ゾンビの一生

あつしじゅん

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ゾンビの一生

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 第一話 喜びと悲しみと

 芳香剤などを製造している小さな会社の一室。雑然とパイプ椅子や机が置かれている中に二つの人影があった。
 一人はバーコードヘッドで中年太りの男性、胸に会社のロゴが入った作業着を着ている。もう一人も同じ作業着を着ている。だが、外見が一般人のそれとは大きく異なっている。肌はどす黒く、目は落ち窪み、唇は既に失われていて歯が露出している。よく見ると手も一部白骨化している。彼は、一度死んだ存在“ゾンビ”だった。
 中年太りの男が、開口一番ゾンビの男に言い放った。
「ビン蔵君。君はクビだ」
 ゾンビの方は青天の霹靂といった感じでのけぞって、泣きそうな声を上げた。
「そ、そんな。何でですか?」
「何でもクソもあるか! くっせーからだよ! たまに廊下に目ん玉とか肉片やら落ちてるし!」
「いや、それはわかっていたことじゃ……」
「ああ、そうだ。わかってたよ。君、死ぬ前は製薬会社のエリートだし、ウチは芳香剤の会社だから多少臭くても大丈夫だと思って採用したんだ」
「じゃ、じゃあ問題ないんじゃ……」
「だ・か・ら、それを上回る臭さになったからクビなの! お前のデスクを取り囲んでいる芳香剤見りゃわかんだろ? え?」
 中年男性は、少ない髪を振り乱し、口角泡を飛ばしながらビン蔵にまくし立てた。
「た、確かに入社時より腐敗が進んだのは確かです。でも、芳香剤の会社ですし、ゾンビ用の消臭剤も製造してますし……」
 中年男性は、その言を受けた瞬間、ビシッと人差し指をゾンビ社員に向けた。
「それ! それだよ!」
「は、はぁ」
 ビン蔵は、ピンと来ないといった感じの返事をした。すると、中年男性は、クワッと目を見開き再び怒鳴った。
「馬鹿か! 脳みそも逝っちゃてるか? いいかよく聞け。ゾンビ用の消臭剤・芳香剤を造っている、それにお前は取り囲まれているんだぞ。それでもクサイんだよ? お前は会社の製品を真っ向から否定してるんだよ! 営業妨害なんだよ!」
「わ、わざとじゃないですし、悪気もないんです」
「我社にとっては、お前の存在そのものが悪意なの。他のゾンビ社員にはちゃんと効果あるんだよ。お前だけなの! だからクビ。はい、お開き! お疲れちゃん!」
 こうしてゾンビのビン蔵君は、会社をクビになりました。


 いつの頃からか、葬式の最中に蘇ってくる人間が珍しいことではなくなった。だが、当然問題も起こる。一つは再び家族と暮らすのかということ。二つ目は腐りゆく肉体についてのこと。そして、三つ目は人権についてだ。
 一つ目の問題は、そのまま家族と暮らすものも多いが、日に日に腐っていく家族を見るのは忍びないとの理由で戸籍を新しく用意して、違う人生を歩む者も少なくない。
 二つ目の問題は、一つ目の問題にも関わってくる重要事項だが、現段階においては消臭することと、初期の段階では、化粧で誤魔化すことが最良の方法である。だが、腐敗の段階が進むとこれもうまくは行かなくなり、社会から弾かれ犯罪に手を染めるゾンビも少なくない。
 三つ目は人権軽視の問題だ。上記の理由にかこつけてゾンビを特別区画に隔離しようとする動きや、極端な団体ではゾンビを物理的に排除しようとする動きもある。それらがまかり通っているのは、半人権といって、人権を軽視する悪法が存在しているからである。
 だが、そんな中においても、彼らは何とかかんとか死にながらも生きていたのだった。


