天狐あやかし秘譚

Kalra

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第10話:疱瘡神

第40章:一殺多生(いっさつたしょう)

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♡ーーーーー♡
【一殺多生】一人の悪人を犠牲にして、多数の者を救い生かすこと。
悪人ひとりの命で大勢救えるなら、そっちのほうがいいじゃん、みたいな。ホント!?
♡ーーーーー♡

「いつまで、閉じ込めておく気だ?」
男は天井を仰いで言った。
「あんなところに閉じ込めたって、無駄だってこと、あんたも分かってるはずだろう?」
大きく重厚な木造りの平机を間に挟んで二人の男が対峙していた。ひとりは今発言した30代前半くらいの男。顔の半分が赤黒く、醜く爛れている。室内だというのに、漆黒のコートを脱ぎもしていなかった。

その男と向かい合う、もうひとりの男とは、この家の主、名越だった。
「貴様・・・よくもぬけぬけと・・・」
忌々しそうに唇を噛む。だが、名越は理解していた。たとえ自分がこの男に襲いかかったとしても、全く勝負にならないということを。

「逃げ回ってるみたいだが、結局、お前は選ばなきゃいけないんだよ。
 自分の命を捨てて、村人の命を救うか、
 自分可愛さに、村人を犠牲にするか。
 いや、村人だけじゃ済まないかもしれないねえ・・・
 日本中で、何人死ぬか?何百人?いいや・・・何万人かもなあ」

くっくっく・・・男は嗤う。その目は嗜虐心に満ちていた。

「あ、そうそう・・・もうすぐここに陰陽師がくるよ。
 そいつらが来るまでに決断しなきゃ・・・あんたは何もかも失うだろうなあ。
 そうだよ・・・そう、俺を見捨ててまで救おうとした・・・
 いちばん、いちばん大事にしている・・・娘すらね」

男は立ち上がり嗤った。
名越は、膝の上で拳を握りしめ、身を震わせることしかできなかった。

☆☆☆
「さて、あれが中類村なんやが・・・」
瀬良が車を止めると、土御門が前方を指し示した。

「綾音はん・・・大丈夫なん?」
半ば呆れたような顔でこちらを見る。その目には覚えがあった。岡山駅で宝生前から向けられたものと同じだった。

私の状況は、あの時と大差ない。車の後部座席に座り、隣にいる人間モードのダリの肩に頭を乗せ、ぽやぽやと呆けている。
口元はだらしなく緩み、目はトロンとしている・・・と思う。

腑抜けている自覚はある。
身体の熱が、まだ冷めていないよ・・・。

あんまりお酒飲まないから経験ないけど、二日酔いってこういう感じかも。
昨晩、というか、今朝未明までダリに愛され倒されてしまった、私のアソコは、まだダリのアレが入っているのではないかと勘違いするくらい、なんとなく何か入っている感覚が残っているし、何となればジクジクと疼いていた。寝不足のせいもあるが、頭にはまだピンクの靄がかかっていて、身体とともにふわふわとして腰が定まっていない。

宿を後にし、土御門たちと合流し、なんとか車には乗ったものの、車に揺られている内に、力が入らなくなり、ダリの肩にパッタリと頭を乗せ、ヘロヘロしている始末である。
土御門に呆れられるのも、無理はない。

「だ・・・大丈夫・・・れす」

一応、仕事という意識はあるので、頑張って体を起こし、土御門が示した方を見るよう努める。峠道の向こう側、平地が広がっているのが見える。そこにはポツポツと家が建っており、また、土地の大半を占める畑が目に入った。
家々はさも田舎の家という風情で、どれもこれも年季が入っているものばかりだった。
見た感じ、何の変哲もない片田舎の集落、という感じだった。

「この先、規制線があるので、手前のあのへんに車、止めますね」

そう言うと、少しだけ車を走らせる。峠を少し降りたところに車避けがあり、瀬良はそこにレンタカーを止めた。運転席から瀬良が、助手席から土御門が降り立つ。土御門は先日女怪の討伐に出向いたときと同じような刀袋を背に負っていた。若干袋の柄が違うのは、おそらく中身が前回使った『将軍剣』ではなく、今回八坂神社から借り受けた『蛇之麁正おろちのあらまさ』だからだろう。

「こっからは歩きや・・・歩けるん?」
「だ、大丈夫・・・」

全然大丈夫そうではない返事しかできないが、さすがにこれ以上甘えるわけにはいかないので、気力を振り絞って身体に力を込める。

がく・・・

しかし、やはり足に力が入らない。先ほど少し寝てしまったのもいけなかったのかもしれない。膝が抜けてしまう。

「仕方ないの・・・」

ひやあ!

