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世の中は昔よりやはうかりけむ 我が身ひとつのためになれるか (新古今和歌集)
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二俣川の河原は遠巻きな蝉の声に包まれていた。涼しげな水面は紺碧の空を映し青く輝いている。ものものしく甲冑をまとった武者どもが、ひとりの男の死を悼み静まりかえっていた。視線を落とす。足下が熱気で揺らいでいた。
掲げられた首を見ても、江間四郎義時は涙の一粒すら滲みでてこなかった。
朋友であり義理の兄弟でもある男の首といえども……こんな光景は見慣れすぎていた。
いまや鎌倉殿の後見人として権勢をふるう父、北条時政の命である。謀反人として畠山次郎重忠を誅殺した。これでよかったのだ。自分には、こうするよりほかない。
まじまじと首を見つめる。首だけになってもイイ男はイイ男なのだなと、義時は妙に感慨深く感じた。死んだ男の乾いた瞳の中には、もくもくとした入道雲が虚ろっている。
ふと視線を感じ、義時は振りかえった。
白い山犬が、じっと義時を見つめていた。はて、こんな場所に山犬がいるとは――義時が物珍しく思って眺めていると、山犬がざっと地を蹴った。低くうなり牙を剥きだし、あれよという間に馳せ迫る。「あ」っと声を漏らす間もなく、義時は喉笛を噛み砕かれた。
はっとして飛び起きた。夢か……義時は、肩で息をしながらあたりを見回した。息苦しさに思わず喉に手をやる。噛み砕かれたと思った首は、なんということもなくつるりとしていた。着物はぐっしょりと濡れ、額から汗が噴き出している。夏の湿った夜気のせいか悪夢を見たのだろう。昨今の鎌倉はあれやこれやと騒々しい。
それから深く眠ることができずに、ぼんやりとした意識のままで朝を迎えた。
義時が時政に呼び出されたのは昼過ぎだった。
「畠山重忠が謀反を企み合戦をしようと鎌倉に向かっているそうだ」
顔を見るなり、時政が口を開いた。
「それを、討ち取ってこいということでしょうか」
「そうだ。重忠の嫡男重保は、三浦殿に始末するように頼んである」
「さようで」
「お前と重忠の仲を知らぬわけではないが、だからこそ引導を渡してやれ」
「はい」
翌日、義時は父の命じるままに軍勢を率い鎌倉を発った。ちょうど二俣川のあたりで武蔵国から駆けてきた畠山重忠と相対した。重忠の軍勢はろくな武装もしておらず、兵の数も少なかった。
謀反など企てているはずがない――義時は唇を噛んだ。
重忠はというと、義時の率いる大軍勢を見ても動揺することがなかった。むしろ、鎌倉から自らを討とうとする軍勢が遣わされることを予感していたようですらある。
矢が飛び交い、馬が地を駆け、乱戦となった。いかに豪勇の士である重忠といえども、多勢に無勢。しまいには討ち取られ、首だけの姿となって義時の目の前に掲げられた。
義時は首を見ても、涙の一粒すら滲みでてこなかった。この光景に恐ろしいほどの既視感がある。同じようなことが過去あっただろうか。否、これは。
まじまじと首を見つめる。重忠の乾いた瞳に、汗まみれの自分の顔が映っていた。
いやな予感がする。義時は振りかえった。
白い山犬がざっと河原を蹴っていた。低くうなり牙を剥き出し、義時めがけ飛びかかってくる。
おれはこれを知っている。これは夢に見た――咄嗟に、かたわらにいた兵を身代わりにせんとばかりに突き飛ばした。山犬は怯む様子を見せなかった。義時に突き飛ばされ、体勢を崩した兵の体を軽々と飛び越える。
「だれか、あれを射殺せ!」
義時の言葉に、兵たちは周囲をきょろきょろと見まわすばかりで、だれも弓を手にしようとはしない。しかたなく義時は山犬に背を向けて、居並ぶ兵たちの中に割って入った。ひとに紛れてしまえば、山犬の狙いも逸れるだろう。
息を吐く。恐る恐るふりかえり、ぎょっとした。山犬がざわつく兵たちの体をすり抜けたのだ。慌て逃げようとする義時に向かい跳躍する。
咄嗟に首を庇うと、腕に牙が食いこんだ。必死に振り払おうとするが、いとも簡単に骨肉を噛み砕かれる。腕を失った痛みにのたうつ間もなく、喉笛を食い破られた。
飛び起きる。義時は肩で息をしながらあたりを見まわした。酷い頭痛に視界が歪み、おもわず額を手で覆う。噛み砕かれた右腕がずきりと痛んだ。
なんだ、これは。
重忠の首。不気味な白い山犬に噛み殺される自分。この夢は凶兆だろうか。あるいは夢ではなく――義時は、まだほの暗い中で着衣を改めた。神仏にすがろうと、信仰している十二神将の真言を順番に唱える。
真言を唱えながら、さきほど体感したことを頭の中で反芻する。どうも兵たちの様子からして、山犬は義時にしか見えていないようだった。さらにはひとの体をすり抜けてみせた。
そういえば重忠が厚く信仰していた三峯神社の眷族は山犬ではなかったか。さてはあの山犬は神の使いにちがいない。重忠の首を取り返しに来たのだろう。そう思うと居ても立ってもいられなかった。
戸惑い怯える義時が時政に呼び出されたのは昼過ぎだった。
「畠山重忠が謀反を企み、合戦をしようと鎌倉に向かっているそうだ」
