白花の君

キイ子

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追憶5

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 そっと、自らの瞳に手を当てる。
精霊たちが実態を持ち、上位精霊になるための条件を聞いたのは何時のことだっただろう。
リアは、私にそれを教えはしなかったな。最後まで。

 リアは、それを望んでなどいなかったのだろうね。
でも私は我儘だから。

 瞳に指を差し入れ、そっと抉り出す。
空気が小さく振動する気配がした。
多分、リアが動揺しているのだろう。

 優しい優しい私の精霊。
精霊が上位精霊になるために必要なのは契約をはらまないうえで人間からの肉体の一部を分け与えられること。
そしてその与えられた肉体の一部を喰らうことで精霊は上位の存在へ昇華できる。
契約ではなく、ただ喰わせるだけで良いというのだから簡単な話だ。
けれど、だからこそとても難しい。
そこに存在するのはただ、人から精霊に対する友愛か崇拝のどちらかだから。
そうでなくては意味が無いから。

 「リア、リア、お願い、どうか受け取って」

 リアは動かない。
私の精霊、私の、世界を作ってくれた、私に心というものの種を作った子。
私に生きろと言った。
他の者なんて見捨てて、生きろと、生きて欲しいと。

 お前の願いなど、懇願など、何一つ聞き入れなかったのに、我儘を通そうとしてごめん。
私と共に消滅する覚悟をしていただろうお前に。
けれどどうしても私は、リアに死んでほしくない。消滅など、しないで欲しいから。

 「リア、話がしたい、最後に……最後に、一人で死にたくないの」

 聞き入れるしかない、卑怯な手を取ってごめんなさい。

 手のひらの上にあった眼球が消え、誰も近寄れない程に高濃度でうねっていた魔力の波の、範囲がさらに広がる。
ギリギリまで近づいていた敵兵の大半が、その魔力のうねりの範囲拡大に巻き込まれ崩れ落ちていた。
命は無いだろう。
半端な人間に耐えられるような濃度ではすでにない。

 生き残ることが出来た人間がいたとしたら、その人物はよほど運がいい。
でも、きっと生き残る人間も数人はいるだろう。
世の中とはそういうものだ。

 柔らかな、けれども強い風が吹く。
何も映し出さなくなったはずの視界に、一人の人が写り込んだ。

 酷く顔色が悪い。
真っ青な顔で笑っている。
正しく這う這うの体という言葉が似合うありさまのその人物、もっとも最早逃げ出すほどの力は残っていなさそうに見えるが。
彼は苦く笑ってこちらに手を伸ばした。その笑みは自嘲にも見える。

 そう、正しく自嘲だ。
嗤うことしか出来ない。
こんなにボロボロな有様だったのか。
これじゃあルカもあんなに泣きじゃくるわけだ。

 死にぞこないの自分を見つめながらも、安堵する。
昇華を成したその姿を見る事が出来ないことに一抹の寂しさを覚えながらも。

 「お前は……お前ほど最低な人間を、わたしは知らないわ」

 その声は涙に濡れていて、そして放たれた内容とは裏腹にとても優しい声音をしていた。
どんな顔をしているのだろう。
最期まで、その顔を見ることが出来ないのはやはり残念だったな。

 「っ、これは一体何なの! さっきからずっと止まらないのだわ!」

 繰り返し繰り返しあふれる涙を手で拭っている。
その光景を愛おしく思いながら、多分安堵したのがいけなかったのだろう。
ガクリと、張り詰めていたものが消えその場に跪いていた。
目が回る。
もうじき、意識も飛ぶだろう。
 
 「リア……」

 命の灯が消える最後の瞬間を、今迎えている。
心残りはたくさんあるが、一番は、やっぱりかわいい弟子たちの事だろうか。
意識が遠のいていく。
リアの膝を枕に、このまま眠るように逝けるのなら、それは幸せなことだ。