ダリがひょいと私を抱え上げ、横抱きにする。そんな私の姿を瀬良がクスクスと笑いながら見てくる。
「ちょ・・・や、やめて・・・」
一応抗議の声を上げてみるが、ダリはダリで『仕方ないやつ』と言わんばかりの顔でこっちを見てくる。そのままヨイショと器用に私を背中に回し、今度はおんぶの体勢にする。

うう・・・ハズい。

「ま、えっか・・・そのまま行こか」
土御門は呆れたのを通り越して笑えてきたらしい。なんとも言えない微妙な笑みを浮かべていた。

少し村の方に向かって歩くと、検問が設けられており、警察官が3名と黒スーツの男2名が傍に控えていた。村を閉鎖するために設けられている規制線だそうだ。黒スーツの二人は陰陽寮から派遣されている陰陽師とのことだ。
土御門が宮内庁のライセンス章を示すと、「お疲れ様です!」と警察官が敬礼で迎えてくれた。
黒スーツの二人は、土御門の顔を知っていると見え、黙礼をしてきた。

「異常、ないか?」
土御門が黒スーツたちに確認する。
「今のところ、村で目立った動きはないようです。
 例のモノも、感知されてしません。
 フェーズも・・・まだ2だと思われます。」
例のモノが、果たして疱瘡神なのか、品々物之比礼なのか、それともその両方なのかわからないが、とにかく、現状進展はない、ということだけが分かった。

フェーズ、という言葉は聞き慣れなかったが、何かの符牒だろうか?土御門はその言葉にしたり顔で頷いていた。

「あんじょうよろしう」
土御門がひらっと手を振って、規制線を超えていく。その後を瀬良、そしてダリが続く。私は相変わらず、ダリにおんぶされたままだった。
ははは・・・とナントカ笑って誤魔化そうとしたが、きっと変なやつ、どうしたんだろあの人、などと思われているに違いない。
それが証拠に陰陽寮の二人はともかく、警察官の人たちは露骨に視線をそらしていた。

は・・・恥ずかしい・・・。

穴があったら入ったまま、出てきたくなかった。

☆☆☆
「ん?なんやあれ?」

前を行く土御門がボソリと呟いた。私達が中類村の入口にある道祖神を過ぎたあたりでのことだった。
峠を降りるまではダリに背負ってもらっていたが、ずっとこのままではいられない、というのと、先程の検問で他の人の目に晒されてちょっとはしゃっきりしたのもあって、私はこの時点ではなんとかひとりで歩いていた。
瀬良の後ろからひょいと前の方を見やる。
土御門が見ている先、村道から少し右に外れた森のポッカリと開いた空き地に、ひとりの人がうずくまっていた。

死んでいるのかも、とも思い、皆で慎重に近づいていった。
ある程度まで近寄ると、背中がプルプルと震えているのが見て取れる。どうやら死んでいるわけではないようだ。
「具合が、悪いのかもしれません」
瀬良が駆け寄ろうとするのを土御門が手で制する。
「あかん、近寄りなや」
同時にダリが私の前に立ちふさがる。

「・・・な・・・女・・・」
うずくまっている人・・・男が突然声を上げた。カタカタと体が震えたかと思うと、ゆらゆらと身体を揺らしながらまるで亡霊のように立ち上がる。
年の頃は20代後半くらいだろうか?割と背が高く、ガッシリとした筋肉質の体をしている。その目はギラギラと異常な光を放ち、口元からはよだれが流れ、糸を引いて地面に幾筋も落ちていっていた。そして、ズボンの前は開けており、下着も身につけていない。なので、そそり勃つ陰茎が丸見えになっていた。赤黒く怒張したペニスの先は口元のよだれと同じくらいタラタラ溢れる粘液でドロドロになっていた。
「な!?」
ダリの背の後ろで私は思わず声を上げてしまう。
「なんや、祭部の奴ら、フェーズ2やなんて・・・。ありゃ3まで行っとるがな」
土御門が手刀を構えるのと、その異様な男が跳躍するのはほぼ同時だった。