義時の脳裏に白い山犬の姿が浮かんだ。重忠はここで死すべき人ではないから、三峯の神が怒っているのだ。そう思うと震えが止まらなかった。
「畠山次郎は忠義の士です。故右大将も彼を重用しておりました。また比企討伐のときも味方となってくれたのは、父上との親子の義理を重んじたからです。そのような男が謀反を企てるでしょうか。やみくもに討伐をすれば後悔します。慎重に、ことの真偽を調べましょう」
夢に見た光景が頭の中でぐるぐると巡る。重忠は少人数で武装もせずに現れた。あれは決して謀反を起こそうというものの行動ではない。義時は父の目を見つめ訴えた。
「謀反はもう発覚しているわよ。四郎殿は仲が良いからといって重忠を庇うのですね。私が継母だから讒言者にしようというわけですか?」
背後から女の声がした。時政の後妻、牧の方だ。唐突に差し挟まれた無遠慮な言葉に、義時は肩を怒らせた。
「あなたが父に、次郎の謀反を報せたのですか」
「そうよ。私では信用が足りない? 阿波局の告げ口のときは、みんなで寄ってたかって梶原を叩いたというのに」
「よさないか」
義時が言い返すよりも早く、時政が声を荒らげる。
「謀反の嫌疑をかけられた時点で謀反人となる。わかっているだろう、四郎」
義時は席を蹴って立ち上がった。その足で一人、北へと馬を進める。重忠に会い、引き返すように伝えたかった。
やがて多摩のあたりで、義時は重忠一行とでくわした。
「次郎、引き返せ!」
単騎駆けてきた義時の叫びを聞いても、重忠はべつだん驚いた様子を見せなかった。ただ形の良い右眉をチョットつり上げて、気怠げに矢をつがえる。
「四郎。お前、何度目だ?」
「え?」
射貫かれた痛みで、思わず胸元を押さえ前屈みになった。額には玉のような汗が浮かんでいる。それが顎を伝ってポタポタと床板の上に染みを作った。
「四郎、大丈夫か?」
「はっ」
目の前で父、時政が眉をひそめていた。
「謀反はもう発覚しているわよ。四郎殿はまるで――」
「次郎の肩を持つわけでも、あなたが継母だから讒言者と言うつもりもありませんよ」
「え?」
牧の方が驚いたような声をあげる。
義時は座を蹴って立ち上がると、単騎、多摩へと向かった。
「次郎! 話がしたい」
手を振って訴えると、重忠がゆるりと下馬した。つき従っていた郎党たちを下がらせ、たった一人、怠そうに義時に歩み寄る。
「やっとかよ」
「さっき、お前なんでおれを射た? いや、いい。そうじゃない。一体なにがどうなってる。その口ぶりだと、次郎も気がついているのだろう」
「そうとも」
重忠が白い歯を見せた。そういう表情をしていれば、じつに爽やかな男だ。
苔色の鎧直垂がよく似合っている。背が高く、ガッシリとした首や肩は、強弓を引くために生まれてきたようだ。キリリとした眉は整っていて、二重まぶたの目尻は切れ上がって涼やかだ。すっとした鼻筋。引き結ばれた唇。顎に蓄えた黒々とした髭には、いまだ白髪の一本すら見当たらない。まったくいつ見ても惚れ惚れするような男だと、義時はため息をついた。
見た目のとおり武勇に優れ、それでいて実直で傲り高ぶることがない。誰にでも親切で誠実だった。そういう男が、どこか冴えない自分を朋友と認めてくれていることに、義時は少し引け目を感じながらも、こそばゆい思いを抱いていた。
カラリとした真夏の太陽のような重忠のことが、単純に好きだった。
「どうにもこうにも。すでにおれはお前を九百九十九回殺した」
「嘘でしょ!」
ゆえに重忠からもたらされた衝撃的な言葉に、義時は泣きそうになった。
「ああ、すまん。多少盛ってる」
目に涙を浮かべる義時を哀れんだか、重忠が言った。
「でも、お前たち弱すぎるぞ。特にお前。本当に、前に出てくるなよ。大将だろう? お前が前に出てきたときは、必ずお前、死ぬんだもん」
「……」
「おれはずっとお前を殺し続けた。しかしその都度、先がなかった。お前が死ぬとおれは白い山犬に食い殺されて、またここに戻ってくる。さっき二俣川でお前に殺されてやったとき、ようやっと解放されたと思ったが?」
堰を切ったように喋る重忠に、義時はただ黙ってうなずくことしかできなかった。重忠の話は、にわかに信じがたいことだ。しかし今の義時には重忠の言葉の意味が理解できた。自分も同じ経験をしている。
「何度も何度も、この繰り返しを終わらせるために、ありとあらゆることは試した。でもダメなんだ。だから試しに死んでみることにした。軍勢を多く引き連れていると勝ってしまうから少なくし、武装していても勝ってしまうから装備を簡易にして、ようやっと終われたと思ったんだが。終わったと思ったらまだ続いている。一体全体どうなっている」
「それをおれに聞かれても」
怒気の混じった重忠の言葉尻に、義時はたじろいだ。
「つまりおれは死ぬのだろう。どうあがいても死ぬのだろう」
重忠のまっすぐな視線に義時は射貫かれた。さきほど矢に貫かれたときよりも、ずっとずっと鈍く、それでいて鋭い痛みに胸が締めつけられる。重忠が死ぬ――その事実が義時に重くのしかかった。重忠を、おれが殺す。首と成り果ててすら美しい男の不名誉な最後が、目蓋の裏側にまざまざとよみがえる。
首をこの両手で抱えた。その、ずしりとした重さ。光のない虚ろな瞳に映る入道雲。おのれの汗まみれで不格好な顔。白い山犬。
