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日月神示を読み解く
しおりを挟む《日月神示の概要》
日本に、神からの預言書といわれる‘日月神示(ひふみしんじ、もしくは、ひつくしんじ)’と呼ばれる文書がある。1944年から断続的に降ろされ、岡本天明さんという方が、自動書記(勝手に腕が動いて文字を書いていく)によって書かれた文書で、ざっくりとその概要を言うと、火と水による大立替の後、光り輝くミロクの世が来るというものだ。
いまさら終末予言的なことを言われても……と思われる方も多いと思うが、例えば、
「病はやるぞ、この病は見当とれん病ぞ、病になりていても、人も分からねばわれも分からん病ぞ、今に重くなりて来ると分かりて来るが、その時では間に合はん、手遅れぞ。この方の神示よく腹に入れて病追い出せよ、早うせねばフニャフニャ腰になりて四ツん這ひで這ひ廻らなならんことになると申してあろうがな」
というように、明らかに少し前に流行った感染症のことと思われる箇所があるのだ。解釈の仕方によるという人もいるだろうが、罹っている他の人も自分自身も自覚症状のない感染症が流行ったことが、かつてあったのかという話です。
つまり、これは本物ではないかということです。ということで、日月神示から、キーワードをピックアップ(一部省略したり、意訳している部分あり)して、その内容についてに個人的に考察していきたい思う。
ちなみに、この神示は八通りに読めるということで、当たっている保証はないです。ということで、言い訳も終わったところで、項目別に考察して行きます。
《大峠の考察》
・子の歳真ん中にして前後十年が正念場(大本が示した型を基準に前五年後五年を採用する)
→ 型となる出来事を起こして、もう一度同じようなことが起きてくる仕組み。それを、大本という神道系の宗教がその役を果たした。
・五の歳は子の歳
→ 0から10の内の5が子の歳。27~31年が前5年で(0~4)、32年が真ん中の子の歳(5)、33~37年が後5年(6~10)。真ん中が子の歳で、かつ五になる数え方で、子の歳はカウントせず、前五年後五年の合わせて十年。
・百年もつづけて嘘は云へんぞ
→ 神示が降りた1944年から100年以内に、神示に書いてあることが現実化する。
・新しき御代の始めのタツの年。スメ大神の生れ出で給ひぬ
→ 新しき御代はミロクの世のことで、100年リミットの関係上、始めの辰の年は2036年しかない。
・春マケ、夏マケ、秋マケ、冬マケてハルマゲドンとなるのざぞ
→ 春から一年戦争があり、一年後の春にハルマゲドン。ただ、何も彼も一度にとあるので、戦争だけではなく、火の雨や陸が海に海が陸になる事象も含まれていると思われる。
・申、酉すぎて戌の年、亥の年、子の年 目出度けれ
→ 仮に前後十年の最初の27年から大峠が始まったとしても、ハルマゲドンに至るまでに春マケ、夏マケ……で一年以上かかるわけだから、27年の未から始まったとしても、28年の申にハルマゲドンとなるので、単にすぎたという記述にはならないはず。つまり、申には大峠は終わっている。
・天国へのいくさもあるぞ
・戦すんでもすぐによき世とはならんぞ、それからが大切ぞ、胸突き八丁はそれからぞ
→ ミロクの世になっているであろう30~36年の間にも何か山場があるのかもしれない。わざわざ前後に分けているので、33年から36年のスメ大神の生れ出で給ひぬの間に何か正念場があるのではないか。
日月神示には、大峠と呼ばれる苦しい期間があると書いてある。それを示すのが、子の歳真ん中にして前後十年が正念場という文言である。また、百年続けて嘘はいへんとあるので、神示が降ろされたのが1944年なので2044年までに神示に書いてあることが現実化することになる。
また、新しき御代の始めのタツの年スメ大神の生れ出で給ひぬの文言から、2036年の辰の年にはミロクの世になっていると思われ(その次の辰の年は2048年で100年オーバー)、30年の戌の年にはめでたいとあるので、この時点でミロクの世になっていると思われる。
そして、正念場の意味を大峠全体ではなく、ハルマゲドンだけに限定して使っていると解釈すると(正念場は重要な場面の意味で、重要な場面は長々続かない)、前後十年に挟まれている26年の節分から大峠が始まり、27年の春にハルマゲドンが起きるということになる。
《‘てんし様’についての考察》 ※ 大きく分けて3パターンで読めるので、パターンに分けて考察しなおします。もう一つ別の解釈が出来るところがありますが、今は保留にしておきます。
【天之常立神・国之常立尊(大国常立尊大神)】
・天地の先祖、元の神の天詞(てんし)様が王の王と現はれなさるぞ、王の王はタマで御現はれなされるのざぞ
・世界一平に泥の海であったのを、つくりかためたのは国常立尊であるぞ、親様を泥の海にお住まひ申さすはもったいないぞ、それで天におのぼりなされたのぞ
・てん詞様とは天千様のこと、天二(てんぷ)様のこと
→ 天之常立神と国之常立尊で天地様。低次元の世界に親様(国常立尊)を住まわすわけにいかないので、天に帰った。だから、天に天之常立神と国之常立尊の二柱の神がいるので天二様。
・大国常立尊大神と現はれて、一時は天もかまひ、地の世界は申すに及ばず、天へも昇り降りして
→ 天においては天之常立神で、地においては国之常立尊、天地を往復しているときは大国常立尊大神。二柱だけど一柱のような神様。
【素盞鳴大神】
・スサナルの神はこの世の大神様ぞ
・この神は世界中何処へでも届く鼻もっているのざぞ、この世つくりたこの神ざ、この世にわからんこと一つもない
→ スサナルの神=素戔嗚尊。素戔嗚尊はイザナギノミコトの鼻から生まれた神で、この世を創造した主神。
・御土は神の肉体ぞ。臣民の肉体もお土から出来てゐるのぞ
・てんし様拝めば御光出るぞ、何もかもそこから生れるのざぞ。お土拝めよ。お土から何もかも生れるのぞ
・何もかもてんし様のものではないか
・国土のまことの神を無いものにしてゐるから世が治まらん
・素盞鳴の大神様も篤く祀りて呉れよ、此の神様には毎夜毎日御詑びせなならんのざぞ、此の世の罪穢(つみけがれ)負はれて陰から守護されて御座る尊い御神様ぞ、地の御神様、土の神様ぞ
・一番尊い所 一番落してあるのぢゃ
・世界中の罪負ひておはします素戔雄の大神様に気付かんか
・今のやり方ではてんし様に罪ばかりお着せしてゐるのざから
→ お土から何もかも生れる、何もかもてんし様のもの、国土のまことの神、地の御神様、土の神様との文言から、日本の国土が、てんし様である素盞鳴の大神様とわかる。
全ては主神から生まれているので、全てがてんし様のものなのは当たり前のことである。また、世界中の罪を負わされているのが素戔雄の大神で、てんし様に罪ばかりお着せしてゐるとの文言から
素戔雄の大神とてんし様が同一の存在と分かる。
【天津日嗣皇尊大神】
・天詞様まつれと申してあろが。天津日嗣皇尊大神様(あまつひつぎすめらみことおほかみさま)とまつり奉れ
・世治めるのは木花咲耶姫
→ 天津日嗣皇尊大神の嗣と言う字は、跡継ぎの意味があるので、木花咲耶姫が素戔嗚大神から主神を継ぐという意味ではないか。
※ 天之常立神は天の主神、国之常立尊は地の元・主神、素戔嗚大神は地の現・主神、天津日嗣皇尊大神は新しい神霊界・現界の主神と思われる。ということは、てんし様は基本的に主神の通称ということではないか。
≪26~27年の大峠スケジュール予想≫
(要約)
2026年節分にポールシフトが起こって、2026年の春から一年間戦争に負け続け、2027年の春にハルマゲドンが起き、スの身魂が天下統一して大峠が終了する。そして、27年10月7日(旧九月八日)からミロクの世になる。
《2026年》
【1月】
・世界ぢうに揺すりて眼覚ますぞ。三千年の昔に返すぞ。煎り豆 花咲くぞ。上下ひっくり返るぞ
・神示判る臣民二三分できたなら、神愈々のとどめのさすなり
→ 世界中で地震が増える。とどめは節分に起きるポールシフト。
【2月】
・悪の衣(ころも)着せられて節分に押込められし神々様御出でましぞ。此の節分からは愈々神の規則通りになるのざから気つけておくぞ、容赦(ようしゃ)は無いのざぞ
・借銭負うてゐる身魂はこの世にはおいて貰へん事に規則定まったのざぞ
・びっくり箱あくと、神の規則通りに何もかもせねばならんのぞ、目あけて居れん人出来るぞ、神の規則は日本も支那も印度もメリカもキリスもオロシヤもないのざぞ、一つにして規則通りが出来るのざから、今に敵か味方か分らんことになりて来るのざぞ。
・艮(とど)めの一厘のふたあけるから、目開けておれん事になるぞ
・神の規則は恐いぞ、隠し立ては出来んぞ、何もかも帳面にしるしてあるのざぞ、神の国に借銭ある臣民はどんなえらい人でも、それだけに苦しむぞ
・世界中一度にゆすぶると申してあらう。釦(ボタン)一つででんぐり返ると申してあること、未だ判らんのか(釦(ボタン)は、日本真中、ボタン一つで世界動くぞと書いてあるので日本のことです)
・世の元の一粒種の世となったぞ。松の御代となったぞ。
・元の神代に返すといふのは、たとへでないぞ。穴の中に住まなならんこと出来るぞ、生(なま)の物食うて暮らさなならんし、臣民 取り違ひばかりしてゐるぞ、何もかも一旦は天地へお引き上げぞ
・天地ひっくり返るとは身魂がひっくり返るということ=人間の心の中にも花火が仕掛けてあるぞ、花火破裂する時近づいて来たぞ、動くこと出来ん様になるのぞ。
・地つちの軸 動くぞ、フニャフニャ腰がコンニャク腰になりて どうにもこうにもならんことになるぞ → ポールシフト
→ 神の規則は借銭返しで、戦争は借銭返しのために行われると思われる。一厘のふたが神の規則で、かつ、びっくり箱のひとつ。
(その他のポールシフトに関連していると思われる事項)
・宵の明星が東に廻っていたら愈々
→ 宵の明星は西に見えるそうですが、ポールシフトが起きて地軸が反転したら逆の東に見えるのではないか。そのことが、大峠が愈々始まる合図ということだろう。
・外国のコトはなくなる
→ この神示、世界中に知らすのざと書いてあるが、日本語が読めても難解なのに、外国語ではなお無理。そもそも、読んだだけで身魂が磨かれる神示が、日本語を読める人しか使えないのは不公平すぎるので事前に日本語に統一されるのではないか。
つまり、ポールシフトが起こると、逆バベルの塔のような現象が起きるのではないか。
・南の島に埋めてある宝を御用に使ふ時近づいたぞ。お土の上り下りある時近づいたぞ
→ トカラ列島で地震が相次いでいましたが、宝島という島があるみたいです。この島がポールシフト、もしくは、陸が海に海が陸にと関係しているのかもしれません。また、十は‘かみ’とも読みますが、十島村という所もあるらしく、この辺り全体が関係しているのかもしれません。