「よこせぇえ!!!」

獣のような叫び声を上げ躍りかかる男の身体をひらりと躱し、その勢いのまま身体を半回転させる。そして、背後から構えた手刀を男の後頭部に叩き込む。

「があっ!」

土御門に必殺の一撃を叩き込まれ、たまらず男は昏倒した。可哀想に、白目を剥いて、口元からはぶくぶくと泡を吹いていた。

「一体・・・何?」
「赤咬病の患者です・・・。すでにフェーズ3に入っている人がいるようです」

私の呟きに瀬良が応えた。
瀬良はそのまま、テキパキと麻縄で男の身体を拘束する。うまく結ばないとうっ血してしまうということで、なかなかにテクニックが要るようだが、無事に拘束できたようだった。土御門の一撃はよほど強力であったと見え、瀬良が縛り上げている間も目を覚ます気配はまったくない。

フェーズ?と私の頭に疑問符が浮かんでいるのが見えたのだろう。土御門が説明をしてくれた。

「フェーズ、ちゅーのは、赤咬病の患者の病態の進み方を便宜的に表現したもんや。
 フェーズ1が発熱段階。このときは風邪やインフルみたいな症状が出て、身体だるなって寝込んでまう。
 フェーズ2が発情段階。性欲が異常に亢進して異性を襲ったり、セックスばっかするようになる。
 そしてフェーズ3は渇望段階。いくら交わっても満足いくことがなく、無限の精力であたり構わず、異性だろうが同性だろうが無差別に人を襲って犯すようになる。
 フェーズ2でも理性はだいぶ怪しいが、3はこれこのとおり、理性はぶっ飛んでまう。ついでに膂力も強なって、身体の耐久性も上がる。ゾンビ映画に出てくるゾンビみたいになるな。
 そして、最後はフェーズ4、衰弱段階。フェーズ3で無理やり絞り出した体中のエネルギーが枯渇してもうて、身体機能が低下、ついには衰弱死・・・というわけや。」

土御門が足の先で、縛り上げられた男を軽く蹴飛ばす。
「聞いてて分かった思うけど、周囲の人が一番危険に晒されるのはフェーズ3、そして、本人が危険にさらされるのがフェーズ4や。文献によれば、フェーズ3に移行するのは普通は1か月以上かかるっちゅうことやったんや・・・進行、早いな・・・」
土御門が首を傾げる。
「疱瘡神がいるせいかもしれないですね」
「せやな」

疱瘡神がいることで、病気の進行が村全体で早くなっている可能性があるというのだ。それは、当初考えていたよりも、中類村の住人の命のタイムリミットが近いということを意味する。
「まあとにかく、早く名越のとこに・・・」
皆まで言う前に土御門が口を閉ざす。すっと目を細めて周囲を伺う。体に緊張感が走っているように見える。

ダリも宙空を見上げていた。
私も周囲を窺うが、特になにか変わったことは感じな・・・

ガサガサガサ・・・

私達の周囲にある藪が一斉に葉擦れの音を鳴らす。
「しもうた、こいつ、おとりやったんか!」
ざっと周囲から10人程度の人間が飛び出してきた。その誰もが、先程の男と同じように、目はギラつき口から粘度の高いよだれを撒き散らしている。まるで飢えた獣のようだ。そして、何よりも動きが人間離れしている。
右側から飛び出してきたのは、年齢的には60は超えていそうなのに、2メートル近く跳躍をし、地面に足をついた瞬間、両足で更にもう一度大ジャンプを繰り出した。そのまま私達の頭上を飛び越え、左側の大木を足で蹴りつけ、猛然としたスピードで瀬良に突っ込んでくる。

忍者かよ!

