不言論

夢喰

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不言論

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都市の喧騒のなか、遥は今日もスマートフォンの画面を見つめながら通勤電車に揺られていた。スクロールしてもしても終わらないSNSの投稿。誰かの幸せ、誰かの成功、誰かの意見、それに対する批判、炎上、賞賛。そこに自分はいないのに、自分の心だけがざわついていた。

「みんな、何のためにこんなに叫んでるんだろう」

心の中で呟いて、通知を切った。画面が暗くなると、そこに写ったのは少し疲れた自分の顔だった。



遥が初めて「ユイ」と出会ったのは、雨が降る夜だった。コンビニの軒下、傘を忘れて立ち尽くしていたユイに、遥は自分の折り畳み傘を差し出した。

「これ、使って」

「あ…ありがとう。でも濡れて帰るんじゃない?」

「いいの。誰かに優しくしたかっただけだから」

その時のユイの笑顔は、SNSには存在しない、素朴で、壊れそうで、美しかった。



それから、ふたりは時々会うようになった。特別なことは話さなかった。職場の愚痴、朝ごはんの話、最近見た映画の感想。でも、ユイがときどき無言になる夜があった。何かに耐えているような表情。触れてはいけない過去の傷跡のような。

遥は、何も聞かないことを選んだ。ただそばにいた。

ある日、ユイがふいに言った。

「ねえ、誰かを救えるなんて思わなくていいからさ。ただ、私の命のそばにいてくれない?」

その言葉に、遥の胸が締め付けられた。

「うん。言葉なんていらない。君が泣いて、笑って、それだけでいい」



ユイの背中には、見えない傷があった。言葉にできない痛みがあった。だけど、ふたりはそのすべてを共有しようとはしなかった。ただ、一緒に笑って、一緒に泣いた。

遥はようやく気づいたのだった。愛とは、理解ではなく、共に在ることなのだと。



夜、二人で小さなベッドに横たわりながら、遥はそっとユイの手を握った。

「ねえ、愛って形がないのに、どうしてこんなに確かなんだろうね」

ユイは微笑んで、ただひとことだけ言った。

「それは、ここに“いる”からだよ」



終わりに

たとえ世界が言葉であふれても、本当に大切なものは、黙っていても伝わるのかもしれない。
そして、今日も誰かが、言葉ではなく「存在」で、愛を証明している。
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