・学者は閉口するぞ、商売の世も済みたから商売人も閉口するぞ、力仕事は出来んし、共喰するより他に道ないと申す人民許りになるぞ、今迄とはさっぱり物事変るから今迄のやり方 考え方 変へて呉れよ、神示通りに行へば其の日その時から嬉し嬉しざぞ
→ 色々と根本的に変化する。
【3~5月】
・メリカ、キリスは花道で、味方と思うた国々も、一つになりて攻めて来る
・春マケ、夏マケ、秋マケ、冬マケてハルマゲドンとなるのざぞ
・日本の臣民みんな兵隊になったとき、思いが違うとわかる
→ 一年負け続てからハルマゲドンになる。
・三月三日から更に厳しくなるから用意しておけよ、五月五日から更に更に厳しくなる
→ 段々と戦況が悪化していく
【7月】
・七月になると上の人民番頭殿、顔の色 悪うなって来るぞ、八九月となれば愈々変って来るぞ
・偉い人 愈々とんでもないことになるぞ、捕はれるぞ、痛い目にあわされるぞ、今に目覚めるなれど其の時では遅い遅い
→ 偉い人が捕まり、とんでもなく痛い目に合わされる。
【8月】
・天地の先祖、元の神の天詞(てんし)様が王の王と現はれなさるぞ、王の王はタマで御現はれなされるのざぞ → ここで国之常立尊の治世に戻る。つまり神代へ返る。
・大国常立尊大神と現はれて、一時は天もかまひ、地の世界は申すに及ばず、天へも昇り降りして → 天においては、天之常立神で、地においては国之常立尊、天地両方を行き来しているときは大国常立尊大神とうことか。
・てん詞様とは天千様のこと → 天之常立神と国之常立尊で天地様
・秋立ちたら神烈しくなるぞ、富士は晴れたり日本晴れ、てんし様の三四五(みよいづ)となるぞ
・てんし様が富士(二二)から世界中にみいづされる時
→ びっくり箱の一つが天地様で、ここから天地がまぜこぜになっていく。
【10月】
・十月になったらぼつぼつ会得るぞと申してあろがな。叩(はたき)かけてばたばたと叩く処もあるぞ、箒(ほうき)で掃く処もあるぞ、雑巾かけしたり水流す処もあるのざぞ、掃除始まったらばたばたに埒(らち)つくと申してあろがな
・江戸と申すのは東京ばかりではないぞ、今の様な都会みなエドであるぞ、江戸は何うしても火の海ぞ
・田舎に都、都に田舎が出来ると申してあろが
・飛んだところに飛んだこと出来るぞ(漫画『ドラゴンヘッド』の東京富士)
・みろく出づるには、はじめ半(なか)ばは焼くぞ……西に戦争(いくさ)しつくし
・一日(ひとひ)に十万の人死ぬ時来たぞ、世界中のことざから、気を大きく持ちてゐて呉れよ。
→ 太平洋戦争中の空襲で都市部が灰燼と帰したことと同様のことが起こる。しかも、世界中で起こる。ただ今回は『御聖言』に、神火玉造りさせてあちこち火噴かん、五島を火島にする愚かさを知れとあるので、火山の噴火によるもの。それに伴い、都会が田舎に田舎が都会になる。
・大洗濯の宝が、東西南北にある
・オロシアに降りた神は、極悪の悪神
・悪神の国から始まって世界の大戦激しくなる/臣民同士の戦のような甘いものではない
・海一つ越えて寒い国に、まことの宝 隠してある、北の宝はシホミツ(潮満つ)
→ 海一つ越えて寒い国、北のシオミツの文言と、借銭の関係(大洗濯は借銭をなくすために行われる)と、神に因縁深いほど厳しいとあるので、実地の最初として、悪神の国であるロシアの大部分が海になるのではないか。
大洗濯の宝のうち東西の場所はどこか? 日本が世界の雛形とすると、台湾が南米に対応しているのは縮尺・形的におかしいか。星(星条旗=アメリカ)は、皆を構うと言っているけど駄目だと書いているので、天変地異が起こっているのではないか。
また、太平洋戦争が太平の世への型(だから太平洋戦争中に神示が降ろされたのではないか)とし、日本を世界の雛形とすると核爆弾が投下された広島と長崎はどこにあたるのか? 広島はヨーロッパ西部、長崎はアフリカ北西部に対応している。つまり、この辺りで陸が海に、海が陸にが起こるのではないか。
・『私が見た未来』の太平洋側を襲う巨大津波
→ 個人的には、以前出版されたもの(この本も同じこと二度ある仕組みの一つだと思われる)が、いつ起こるのかわからない大災害を十年以上前に、月単位で当てることは偶然とは思えないし、内容的には、日月神示のシホヒルに合致していて、その後の輝いている世界は、ミロクの世だと思われるので当たっていると思う。ただ、25年7月ではなかったのは、今言っては仕組成就せんから、邪魔はいるからとあるので、時節の問題か、悪神側にばれない為の措置ではないか。
・月の神、日の神が御一体となりなされてミロク様となりなされる
→ 『御聖言』に、一万五千年前に太平洋に陥没した日本の大部分だったムウ大陸とあるので、南の宝である潮干るは、ムー大陸の再浮上のことだと思われ、それに伴う大津波が『私が見た未来』のものだろう。
そして、日月神示に海の水が主神と正神を閉じ込めるシメとあるので、これがなくなるということは、日神・月神が一体になるということで、この状態がミロク様。そして、日と月の神が一体となって明るいミロクの世になっていく、だから‘日月’神示。
また、丑寅(北東)の金神(この世の元主神である国之常立尊)とは、ムー大陸から見て北東(日本列島)に封じられたということではないか。ただ、親様は天に帰った、我が子にまで天のトガをおはせとあり、日本の国土が素戔嗚尊と思われるので、国之常立尊から素戔嗚尊へと主神が交代したと思われる。
(その他)
・八と十八と五月と九月と十月に気つけて呉れよ
・九、十月八日、十八日は幾らでもあるのざぞ
→ 大きな災害ではないか
・旧九月八日までにきれいに掃除しておけ、残る心獣ぞ
・いよいよとなりたら地震かみなりばかりでないぞ、臣民アフンとして、これは何とした事ぞと、口あいたまま何うすることも出来んことになるのぞ、四ツン這ひになりて着る物もなく、獣となりて、這ひ廻る人と、空飛ぶやうな人と、二つにハッキリ分かりて来るぞ、獣は獣の性来いよいよ出すのぞ
・喰うものがないと申して臣民不足申してゐるが、まだまだ少なくなりて、一時は喰う物も飲む物もなくなるのぞ
・いくら買溜めしても神のゆるさんもの一つも身には附かんぞ、着ても着ても、食うても食うても何もならん餓鬼の世ざ
・三分の一の臣民になるぞ、これからがいよいよの時ざぞ。日本の臣民同士が食い合ひするぞ、かなわんと云うて外国へ逃げて行く者も出来るぞ
→ 完全に神と獣とに分かれる。何もかも一旦は天地へお引き上げぞとあるのは、神かかっているものを引き上げるという意味ではないか。そうなると、着る物食べ物が用をなさなくなり、神かかっているのが人間だけになり、食い合いが始まる。ただ、神のゆるさんものとあり、衣類、食物に困った時は竜宮の音秘(オトヒメ)様にお願ひ申せとあるので、頼んだらどうにかして下さるかもしれない。
《2027年》
【3・4月~】
・三、四月に気つけて呉れよ、どえらい事出来るから何うしても磨いておいて下されよ
・北から攻めて来るときが、この世の終り始めなり、天にお日様一つでないぞ、二つ三つ四つ出て来たら、この世の終りと思へかし → 神幽現と中界の4つの太陽が見える、天地まぜこぜの時に敵が攻めてくる。
・大きアジアの国々や、島々八十(やそ)の人々と、手握り合ひ神国の、光り輝く時来しと、皆喜びて三千年、神の御業(みわざ)の時来しと、思へる時ぞ神国の、まこと危なき時なるぞ、夜半に嵐のどっと吹く、どうすることもなくなくに、手足縛られ縄付けて、神の御子等を連れ去られ……この世の終り近づきぬ。
→ 八十(やそ)=耶蘇(やそ)でキリスト教の昔の呼称。大幅に人口の減った日本は、アジアの国々島々キリスト教徒と復興を頑張ろうする。しかし、神代に返ったと喜んでいたその夜に外国が攻めて来る。また、裏切る者がいるらしいので、このタイミングでそれが発覚する。
・富士を目ざして攻め寄する、大船小船あめの船、赤鬼青鬼黒鬼や、おろち悪狐を先陣に、寄せ来る敵は空蔽(おお)ひ、海を埋めて忽(たちま)ちに……
→ 神力と学力の最後の戦い。一連の戦いの天王山、いわゆるハルマゲドン。この神示うぶのままであるからとあるので比喩ではなくそのまま。現界は霊界の写しであり相念自体であり、想像できるということは霊界には存在している。神幽現まぜこぜになると本当にいる。
・どちらも丸つぶれ、臣民なくなるとこまでいく。日本の臣民三分といえども二分、世界が二分
→ これらの文言から考えて残る人は、字義通り日本が3%弱、それ以外の諸外国が平均2%か。
・スの身魂が天下統一
→ 最終的に、主神の霊統が天下統一して大峠が終わる。
・この戦終わったと思ったときに、富士鳴門が引っくり返る(富士と鳴門は、神霊界と現界の関係性)
・神界現界大ヒックリ返し(『御聖言』)
・かのととり、結構な日と申してあるが、結構な日は恐い日であるぞ。天から人が降る、人が天に昇ること、昇り降りでいそがしくなるぞ
・地に高天原ができる
→ 幽界を神界の一部に、力にまで引きよせねばならんと書いてあるので、神界(+幽界)と現界の入れ替えと予想する。また、後から来た守護神先になると書いてあることも同義と思われる。
要するに、上で楽していた神々臣民は下に沈み、下で鍛えていた神々臣民が上がる。
・完全にミロクの世になるまでに、御社・市場・役所をあわせたようなものができる
【10月7日(旧九月八日)】
・日月の大神様が「みろく」の大神様なり、千(チ)の御先祖様 九二の御先祖様と御一体となりなされて大日月の大神様と現はれなさるなり、旧九月八日からは大日月の大神様とおろがみまつれよ。
・大日月と現はれたら、何かの事キビシクなって来て、建替の守護と建直しの守護に廻るから、その覚悟よいか
・これから三年の苦労ぢゃ、一年と半年と半年と一年ぢゃ
・因縁のあるみたまが集まって来て人のようせん辛抱して、世界の立替立直しの御用致すのであるから
→ 最後の掃除が終わった後、因縁の身魂が27~29年まで苦労して立替立直しして、ミロクの世へ。
《大峠後に来る、ミロクの世とは》
・神代より上で、光り輝いている世界
・半霊半物で、体が大きくなり、寿命が伸びる(『御聖言』では、今でも千年は生きれるとあるので、それ以上になるかと)
・家倉、履物も変わってくる → 体が大きくなるのだから、他の物も大きくなる。もちろん、それらも半霊半物。
・暑さ寒さもやわらぐ → 極端に相対的な世界は終わる
・それぞれ先が見えて、知恵比べの必要がない
・小便大便など、不潔というものがない
・金は要らない。与えて与えて与えつくす政治経済
・上下の順番は決まっていて変わらない。ただし、上も下も嬉しく、草木も喜ぶ世界
・悪を殺さんとし、悪を悪として憎む想念はなくなる
・新天新地は、幾度となく繰り返されている
・さらに上の世界があるので、ミロクの世となっても努力が必要
今の臣民には見当つかないらしいですが、光り輝き、マイナス要素がない世界。神人の世となれば、神も造れるようになると『御聖言』に書いてあります。恐らく、神=魂であり、分霊できるようになるということではないか?