瀬良も最初こそ目を剥いて驚いていたが、さすが祓衆の陰陽師、すぐに気を取り直し、身構えていた。左上方から突っ込んでくる男を最小限の動きでかわすと、その脇腹に肘鉄を食らわせる。
「ぐえ!」
妙な声を上げ、男性は地面を転がるゴロゴロと転がっていった。しかし、大したダメージではないようで、すぐに立ち上がって襲いかかってくる。

もちろん、敵はこの男性一人ではない。周囲の藪から同じような超人的な動きをする人間がわんさと飛び出してきたのだ。私に襲いかかってくる奴らはダリが片手で払いのけるようにしてくれるので助かるが、土御門や瀬良はだいぶ苦戦しているようだ。
多分、相手は赤咬病に侵されているとは言え、ただの人間だ。術を使って・・・というわけにはいかないのだろう。それが証拠に、ふたりとも先程から体術を駆使して戦っていた。

「綾音・・・こやつら・・・吹き飛ばしても・・・」
「ダメよ」

当然、ダリが本気を出すのもダメだ。
いや、でも・・・

私はこの間の浮内島での事件を思い出していた。あの時、確かダリは・・・?
「ダリ!この人たちを気絶させることはできる?」
大ジャンプの末、真上からの落下攻撃を仕掛けようとしてきた高校生くらいの女子を軽く払いのけると、ダリは薄く笑った。
「もちろん、できる・・・。ただ・・・」
ただ・・・の先は言わなくともわかる。
あのときもそうだった。・・・契・・・でしょ!?

早い話がエッチの約束だ。
こんな序盤で使ってしまっていいのかと思うが・・・まあ、ピンチはピンチ、仕方ない。
「わ・・・分かったわよ・・・す・・・するから」
ダリが私の耳元に口を近づけてくる。周囲を見ないまま、襲いかかる赤咬病患者を右手一本でいなしているのはさすがというよりほかない。
「・・・・してよいか?」
耳元で囁かれた言葉に私の顔面はこれ以上ないほど紅潮する。
な・・・なんてことを!!
「そ・・・それじゃなきゃダメなの!?」
人の足元を見てからに!!!
「昨日の綾音が可愛らしかったものでな・・・嫌ならいいのだが?」
ダリはそんな私の葛藤を見透かすように目を細めて、笑っている。

「な!なんや・・・綾音はん!方法あるならはよしてな!
 殺してええんなら簡単やが、このままじゃ結界張ることもできん!」
土御門が悲鳴をあげる。
土御門も瀬良も、術を発動しようにも、集中させてくれる暇もないほどの攻撃にさらされ、ジリジリと体力を削られている状態だ。

このピンチの状況を分かっていて・・・分かってて、私にあんな・・・こと・・・させろ・・・って。

「早よしてぇ!」
「綾音さん!早く!!」

ぐぐぐ・・・
だ・・・ダリめぇ!
「だーっ!分かった・・・わよ!し・・・していいから!
 早くなんとかしてあげて!!」

いいけど、いいけどさ・・・
い・・・痛くしないでよ?!

「承知」
顔を伏せたダリの前髪が顔にかかり、その表情が一瞬見えなくなる。
嗤った・・・?と思ったその瞬間、

疾風があたりを吹き抜けた。

いや、違う。ダリが風のように早く移動し、移動しながら次々に忍者のごとく跳ね回る赤咬病患者たちの延髄に手刀を叩き込み、昏倒させていったのだ。
刹那、と表現するにふさわしいほどの時間しかかからなかった。

ぱたり、ぱたりと患者達が事切れて倒れていく。
皆、一様に白目を剥き、糸の切れたマリオネットのように崩れ落ちていった。
「妖力を・・・使うまでもない」

え?今・・・なんて?

「だ・・・ダリ!?妖力使ってないなら・・・いないなら!!」
エッチとかいらないじゃん!契いらないじゃん!
「誰が妖力のためにと言った?
 我は純粋に、主を求めておるだけじゃ」
しれっといいやがる。

だ・・・騙されたああ!!!

若干、ニヤニヤしているところを見ると、ダリがこの一連の会話をわざとやっているのは明白だ。
「なんや、簡単にできるなら早よやれや」
土御門が別の意味で不満を述べる。そんな彼をダリがバカにしたように見る。
「貴様のためになぜ、我が働かねばならん・・・」
ダリが見下すような半眼で土御門を見やる。態度の差が激しすぎる・・・。
その様子にかちんと来たのか、土御門は『けっ!』と言いつつ、顔を背ける。本人は聴こえないように言ったつもりだろうが、こっちはこっちで丸わかりだ。

小学生かよ!