 ビン蔵は、悲嘆に暮れるつつも、愛する恋人の待つボロアパートへ帰宅していた。だが、どうにもドアを開けにくい。
(なんて切り出せばいいんだ……明るく切り出すべきか、やはり深刻に事の顛末を伝えるべきか)
 ビン蔵がドアの前で悩んでいると、やおらくすんだ紅色のドアが開いた。そこには、ビン蔵の愛する人、ゾン美が不思議そうな顔で立っていた。
 ゾン美は、とてもフレッシュでフレンドリーなゾンビだった。まだ、肉も八割型残っているし、臭いも少ない。そこにビン蔵は惹かれて交際を申し出たのだった。最初は戸惑っていた彼女も、今や将来を誓い合う仲だ。
「やっぱり、ビン蔵さんだったのね。何でそんな所に立っているの?」
「あ、いや何でもない」
「……そう、それなら上がって。報告があるの」
「えっ? そ、そう。わかった」
 ビン蔵は、狭い玄関に先っちょに穴が開いた黒の革靴を揃えて置き、鞄と上着をゾン美に渡しながら考えた。
(一体、なんの報告なんだろう。そう言えば引っ越したいって言ってたけどそれかな? だとしたらタイミングが悪いな……)
 ゾン美が、台所に歩いて行き椅子に座ったので、ビン蔵も向かいの椅子に座った。
「で、報告ってなんだい?」
「きっと驚くわ」
「なんだよ、焦らすなー」
「ふふっ。じゃ、言うわよ」
「うん」
「できたみたい」
「え?」
「だから、できたの。赤ちゃん」
 ビン蔵は、驚いて椅子から立ち上がった。
「ほ、ホントに?」
「嘘ついてどうするのよ。嬉しくないの?」
 ゾン美は、気分を害したようで怒り口調になった。ただ、怒っても顔は紅潮しない、死んでるから。
「いやいや、そうじゃないよ。珍しいことだからびっくりしちゃって」
 ゾンビ同士で子供ができることは、ないことはない。だが、かなりのレアケースだった。
「そっか、確かに珍しいことだもんね。それならいいんだ」
 取り敢えず機嫌が直ったゾン美にホッとしたビン蔵は、冷蔵庫に向かった。何かを食べるわけではなく、自分自身の腐食を防ぐために入るのだ。
「あ、先に冷蔵庫に入る? ご飯できてるけど」
「うん、ひとっ冷蔵庫浴びてくる」
「そう」
 結局その日は、リストラのことを言い出せなかったビン蔵であった。


 第二話 新天地

 明くる日の早朝。ビン蔵は居づらくなって、ゾン美が眠っているうちにスーツに手早く着替えて外へ出た。とはいえ、行くところがない。
 ビン蔵は、取り敢えず定期を使って電車に乗り、家と職場の中間に位置する、今まで下りたことのない駅へと降り立った。
 その駅は、“三途河島”というある意味ビン蔵におあつらえ向きな名称の駅だった。しかし、降りた所で特に行く宛がない。最初に目に入った公園へ、とぼとぼと向かった。
 朝靄の公園には、仕事前にジョギングがてら立ち寄って一時休止してる人や、犬の散歩をしている人、数人で自主的にラジオ体操をしている集団など、意外に人がいた。
 ビン蔵は、そんな人々の姿に、少し心を和ませながらこれからのことに考えを巡らせた。次の仕事のこと、結婚のこと、生まれてくる子供のこと……。しかし、夢想にも似た堂々巡りの思考の中にいたビン蔵は、突如した銃声に目を覚まされた。
「な、何だ?」
 ビン蔵は、自分の着ているスーツから煙が複数上がっている事に気づいた。そして、同時に朝霧の向こうから何者かが敵意をむき出しにしてこちらへ向かってくることが看取できた。
 砂利を踏みつけながら、霧を割いて出て来た人物は、金髪碧眼の丸々と太った中年女性だった。女性はランボーのように銃弾の束を両肩から体に巻き付けるように掛けており、両手にはマシンガンを持っている。
 それを見たビン蔵は、指を指しながら叫んだ。
「お、お前は、ジョ、ジョボミラ・ビッチクノフ!」
 その女性は、反ゾンビ団体の中でも過激な組織“媒汚波挫努(ばいおはざど)”のトップだった。
 “媒汚波挫努”は、ゾンビ=社会悪とし、実力で社会からゾンビたちを排除しようと目論む組織だ。その活動は度を越しており、銃で跡形もなくゾンビを吹き飛ばしたり、ガソリンをぶっかけて燃やしたり、斧でミンチにしたりとそれはそれは凄惨なものばかりだった。
 当然、社会から非難の声は多数上がっているが、ゾンビは半人権のため、国も裁判所も警察も何もしてはくれない。もちろん、罪は問われるが、刑期は普通の殺人の百分の一程度しかない。よって、すぐに殺ゾンビ犯たちは出所して、再びゾンビ達に牙を向いてくるのだった。
「ほう、ご存知かい。それなら説明は不要だね……消え失せろ腐肉!」
 次の瞬間ビン蔵は、右手を口に突っ込み、左手で持っていたアタッシュケースを眼前に構えて姿勢を低くした。そして、素早くビッチクノフに駆け寄った。その意外な行動にビッチクノフは、一瞬たじろいだ。その瞬間をビン蔵は逃さなかった。
「くらえ、ゾンビ汁!」
 ビン蔵は、口に突っ込んでいた右手を抜き放ち、ビッチクノフの顔に叩きつけた。
「ぎゃ、ぎゃーく、クサ……」
 それっきりだった。臭さでビッチクノフは昏倒したのだった。倒れ伏した肉団子銃弾巻きを尻目に、ビン蔵は風のようにその場を去った。