また、『明日の神』(米国では2004年出版)には、三十年以内に全体的変化が起こり、その臨界量は全体の2~4%と書いてある。日本の臣民三分といえども二分、世界が二分なので、結構ぎりぎりの人数。
そもそも何で天の神たちがミロクの世を造りたいかというと、『御聖言』に天界は人間の目には見えないが、それを物質として地上に現し、神の子(人間)たちが喜んで暮らすことを楽しみにして計画したと書いてある。しかし、放蕩息子は貰う物だけもらって
感謝もせず結局親元に帰らず、みんな獣と見分けがつかないほど霊性が下がってしまい、ついには警告していた終末・末法の世を招いてしまったと、天神たちは終始嘆いたり怒ったりしている。
《ミロクの世へいけなかったら……》
・神の気概に叶わない人民は地の下。お出直し
→ 今までの地球と似たような下の世界で転生しながら、再び上を目指す。
・幽界を神界の一部に。暗い所へ落ち込んで末代浮かばれない
→ 神界の一部となった幽界の中で永久に近い時間を過ごす。『御聖言』では、よほどの贖いをしないと元に戻してもらえないとあるので、僅少ながら現世復帰の道があるのかも。ただ、幽界地獄にて、何千年とニエクリ返る苦しみにもだえ死に得ず生かされ……など、不穏なことも書いてある。
・毒にも薬にもならない臣民は草木に変えてしまう
→ この宇宙は相対的であり、悪がないと善という概念は存在し得ない。ゆえに、善として苦しんだわけでもなく、悪として反転した世を引っ張ってきたわけでもない人は実質的には役に立っていない。なので、ミロクの世では草木として暮らします。ただ、ミロクの世は草木も喜ぶ政治なので、悪くないかも。
・神なぞどうでもよいと言っているような身魂は灰にする
→ ひどい鼻高・我良しの人は、この宇宙から存在自体が抹消される。
《身魂磨きと改心について》
・この神示を読むことが洗濯や掃除の初めで終わり
→ 声に出して読むことで、守護神(心の自分)の改心が進む。
・身と魂が一緒になったものが身魂
→ 身は体、魂は意識
・霊体一致が喜びの根本
→ 霊=魂=意識
・小乗の行から大乗の真理を掴む
・天明阿房になりてくれよ、我捨ててくれよ、神かかるのに苦しいぞ
・考えないで思うとおりやるのが神のやり方
・生まれ赤子と申すのは、学も我も出さん水晶のこと
→ 何も考えない状態であり、その状態であれば神懸かれる
・考えれば曇る。利巧なくすと神のキ入る
→ 雑念=曇り
・心の中の獣を善きに導くことがマコトの改心
→ 鼻高、我よしのこと。要は人より優れている、自分さえよければよいという心。『御聖言』には、逆の卑下慢も鼻高となるとある。人間は神の創った最高の芸術作品とあるので、それを卑下することは傲慢だということらしい。
・芸術から神の道に入るのは誰にでもできる
→ 神は芸術を愛すると昔から言いますが、何でも余計なことを考えずに集中すれば、芸術に限らず神かかれる状態になる。
神に祈ればこの世の難は逃れさせてもらえるが、身魂磨き・改心ができていないと獣化してしまう。ゆえに、身魂磨き・改心が第一。
そして、身魂磨きといえば、日月神示を声に出して読むことだが、小乗(初期仏教)の行から大乗の真理を掴むとあるように、個人的に心を制する修行を薦めている。
ということで、大雑把に意識的に生きる方法(瞑想)について書いていく。はじめにざっくり言うと、体の感覚を意識することにより、余計なことを考えないようにする方法論が主である。要は神示にあるように、身(体)と魂(意識)を一つにすることだ。
・背筋を伸ばして座り、ゆっくり呼吸をする。そのとき、お腹の膨らむ感覚、引っ込む感覚に意識を向ける。神示には特に丹田(へその数センチ下)が重要とあるので、丹田を意識するとよりいいだろう。
・手のひらを意識し、内側の微細な感覚を感じ取る。慣れてきたら、体全体で微細な感覚を意識してみる。(『本当の自分とつながる瞑想』)
・大いなる存在と繋がるのは、体の内側(インナーボディ)なので、少しでもいいから体の内側を意識する。(『さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる』)
→ 『御聖言』には、幸の神は汝らの肉身のうちにあり、『日月神示』には、内の自分は神、天の声は内から聞こえると書いてある。
便宜上、神霊界は上と書いてあるが、実質的には、体の内側ということになる。だから人間の肉体は想念の最外部で最低部であり(神霊界の写しとして現界がある)、それが存在しているこの世も最外部で最低部。
神の前に固くなってはならんともあり、雑念を払うために一時的に強く集中することはあっても、それ以外の時はやんわり意識する程度でいい。
・自分が今何を考えているのかを観察する。そうすることで、観察している本当の自分に気付く。また、感情は思考活動が体に反映されたものなので、それも観察する(『さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる』)
→ 『神との対話』には、一瞬も怠らず、思考・言葉・行為を見張れとあります。自分を客観視している状態(もう一人の自分が自分を見ている感覚)、脳科学で言うメタ認知であり、霊主の状態だと思われる。
自分が考えていることを見ようとする → 思考が止まる → その状態を無理ない範囲でキープする。といったことを反復して練習してください。
・鼻高、我よしが、自分の中にもあることを頭の片隅に置いておき、実際に悪想念が浮かんだ時(その時自覚できなかったら後で気づいた時)に“この考えは鼻高だな”
“これは我よしの考えだな”と心の中で言葉として自覚する。自分の汚い心にコト(言葉)を向ける。
・ただ存在するということは、純粋に神であるということ (『神との対話』)
→ 暫く呼吸に意識を向けた後、その意識を手放すとただ存在する状態になります。慣れてくると前置きなく、この一番楽な状態になれます。
疲れているとき、やる気がないとき、寝るときは、体への意識も手放して、思考を手放し(思考への抵抗をやめる)、ただ存在してみましょう。
・鏡で自分の目を見つめる。落ち着かない気分になっても見つめ続ける。そして目を閉じて、その後の気持ちをじっと感じる。(『神へ帰る』)
・呼吸に意識を集中した後、両目のすぐ上の額の中心部に意識を集中し、内なる目でそこを見つめる。すると何かが見えてくるので、呼吸に意識を集中しながらそれを見つめる。すると青い炎のようなものが見え、体全体に感じられる。それがあなたの魂である。(『明日の神』)
・呼吸を意識した瞬間にそれ自体がストレスとなり自律神経のバランスを乱してしまうことがある……ゆっくり動くと自然と深い呼吸をし始める。(『自律神経を整える「あきらめる」健康法』)
→ 神示にも無理することは曲がることだと書いてある。仏陀も骨と皮までになる苛烈な苦行をしたが、最終的には苦行を捨てている。何でもそうだが、無理は禁物であり、完璧にやろうなんて思わないこと、疲れたら素直に休みましょう。
『御聖言』には、精進とはちょっとの無理を積み上げることで、大きな無理をすれば道から外れて壊れるとある。
≪日月神示の考え方・方針など≫
【日月神示において、悪とは何か?】
・悪とは他を退けること
→ 人を批判したりする、分離的な考え・言動には注意
・天狗・我よし
→ 天狗は、人と比較して上だ下だということ。仏教では、卑下慢(自分は劣っている)は煩悩としている。『御聖言』にも同様の記述がある。
・理屈は悪、悪にくむこと悪、悪を悪と見るのが悪
→ そもそも善だ悪だ、上だ下だとやたらに判断しない方が良いです
・善も悪もあるのが人
→ 幽界からのキ、悪のキを断つためには‘霊主体従’‘今に在る’状態をキープする練習が必要
・和すが善、乱すが悪
→ 来るべき世は、調和の世界です
・世間や他人を恨むことは自分を恨むこと、与えることは戴くこと
・一切が繋がり、一切が自分
→ マクロの視点では、この世界には一者しか存在せず、その中に我々がいる。そして、みんな繋がっているので、他の人や動植物にやったことは自分に返ってきます。『神との対話』には7倍になって返ってくるとあります。
「神示に肉食は駄目って書いてあるのに、あの人は肉を食べているから悪だ!」って言うのも退けることであり悪です。また、上下が逆さになっている現在の世界では悪でないと動けないとあるのは、競争力の強い人であり、分離的な性質の人のことであり、いわゆる悪い人ではないと思われます。
この方悪がかわいいとも書いてありますが、いわゆる悪い人は嫌なことをして他の人のめぐりを取って、自分はめぐりを負うという汚れ役をやっているのでそう言っているのではないだろうか。
【日本人は、肉類禁物だが……】
神に捧げれば大丈夫ともある。また、『御聖言』では、意外にも肯定的に書いてある所がある。しかし『神との対話』では、全面的に否定。基本方針は、菜食主義と思って間違いはない。
肉だけでなく食べ物全般について、そもそも食べ過ぎている、神にささげてから食べれば半分で足りるとも書いてある。
【良いことは人に知られないようにする】
いわゆる陰徳というもの。知られて人から褒められると、それが報酬となって本来のリターンが減る。五十九の身魂が、人から見てもわからない鍛え方をされているも同じで、同情されると今後に貰えるリターンが減るのではないか。つまり彼らは、どんなにきつくても同情されることはない……。
【我々しだいで変わる】
・臣民この世の神
・臣民の心しだいで良くも悪くも出てくる
・嬉し嬉しで大峠越えられる
・大難を小難にできる
・心次第で皆救われる
『神との対話』にも、あなたがたはすぐにでも世界の飢餓や病を終わらす力が備わっているとある。また、『神との対話2』には、世界平和は個人的な意識の問題であると書いてある。
全ての鍵は、神と人との調和(神人合一=神と神の子で一つ)、人と自然との調和(自人合一)、人と人との調和であり、それはとりもなおさず、個人的な意識の変化だ。
【すでに当たっている予言】
・天まで分け盗って(風・9帖) → 空中権(2001年に施行)
・お土の上堅めて(天つ・29帖)→ アスファルトは、1960年代以降に普及
・今の臣民日をいただかぬから病になる(地・9帖)
→ 美白とか紫外線による肌へのダメージという概念は当時はないはず。つまり、ここ二十年前後くらいの現代人への指摘。
・我さえ良ければいいと世界の臣民なっている(岩戸・8帖) → 今まさにそうなっています
・腹さえ切れぬ様なフナフナ腰で大番頭とは……(天つ・16帖) → 2024年前半に起きたことだと思います。自分の腹は切らないが、人の首は切るトップについていく人はいない。また、2025年の参院選後にもありました。
・女のメグリは恐い(岩戸・10帖) → 2024年に入って、主に芸能やスポーツ関連の人が訴えられたりしてます。そしてご存知の通り、2025年に入ってすぐに過去最大のものがありました。
・海のつなみ、前に知らせてやる(地・21帖) → 『私が見た未来』のオリジナル版がそうだと思います。
・足りないといっているが、余っているではないか(富士・8帖) → フードロスの問題
・オロシアにあがりておりた極悪の悪神……悪神の国から始まって世界の大戦愈々激しくなる
→ 戦争がロシアから始まり、広がっていく。日本は真ん中の国、西に戦争しつくしとあるので、日本から西方で戦火が広がる。ただ、上記した通り、メインは人間同士の戦争のことではないかもしれない。
【言霊】
日月神示には、よい言葉を言うために口があるとあり、御聖言には、悪のコトバにて「償いの世」どんどん霊界につくりてとあり、どちらも言葉に気をつけるよう説いている。