  そっと、リアの頬に手を当てる。
視界では私がこちらに向かって手を伸ばしている光景が映るから少し不思議な感じだ。
ポタリポタリと繰り返し降る暖かい雫が私の頬に伝い流れていく。泣かないで、と言う代わりにゆっくりと手を動かすけどわずかに届かない。
けれどその手をリアの方から掴み握ってくれる。

 「……リア」

 名前を呼ぶと余計に涙が溢れてくるものだから困ってしまう。

 「リア、……私、リアの言ってた未来を、変えれた?」

 握られている手に力がこもる。
リアは震えていた。

 「……ええ、そうね……そうよ……」

 絞り出すように呟かれた声。
震える声に胸が苦しくなる。
ああ、違うんだ、リアを責めたわけじゃないんだよ……。

 視界が霞む。
もういいかげん限界らしい。

 「ねえ、リア…………わたしね……リアに会えてよかったよ」

 どうしても言いたかった、言わなきゃいけなかったことだけ何とか言い終えたその瞬間。
ピシリと何かにひびが入るような音がした気がした。
同時に体の感覚が消え、急速に意識が遠のいていく。

 (ああ、これでやっと……)





********



 場に満ちる魔力濃度がどんどん上昇していた。
激しい地響きが起き、海が波打つ。
うねりに合わせてぐるぐると。
常人には息をつくことすら困難なほどに鋭く、冷たく、それでいて灼熱の大地を彷徨うような、そんな、天災を思わせるような魔力を撒き散らしながら渦を巻きながら広がっていく力の流れ。
そんな膨大な力を前に一人、リアはただ茫然と座り込んでいた。
魔力の渦の源はその膝で目を閉じ眠っている美しい青年で、リアは繰り返し繰り返しその少し傷んだ金糸の髪を手で梳いていた。
リアはずっと、フェルガの髪に触れることが出来る人間というものを羨ましく思っていた。

 美しいものに目がない精霊らしく、リアはフェルガのそのすべてを気に入っていて、とりわけその髪、末尾にまで魔力を張り巡らされたその美しい髪が、大のお気に入りだった。
でも、リアには実体がない。
だからその髪に触れることも、今まで一度も出来なかったのである。

 リアがフェルガからもらった美しい碧玉の瞳から大粒の涙が落ち続けていた。
優しい色をした、淡い緑色の瞳、これもまた、リアのお気に入りで、何時間でもその瞳を見つめ続けることが出来た。
とても、幸せな時間だった。

 もう、二度とない。
微笑む彼の顔に嵌る、あの至高の美術品を見ることは、二度と。
縋るように、祈るように手を絡めていたフェルガの体がゆっくりと浮かびあがっていく。
リアの手をすり抜けるように。

 輝かしい頭髪に勝るとも劣らない光輪がその頭上にかかり、うっすらと瞼が上がる。
空洞の筈の眼窩に虹色の輝石が埋まっていた。
そこに意思はなく、ただの容れ物のように見える。
その無機質な美しさは禍々しさすら覚えるほど鋭利であった。

 美しき悪魔はゆっくりと腕を上げ、自らの胸に手を突き入れる。心臓の位置に。
そして引き出された手のひらにはこぶし大の、瞳に嵌る物と同じ輝石が輝いていた。
彼はその石を握ると、徐々に力を加えていく。
ぎしりと、嫌な音を立てて生じた裂け目にリアの顔が映る。
すぐにその顔は歪んでいき――ぱきんっと、乾いた音が響いたと同時に砕け散った。
砕け散った欠片がキラキラと太陽を反射させ輝く中で、彼を中心に魔法陣が展開される。

 輝きが増していく。
輝きが、強くなる。やがてそれらは凝縮され一つの光の塊と、なった。
巨大で強烈な光。
絶望に染まる誰かの瞳。

 『どうして! どうしてこんな結末になるのですか!?』

 よく知った、懐かしい人の泣き叫ぶ声が聞こえた。
手を伸ばす。
触れたいと思った。泣かないで欲しいと思った。
僕はただ、あなたたちにずっと、会いたかったんだ。
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