「土御門様・・・」
瀬良もそう思ったのか、子供っぽい土御門をたしなめていた。
あるときは優秀な秘書、あるときはツンデレの恋人、そしてこういうときは保護者のようだ。

ほんと、瀬良と土御門はいいコンビだ。
見てるとなんだか微笑ましい。

「とにかく、動けないように縛っておきましょう。このあたりには疱瘡神の気配はないですから、私の方から陰陽寮に連絡を入れて、この人たちの回収を依頼します。」
フェーズ3の病人を放置して、万が一にも峠道の封鎖を超えられたら赤咬病パンデミックの恐怖が現実になってしまう。
瀬良が手早く倒れている人たちを縛り上げていく。そして、それが終わったのち、スマホで陰陽寮に連絡を入れた。
「はい・・・そう、人数は13人・・・村の入口です。道祖神から北東の脇道に20メートルくらい入ったところに転がしておきます。はい・・・念の為、術者を二人ほど同行するほうがいいと思います。」
そして最後に、自分たちは引き続き疱瘡神を探すために、村の奥に入る、と告げて電話を切った。

☆☆☆
実は、この後も私達は村人に襲われ続けた。
建物の影から、急に中学生くらいの女子がふらふら出てきて、瀬良に抱きついてきたり、木の上から筋骨隆々としたマッチョな男が半裸姿で飛び降りてきたりもした。
みな共通しているのは、目が常軌を逸した光を放っていることと、背中に赤い筋が入っていることだった。
ただ、いかに赤咬病によって膂力が上がっているとは言え、所詮はちょっと力の強いだけの一般人だ。戦闘訓練を積んだ祓衆の精鋭である瀬良やそのトップたる土御門に敵うわけがない。先ほどみたいに一度に10人以上が襲いかかってくるならともかく、ひとりや二人が襲いかかってきた所で、彼らは軽く倒してしまう。

「こりゃ村中が赤咬病に感染しとると思てええな。しかも全員フェーズ3や」
感染した時期にずれがあるはずなのに、軒並み同じ程度にフェーズが進んでいるというのは、おそらく疱瘡神の妖力だろう、とのことだった。
「言われてみれば、先程から妙な気配がありますね。村全体が疱瘡神の妖力の支配下にある・・・ということかもしれません。先程襲われた空き地あたりが境界線だったようです。」
瀬良が周囲を警戒するように頭を巡らせた。
ただ、気配は薄く広く漂っていて、疱瘡神がどのへんにいるかは分からないらしい。
いずれにせよ私達はすでに疱瘡神のテリトリーに入っている、ということのようだ。
「天狐はんはともかく、俺等は護符をきちんと身につけとらんと、あっちゅーまに感染してまうかもしれんな」
土御門がポツリと言った。シャツの裏に縫い付けられた護符に手を当てる。
これが例の、祭部衆に作らせた病除けの護符である。別に光ったりするわけでもなんでもないので、効いているかどうかわからないが、きっと効いているのだろう。そして、これが、文字通り私達の命綱となっている。

名越家までは、通常であれば30分も歩けば着くくらいの距離だろうが、襲われながら、倒しながら、縛り上げながらで歩いてきたので、たっぷり2時間はかかってしまった。
「やっと着きよった・・・。ここや。名越ん家」
立派な門構えの家だった。門の向こう、少し離れたところに大きな屋敷があった。庭木もよく手入れされており、奥には農業用の機械を入れるためだろうか、家とは別の建物が見えるが、それすら綿貫亭と同じくらい?と思ってしまうほどの大きさだった。

さすが、村長さんの家、である。

「前はお手伝いさんがいたんやけどな」
きょろきょろと見回してみるが、人影どころか、人の気配すらない。
「この状況では、彼女らも・・・もしかしたら名越鉄研もすでに正気ではないかもしれませんね・・・」
「ま、そんときゃそん時や。とりあえず、お邪魔しましょか」
土御門はヅカヅカと門から中に入ると、言葉通り遠慮なく玄関の引き戸に手をかける。ガチッと手応えがあったようだ。当然のことながら、鍵がかかっている。
「緊急避難やで」
右手で刀印を作ると、鍵穴のあたりにあてがう。