【一二三】
一が神代、二が月神の世、三がミロクの世。一二三は、息吹きとも書いてある。また、富士の巻十五帖、キの巻・十一帖、日月・三十二帖など他にも複数意味があると思われる。
【不二と鳴門】
『御聖言』によると、日本の霊界において富士山は世界全体を現していて、峰が日本であり、当然上が悪くなると下(他の国)も悪くなる。つまり、日本の守護神(霊界における日本人)=日本人の心が悪くなると、
それがこの世にも波及してくる。その波及効果が鳴門の仕組みであり、日本が世界の雛形といわれる理由。ゆえに、日本が良くならないと世界は良くならない。
【時節】
神示には時の神様は恐い、時節が過ぎると叶わない、やり直しできないとある。ある時点を越えると、本来叶う願いも叶わなくなり、後戻りできなくなる節目が存在するらしい。
【借銭・メグリ】
自分ないし自分達がしたことが返って来ること(現世だけでなく過去生も含む)。一家、国家、人類単位で負っているので、これからそれを返していく。損・病気・怪我でメグリが取れるとあるが、無駄な苦労はしない方がいいとも書いてある。また、悪口を言うとメグリをつみ、言われるとメグリがとれるとも書いてある。
単純に汚い言葉、思い、行いはもちろん借銭なのだが、日月神示には知らずに主神に無礼になっているので謝罪せよとあり、御聖言でも同様なので、神に対しての借銭が主な感じもする(下記【神に祈る・謝罪する】参照)。
また、御聖言には、早く楽しようの邪欲が悪業の一つ、ただ儲けるだけが人間の人生という考えが滅びの原因とも書かれている。日月神示も同様で、基本的に棚ぼたで楽して何かを得ようとすることは悪であり、金や物への執着も悪である。そもそも全ては、てんし様から一時的に貸与されているだけなので、それを自分の物だと言うこと自体が悪業を積む事になる。
【三千】
たくさんという意味で使われている。この方さえ三千年の行とあるが、主神と日の神は、一万五千年前から日本に封じられたので、実質は一万五千年の修行と思われる。
【取次に聞いてもわからない】
日月の巻・三十四帖に、自分はどうしたらよいか、取次に聞く人がたくさん出てくるが、神示を読めばわかると書いてある。ただ、日本中に世界中に知らせてくれとあるので可能な方はどうぞ。特に外国語が得意な方は、それぞれの国にやり方が伝わっていると神示に書いてあるので、そのことも知らせてください。
【『日月神示・謄写版第一訳文』とネット上にある日月神示との違い】
2022年に『日月神示・謄写版第一訳文』が出版された。ネット上のものと大差ないと思いきや、一文字違いで大違いの所を発見。それは、上つ巻第三十八帖の三分の一の臣民になるぞというところだ。驚くべきことに『日月神示・謄写版第一訳文』のほうでは、三分の二になっているのだ。これが単なる誤植でなければ(この本、誤字脱字が多い)、このタイミングで出版されたのは、良い時節へ変わったというお知らせだろう。たつき諒さんも、大災難の後たくさんの人が生き生き暮らしているということを描いているので、ミロクの世に行ける人が2、3%ってことはないだろう。まあ、一度は大体の人は死ぬみたいだが。
【最初の十二巻】
十二の巻を腹に入れておけば無事に峠越せるとある。文字を読むのが不得意な人でも、ここまでは読むこと。
【合わせて三十巻】
二十三巻の終わりに、合わせて三十巻とあるのにそれ以上出ているのはなぜか。日月神示普及委員会というサイトによると、どうやら、天明さんの個人的な事情によるものらしい。そういった理由から、私自身は、合わせて三十巻とあるので、合わせていいなら三十巻までが正式な神示だろうと判断している。
【特殊文字の意味と読み方】
・(チョンみたいな印) → 神、霊、魂、中心、日本、火、主神、ム(無、無限、霊界)、始め、終わり
○ → 臣民、肉体、外側、外国、水、副神、悪神、ウ(有、有限、現界)、お○(おかみ)→ 主神がいない現世界の現政府
○の中に・ → 神、天、ひつく(ひつき)、喜び、大歓喜、光、調和、火
渦巻きの印 → ナルト、渦海、神の働き、うごき、善・悪、成る、水
十(十字) → 神(縦の棒が火・日の神(真神)、横の棒が水・月の神(副神)を表している。その両者を組んで十(カミ(火水)。そして、その真ん中に主神)
コト → 言(言葉)、殊(特に)
キ → 気、神、上(かみ)
【時節ごとの礼拝・祝詞・歌などが書いてある巻と帖】
・節分
→ キの巻・一 雨の巻・十七 梅の巻・十九
・旧五月五日(2024年だと6月10日、2025年だと5月31日)
→ 空の巻十三
・旧九月八日
→ まつりの巻・三と十五 松の巻・二十一
・神を祀る
→ 下つ巻・二十七 まつりの巻・十八 夜明けの巻・九、十
・祓い清め
→ まつりの巻・十四(日の出の巻・九に、祓い清めの神は、素戔嗚大神とある)
・神のキの頂き方
→ 雨の巻・十五
・祝詞・歌
→ 水の巻・二、三(ひふみ祝詞・祓ひ祝詞・うけひの言葉・御先祖様の拝詞)
黒金の巻・三十九(ひふみ神言・あめつちの数歌・ひふみ祝詞・いろは祝詞・アイウエオ祝詞)
黄金の巻・四十四(奉る歌) 春の巻・三(節分の祝詞)
《まとめ》
やるべきことは、日月神示を読む(できれば声に出して)、神に祈る、仲良く暮らす。余裕のある人は、瞑想したり、芸術に親しんでください。それらを無理ない程度に毎日実行してください。
次に、日月神示・御聖言の語句等について考えていく。
≪‘神’についての考察≫
【神とは】
・一神であり多神
→ 神とは調和である
・同じ神、善と悪と二つある
→ この中(神示)にも化け物がおるとあるのは、悪神のことか? この方、化けに化け、悪神とも現れと書いてある。また、ウシトラノコンジン(国之常立尊)は、太古に北の極みにサタンとして落とされたらしいが、北から攻めてくる悪神も、それを締め付けて改心させるのも、両方ともに国之常立尊ということなのではないか。
・二つある神を一つにする
→ 善悪もそうだが、日の神と月の神も一つになる
・悪神の眷属はまだ良い、悪の改心はやい
→ 表と裏に過ぎない。そもそも神には、人間が言う善悪という別がない。
・立派な神前でも悪い気持ちで祈れば悪神が感応する
→ その逆も真で、気持ちしだい。
本来は善悪の別はないそうですが、便宜的に今は分かれており、今度は一つになる。そして、神と神の子で一体(神人合一)なので、我々(地の日月の神)も一つとなる。
神示の文言から、善悪表裏一体のような感じがするので、悪神側の人でも拝んでいる神は同じなので、一度悟れば改心は早いのだろう。
【この方】
この方(天の日津久の神)は一柱ではなく、臣民のお役所のようなものとあるが、そもそも神名を名乗らず‘この方’としているのは、有名神は名乗るだけで注目を集めてしまい、調和が崩れるからだと思われる。つまり、我を出すことは調和から外れるということであり、神も例外ではない。
日月神示には天地かもう神でも我出せん、御聖言には神も仏も我は許されざるとき来るとある。
【親様と一粒種】
・親様(国之常立尊)を泥海(低次元の世)にすまわせるのは申し訳ないので天に帰った
→ それを引き継いだのがこの世の大神である素戔嗚尊(天子=天神である国之常立尊(天では天之常立神でもある)の子)。元々ウシトラノコンジンは国常立尊の蔑称だったが、我が子にまで天の咎を負わせとあるので、それを一粒種である素戔嗚尊が引き継いだのではないだろうか。地の金神とあるのは素戔嗚尊のことではないだろうか。
そして、めぐりは自分がしたことが返ってくることなので、それが国之常立尊に返りそれが原因で下に沈み、三千年の修行がすんだ素戔嗚尊が上になる。だから、天からの竜神は退化し、地からの竜神は進化する。
それと、素戔嗚尊はイザナギノミコトの鼻から生まれたわけだが、肉体を生んだのがイザナギノミコトで、その肉体にかかった霊が国之常立尊の霊ということだと思われる。
【神に祈る・謝罪する】
・根本の大日月大神様と念じ、必要に応じて何々の神様とお願いする
・五柱の神(雨の神、風の神、荒の神、岩の神、地震の神)に難逃れさせてくださいと祈れば、この世の難を逃れさせてもらえる
・着る物食べ物に困ったら、竜宮の乙姫様に祈る
・てんし様拝めば御光出る、てんし様よくなれば皆よくなる
・どうにも人間の力では出来ん様になったら お地(つち)に呼びかけよ、お地(つち)にまつろへよ、お地(つち)は親であるから親の懐(ふところ)に帰りて来いよ
・主神を崇める、崇教起こせ(御聖言)
・大難小難にまつりかえてくださいとお願いする
大前提として、マコトで祈らなければ通じない。同じような意味合いで、神々様の届く行で申せよ。とか、膝元に居ても言葉ばかりの願い聞こえんぞとも書いてある。ならばどう祈ればよいか? 両神示には、祈るとは意が乗ることと書いてある。これは上記の通り、雑念が無い状態かつ、体の内側を意識した状態のことで、その状態で祈れば通じるということだろう。
また、真神である日の神、主神のてんし様は、罪を着せられ日本に閉じ込められている状態にある。海の水が注連縄と同義で、鳥居の注連縄は真神・主神を締め出す意味合いのもので無礼となるらしい。
特に、てんし様の肉体は日本の国土であり、それを塞いで息できぬようにしている。さらに、貸し与えているだけの物を自分のものだと主張し、礼の一つもない。おまけに、たたり神だの荒神だのと無礼千万状態。なので、謝罪が必要である。しかし、心より謝罪し御神徳を賜れるよう願えば、その日その時から良き方に回して頂ける。また、てんし様にまつれよ、みことに服ろえよ(みことは、天津日嗣皇尊大神のこと。つまり、てんし様)、このこと出来れば他に何も判らんでも峠越せるともある。
恐らく、てんし様はこの世界自体であり、全ての生みの親なのだろう。また『御聖言』には、人間の為のみの物、金、肉と思いたる汚き心こそ、大ミソギハライの真の深因とあるので、どちらにしろ、神への借銭が今般の終末の一番の原因とみて間違いないだろう。
さらに、『御聖言』には、主神は神々の万生万物の生命そのもので順序と法そのものであり、主神を忘れて神仏を祀っても救いは微々たるもの、主神に詫び奉らん心が行となり功しとなるとある。そして、日月神示にもてんし様良くなれば皆良くなる、素戔嗚大神に毎夜毎日詫びなければいけないとある。とにかくてんし様が大事。
【神かかっていないものはない】
『御聖言』に、親神の他力なくしては、神々も大仏も人の子自然も創り得るものなく……魂と霊体、肉体より引き上ぐれば命すぐ止まらんとあります。つまり、全ては主神であるてんし様の力(火水の力)あってこそ存在し生きている、ゆえに神かかっていないものはないし、臣民のものはなく、みんなてんし様の物だと書いてある。
【神力と学力の戦い】
神示には低い学に捉われとあり、御聖言には仮学、加工仮学(神から与えられた物を加工しているだけ)とあり、神との対話には幼稚園年少組と、我々の‘学’は散々な評価です。しかし、冷静に考えてみると、自分の住む星を破壊し、最低限の平和すら実現できずにいます。どう考えてもレベルが高い種族ではないです。
全部が学問・科学とは言わないですが、地球を破壊しているのは人間が生み出している化学物質ですし、神や自然から離れさせている大きな要因は、自分たちが全て創り出し、何でもできると勘違いさせている学問・科学にあると思います。だから、神様の評価が散々であるのは当然だと思います。
御聖言には、ゴマの一粒も自分で作れていないではないかとあります。これは、栽培して収穫するとかいう話ではなく、ゼロから作れていないということです。