思い出して、はっとする。
いま重忠は白い山犬に食い殺されると言ったか。であれば自分と変わらないではないか。
「でも、おれが次郎を討ったら、山犬はおれを喰らったぞ」
「なんだと」
義時の言葉に重忠が目を丸くした。そうして少し考えこむように首を捻る。
「あれは三峯の眷族だろう」
たたみかけるように義時は重忠に迫った。
「それはどうかな……まあ、いい。時間の無駄だ、いますぐおれを殺せ四郎」
自暴自棄になったような、やさぐれた雰囲気をまとった重忠が肩をすくめた。
重忠が死ねば、山犬はおのれを喰らうだろう。おのれが死ねば、それは重忠を喰らったという。つまり二人が生き残ることこそが、三峯の神意なのではないか。義時は無理に口角をつりあげた。
「考えがある。おれと鎌倉に行こう。親父たちに謀反のこころがないことを証明しよう」
義時の提案に、それまで陰りを帯びていた重忠の表情が、パアっと明るくなった。
「できるか」
「できるさ。そうすればこの繰り返しも終わるだろう」
重忠がうなずいた。義時と重忠は、鎌倉の時政の屋敷まで一路駆けた。
謀反人である重忠を見て、時政の郎党らが狼狽えた。しかし、義時とともに神妙な面持ちであらわれた重忠を咎めるものはいなかった。
部屋に通される。ここでしばし時政を待つようにということだ。重忠の頬が紅潮していた。まっすぐな瞳にはキラキラとした光が宿り、少しソワソワとしているようにも見える。そういう朋友の表情は、義時の鬱屈した精神をも軽くしてくれた。父に刃向かうことになろうとも、この友のためならば、なにも惜しくはない。そう思わせるに十分であった。
「四郎、おれは本当に良い友を持った」
重忠が、ぽつりとこぼす。それが嬉しくて義時は不器用にほほえんだ。
ややあって、背後から足音が聞こえてきた。父だろう。義時は意気揚々と振りかえった、次の瞬間――重忠の胸を太刀の切っ先が貫いていた。
大きく目を見開きながら、倒れ行く重忠の表情が、吹き出る鮮血の合間にくっきりと見えた。なぜ――しかしそれは言葉にならず、赤い泡となって口の端からあふれ出ているようだった。
「はっ」
血刀が容赦なく振りおろされる。避けようとして飛びすさるも、腹のあたりを鋭い一閃が薙いだ。義時は飛び散ったみずからの臓物の上に膝をついた。ただただ熱い。腹から迫り上がる血の塊が咳とともに吐き出され、磨かれた床板を染めあげた。茫洋と霞み狭まっていく視界の端で、義時がは見知った男の姿を捉えていた。
腹も、首も、身体中が悲鳴をあげていた。額が、背が、ぐっしょりと汗で湿っている。
「四郎、大丈夫か?」
目の前で時政が眉をひそめていた。
ああ、よかった。戻ってきた。義時は荒く息を吐き、父を睨めつけた。今際のきわに見た男の姿を、はっきりと覚えている、あれは。
「父上は、平賀の讒言を真に受けるのか!」
義時の叫びに、ギクリと時政が肩を震わせた。
平賀朝雅――牧の方の娘婿である。昨年ささいなことから重忠の息子と諍いを起こしていた。これはその報復なのだ。朝雅の訴えを聞き入れた牧の方に、時政は良いように操られているのだろう。
ああ、父はここまで耄碌したか――義時は怒りとも悲しみともつかない感情に支配された。それを振り払うように、単騎、多摩へと向かった。
「やっぱりダメだっただろう」
「平賀朝雅だ! あのクソ野郎のせいで次郎は」
義時の頬をとめどなく涙が伝う。見かねたのだろう重忠が、嗚咽をもらす義時の背をさすった。
「まあ、平賀殿のことについては息子がしでかしたこととはいえ、おれにとっては因果応報というやつのような気がしなくもないのだが」
そう言って重忠は頬をかいた。
「あの野郎、ブチ殺してやろう。おれとお前なら簡単だ」
「いや、四郎。もう義父上はおれが謀反を企てていると信じているのだろう? だったら無駄だろう。いや、わかる、わかるよ。繰り返しているとその辺アベコベになるわよね」
べそをかく義時をなだめながら、重忠がウンウンとうなった。
「でも、さっきのは新しかった」
「さっきの」
「ともに鎌倉に行こうと四郎が言ってくれた。というか、お前が多摩に現れることじたい、ここ最近のことだなぁ」
「次郎がおれに討たれて、おれが繰り返しに気がついたから」
重忠が曖昧な笑みを浮かべた。義時は、重忠がこの繰り返しをずっと一人で耐えていたのだということに、今になって気づかされた。どんなにか苦しかっただろうか。寂しかっただろうか。自分だったら、重忠のように気丈に振る舞うことなどできないだろう。
「とりあえず、お前、ここでおれを殺してみないか?」
重忠が懐から小刀を取りだし、軽い調子で嘯いた。
「できない」
「あそう」
義時の拒絶の言葉に、うなずくやいなや重忠はみずからの喉元に小刀を突き立てていた。頭のてっぺんから鮮血を浴びて、義時は呆然と立ちつくした。重忠の体から溢れ続ける赤が乾いた地面にみるみる吸い込まれていく。不覚にも、それがとても美しいもののように見えた。
草むらの中から、山犬が義時を狙っていた。
「戻ったのか」
重忠が、仁王立ちをして待っていた。
「え、なに、嫌がらせ?」
「いや、自害したら終わるかなと」
「おかげでおれはまた犬に食われましたよ?」