「真金 断て」

小声で呪言を奏上すると、キィインと金属が超高振動で震えるような音が響く。
そして、バチン!と鍵が鍵穴ごと爆ぜてしまった。
「おじゃましまーす」
ガラリと戸を開く。
不法侵入、甚だしいが、確かに土御門の言うように緊急事態である。勘弁していただきたい。

扉の中は照明もついておらず、薄暗い。
「鉄研の部屋はこっちだと思います」
瀬良が先導する。どうやら数日前に来た時、抜け目なく屋敷の構造を頭に入れていたらしい。
やっぱり頭のキレる人は違う。
瀬良が示した襖を開くと、中は窓もない部屋で、廊下よりなお暗かった。一瞬、誰もいないのかと思ったが、目が慣れてくると、中央にじっと正座している男性がいるのが分かった。
「名越はん?」
正座して目を閉じている。真っ暗な部屋でただそうしてる姿は一種異様でもあった。死んでいる?などという不吉な想いが頭を巡ったが、土御門が声をかけた時、ピクリとまぶたが動き、ゆっくりと開かれた。

よかった、生きているし・・・多分、目の感じから言って感染していない。
ずっとここに閉じこもっていたことで、感染しなかった、ということなのだろう。

「刑事さん・・・」
名越は弱々しく声を上げた。先程は気が付かなかったが、だいぶ顔色が悪いように見える。熱っぽそうなわけではないので、感染初期・・・というわけではないようだ。
「名越はん・・・あんさん、もうこっちの正体、知ってんのとちゃいます?」
土御門が膝をついて、名越と視線を合わせる。すでに何度かは連絡をしていると言っていたが、それはあくまでも刑事として、だったようだ。しかし、土御門は名越がすでに自分たちを刑事ではないと知っていると言った。

何を根拠に?

「自分、この事態の原因・・・知ってんのやろ?・・・だから、こんなとこで神妙にしてるんとちゃいますの?」
土御門の言葉にビクリと名越の肩が震える。目を見開き、うつむく様子は、『そのとおりです』と言っているようなものだ。しかし、彼は首を振った。
「し・・・知らない。急に村人が人を襲うようになったんで、隠れてたんだ」
「ほんまに?」
「あ・・ああ・・・わかるわけがない」
あくまでもシラを切るつもりのようだ。
「あっそ・・・。じゃあ、一応言うけど、わいらは刑事やなくて、宮内庁の職員や。怪異を祓う者。ここにおるはずの、疱瘡神を殺しに来たんや・・・。」

え?と私は思った。
普通、土御門たち陰陽師は怪異を『祓う』とか『回向する』などと言う。『殺す』などと表現するのは聞いたことがない。

「あんさんは知らんいうけど、疱瘡神を野放しにしとったら、日本中で何万人と人が死ぬんやで?さっさと殺さんと・・・なあ・・・。ま、知らんならしゃーない。この家には多分、疱瘡神についての資料があるはずや。それ、見せてもらうで・・・」
ちなみに、と、土御門が説明するには、法的に怪異現象が起きている際には陰陽寮の職員は超法規的に家宅捜索をする権限を有している、とのことだった。
「それじゃあ、瀬良ちゃん、始めよか」
ぱちりと瀬良が部屋の明かりを点ける。別に電気が来てないわけではないようだ。
それから、土御門と瀬良は二手に分かれて屋敷の中の捜索に行った。私はなんとなく、瀬良についていく。

「あの人、あそこに置いといていいんですか?」
どんなに鈍い人でも気づくと思うが、あの人は『疱瘡神』がどこにいるか知っている。こっそり、逃げ出してしまったら困るのではないだろうか?
「いいんです。あれ、土御門様わざとですから」
瀬良が言うには、土御門は名越をわざと煽り、自分からボロを出すように仕向けたのだという。こうして席を外したのも彼が動きやすくするため・・・だというのだ。
「今頃、土御門様が天将を勧請しているはずです」

テンショウ?カンジョウ?