上記したように、我々は、色々な物を作っていると思っていますが、なぜその資源が存在するのかあまり深く考えていません。しかし、宇宙138億光年という超広大な中で、地球は長広大な砂浜の砂の一粒程度の大きさ程度であり、そこに多種多様な生物が住める環境があり、工夫したら発展できる環境もあるのは、偶然の一言では片付けられないでしょう。単純に朝に日が昇り、夜には月と星の光が照らすということ一つとっても偶然の訳がないと思います。何が言いたいかというと、運営者がいないとこの世界が成り立つわけがないだろうということです。
それと、アカとあかとあるのは、あかでみっく(現代の学問、低い学)とアカデミック(神智、霊智、高い学)と思われます。つまり、神力と学力の戦いのことだと思います。他にもアカの世からキの世とあるのは、アカデミックから気(想念)の世界への変化を言っていると思われます。
【天地の大泥棒】
本来、表舞台で働くのが日・火の神だが、副神の月・水の神がそれを奪った。日の神からすると、月の神は天地の大泥棒だが、『御聖言』には、日の神には暫く舞台裏に回ってもらったとある。おそらく、最上位の神からすると計画通り。
【国之常立尊=時の神】
その昔、『ドラゴンヘッド』という漫画が流行った。神示によると、世の元からの神様たちは竜体で、そのトップが国之常立尊である。つまり、竜の頭領からのお知らせともとれる。仮にだが、この漫画が形を変えた預言書だとしたら、足元のびっくり箱、エドは火の海、富士の山動くまでとあるのは、これのことなのかもしれない。また、国之常立尊=竜の頭領=竜頭=時計の調節ねじ=時節の神ではないだろうか。
また、ゲームの『クロノトリガー』は、意味的には時間の引き金であり、発展していた魔法王国が滅んで原始時代に戻り、中世現代を経て、近未来的な都市が火の雨で滅ぶというストーリーなのだが、恐らく、未来も含めて、直近一万五千年の人類史とほぼ同じと思われる。つまり、これも神かかっての警告なのではないか。
【不動明王】
大日如来の化身で宇宙の中心らしいが、日月神示では、力を制限されているようなことがかかれている。恐らくは、てんし様=不動明王なのだろう。それと、上記したが、鼻は顔の中心にある。
つまり、中心を表している神仏は、名前が違うだけで、大体はてんし様ではないだろうかということ。上記の時の神もそうだが、おそらく言い方が違うだけで、ほとんどが国常立尊かてんし様かだと思う。
【なぜ神がいて、こんなことになるのか】
全ては、世の元からの計画であるらしいので、少なくとも最上位の神様からすると予定通りなのではないか。現在のような状態が予定通りなの? と思われるだろうが『御聖言』には、元々の霊止(ひと。霊界の最外部最低部を神に変わって治める人)は力がありすぎたので、クスリ(木の根から抽出した毒)で力を削いだとあり、
また、人類進歩のために神主霊主から仏主物主の仮の世、月の教えの世として、釈迦の正法(神との波長合わせのやり方)を暫く隠し、肉身だけと思わせとある。上記したように、肉体は付属しているだけで霊(魂)が我々の本質である。つまり、本質をどんどん忘れさせるように仕向けている。
それで進歩するのかと思うが『神との対話』には、下が分からなければ上は分からない、魂の目的は全てを経験しそれにより全てになること、全てはプロセスであり、神である自分を忘れるのもその一環とあると書いてある。つまり、我々を率いている神様がしたかったのも、対極の経験をしてから元の状態に戻って、それらの経験(神の鍛え、試し、振るい)を生かして更に上の世へ送る計画と推測される。
ただ、我々に近い神様達は、もっと早くに自力で戻ると思っていたらしく、無茶苦茶怒っている。日月神示には、上の神様にお断りする理由がなくなったともあり、『御聖言』では、神は辛抱心桁外れとしながら、大神にもあからさまに怒っている方がいるとある。
また、神に行き詰まりはないとしつつも、その一厘の仕組みすら実行できるか怪しい状況とも書かれていて、我々はかなりの崖っぷちにある。だが、『日月神示』『御聖言』でもミロクの世が来ている記述があるし、『神との対話・完結編』には‘これから青年期を迎えるあなたが’とあり、『私が見た未来』では大勢の人が光り輝く世で生きているので、そこについては心配ないように思う。つまり、後は自分がそこに行くだけということだ。
【神無き国は往生】
国のトップを神のように崇めているような独裁国家は無くなる。
≪霊界・魂についての考察≫
【霊界とは】
・神幽現タテの三界と前世・現世・未来世のヨコの三世に亘るタテヨコ三千世界(御聖言)
→ 神界と霊界は一つで、幽界と現界と合わせて三つ。それぞれが七段階に分かれており、さらにその一つが七段階に分かれている。
ヨコは時間軸で、『神との対話3』には、宇宙には全ての自分の転生が存在しているという主旨のことが書いてある。今の自分の選択で、過去も未来も変わる。
・霊界は想念の世界で、明確な空間・時間は無い(変化はある)
・霊界にある物がこの世へ写って存在している。ゆえに、この世にあるものは、あの世にもある
・人間の肉体は、想念の最外部、最低部
→ 人は本来、霊止(ヒト)。つまり、想念世界の一番下を止める、神の地上代行者
・霊界には、自分の心を肉体としている人がいる。それが神(守護神)であり、上も下も数限りない。ただ、認識できるのは7か8
→ 上で楽していた守護神がきつくなり、後から来た守護神先になるは、天からの竜神は退化して、地からの竜神は進化すると同じ意味のように思う。『神との対話』に、先に行っている人が後の人を引っ張っているといった文言があったように思 うが、上に乗っている自分が下の自分に負荷をかけて鍛えて、その上で引っくり返して上の世界に送るということなのか? 天の神からの神示なのに、地から世持ちて嬉し嬉しと申すこと楽しみとあるのもそういうことなのか?
・あなたは身体、精神、本質的な命である霊魂という三つの部分からなる存在だ(神との対話)
→ ・霊主心従体属(御聖言)
・霊籍には二つあり、一つは神自ら己の霊体をひきちぎりて吾が子として創りし人の霊成型(ひながた)、もう一つは、また神魂引きちぎりて与えし人魂(人間に化けさせる素の霊成型)。これらを組み合わせて「真我の汝・吾」「霊体の中にある汝」「内なる神」ができた。よって本来は、人は神籍に属する「神の子」である。(御聖言)
・死んでも体の外殻は残しており、精神と共に霊魂と一体化し、三つの次元三つの面を持つかたまりになる(神との対話)
→ 中の霊は天国へ行っても、外の霊はこの世に残るぞ。残ることあるぞ、とあるのは、この外殻(肉体に懸かっていた霊)がこの世に残っている状態と思われる。いわゆる地縛霊がこれなんだろう。
・生前の霊人は、生後の地上人を生む。地上人は死後の霊人を生み、死後人たる結末はさらに原因となりて生前の霊人を生む
→ 一連の存在であり、別人であって別人でない
・霊的内奥の自分は神とつながっている。ゆえに、自分がしてるようで神がさせている。ただ、選ぶ力はある。ゆえに臣民この世の神
・地上人の想念の本は霊人そのもの、霊人のもつ想念は神、神の持つ想念の本は大歓喜
→ 大歓喜=大神。つまり、すべては繋がっている。
この世は、霊界の写しであり、イメージ的には、上(神界、天界)に行くほど微細かつ精巧にできている。この世はその一番下なので濃くて粗い。ある意味、この世も霊界の一部であり、この世に生きているときも同時に、あの世にも生きている。死んだら行く場所ではない。
霊的自分が正守護神、神的自分が本守護神、幽界的自分が副守護神とあるので、どの世界にも自分がいる。祖先は過去の自分、子孫は新しき自分、先祖は肉体人を土台に修行しているとあるので、おそらく、本尊(本守護神)は、八枚十枚の衣着ていて、死ぬと脱いで中から出てきて(地震の巻にある本質に戻る)、また八枚十枚の衣を着けるとあるので、神的自分が分霊して一般霊界へ生まれ、ついで現界へ生まれて死んで、現世の行いに応じて各界へ散っていっている(過去生も未来世も霊体として存在している)のではないだろうか。
【転生の範囲】
草木に成り下がっている、草木は虫に食べられるのが嬉しいとあるので、人間、動物、虫、植物の全範囲で転生している。日月神示には八分が獣の臣民とあり、御聖言には、汝等前世はせいぜい、狸か、狐か、むじなか、蛇か犬位の魂で、辛うじて人間に転生を許されていると書いてある。一般的なスピリチュアルでは、人間は人間にしか転生しないと言われているが、『御聖言』には理由があって嘘も教えてあると書いてあるので、そのうちの一つだろう。
【魂とは】
日月神示では、大神(宇宙)の中に神が生まれ、神の中に人間が生まれたとある。また、『神との対話3』では、一つの魂の中に多くの魂があり、魂が肉体を運んでいる、魂はあなたを束ねていると書いてある。おそらく、大神という大きな魂があり、その中に神の魂があり、さらにその中に人間の魂(この中に肉体、霊体(過去や未来の人生を終えた自分)、守護神(神霊界の自分)がいる)があると思われる。
【類魂】
『シルバーバーチのスピリチュアルな生き方Q&A』には、大きな意識を構成する小意識の集団で、全体の進化のために体験を求めて降誕をしてくると書いてある。また、一個の高級霊が複数の霊をまとめていて、その霊たちが高級霊から霊的養分を貰っているとの説明もある。
【死産の子も祀らねばならん】
『シルバーバーチのスピリチュアルな生き方Q&A』に、受胎が発生した時点で生命があり、生命があるところには霊が存在していると書いてある。では、死産や中絶の場合、その子はどうなるのかというと、霊界で成長するらしい。なので、なるべく中絶は避けるべきだが、動機が考慮されるらしい。それは、自殺なども同様と書いてある。
【そなた達は父と母と二人から生れ出たのか。さうではあるまいがな。三人から生れ出てゐること判るであらうがな】
肉体を作ったのは父と母だが、その肉体にかかった霊は、霊界から来た霊である。よって合わせて三人となる。
《その他の語句の考察》
【風の巻・第二帖の記号】
●がスメラで、逆になっているということから、上から人(臣民)、月神(副神)、日神(真神)、主神(正神)。また、二柱の神があり、旗印も同様とあるので、旗印にも善悪があるということではないか。
【世界の片端浜辺から愈々がはじまる】
3.11がそうだと言われたりしたが、恐らく違う。なぜなら、日月神示には、日本は真ん中の国とあり、それを片端と表現するのはおかしいからだ。つまり、日本から見て端っこの浜辺から愈々が起こってくるということだ。
【剣と鏡だけで玉がない】
月読尊は保食神を剣で殺し、天照大御神は鏡に映った自分を貴い神と思ったエピソードがあるそうなので、月神が剣、日神が鏡。また、勾玉には弥栄、パワーの中枢、超自然的パワーが輝くという意味合いがあるそうなので主神のてんし様(日本翡翠情報センターのHP参照)。
剣は二(副神の月神)と四(見た目人間、中身は獣の四足獣人)で、落ちていた鏡が世に出るとあるのは、真神の日の神と日神の民の五十九の身魂。そして、主神のてんしさまが落ちるところが無い所まで落とされている。
【ア・ヤ・ワの身魂】
アは神示、ヤとワは左と右。アは元のキの神の子、ヤは渡り手来た神の子、ワは渡り手来る神の子とある。おそらく、元の神(国之常立尊)の子なのでてんし様、ヤとワは五十九の身魂のうちの左大臣、右大臣。
【神国と日本】
神国大丈夫でも日本の国大丈夫とはいえないとあり、両者を分けている所がある。神界の日本が神国?