「喰われるのが癪ならば、自害して果てればいい」
飄々と言う重忠の肩を殴りつけた。
「……そういえば、この前、次郎はおれを射たな」
「おう」
「あれ、なんで?」
「いやあ、試しに首を獲られてみたものの、やっぱりムカついたからかな」
義時はカラカラと爽やかに笑う重忠を撫で斬りにしてやった。
これで手打ちだ。
続けざまに自らの首筋に切っ先を向ける。前のめりに倒れこみながら、姿を現した山犬を睨みつけた。どうせまた戻るのだ。
「おい四郎。テメェどういう了見だ」
「うるせぇ。次郎だっておれを九百九十九回殺してんだろうがぁ。ああ?」
顔を合わせるやいなや、互いに胸ぐらをつかみあう。このころには義時にとって「死」というものは、別段恐ろしいものではなくなってきていた。ただしソレは死ぬほど痛い。
義時の言葉に、「まあ、それもそうだな」と重忠が手の力を緩める。二人は一度目を合わせると、深いため息をついた。
「和解もできない。自害もできない。お前に殺されてもダメ。あとはなんだ。合戦でもしろというのか、合戦で負けろと。確かにあのときおれは、『終われた』と思ったんだ」
「二俣川で?」
重忠が大真面目な顔でうなずいた。義時はうなだれた。てのひらに、あのとき手にした首の、ヒンヤリとした冷たさがよみがえる。
「もしかしたら、今度こそ本当に死ぬかもしれないんだぞ」
義時は言った。重忠を失いたくない――本音を言葉の後ろに隠す。
「おれはもう十分に生きたよ」
重忠がぽつねんとこぼした。
翌日、義時は軍勢を率い二俣川のあたりに陣を敷いた。そこに重忠があらわれた。どことなく、ウキウキとしているように見える。
期待で胸が躍っていますなぁ――義時はニヤけそうになるのをこらえた。
矢が飛び交い、馬が地を駆け、乱戦となる。そして重忠は愛甲三郎の矢に射貫かれて、首だけの姿となって義時の前にやってきた。
本当に死んでしまったのか。もう繰り返すことはないのだろうか。そう思うと、じわりと胸のうちが陰る。満足そうな重忠の顔を見ていると、悔しさとも哀しさともちがった、なんともいえない思いがあふれ出た。
こんなことならば、もっと重忠と話しておけばよかった。
つっと涙が頬をつたう。お前はいいよな、けれど残されたおれは、どうすればいい?
ざわりとした空気に振りかえる。
白い山犬がざっと河原を蹴っていた。低くうなり牙を剥き出し、義時めがけ馳せ来る。みずからを死に追いやる忌むべき存在に、義時は感謝していた。
「どういうことだ四郎、なぜおれたちは戻っている?」
「三峯の神は、一体なにを考えているんだろうねぇ」
苛立ちを隠さずに重忠が喚いていた。義時は実のところホッとした、ということを悟られないように、重忠の言葉に相槌をうった。
「おい、義時。お前、長男が生まれたとき、浮かれポンチでキツい名前をつけてたよなぁ」
「浮かれポンチて」
唐突な重忠の問いに義時は首を捻った。たしかに長男が生まれたとき、義時は喜び舞いあがって、神仏由来の名を子につけていた。
「名前、なんだっけ」
「金剛」
「金剛大将は、つまり伐折羅神だよなぁ十二神将の。お前、伐折羅神好きだもんな」
「そうだけど」
「伐折羅神は、つまり」
「戌神将――――ああ?」
「だよなぁ!」
すべてが腑に落ちたといった様子で、重忠が大きくうなずいた。
「三峯の眷族ってだけじゃねぇなって、ずっと思ってたんだよ。違和感というか」
「ではあの山犬は三峯の眷族でもあり、戌神将の化身でもあると」
「なるほど、なるほど。つまりおれたちがちょっと信仰心が厚すぎるがゆえに、神に愛されてしまったがゆえに、この繰り返しは起こっているのか。つくづく神の愛とは残酷なものだなあ」
さっぱり理解ができない――義時は首を捻りすぎてもげて落ちるのではないかとすら思った。ただし、このような摩訶不思議なことは、神仏の力によってのみ引き起こされているのだろう、ということはわかっている。
「おまえ、なにを願掛けしてた?」
「願掛け?」
「おそらくおれたちの願いが叶わないゆえに、叶えるまで何度でも繰り返すだろう」
「はっ」
そんな馬鹿なと通常であれば一蹴するところだろう。しかし今の義時には重忠の言うことが正しいことのように思えた。
「次郎、お前の願いとは」
「一族の誇りを守ること。末永く後世に称えられる武人であること」
「あ、そ――」
重忠のまっすぐな言葉に義時は怯んだ。
思い当たる節がある。はじめは父親に呼び出される前に戻っていたのに、あるときから重忠の謀反を庇ったところに戻されている。つまり義時が重忠の名誉を守ったときに、時が進んでいるといえるのではないか。
重忠の言うことによれば、重忠の願いだけではなく、おのれの願いをも叶えなければ、また繰り返すということだ。
「四郎、お前は」
「言えない」
「言えないか」
「ああ、言えない。もしかしたら二人生き残る道があるかもしれない。次郎はこのまま秩父へ帰れ。おれは、ひとつ試したいことがある」
義時は鎌倉に駆け戻った。その足で父の屋敷に押し入って、時政と牧の方、平賀朝雅を片っ端から叩き切ってまわった。血にまみれた義時の形相を見て、時政の郎党たちは刃向かうことなく降伏した。
そのまま御所に向かうと姉の政子に対面を願った。
「姉上! 父上が謀反を。おれがこの手で討ちました」