疑問符がいっぱいだ。陰陽寮に入ったときに受けた瀬良の授業にも出てきてない言葉だと思う。
「土御門家の始祖である安倍晴明は、十二の強力な眷属・・・使役できる妖怪のようなものですね・・・を従えていたのです。それは現代代々当主に引き継がれています。今はまだ土御門様は完全なる当主ではないですが、十二天将の内のいくつかはすでに引き継いでおります。それは式神として土御門様の手足となり働くんですが、『勧請』とは、その天将たちを呼び出すことを指す言葉です」
なるほど、ファンタジー小説で言うところの『召喚』みたいなものか・・・。
要は、自分の式神を召喚して、名越の動きを探らせ、疱瘡神を見つけようということ?

え?でも・・・

「いつの間に、そんなこと相談したの?最初からこうすることが決まっていたの?」
私が知る限り、そんなことをする計画、みたいなことは一切聞いていなかった。
「いいえ・・・。名越の様子をみて、土御門様がそうされようとしたんだと思います。私の方は・・・先程の土御門様の様子を見ていれば、何をするつもりか、わかりますし」
さも当たり前のように言う。
なんだろう。この二人。信頼しあって、通じ合って・・・。何も言わないでも阿吽の呼吸で連携している感じだ。
すごいなあ・・・。

一応、文献を探す、という建前なので、あちこちの部屋を開いては中を覗いてみる。しかし、どこの部屋も人はおらず、まして、古文書のようなものはなかった。
「後は二階ですね」
この家の二階は、ちょっと奇妙な作りだった。
もともとは平屋の家に強引に二階を増築したように見える。一階とは建具の素材も様式も異なっていた。
洋風の階段を昇ると、短い廊下の先に扉があり、そこを開くと小さな部屋に出た。
そこには簡易なテーブルと椅子、流しがひとつある。今入ってきた階段に通じる扉以外に、右手と奥にそれぞれ扉がある。
右手の扉を開くと、10畳くらいの居室だった。入って右手にベッド、左手奥の壁際に勉強机、その右手には大きめのはめ殺しの窓があった。私達が入ってきた扉のすぐ左手に扉があり、そこは先程の小部屋の隣を抜けるような短い通路があり、通路の途中の右手に先程の小部屋に出るのだろう扉があるし、さらに突き当りにまた扉が設けられていた。ちなみに突き当りの扉を開けると風呂、トイレ、簡単なキッチンとダイニングなどがあった。
私が奇妙な、と感じたのは、それぞれの扉が鍵をかけられるようになっている、ということだった。しかも鍵穴しかなく、内側から開くツマミのようなものがない。内からも外からも鍵を使って開け閉めするようになっているのである。
二階の空間に、居室、トイレ、洗面、風呂、キッチンなどがあり、ここだけで生活が完結するようにできているが、その割には扉が多い気がする。行き来が面倒くさいではないか・・・。
「誰もいないですね」
そんな私の疑問をよそに、淡々と瀬良が各部屋をチェックしていく。一応押し入れの類も開いて人が隠れていないか、何か重要そうな文献はないかをチェックしている。
瀬良によると、二階には名越の娘、真白がいるはず、とのことだった。しかし、結果的には誰もいなかった。それは、私に嫌な予感を覚えさせる。

名越の娘、真白は中学生くらいと言っていた。その子がいない・・・ということは・・・。
村人の誰かに襲われて・・・犯されて・・ってこと?

先ほどから私達を襲ってきた中にも中学生くらいの子がいた。いずれにせよ、早く救い出さなければいけない。
そうは言っても、今の私にできることはない。重要な文献の見分けもつかないので、瀬良にくっついて歩きながら、ウロウロするしかない。
ふと見ると、ダリは、居室にあるベッドを手で撫でていた。何かを感じたのかもしれない。

なにしてるの?と聞こうとした矢先に、ブーッブーッとバイブレーションの音がする。瀬良の携帯が鳴ったようだ。
「はい・・・わかりました」
瀬良が応答し、何やら少し、色めき立つ。
そして、電話を切ると、私たちの方を向き直って告げた。
「綾音さん・・・名越が、動きました。疱瘡神と思われる者を連れているそうです」

いよいよ、決戦が始まる。
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「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

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