【臣民と人民】 ※ 再考
ヒツグ(神国の民)が臣民で、ミツグ(外国の民)が人民
【悪を抱き参らせる】
悪を理解して調和するという意味合いもあると思うが、全部ができるならば灰にしたり幽界送りにされたりしないだろう。また、お人よしがいい人ではないというのも、悪全部と仲良くはできないという示唆だと思う。
当たり前だが、平和な世にするのにテロリストがいたら平和にならないし、彼らを説得すること自体が無理だろう。『神との対話3』には、正反対の力を融和させようとするのは無駄な努力だと書いてある。
幽界を神界の一部にするのも(春の巻・四十六帖)、悪を抱き参らせるという一つだろう。ただ、一部にするとはいうものの、この幽界について、日月神示では暗いところでずっと過ごさないといけない、御聖言では、幽界地獄などといわれているので、良い場所ではないだろう。
もちろん地獄は無く、相対的に見て暗い世界という意味合いで比喩的に言っているのだろうが、行かないほうがいいだろう。
また、霊が善なら肉体は悪ということで、霊主体従のことも言っているのではないだろうか。似たような意味合いで、悪と手結ぶとは幽界と手を結ぶこととあるので、幽界的自分(悪想念)を否定するのではなく、自覚して認めることでもあると思われる。
同じく、『さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる』には、大いなる存在と一つになると二元性を超越できる、全てをあるがままに受け入れれば善悪はなくなる、善悪は思考の決め付けであると書いてあり、自分の心の悪を抱き参らせることとも解釈できる。
【上の者下に、下の者上に】
・上に立つ番頭殿、下の下まで目届けておかんと日本つぶれるぞ、つぶれる前にそなたたちがつぶれる
・人の手柄で栄耀している臣民、もはや借銭なしの時になりた
・人類のめぐりは人類の誰かが負わなければいけない、それが善人が苦しむ理由
・よき人民苦しみ悪い人民楽している
・踏みつけにされていた臣民上になる
→ 本来人類全体で負うはずの借銭を下の人たちが肩代わりしている。ゆえに、下がつぶれるとそれが一気に上にきて上がつぶれる。途中の人もつらくなるとあるので、下がかなりの借銭を請け負っているのではないか。しかしそれも、本来は上の人に下を経験させつつ鍛えるためでもあるのだろう。それと、重荷を背負わせている、重い石のせたタクアンうまいと書いてあるが、重荷=重い石=借銭ではないだろうか。
・持っているものは失い、持っていない者はより失う(御聖言)
・天国の門、貧者富者の別ない
この世界は逆様になっているという。神は五大州がひっくり返っていることが一番気に入らないと神示にあり、重要な天の日津久の神の神社も、麻賀多神社の末社としてこじんまり存在している。
本来、主神(てんし様)を中心に、日の神様が表で活躍し、月の神様裏で働くように創られていて、神が上で臣民が下、同じ神が善と悪と二つあるということから、元々は、上から善のてんし様、悪のてんし様(この方悪神とも現れとあるので、てんし様も善悪分かれている)、善の日神、悪の日神、善の月神、悪の月神、善のてんし様の臣民、悪のてんし様の臣民、善の日神の民、悪の日神の民、善の月神の民、悪の月神の民の順なのだが、それも逆になっている。
しかも、善の神の力が弱いともあり、より極端な世の中になっている。
金かたきの世ともあるのはこれからのことで、キリストが言った、金持ちが天国へ入るのはラクダが針の穴を通るより難しいも同じだろう。ただ、両神示の言葉からわかるように、貧乏なら助かり、お金持ちは助からないという単純な話ではない。貧乏だと苦労するので借銭返しは進むのでこれからの苦しみは減るが、身魂磨き改心は誰でも必須である。
また上記した通り、天から人が降り地から昇る、上で楽していた守護神苦しくなるとあるので、神霊界と現界の入れ替えも上下引っくり返すに入っているのではないか。御聖言には、引っくり返しのそのまた引っくり返しとあるので、大きなものは二回あるのではないか。それがポールシフトと神現界の入れ替えではないか。
【文明残してカスだけなくす】
今までの自分が無くなるわけではない、いらぬものが無くなるまで、大本も霊入れていよいよ光りだすなどの文言から察するに、少なくとも、歴史文化的なものは残るようだ。カスは、外道の武器(近代兵器)や環境破壊を起こすもの。また、ミロクの世は与えつくす政治であり、金いらんとあるので、貨幣経済は無くなる。また、知恵比べの気負いなくすとあるので、今までの学問も無くなり、神智・霊智と呼ばれる高度なものになる。
ただ、『日月神示』『御聖言』にも、人間が造ったものは出来そこないばかりとあるので、大体の物がなくなる気もする。日月神示にも立替終わったら寂しくなるとあるし、どこからでも地平線が見える感じになるのか?
ちなみに、神様から見て出来損ないではないちゃんとした物とは何なのかというと、一度創造したら自動的に循環するもの、自然と調和しているものみたいです。
【八分通りは落第。今度は落第せんように】
すでに太平洋戦争の時に、一度目の身魂セレクションが終わっている。もしくは、お出直しが多い、新天新地は何度もあったとあるので、実は一定の時節を越えなければ何度もやり直せる。
『神との対話』には、ゲームのCD-ROMに例えたり(選択肢による分岐やマルチエンディングも全部入っている)、時間は存在しない、全ての可能性は存在している、今の自分に戻る人もいるなどとある。3巻目には、この宇宙内に、自分の過去・未来が全て存在しているという主旨のことが書いてある。
ただ、三千世界(縦の神幽現、横の未来過去現在)の大洗濯で、やり直しはできないともあるので、一度目は終わったという意味のほうか?
三千年で一切ともあり、『神との対話2』では、後から来た自分がほっとするとあるので、三千年(人間的には一万五千年くらい)を一単位として進んでいっているのか。
【日暮れよくなる】
日暮れに願ったことは何でも叶うとあるので、神代に返った以降のこと。恐らく想念の世界(霊界)に近い状態になっていると思われる。また、神代から始まり神代へ返ったこの世が終わる時を、日暮れと表現していると思われる。
【一二七七七七七は、次の世の仕組みとは何か】
・元の人三人、その下に七人、その下に七七、四十九人、合わせて五十九の身魂
・大道師~参道まで七段階の位
・ひだりの臣とみぎりの臣があればよい。ヤとワ、その下に七七・・・・
上記から、ミロクの世においての位を一二七七七七七と表しているのだと思われる。七七七七だけで使われている所があるが、御用という意味合いで使われている気がする。
【五十九の身魂】
・地の世界は大国常立の大神様 御先祖様
・大地の先祖の大神様の血統を落して了ふて
・合して五十九の身魂あれば、この仕組は成就するのざ、この五十九の身魂は神が守ってゐるから、世の元の神かかりて大手柄をさすから、神の申すやう何事も、身魂みがいて呉れよ、これが世の元の神の数ぞ、これだけの身魂が力合はしてよき世の礎となるのざ。この身魂はいづれも落ちぶれてゐるから……
・まことの身魂 天駈けり、国駈けります元の種、昔の元のおん種ぞ、今 落ちぶれてゐるとても、軈(やが)ては神の御民とし、天地(あめつち)駈けり神国の、救ひの神と現はれる
→ 地の先祖は大国常立の大神で、その血統を落としてしまってとの文言から、五十九の身魂は、大国常立の大神の血統の人ということになる。ちなみに、大地の神の声 誰も知るまいがな~の所は、先祖と書いていないことと、まつりて清めての文言から、現・主神の素盞鳴大神のことと思われる。
【このミチの役員は別として】
御聖言には、ミチは道にあらず神智、霊智であると書いてある。おそらく、神智、霊智、神示に通じている人、神人共=神人合一であり、中道師以上の役員のことと思われる。
【このミチの役員は一度や二度死んでいる】
一つは、神と因縁深い人は借銭も多いとあるので借銭返し。もう一つは『御聖言』に、神鍛え、神試し、神振るいを受けなければ本質的な昇華はできないとあるので、両方を兼ねている。また、ヤの身魂に関しては、気の毒な型も兼ねている。
【ひむかの御役】
『御聖言』に、神縁の者に陽の聖霊によるバプテスマ施し(日月神示の、“ひむかのお役”と同義と思われる)、峠越えの資格者造れ(種人、ミロクの世の礎となる人)とあるので、これも五十九の身魂の仕事なんだろう。神示にヨハネという言葉が出てくるが、ヨハネはキリストを洗礼した洗礼者なので、神示のヨハネは、五十九の身魂のことと思われる。また、フユにならば霊界の御用に往けとあるので、冬に霊界に行くらしい。日月神示には、新しい霊界は神人共でつくり出されるとあるのでこれのことだろう。
実はこのバプテスマ、五十年くらい前から近年まで、すでにやっていた人たちがいた。それが『御聖言』の著者である岡田光玉氏と弟子の人たちで、岡田氏は天神様たちから、魁のメシアと呼ばれている。本来なら、この人に大峠越えを先導する旗手を勤めさせたかったっぽいが、途中で狂いが生じた、汝たてわけできるはずと岡田氏に丸投げしているところがある。日月神示にも何度も延長していることが書かれており、ここでも延長になった。
【五つに咲いた桜と梅】
・古神道、仏教、儒教、道教、キリスト教
・天理、金光、黒住、大本、世界真光文明教団
以前からある宗教と、新しい神道のことと思われる。桜は元々日本に自生していて、梅は遣唐使によって中国から持ち込まれたんだそうだ。つまり、古いほうが桜、新しい方が梅。
【イシヤ】
秘密結社フリーメーソンの上位組織であるイルミナティというのが通説。日本から出て行って外国で栄えたとあるのが彼らで、イスラエルの十二支族の末裔ではないか。そして、イシヤとしかと手を結ぶことが今回の立替で重要とあるので、日本に戻ってきた彼らと協力して立替立直しをしていくのではないか。
【古事記との違い】
古事記では、イザナギ・イザナミノミコトは、性交により国生みをしているが、日月神示では言霊により生んでいる(日月・24帖)。同様に、古事記では、水蛭子は骨が無かったので流され、泡嶋は人の形にならなかったとあるが、日月神示では、この御子国のうちに隠れ給ひ(日月・30)となっている。
【引っくり返すのではなく、ひっくり返る】
もう立替はできない、地獄の三段目は天国に通じる。つまり、行くところまで行くと復元力が働き勝手にひっくり返る。つまり、我々がこれから経験することは、最低最悪のことである。だが、この世界は相対的であり、下が分からなければ上は分からないとするならば、最低最悪を経験した我々が行く先は、最高最善ではないだろうか。
また、岩戸開きにも悪きあるというのは、世界を分離・分断させている人のことだと思う。つまり、その人たちは期せずして、結果的にひっくり返る手伝いをしている。
【裸ほど大層なものはない】
日月神示には、霊界において、最も中心に近い霊人は衣類を着ていないとあり、『神との対話』には、高度に進化した人は、言葉を使わないし、服も着ないとある。高レベルになるほど、不要なものは使わないし、身につけないらしい。
【心の鏡】
いわゆる仏性であり、神示でいう本守護神(神的自分)のことで、雑念がなくなればそこと繋がるのではないか。『神との対話』では、あなた方は知らないことは無いとあるが、神と直通している本守護神は、全てをわかっているのではないか。
【岩戸】
・てんしさまの光が世界に行き渡るのが岩戸開き
・岩戸開いて表の守護とする
・外国の性根入れたのが岩戸閉め。岩戸開くとは元の姿に戻すこと、神の姿に返すこと
→ 日本を元の状態に戻す。主神を中心に、日の神を表舞台へ戻す。つまり、神代へ返す。
・神人共のまつり、悪神をまつることも岩戸開く鍵
→ 神と人との調和、悪を抱き参らせ、善悪ない世にする。
・神国真中に和す。日本だ外国だと分け隔てることがよくない
→ 日本と外国との調和が重要。
・臣民は欲が深いから、じぶんで岩戸閉めて
・病なくなれば岩戸開ける
→ 金・物への執着や、我よし・鼻高など分離的な考えをなくす。
・大工は大工、左官は左官の岩戸がある