血にまみれたまま額ずく義時を一瞥し、政子はすべてを察したようだった。一筋涙をこぼすと、かたわらに座る。そうして着物が汚れることも厭わずに弟の肩を抱くと、むせび泣いた。
姉は幼い頃から自分をなにかと可愛がってくれていた。だから、なにがあっても自分の味方でいてくれる。義時は姉を信じていた。
肩におかれた姉の手を握り互いに向き合った、次の瞬間、政子の懐刀で胸を突かれていた。
ああ、まさか。暗くなっていく意識に、姉の嗚咽がこだまする。姉はなにも悪くない。わかっている。けれど義時は絶望に打ちひしがれた。一番信じていたひとに裏切られた。ただ、悲しかった。
もう一度。もう一度、繰り返そう。少しずつ、終わりにしよう。
「四郎、大丈夫か?」
ずいぶんと酷い顔をしていたのだろう。重忠が心配そうにのぞきこんできた。
姉は自分を裏切ったわけではないのだろう。家族を大切にするひとだから、きっと混乱したにちがいない。義時は、そう自分に言い聞かせた。それでも幼いころから自分を可愛がってくれた姉に刺されたことが、姉の嗚咽が、脳裏にこびりついて離れなかった。
「さっき、親父を殺した」
「え」
義時のつぶやきに、重忠が目を剥いた。
「願掛けなど――そんなつもりではなかった」
くしゃりと顔を歪めた義時を見て、重忠が視線を下げた。しばし無言で地面に腰をおろす。
青々とした木々の葉が風に揺られている。隙間からこぼれ落ちた光が、重忠の肩を照らしていた。ひび割れた幹には蜜を求める虫けらが蠢いている。それを啄もうとして枝に止まっていた小鳥が、ひとつ鋭く鳴いたかと思うと大空に羽ばたいていった。
「ふむん、大胆な願いだな」
「言うなよ次郎。そのためにおれは親父に背かなければ。それも上手く」
「おれを殺してな」
重忠が笑った。
「なあ、どうしてもそれは避けられないのか」
「おそらくおれが生き残るとダメなのだ。今が一番輝かしくあるのだろう」
「合戦で」
「そうさ。お前たちにありあまる武勇を見せつけて、おれは逝くのだ」
風がそよぐ。義時は天を仰いだ。
「いやだ」
このまま時が、とまってしまえばいいのに。
「でも、おれはもう疲れたよ四郎。おれは何度、息子の死を味わえばいい」
「……」
義時は頭を振った。そういえば重忠の嫡子は三浦の手で殺される。その報せを、何度も何度も繰り返し聞き続ける心境は、どのようなものだろうか。身を引き裂かれるような思いではないだろうか。
「なぜお前が泣く?」
「あまりにも」
「おれは四郎とこういう話ができて、それだけは良かったと思ってるよ」
義時は重忠の横顔を見つめる。迷いなく見える表情に隠された苦悩を垣間見て、寄り添うように、ただ涙だけがこぼれた。
言葉を交わす必要はなかった。二人、ただ黙って移ろいゆく雲を眺めている。
「ずいぶんと時をかけてしまった。仕切り直そう、四郎。もう次はここに来るな。二俣川のほとりで会おう」
やがて日がかたむいて、空が燃え山の端が黒く染まるころ、重忠が言った。そして腰の太刀を義時に手渡した。
「神も仏も残酷だ」
義時もうなずいて、みずからの太刀を重忠に手渡す。
「おれの名誉をお前に託す」
「ああ、任せろ。しかと心得た」
互いに切っ先を向けあう。
夕日を映しこんだ刀身が、なにもかもを切り裂いて美しくきらめいた。
「畠山次郎は忠義の士です。故右大将も彼を重用しておりました。また比企討伐のときも味方となってくれたのは、父上との親子の義理を重んじたからです。そのような男が謀反を企てるでしょうか。やみくもに討伐をすれば後悔します。慎重に、ことの真偽を調べましょう」
義時は時政にきっぱりと言った。側に控えている郎党らや、潜んでいるであろう平賀朝雅にも聞こえるように声を張りあげる。普段ボソボソと喋る義時が大きな声を出したことが意外だったのか、時政が目を見開いていた。
「謀反はもう発覚しているわよ。四郎殿は仲が良いからといって重忠を庇うのですね。私が継母だから讒言者にしようというわけですか?」
「あなたが父に、次郎の謀反を報せたのですね」
「そうよ。私では信用が足りない? 阿波局の告げ口のときは、みんなで寄ってたかって梶原を叩いたというのに」
「娘婿だからといって平賀殿の言うことを鵜呑みにするとは。阿波局は口の軽いところはありますが、あなたほど愚かではありませんよ」
「な」
「よさないか、二人とも」
一触即発といった義時と牧の方を、時政が慌て諫めた。
「謀反の嫌疑をかけられた時点で謀反人となる。わかっているだろう、四郎」
義時は無言で頭を下げると、立ち上がった。その足で御所へと向かい、政子に対面を願った。重忠謀反の噂は政子の知るところでもあるだろう。ややあって、政子が姿を現した。
「姉上、畠山次郎の件で」
「その件、聞いております。四郎、あなたは畠山殿とは親しくしてましたものね」
「はい。姉上、これは平賀朝雅の讒訴です」
「牧の方が父上を誑かしていると」
「はい」
「あの女、これだから」
政子は額に手をあてて、しばらく沈思していた。
「たしかに、畠山殿は誠実な方です。御家人たちにも彼を慕うものは多い。彼を討てば、世論は荒れましょうね。父上といえども無事ではすまないかもしれません」