(全く、とんでも無い目にあった。死ぬかと思った……死んでるけど)
 ビン蔵は、襲撃の衝撃により、忘れていた頼れる人物を思い出していた。彼には生前世話になり、ゾンビからさらに先のステージ進んでいる先駆者だった。彼は、画家をしながらこの近くに住んでいたはずだった。
 彷徨いに彷徨い、蛇行に蛇行を重ねてお目当ての住所に何とか辿り着いた。
 そこは、家の八割がトタン製というとてもシックな感じの一軒家だった。表札には髑髏(しゃれこうべ)とあった。
「こんにちわ。お久しぶりです。ビン蔵です」
 暫くの無音の後、カラカラと音を立てながら主がドアを開けた。立て付けの悪いドアが足を引きずりながら不承不承歩を進めた。
「おう、久しぶりだな。入んな」
 顔を出したのは骨だった。肉片の一つもついていない、つまるところスケルトンと言われる存在だ。
 彼は、カラカラコツコツと体中から音を立てながらビン蔵を家に招き入れた。
 家の中は、正直ゴミ屋敷然とした感じで、足の踏み場もなかった。だがその中にあって、美しい風景画があちこちに飾ってあり、それらを緩和していた。
「突然すみません」
「いやいや、汚い所で悪いね。所で何か相談ごとかな?」
「はい、実はゾンビでいることに悩んでいます。具体的には臭いで」
「ははーん、臭気でクビになったな?」
 ビン蔵は図星をつかれて、飲んでいたお茶にむせ返った。
「ゴホッゴホッ、わかりますか?」
「ああ、似たようなやつを何人も見てきたよ」
「そうですか、それでその人達にはなんとアドバイスをしたんですか?」
「いつも言うことは決まってるんだ。いっそスケルトンになっちまえって言ってるよ」
「は、はぁ」
 ビン蔵の返事は力のないものだった。なぜなら、スケルトンはゾンビ以上に社会的に迫害されることが多いからだ。理由としては、人としての原型を留めていない、歩いてると心臓に悪いなど、見た目に関してのものが多い。
「やっぱり、骨一丁で生きるのは嫌だか。成るのにリスクも伴うしな……」
「い、いやそんなことは……」
「隠さんでいいよ、俺も冗談半分で言ってるんだから。それより、次働くところは決まってるのかい?」
「正直、ゾンビの就職先はなかなか無くて……」
 消臭剤が効かないゾンビの就職先は、かなり限られる。大雑把に言えば、臭っても大丈夫なほどクサイ仕事場か、臭いを消せる職場か二者択一だ。
「そうかそうか。じゃああれだ、袖振り合うも多生の縁ってやつだ、うちでバイトしないか?」
「えっと、どんなバイト何ですか?」
「覚えていると思うけど、俺は生前製薬会社の社長をやっててさ、こう見えて今は会長なんだよ。確か薬品類に詳しかっただろ? もう一度その知識を役に立ててみないか?」
 ビン蔵は即答した。
「やります。やらせて下さい」
「いいね。良い返事だ」
 髑髏先輩は、ニヤリと笑った(ようだったが、ドクロなので分からない)。
 そして、その日のうちに少し離れたところにある会社に連れて行かれ、職場を見学し社員の人達と会った。驚くべきことに、社員は全員スケルトンかゾンビだった。アンデッド向けに新製品を開発しようとしているとのことだった。
 それからというものビン蔵は、単純肉体労働から新製品の開発まで、多様な仕事に勤しんだ。それは満たされた日々だったし、給料も悪くはなかった。ビン蔵の事情を知った先輩が色を付けてくれたのだった。