→ グループ・カテゴリごとの調和も大切。
・自分で岩戸開いていれば、どんな世でも楽にゆける
→ 霊主体従の状態。
・霊肉共に岩戸開く
・岩戸開くとは元の姿に返すこと
→ 強制的に霊主体従になる
・一二三唱えると岩戸開くぞ
→ 一二三祝詞を宣ると調和的な波長となる。
・笑えば岩戸開ける
→ 皆が心から笑っているような集団は、調和している。
【一厘の仕組み】
一厘の仕組みとは○に神の国の・をいれること。神の一厘の仕組みがわかったら、世界一列一平になる。とあるので、てんし様が顕現して、世界を治めるということを指していると思われます。
【スメラ神国とユダヤ神国】
神国とは、中心の国を指す言葉なので、現界では日本のことで、それをユダヤ神国と呼んでいる。とすると、スメラ神国は、神霊界における日本の呼称と思われる。
【昔は臣民もなきがらを残さず死んだ】
『御聖言』には、元々の人は非常に高レベルな存在(半神半人、黄赤白青黒の五色人)だったとある。だから、死ぬ時も自然な形で霊界に移行したのだろう。また、現在の性的なものは後になって与えたとの記述から、立替のたびに不便な状態に退化していったのではないか。
【心の中の花火】
岩戸の巻・五帖では、色があり、ミタマによって違うとある。雨の巻・二帖には、上中下三段に分けてある違う血統、黒鉄・十帖にはミタマは上中下三段とある。これらから、心の中の花火は、血統かつ身魂の段階を表すものと推測される。また、‘春とならば萌(もえ)出づるのざぞ、草木許りでないぞ、何もかも もえ出づるのぞ’‘今度は苦労のかたまりの花咲くのざ、苦の花咲くのざぞ’などは、この花火を指していると思われる。
【ス・ナ・ノの身魂】
ス=主なので主神の霊統の人。ナとノの身魂が和合一致とあるので、それぞれ日の神・月の神系統の人。
【素戔嗚尊とスの霊統】
素戔嗚尊は、太陽(天照大御神)、月(月読尊)についで三番目に明るい金星を表している説がある。そして、キリストは私は明けの明星だと言い、ブッダは明けの明星が輝いた瞬間の光を飲み込み悟ったという(『人間ブッダの生き方』参照)。これは、主神の霊統の人だと表しているのではないか。
また、ルシファーが天界を追放された話と、スサノオが高天原を追放される話は非常に似ており、同一の神という話もある(『日月神示とどめの戦』参照)。そして、ルシファーもまた、明けの明星と言われている。
ブッダは、ゴータマ・シッダールタともいうが、ゴータマは最も優れた牛という意味で、素戔嗚尊は牛頭天王頭(頭は牛で体は人間のミノタウロス)とも言われている。つまり、素戔嗚尊は牛で表されており(ウシトラの金神のウシと思われる)、ブッダもその霊統ということだろう。そして、素戔嗚尊は地下の根の国へ
降り、ミノタウロスは地下迷宮に住んでいる、これも明けの明星と同じく素戔嗚尊を表しているのだろう。
【猫に気付けよ犬来るぞ】
十二支守り本尊の中の虚空蔵菩薩は、丑寅の守り本尊で、猫仏と言われているらしい。そして、戌亥の守り本尊は阿弥陀如来なので、こちらが犬来るぞの犬。たぶん、丑寅は国之常立尊のことなので、神は菩薩とも現れは、虚空蔵菩薩のことを指しているようだ。ただ、そうなると、神世七代の神が方角に対応して本尊をしていそうだが、八方位あるので一つ足らない。
大日如来が別格のようなので、別天津神がこれに対応しているのかもしれないが、他の方位に対応している神がわからない。
【スと二と四】
スは主神、二は邪鬼、四は四ツ足で、三つ巴の戦い。
【世界のふみ】
ふで(神示)でなく、ふみ(一般書籍)。日月神示が出て以降に、世界レベルで普及した神典の類は、『神との対話』くらいだと思うので、この本のことかと思われる。
日月神示の24巻以降は、他の所から出ていると23巻の終わりにあるが、24巻以降にある、経験が重要、自分を監視しろ、この方宇宙の神は、『神との対話』の1巻目に書いてある。ひょっとしたら、同じ神様かもしれない。
【臣民物言わなくなる、石物言う】
『神との対話』には、言葉でのコミュニケーションはレベルの低いものだと書いてある。ということは次元が上がると、上位存在である人は、言葉は話さなくても意思疎通できる。逆に、下位存在の石は話すようになる。
【この世は浮島】
日月神示には、漂える天地(くに)の固め、地には凹凸があるとの文言があるので、この世が不安定で未完成な状態であることの比喩とも解釈できる。
【朝日照る夕日たださす所に宝】
『私が見た未来』で指摘されている、日本とフィリピンの中間あたりの海底のこと。『御聖言』では、太平洋に陥没したムー大陸とあるので、シホヒル=ムー大陸再浮上のことではないか。
【すべてのものの本体は、無なるが故に永遠に存在する】
『神との対話』では、愛しかない絶対の領域があると書いてある。そして、相対的な世界(宇宙)は、無限に存在するという。だとすると、今回の立替で灰になったとしても、絶対的領域の自分にとっては、たくさんある世界の一つで、灰になる体験をしたというだけの話かもしれない。おそらく、本質的(絶対的領域の自分の視点からすると)に死はない。
【なぜ息しているのかもわからず】
命とは霊であって物質ではない。我々が死と呼んでいるのは、物質から霊が離れた状態。
【悪も御役】
みんな本質的には、根源の神から分かれた神であって、たくさんある宇宙それぞれで振られた役を演じている。つまり、みんな神様劇場で役を演じている役者であり、全ては役にすぎない。また、世の元からの仕組みで、種はより分けられているので、脚本とメインの配役はほぼ決まっている。
【炒り豆に花が咲く】
厳しい善政に嫌気の差した月神たちは、主神・日の神に炒り豆に花が咲くまで出てくるなと言って現在の日本列島に封じた。ご承知のように、炒った豆に花が咲くことは無い、つまり二度と出てくるなということ。
だが時節が来て、主神・日の神の封が解ける、それを炒り豆に花が咲くと表現した。そして、これも苦の花の一つだろうと思われる。
【守護神・神々様に聞こえるように神示を読め】
この文言から、神霊界に神示が存在しないことが伺える。詳しい事情は書いていないが、天地を引っくり返して、一番下にいた我々を一番上に持ってくるための神仕組みの一つではないか。
【人間の政治経済死んでいる】
政治は我さえよければいいと言う人が台頭し、経済は上位10%が世界の富の76%を所有しているという。
【心の富士に苦の花咲いたら、この世にできないことはない】
五十九の身魂のことで、比喩でなく天駆け地駆け救いの神と現れるのだろう。それと『明日の神』に‘心が閉ざされていない人たち、魂の声に耳を傾ける人たちは……嵐のような力と稲妻のようなスピードで、未来を取り戻すために動き出すだろう’
と書いてあるのだが、これも五十九の身魂のことだと思われる。
【身欲信心】
自分ないし自分たちだけが得するように願うこと。『御聖言』には、大神大仏を日雇いする無礼に気付かない御利益信心ものに災いが重なってくると書いてある。また、物よ金よ儲けることだけが人間の人生と考え、神地上代行者であることを忘れたことが人間が滅びる因だと書いてある。さらに、神が祓戸四柱の神にちょっと言えば、気象の急変化、原因不明の火事、機械の故障、災害も朝飯前と恐いことも書いてある。心当たりのある人は謝っておいた方がいいだろう。
【外国同様なれど筋が通っている】
現在の日本は、クリスマスをやった後、神社お寺にお参りし、葬式は仏教、結婚式は教会というのもよくあるパターンだろう。一方外国も間違っている所はあるが、宗教で統一されたやり方をしている。日本人はそれを柔軟寛容と思っているが、天の神からすると適当なだけと判断している。
【ンプ】
原典だと‘ん二’で、文脈的には差を意味していると思われる。
【ミ、ヤ、カ、ラ、ス】
原典だと‘ミチヒラカスカミ’だそうです。『御聖言』では、ミチは道ではなく霊智(みち)、即ち、高レベルな神学(かがく)とある。それらに導く神ということか。
【悪平等】
両神示には、順番が大切、神が上で臣民は下、神の世界は絶対的な平等などと書かれている。つまり、順番が決まっているものや、違う性質のものを一緒くたにしてしまうことを悪平等と表現している。
『御聖言』には、天地の初めに主神は、火霊・水霊、火の神・水の神を創造してから、陽陰の神を生んだ。神々・宇宙・歴史・人類の幸福はわからないと書いてある。つまり、まず主神ありきの世界ということだが、そうなると、古事記も神の順番がおかしいということになる。
神示にある通り、この世界自体が上下が逆になっており、調和の社会が競争社会になり、一番尊い所一番落としてあるので必然的に重要な存在ほど下にきがちなのである。
【終末の定義と予兆】
『御聖言』には人類進歩のために、一時だけ物主仏主の仮の世、月神の教えの世と造り換えたが、この仮の世の終わりが終末だと書いてある。また、他の箇所では、進化途上の人類の人知の行き過ぎで天地万生の調和を破壊してしまう前に、汚れた魂を洗濯するために来る荒れる世であり、新真文明期(日月神示でいうミロクの世)直前期を終末と定義している。
一方で、正法神向(神と調和している状態、神人合一の状態)へ切り換え致すものには、千載一遇のよき世とも書いてある。
予兆としては、Z世代・ロシア軍のZ(アルファベットの最後)、トランプは切り札や奥の手と言う意味だが、切り札には最後の手段という意味もある(トランプさんは二回大統領になっているが、一回目は型だと思う。つまり、一回目の時点で二回目は確定していた)。また『御聖言』には、真如の仮面(マスク)をはがされ行く世、一切仮面の世(真如・マスクの世)を正さんとも書いてある。
【人類、燃上吹乱(モンブラン)の亡引苦(ボーイング)の型】
『御聖言』に書いてあり、本当にこう読ませてます。最近、飛行機事故が多いですが、それが火の洗礼による人類の亡びと苦しみを引き寄せる型だと言う話なのか、ヨーロッパにあるモンブラン山に飛行機がぶつかる事故でも起きて、それが型となるということなのか……。
そもそも何で飛行機事故が型になるのか? たぶん、飛行機が現代文明の象徴的なもので、それが燃えたり、壊れたりすることが、現代文明の終わりを意味するので、型として機能するのではないか。
※1966年に、インド発イギリス行きのボーイング機がモンブラン山頂に墜落した事故が起き、『御聖言』は、それが終末の型だと指摘しているようです。そして、最近あった、インド発イギリス行きのボーイング機の事故は二度目のもの、つまり、終末の型の完成ということではないかと思われる。
離陸後すぐに墜落したのは、もう時間は無いという意味合いか。
【スフィンクスが獣人文化の頭上に崩れ落ちん】
スフィンクスは、神から遠く離れ、勝手に縁さえ切った人面獣人が蔓延る世が来ることの予告で、ピラミッドは神霊界、現界にわたる型で、天照日神(天照大御神)のみ位座を表している。その二つを皮肉な対象として見せたが、見物しても悟れないほど哀れな状態だと神は嘆いている。
また、日月神示の地つちの軸が動いて、フニャフニャ腰がコンニャク腰になるは、立って歩けなくなった、スフィンクス(四つ足で歩く人間)を表しているのではないか。
【オリンピック・万博】
『御聖言』に、前の東京オリンピックについての言及がある。オリンピックの聖火が、ピラミッドより東に帰ることは、主神の分け火の霊の神、霊の元つ国(ひのもとつくに=日本)に集め始められ行く型の現われだと書いてある。最近あった東京オリンピックは、東(リオ)から聖火が来て西(パリ)へと帰って行った。つまり、日本をはさんで東西一巡した。
この文言から、この世は逆さになっているので、地図を逆さに見れば、エジプトのピラミッドは天照大御神(左目)、日本が素戔嗚尊(鼻)、メキシコのピラミッド(マヤ文明)が月読尊(右目)に対応しているのではないかと思うんだがどうだろうか。
二度目となる大阪での万博は、いのち輝く未来社会のデザインをコンセプトに、全体が円形で、真ん中に静けさの森があり、それが緩やかに会場全体を接続する役割なんだそうだ。この形は、日月神示でお馴染みの記号であり、ミロクの世は、日本のてんし様中心に、多様な集団が出来る、光り輝く世と書いてある。たぶん、万博がミロクの世の型なんだろう。