義時は拝礼して御所を後にした。故右大将の妻であり、現鎌倉殿の母でもある権力者の後ろ盾は得た。やはり姉は自分の味方だったのだと、義時は感慨深く感じた。
翌日、義時は軍勢を率い鎌倉を発った。
二俣川にて対峙する。重忠はいつにもまして威風堂々としていた。
「そのような少数の兵でなんとするか」
義時は馬上で叫んだ。
「撤退は本懐にあらず。家を忘れ、親を忘れて戦うのが将の本来なり。重保が討たれたいま、本拠を顧みることもない!」
重忠が笑っている。そのまっすぐな言葉に、義時の率いる兵が感嘆を漏らした。
「畠山どのは、本当に謀反など企んでいるのだろうか」
兵たちがにわかに騒ぎだす。そうだ、そうだ。これでいい。
「畠山重忠は一騎当千。まことの兵だ。かかれやものども!」
義時は吠えた。
軍勢が我先にと先陣を競って襲いかかった。大波のように襲い来る兵たちを前にしても、重忠は怯むことがなかった。むしろ嬉々として馬の腹を蹴り上げると、馳せ来るものどもを次々と矢で射貫いた。義時は、それを遠巻きに眺めることしかできなかった。
みずからの手で、という思いもある。しかし義時は生きねばならない。土煙の中でいきいきと戦う朋友の姿はとても眩しかった。やはり真夏の太陽のような男だと義時は思った。
日が西に傾きだしたころ、奮戦していた重忠の胸に矢が突き立った。弓の名手である愛甲三郎の矢だ。馬上の重忠の体がぐらりとかたむく。愛甲三郎が首を落とそうと駆け寄る姿が見えた。
ああ、ああ。やめてくれ。殺さないでくれ。
繰り返してきた重忠との日々を思いかえす。これが最上の手向けなのだとわかっている。朋友の望みなのだとわかっている。それでも――もっとともに、この先ずっとありたかったと願うのは、おこがましいことなのだろうか。
三峯の神よ。伐折羅神よ。御仏よ。どうか彼を救ってはくれないか。今生に叶わぬのであれば、せめて来世、再来世と。血にまみれたおのれが同じ蓮の花の上に還ることはないだろう。けれど、それでいい。それでいいから救ってください。
たしかにおれは、あの男に救われていたのです。
どうか、どうか、お願いします。
しん、と静まりかえっていた。それまで喚いていたすべての武者どもが、その勇敢な男の死を悼み口を閉ざした。
ひぐらしが鳴いている。
首だけの姿となった重忠を、義時はまともに見ることができなかった。ただただ涙がとめどなく溢れ続けた。
「畠山次郎は謀反なんて企てていなかった、そうだろう」
義時の問いに、だれもなにも言わなかった。
「親父はおれたちを騙して畠山次郎を殺させた!」
義時の叫びに、だれもなにも言わなかった。
彼らの無言は肯定だった。哀悼の意をもって。それは、しめやかに、すみやかに北条時政に対する反感となり広がっていったのである。
翌々月、北条時政と牧の方は謀反の嫌疑をかけられ、伊豆へ下向した。
義時は、ここに執権となる。
それから十四年。
音のない、しずかな日だ。しんしんと降り続けた雪が、鎌倉の町並みを白く染めあげていた。鎌倉殿である源実朝が鶴岡八幡宮寺に詣でるという。叔父として執権として、当然のように義時は奉行行列に加わっていた。
ふと、視線を感じて振りかえる。
犬がいた。山犬のような体格の白い犬が、金色の瞳でじぃっと義時を見つめていた。
「うっ」
ぞっと悪寒が走る。あの繰り返しの日々が、まざまざとよみがえった。臓腑がひっくり返るような不快感に襲われる。痺れるほどの寒さだというのに、額には大粒の汗がびっしりと浮いてきた。
「どうしました、お顔が真っ青です。ご気分がすぐれないのですか?」
隣を歩いていた源仲章が心配そうに義時の顔をのぞきこんでいた。
「あ、ああ――おれは少し外させてもらう」
捧げ持っていた実朝の太刀を仲章に手渡すと、義時は行列から外れた。
あの繰り返しの日々は、二度と味わいたくない。想像しただけで吐き気が止まらずに、築地塀に手を突いて嘔吐し続けた。腹が空っぽになり苦い液すらも吐き出して、それでも気分の悪さはおさまらなかった。
雪の中にへたりこんでいると、にわかに八幡宮寺のほうが騒がしくなる。なにか、あったのだろうか。
義時は虚ろな視線を空に向けた。降り注ぐ牡丹雪が、薄気味悪い虫の死骸のように見えた。
掲げられた首を見ても、江間四郎義時は涙の一粒すら滲みでてこなかった。
朋友であり義理の兄弟でもある男の首といえども……こんな光景は見慣れすぎていた。
いまや鎌倉殿の後見人として権勢をふるう父、北条時政の命である。謀反人として畠山次郎重忠を誅殺した。これでよかったのだ。自分には、こうするよりほかない。
まじまじと首を見つめる。首だけになってもイイ男はイイ男なのだなと、義時は妙に感慨深く感じた。死んだ男の乾いた瞳の中には、もくもくとした入道雲が虚ろっている。
ふと視線を感じ、義時は振りかえった。
白い山犬が、じっと義時を見つめていた。はて、こんな場所に山犬がいるとは――義時が物珍しく思って眺めていると、山犬がざっと地を蹴った。低くうなり牙を剥きだし、あれよという間に馳せ迫る。「あ」っと声を漏らす間もなく、義時は喉笛を噛み砕かれた。