 第三話 二世誕生

 季節は冬。その寒い最中に温かい吉報がビン蔵の元に届いた、待望の第一子が誕生したのである。
「はい、元気な男の子の赤ゾンビちゃんですよ」
 太めの人間の看護師が、顔を引き攣らせ声を震わせながら、ビン蔵に生まれたばかりの我が子を手渡してくる。
 ビン蔵は、壊れ物を扱うかのごとく慎重に我が子を包み込むように抱いた。
 血色は悪く、きちんと瞳孔も開いている、泣き声も一言も発さない。元気な赤ゾンビちゃんだった。
 ビン蔵は、我が子を抱きながら分娩台の妻・ゾン美に労いの言葉をかけた。
「ありがとう。頑張ったね」
「うん。これからは三人で頑張っていきましょう」
「ああ」
 そんな二人を見ていた我が子が言った。
「なるほど。一人より二人、二人より三人の方が効率がいいですね。私はその案に賛成します」
「お、おお。しゃべったぞ」
 ビン蔵が喜ぶ。
「手前味噌だけど、利発そうね」
 ゾン美もまんざらでもない様子で微笑む。
 ゾンビの赤ん坊はとっても頭がいい。異常なほどに。生まれながらに自分自身の有り様を行く末を理解しているのだ。

 
 ゾンビの子の成長速度は早く、半年程度で公園を走り回るほどに成長する。ビン蔵とゾン美の子“クラビー”もご多分に漏れず、すくすくと成長していた。
「気をつけて遊ぶのよ」
 滑り台とブランコ程度の遊具しかない小さな公園。ベンチに座っているゾン美が、砂場に駆け寄っていくクラビーの背に声をかける。
「母上、僕ももうすぐ一歳になります。その程度の注意は心得ています」
 そう言いながらも逸る心を抑えられず、クラビーは早足で砂場に近づいた。すると、先に遊んでいた子どもたちは、蜘蛛の子を散らすようにその場から去り、クラビーはその場に立ち尽くした。いつもの光景だった。
 そこで、ゾン美の横に座っていたビン蔵が立ち上がり、砂場へ向かった。
「今日も山を作ってトンネルを掘るのかい?」
「そうです父上。マイブームなのであります」
「よし、今日も一緒に作ろうか」
 クラビーは、少し寂しげに表情を崩したが、それを吹っ切るように強く頷いたのだった。



 どん底から一転。会社の景気もよく、ビン蔵も功績を認められ出世して収入も増えた。奮発して家も買った。
 平和な毎日。しかし、そんなある日、ゾン美に異変が起こる。
「ただいまー」
 今日もくたくたになるまで働いたビン蔵が、立て付けの良いドアを開けると、半袖短パンのクラビーが駆け寄ってきた。
「お父上、母君が御母堂が、おかしか、おかしかバッテン!」
 いつも冷静なわが子の取り乱し用に、背筋を凍らせながら敷居をまたぎクラビーの後を追って台所へ行く。
 クラビーは、冷蔵庫を指さす。そこにゾン美が入っているようだった。
「おーい、ゾン美。帰ったぞー」
 何度ノックしても屍のように返事がない。
「どうしたんだ? 何も言わないとわからないぞ」
 そう言った時、クラビーがビン蔵の袖を引っ張った。
「何だ?」
 黙ってクラビーは、ビン蔵をリビングに連れて行き、小さな声で言った。
「母上の、母上の肉体は限界を迎えつつある。崩れたんだ……顔が」
「な、何だって」
 それはゾンビにはいつか訪れる結末だった。だが、個人差があれど早すぎた。
 ビン蔵は、もう一度冷蔵庫の前に立って言った。
「……ゾン美。俺は必ずもう一度お前をここから出れるようにしてやる」
 すると、弱々しい返答が一言だけあった。
「うん」
 それからビン蔵は、会社の研究室を借りて、肉体を維持再生させる研究を独自に始める。しかし、未踏の研究がそう簡単に成就することはなかった。


 事件から暫く立ったある日。ビン蔵が、仕事後の研究に没頭し夜遅く帰ると、冷蔵庫の前にクラビーが正座していた。嫌な予感がした。
「クラビー、もう寝なさい。夜も遅い」
 クラビーがポツリと呟いた。
「答えてくれないんだ……母上」
「え? 寝てるんじゃ……」
 クラビーが大粒の涙を目にためて答える。
「怖くて、開けられないんだ。父上、開けてみて……」
 ビン蔵は、クラビーに席を外すよう言うが、クラビーは頑としてそこから動かなかった。
 恐る恐るビン蔵は、冷蔵庫の扉を開けた。するとそこには、誰だかわからないほどにボロボロに崩れたゾン美が体育座りで動かなくなっていた。
 横で見ていたクラビーが腕で涙を拭った。それを見たビン蔵が貰い泣きをして、右の目玉を床に落とした。
 ふと、ゾン美の手を見ると、紙片を握っていた。ビン蔵は、妻の髪を優しく撫でながら、その紙を手にとって見た。
 そこには“ビン蔵さん、他の人(ゾンビ)のために頑張ってね。クラビー、一緒に生きられなくてごめんなさい”とあった。 
 ビン蔵は、ゾン美が最後に言った「他の人(ゾンビ)のために頑張って」との末期の言葉を胸に、仕事の傍ら研究を続けた。