また神示には、立替が遅れていると書いてあるが、今回の万博は、特に海外のパビリオンの建設が遅れているらしく、建設しながら開催(立替立直し同時)もありえそうだ。
さらに興味深いのが、前回もあった人間洗濯機という展示だ。今回はミライ人間洗濯機として、体だけではなく心まで洗うとのこと。日月神示を読んでいる人は笑えないだろう。
【悪の総大将は奥に隠れて御座る】
奥に隠れているとの文言から秘密結社のフリーメイソン・イルミナティ、もしくはさらに上位の組織があるそうなのでその組織のことではないか。だが、これらの組織の最上位は世界大棟梁=主神=ルシファーとのこと(『日月神示とどめの戦』)。
神話におけるルシファーと素戔嗚尊は天界を追放されていて、同じ神ではないかとの推測があり、丑寅の金神(国之常立尊)は、太古に北の極みに落とされたサタンなのだというが(『量子力学・日月神示・般若心経・王仁三郎の超結論』)、サタンとルシファーは同じ存在だという解釈もされている。
個人的には、国之常立尊が一粒種である素戔嗚尊の親だと解釈していて、日月神示に書いてある地の金神は、素戔嗚尊を指していると思っている。つまり、天と地の対となる神様(国之常立尊は、天においては天之常立神なのではないか)であり主神だということなんだが、日月神示に、金で、きんで世をつぶす計画、金で世を治めて、金で潰してとあるのは、お金による経済の終わりと言う意味と、天と地の金神(国之常立尊・素戔嗚尊)によって仮の世を終わらすと言う二つの意味があるのではないか
と推測できる。そうなると、悪の総大将は、この両神の善と悪のうちの悪の方を指しているとも解釈できる。
【天津日嗣皇尊大神】
現在のてんし様(主神)は素戔嗚尊ではないかとの考察を書いたが、世治めるのは木花咲耶姫とあり、‘嗣’には、世継ぎ、跡継ぎの意味があるそうなので、2036年(新しき御代の初めの辰の歳)に主神が素戔嗚尊(鼻の神)から木花咲耶姫(花の神)に交代するということかもしれない。では、素戔嗚尊、あるいは対となる国之常立尊はどうなるのか? 千(チ)の御先祖様(素戔嗚尊) 九二の御先祖様(国之常立尊)と御一体となりなされて大日月の大神様と現はれなさるなりとあり、
大日月(オオヒツキ)の大神と称へまつれ、総ての神々様を称へまつることであるぞとあるので、融合して、この世界全体の神となるのではないか。
そして、天津日嗣皇尊の意味だが、天津は、御玉体(おからだ)のままに神界に入られ、またこの世に出られる様になるぞ、死のないてんし様になるのぞとのことなので、新しい神霊界・現界両方の皇であることを示し、日嗣は素戔嗚尊から日本の国土を嗣ぐという意味で、皇尊は尊ばれる唯一の王という意味ではないだろうか。
後になって知ったが、万博の会場は此花区にあるそうだ。由来は木花咲耶姫ではないみたいだが、偶然とは考えがたい。また、会場真ん中の静けさの森は、静けさは主神は指令しない、森は木と花で森ということではないか。
【たがる心】
日月神示にも、慢心などの我が調和の邪魔だと書いてあるが、御聖言にも‘たがる心’として具体例が示されている。意外と鼻高・我よしと言われてもピンと来ないという方も多いと思うので、一応参考のためにいくつか書いておこうと思う。
・仲間よりも自分の方が優れていると思われたがる
・知ったかぶりしたがる
・見込まれ、信頼されているが如く思わせたがる
・一所懸命やっているかの如く見せたがる
・自分のために人をケナシたがる。兄弟の陰口いいたがる
・真に神向も無いのに、信仰者らしく思われたがる
※ 神向とは、親向・芯仰で、主神との一体化。これができれば、弥栄えるように仕組んであると書いてある。日月神示にも、自分で岩戸開いて居れば、どんな世になりても楽にゆける様に神がしてあると書いてあり、おそらく、エックハルトトールが言う‘今に在る’という状態がそうだろう。
なぜ主神との一体化(波調合わせ)が重要かというと、主の神は、神々・万生万物の生命・順序・法(法則)そのもので、マ神のマのみ働き(善の神の働き)であり、これ以外に人の乗り行くべき経(みち)は本来ないと書いてある。要は、主神とは世界全体であり、我々はその一部なので、
全体の神と一体化すれば、自然と幸せに生活が出来るようにできているということ。
なぜたがる心が駄目かと言うと、そういった考えは、人への憎しみ恨みなどにつながり、自分で自分を地獄へ追い落とすことになるからだと書いてある。また、正神真神天の岩戸に閉じ込め、マ神神隠せし天津罪・国津大罪重ねているのも人間の我が原因と書いてあり、悪いことの原因は、ほぼ我によるもののようだ。
そしてこれから短期間で、元の調和の世界、神主霊主の世界に戻していく。ですから、現代社会では当たり前になっている競争や承認欲求などに囚われていると残念な結果となる。
※ 正神=主神(スの神)、真神=日の神、副神=月の神(以前書いたものは間違っていたので修正しました)。マ神神隠せしは、日月神示でいう、善の神の力が弱いと同じ意味だと思われます。正神と書いてマガミと読ませているところがあるので、主神と善の神全般を指して使っているようにも思える。
【心の中に「・」があるか「・」がないかの違ひ】
この「・」は、主神であり、てんし様である素戔嗚尊を表している。ポールシフトが起きたときに神示が心棒に入っていれば百人に一人は役に立つとあるのは、アが神示、つまり、吾(ア)が主神であるてんし様であり、神示を信じることが主神を信じることに繋がるからだろう。百人に一人というのは、すぐ上に書いた、波長合わせが必要になってくるからだろう。
『御聖言』には、主芯(スしん)観失えば、骨なしのクラゲの子とならんのみという文言があるが、これも同様のことを言っていると思われる。
【基督信者よ改心致されよ、基督を十字架に釘付けしたのは、そなた達であるぞ】
人は罪の子でない、喜びの子ぞと神示にあるので、そもそも原罪は存在しない。その存在しない罪をキリストは背負わされ、ついでに人類の他の罪まで背負わされている。この点は、この世の罪穢れを着せられている素戔嗚尊の状態に似ており、キリストが主神の霊統なんだろうと推測できる。
『神との対話2』には、原罪ではなく、善と悪とを知ることにより、本当の意味で天国がわかるための最初の祝福だったと書いてある。日月神示にも、悪あればこそ善が善として救われ弥栄する。善あればこそ悪は悪の御用を為し得るのであるとあり、『御聖言』にも、悪は本来無く、一切善で、善栄え悪滅ぶよう見せなければ人間が進歩しないので、仮に悪を置いたとある。
つまり、対極の概念を体験しないと、善悪無き天国の良さもわからないのであって、悪は必要ということになる。
【十二の玉を十まで生んで、後二つ残してあるぞ】
・ムは無よ。○よ(ゼロの事)。霊よ。○は又玉でもあるよ。極微と極大の玉二つあるよ
・極大とは到底汝等の知にては思いよらざる程無限の界なり。即ち宇宙万物万生産霊による産土力の界
・極小とは極微、紫微、アシカビなり。素粒子の更に奥の幽子、幻子更に玄子界の相なり
『御聖言』にこのように書いてある事から、日月神示に書いてあるこの‘玉’は、何らかの‘界’を示しているのではないか。ただ、具体的に十二の玉が何なのかはわからない。他には、心の界は肉の界に近いとか、究極は神霊界の実相にして、秘の秘といたさせし界、カビの界即ちカミの界、神意力界なりと書いてあるところがあり、こういった界が十二あるということか。
別天津神と神世七代の神様を合わせると十二柱となり、アシカビ(ウマシアシカビヒコジノカミ)が玄子界だとすると、この神様たちは‘界’自体ということかもしれない。イザナミノミコトが黄泉の国へ行ったエピソードは、元々一柱だったイザナギ・イザナミが分かれて、イザナミが幽界になったという比喩なのかもしれない。
【今の科学はあるものがあると云ふことだけしか判らん】
ミクロの世界の科学である量子論では、ミクロの物質は、誰にも見られていない時は波になっていて、誰かに見られると急に粒に変身してしまう。真空の中で無数の粒子と反粒子がたえず対生成・対消滅を繰り返している。(『図解・量子論がみるみるわかる本』)
こういったことまではわかっているが、その現象の原因はわかっていない。
【天照皇大神様・天照皇太神様】
・天の天照皇大神様は更なり、天の大神様、地(くに)の天照大神様、天照皇太神様、月の神様、特に篤く祀り呉れよ、月の大神様 御出でまして闇の夜は月の夜となるのざぞ。素盞鳴の大神様も篤く祀りて呉れよ、此の神様には毎夜毎日御詑びせなならんのざぞ
・地にも天照皇太神様、天照大神様、月読大神様、須佐鳴之大神様あるのざぞ
・天津日嗣皇尊 弥栄ましませ、弥栄ましませとおろがめよ。おろがみ奉れ、天照皇大神様、天照大神様、月の大神様、すさなるの大神様、大国主の大神様もあつくまつりたたえよ
・天照皇太神宮様(テンショウコウタイジングウサマ)の岩戸開きは、だました、間違ひの岩戸開きぞ
・だました岩戸からはだました神が出て、ウソの世となったのぢゃ
天照皇大神様・天照皇太神様とは誰のことだろうか。四番目の文など、普通に読んでいると天照大御神っぽいですが、二つ目の文では直後に天照大神様と書いてあるので違います。一つ目の神様の並びだと、素盞鳴の大神様が天照皇太神様っぽいですが、後に続く文章で別途祀ってくれと書いてあるので違う。三番目の文だと天津日嗣皇尊(次期てんし様の木花咲耶姫)が最初にあるので木花咲耶姫ではない 。
また、天の方が‘大’で地には‘太’使われているのは、地の主神で、天では主神ではないということだろう。そうなると、順番的にも最初に書いてあって違和感がなく、地の元主神で、天では主神ではない国之常立尊しかいないことになる。
他には、だました神=悪神とすると、閉じ込められているのは善神で、天照皇太神宮様はその両方、つまり、神全体を指している言葉とも考えられる。
【一二三】
・一は二となり、元一つは一時ハジケ(解け)、二の世(月神の世、仮の世、方便の世)とし、火(日・陽)と水(月・陰)とホドケさせ、水主火従の世としたが、一へ元返り致さすなり。然れども一は元にて始めにて一にあらず。二は二にていつまでも二としておかざるなり。
故に一で二で三として成就せしむるなり。三の実に成らしめる、稔らす世への元返りなり。(『御聖言』)
・日の神ばかりでは世は持ちては行かれんなり、月の神ばかりでもならず、そこで月の神、日の神が御一体となりなされて「ミロク」様となりなされるなり、「みろく」様が日月の大神様なり、日月の大神様が「みろく」の大神様なり、千(チ)の御先祖様 九二の御先祖様と御一体となりなされて大日月の大神様と現はれなさるなり
→ 表舞台で日・火の神、裏で月・水の神が活動するのが正しい世だが(一の世)、日・火の神と月・水の神が解けて、本来裏方の月・水の神が表舞台に出て、日・火の神は裏方へまわして逆にしたが(二の世)、最初の状態へ戻す。だが、そのまま戻すのではなく一体化して、日月の大神(みろく)とする(三の世)。それを、一二三と表現している。
【みみ、ミミ、御身、実身、耳、ミ身】
単純に耳として使われているところもあるが、『御聖言』に三位のミ(霊体・幽体・肉体)、神の与えし実身霊身肉身三位のミ(いずれも‘ミミ’と読ませている)と書いてあるので、そのいずれかの意味で使われていると思われる。
【一の大将と二の大将が大喧嘩すると見せかけて世界をワヤにする仕組み】
一つはGDP一位のアメリカと二位の中国との関税戦争のこと。もう一つは現在起きている日本と中国の問題(大将は高市総理と習主席で、日本が変わって世界になった、霊の本つ国なので、一番目に出来た日本。アジアが足場とあるようにアジアを重視しているので、二番目に出来たアジアの大国である中国ということか?)。百日と申しても神から云へば瞬きの間ぞ、『御聖言』には、神は一石二鳥どころか三鳥四鳥と狙うとあるので、両方を同時に言っているのではないか。
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