はっとして飛び起きた。夢か……義時は、肩で息をしながらあたりを見回した。息苦しさに思わず喉に手をやる。噛み砕かれたと思った首は、なんということもなくつるりとしていた。着物はぐっしょりと濡れ、額から汗が噴き出している。夏の湿った夜気のせいか悪夢を見たのだろう。昨今の鎌倉はあれやこれやと騒々しい。
それから深く眠ることができずに、ぼんやりとした意識のままで朝を迎えた。
義時が時政に呼び出されたのは昼過ぎだった。
「畠山重忠が謀反を企み合戦をしようと鎌倉に向かっているそうだ」
顔を見るなり、時政が口を開いた。
「それを、討ち取ってこいということでしょうか」
「そうだ。重忠の嫡男重保は、三浦殿に始末するように頼んである」
「さようで」
「お前と重忠の仲を知らぬわけではないが、だからこそ引導を渡してやれ」
「はい」
翌日、義時は父の命じるままに軍勢を率い鎌倉を発った。ちょうど二俣川のあたりで武蔵国から駆けてきた畠山重忠と相対した。重忠の軍勢はろくな武装もしておらず、兵の数も少なかった。
謀反など企てているはずがない――義時は唇を噛んだ。
重忠はというと、義時の率いる大軍勢を見ても動揺することがなかった。むしろ、鎌倉から自らを討とうとする軍勢が遣わされることを予感していたようですらある。
矢が飛び交い、馬が地を駆け、乱戦となった。いかに豪勇の士である重忠といえども、多勢に無勢。しまいには討ち取られ、首だけの姿となって義時の目の前に掲げられた。
義時は首を見ても、涙の一粒すら滲みでてこなかった。この光景に恐ろしいほどの既視感がある。同じようなことが過去あっただろうか。否、これは。
まじまじと首を見つめる。重忠の乾いた瞳に、汗まみれの自分の顔が映っていた。
いやな予感がする。義時は振りかえった。
白い山犬がざっと河原を蹴っていた。低くうなり牙を剥き出し、義時めがけ飛びかかってくる。
おれはこれを知っている。これは夢に見た――咄嗟に、かたわらにいた兵を身代わりにせんとばかりに突き飛ばした。山犬は怯む様子を見せなかった。義時に突き飛ばされ、体勢を崩した兵の体を軽々と飛び越える。
「だれか、あれを射殺せ!」
義時の言葉に、兵たちは周囲をきょろきょろと見まわすばかりで、だれも弓を手にしようとはしない。しかたなく義時は山犬に背を向けて、居並ぶ兵たちの中に割って入った。ひとに紛れてしまえば、山犬の狙いも逸れるだろう。
息を吐く。恐る恐るふりかえり、ぎょっとした。山犬がざわつく兵たちの体をすり抜けたのだ。慌て逃げようとする義時に向かい跳躍する。
咄嗟に首を庇うと、腕に牙が食いこんだ。必死に振り払おうとするが、いとも簡単に骨肉を噛み砕かれる。腕を失った痛みにのたうつ間もなく、喉笛を食い破られた。
飛び起きる。義時は肩で息をしながらあたりを見まわした。酷い頭痛に視界が歪み、おもわず額を手で覆う。噛み砕かれた右腕がずきりと痛んだ。
なんだ、これは。
重忠の首。不気味な白い山犬に噛み殺される自分。この夢は凶兆だろうか。あるいは夢ではなく――義時は、まだほの暗い中で着衣を改めた。神仏にすがろうと、信仰している十二神将の真言を順番に唱える。
真言を唱えながら、さきほど体感したことを頭の中で反芻する。どうも兵たちの様子からして、山犬は義時にしか見えていないようだった。さらにはひとの体をすり抜けてみせた。
そういえば重忠が厚く信仰していた三峯神社の眷族は山犬ではなかったか。さてはあの山犬は神の使いにちがいない。重忠の首を取り返しに来たのだろう。そう思うと居ても立ってもいられなかった。
戸惑い怯える義時が時政に呼び出されたのは昼過ぎだった。
「畠山重忠が謀反を企み、合戦をしようと鎌倉に向かっているそうだ」
義時の脳裏に白い山犬の姿が浮かんだ。重忠はここで死すべき人ではないから、三峯の神が怒っているのだ。そう思うと震えが止まらなかった。
「畠山次郎は忠義の士です。故右大将も彼を重用しておりました。また比企討伐のときも味方となってくれたのは、父上との親子の義理を重んじたからです。そのような男が謀反を企てるでしょうか。やみくもに討伐をすれば後悔します。慎重に、ことの真偽を調べましょう」
夢に見た光景が頭の中でぐるぐると巡る。重忠は少人数で武装もせずに現れた。あれは決して謀反を起こそうというものの行動ではない。義時は父の目を見つめ訴えた。
「謀反はもう発覚しているわよ。四郎殿は仲が良いからといって重忠を庇うのですね。私が継母だから讒言者にしようというわけですか?」
背後から女の声がした。時政の後妻、牧の方だ。唐突に差し挟まれた無遠慮な言葉に、義時は肩を怒らせた。
「あなたが父に、次郎の謀反を報せたのですか」
「そうよ。私では信用が足りない? 阿波局の告げ口のときは、みんなで寄ってたかって梶原を叩いたというのに」
「よさないか」
義時が言い返すよりも早く、時政が声を荒らげる。
「謀反の嫌疑をかけられた時点で謀反人となる。わかっているだろう、四郎」
義時は席を蹴って立ち上がった。その足で一人、北へと馬を進める。重忠に会い、引き返すように伝えたかった。
やがて多摩のあたりで、義時は重忠一行とでくわした。
「次郎、引き返せ!」
単騎駆けてきた義時の叫びを聞いても、重忠はべつだん驚いた様子を見せなかった。ただ形の良い右眉をチョットつり上げて、気怠げに矢をつがえる。
「四郎。お前、何度目だ?」