 第四話 生きる意味

 クラビー十歳の誕生日。質素ながらもケーキやターキーなど誕生日に必要な物は全て揃っていた。だが、一番重要な主役がそこにはいなかった。ビン蔵は、薄暗い部屋で一人、ケーキのローソクに火をつけた。

 クラビーが調子を崩して入院して暫く立ったある日。急に見舞いに行ったビン蔵に話を切り出した。
「早く成長するってことは、早く死ぬってことでしょう。そんなことはわかっていますよ。動物で例を上げればきりがない、犬猫、小型のげっ歯類ならなお短い……」
 何もかもが白い病院のベットの上で、虚ろな目で外を行き交う人々見ながら理路整然とクラビーは言った。
 顔の肉は半ば削がれたように失われ骨が露出している。肉体も同じような状況だった。ゾンビ同士の子供によく見られる小児性早腐症だった。現段階でこの病を治す薬や、進行を止める薬は開発されていない。
「確かにそうだ。だが……」
「父上もわかっていたはずです」
 クラビーの有無をいわさぬ強い口調にビン蔵は、弱々しく答えた。
「そうだが……」
「言っときますが、スケルトンになってまで生きようとは思いません。僕は差別主義者ではありませんが、何の味も感じず、何の匂いも感じないスケルトンにはなりませんよ。そこは、母上とおなじです」
「そうか……」
「それと父上、死のうなんて思っちゃ駄目ですよ。母上が最後に書き残したように、他の人のために頑張ってください」
「……ああ」
 ビン蔵は、それ以上何も言えなかった。

 
 それから十日後、雪が舞い散る寒い誕生日に、クラビーは短い生涯を閉じた。
 広すぎる家の居間で、ケーキに立てられた十本のロウソクの火を、一人になったビン蔵が静かに消した。
 最早働くことに意義を感じることが無くなっていたビン蔵だったが、二人の意志もあって研究は続けていた。もう、完成させた所で本当に使いたい人たちはこの世にはいない。さりとて誰かのためにといった感じでもなかった。ただ、二人の遺言を守り続けた。
 そして、その日が来る。実に研究を始めて二十年という月日が流れており、ビン蔵自身の体もスケルトンに近づいた状態となっていた。


 第五話 あるゾンビの最後


 ビン蔵の造った“肉体再生薬”は、ゾンビはもとより、事故で体の一部を失った人の光となった。これにより、世界は大きく変わり、ゾンビへの差別はほぼなくなった。なぜなら、差別の元凶である見た目と臭いの問題がなくなり、普通の人間と大差がなくなったからである。また、さらに研究過程で出来た副産物の“永久エンバーミング技術”は、スケルトンを生前そのままに復元することが可能な技術で、これにより一括りにアンデットとして揶揄されてきた元人間達への差別を相当に減らすことができた。だがビン蔵は、それらの技術を自身に使うことはなかった。


 とある大きな病院の昼なお暗い閉鎖病棟の一室。そこに一人の中年紳士が訪ねてきた。
「どうだい調子は? ビン蔵博士」
「その呼び方はやめてくださいよ髑髏先輩。それに死にかけている奴に調子はどうかはないでしょう」
 髑髏は、苦笑いをした後、一転して真剣な表情を作り、いつもの言葉を切り出した。
「もっと生きろ、君はここで死んでいい人間じゃない!」
 ビン蔵は、それを一笑に付した。
「いやいや、俺は単なるゾンビですよ。家族を忘れることができない、悲しきゾンビです……」
「これだけ言ってもダメか……また来る」
 髑髏は肩を落とし、ビン蔵に背を向けた。その背に向かってビン蔵は、一言謝った。
「すいません」
 

 髑髏が去ってから半日後、ビン蔵は、世界で最後の純粋なゾンビとしてこの世を去った。
 表情を作る筋肉すらないはずのその顔は、とても安らかに見えたという。


 
                                               
                                                  (終)





   








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