙されていた被害者として保護される可能性もあるかも知れない。けれどもはや、ただ一人で助かろうなどとはリリィには考えられなかった。

(ユーゴ様がここで負けるのならば、私もここで一緒に負けよう)

 目の前の審判者の目をしめった目で睨みつけ、リリィはユーゴの脈拍の音だけを掌で感じていた。

「……いいだろう。衛兵」

 ユリウスの合図と共に周囲を固めていた衛兵のうちの一部が少し距離を取った状態だがリリィへと槍の先を向ける。

「この場にいることを許可する。けれど君が先程言った通り、これより先の審議で一言でも声を発した瞬間に君の首を串刺しにする。……いいね?」

 リリィは黙って首を引いて頷いた。
 ユーゴの左手が、真実の腕輪へと入れられる。
 リリィは残されたユーゴの右手を握りしめたまま、それを見上げていた。
 がちり、と音がして真実の腕輪が収縮し、ユーゴの腕を閉じ込めてしまった。

「では、これより審理を始める」

 意外にも朗々とした優美な声をユリウスは発した。
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