「え?」
射貫かれた痛みで、思わず胸元を押さえ前屈みになった。額には玉のような汗が浮かんでいる。それが顎を伝ってポタポタと床板の上に染みを作った。
「四郎、大丈夫か?」
「はっ」
目の前で父、時政が眉をひそめていた。
「謀反はもう発覚しているわよ。四郎殿はまるで――」
「次郎の肩を持つわけでも、あなたが継母だから讒言者と言うつもりもありませんよ」
「え?」
牧の方が驚いたような声をあげる。
義時は座を蹴って立ち上がると、単騎、多摩へと向かった。
「次郎! 話がしたい」
手を振って訴えると、重忠がゆるりと下馬した。つき従っていた郎党たちを下がらせ、たった一人、怠そうに義時に歩み寄る。
「やっとかよ」
「さっき、お前なんでおれを射た? いや、いい。そうじゃない。一体なにがどうなってる。その口ぶりだと、次郎も気がついているのだろう」
「そうとも」
重忠が白い歯を見せた。そういう表情をしていれば、じつに爽やかな男だ。
苔色の鎧直垂がよく似合っている。背が高く、ガッシリとした首や肩は、強弓を引くために生まれてきたようだ。キリリとした眉は整っていて、二重まぶたの目尻は切れ上がって涼やかだ。すっとした鼻筋。引き結ばれた唇。顎に蓄えた黒々とした髭には、いまだ白髪の一本すら見当たらない。まったくいつ見ても惚れ惚れするような男だと、義時はため息をついた。
見た目のとおり武勇に優れ、それでいて実直で傲り高ぶることがない。誰にでも親切で誠実だった。そういう男が、どこか冴えない自分を朋友と認めてくれていることに、義時は少し引け目を感じながらも、こそばゆい思いを抱いていた。
カラリとした真夏の太陽のような重忠のことが、単純に好きだった。
「どうにもこうにも。すでにおれはお前を九百九十九回殺した」
「嘘でしょ!」
ゆえに重忠からもたらされた衝撃的な言葉に、義時は泣きそうになった。
「ああ、すまん。多少盛ってる」
目に涙を浮かべる義時を哀れんだか、重忠が言った。
「でも、お前たち弱すぎるぞ。特にお前。本当に、前に出てくるなよ。大将だろう? お前が前に出てきたときは、必ずお前、死ぬんだもん」
「……」
「おれはずっとお前を殺し続けた。しかしその都度、先がなかった。お前が死ぬとおれは白い山犬に食い殺されて、またここに戻ってくる。さっき二俣川でお前に殺されてやったとき、ようやっと解放されたと思ったが?」
堰を切ったように喋る重忠に、義時はただ黙ってうなずくことしかできなかった。重忠の話は、にわかに信じがたいことだ。しかし今の義時には重忠の言葉の意味が理解できた。自分も同じ経験をしている。
「何度も何度も、この繰り返しを終わらせるために、ありとあらゆることは試した。でもダメなんだ。だから試しに死んでみることにした。軍勢を多く引き連れていると勝ってしまうから少なくし、武装していても勝ってしまうから装備を簡易にして、ようやっと終われたと思ったんだが。終わったと思ったらまだ続いている。一体全体どうなっている」
「それをおれに聞かれても」
怒気の混じった重忠の言葉尻に、義時はたじろいだ。
「つまりおれは死ぬのだろう。どうあがいても死ぬのだろう」
重忠のまっすぐな視線に義時は射貫かれた。さきほど矢に貫かれたときよりも、ずっとずっと鈍く、それでいて鋭い痛みに胸が締めつけられる。重忠が死ぬ――その事実が義時に重くのしかかった。重忠を、おれが殺す。首と成り果ててすら美しい男の不名誉な最後が、目蓋の裏側にまざまざとよみがえる。
首をこの両手で抱えた。その、ずしりとした重さ。光のない虚ろな瞳に映る入道雲。おのれの汗まみれで不格好な顔。白い山犬。
思い出して、はっとする。
いま重忠は白い山犬に食い殺されると言ったか。であれば自分と変わらないではないか。
「でも、おれが次郎を討ったら、山犬はおれを喰らったぞ」
「なんだと」
義時の言葉に重忠が目を丸くした。そうして少し考えこむように首を捻る。
「あれは三峯の眷族だろう」
たたみかけるように義時は重忠に迫った。
「それはどうかな……まあ、いい。時間の無駄だ、いますぐおれを殺せ四郎」
自暴自棄になったような、やさぐれた雰囲気をまとった重忠が肩をすくめた。
重忠が死ねば、山犬はおのれを喰らうだろう。おのれが死ねば、それは重忠を喰らったという。つまり二人が生き残ることこそが、三峯の神意なのではないか。義時は無理に口角をつりあげた。
「考えがある。おれと鎌倉に行こう。親父たちに謀反のこころがないことを証明しよう」
義時の提案に、それまで陰りを帯びていた重忠の表情が、パアっと明るくなった。
「できるか」
「できるさ。そうすればこの繰り返しも終わるだろう」
重忠がうなずいた。義時と重忠は、鎌倉の時政の屋敷まで一路駆けた。
謀反人である重忠を見て、時政の郎党らが狼狽えた。しかし、義時とともに神妙な面持ちであらわれた重忠を咎めるものはいなかった。
部屋に通される。ここでしばし時政を待つようにということだ。重忠の頬が紅潮していた。まっすぐな瞳にはキラキラとした光が宿り、少しソワソワとしているようにも見える。そういう朋友の表情は、義時の鬱屈した精神をも軽くしてくれた。父に刃向かうことになろうとも、この友のためならば、なにも惜しくはない。そう思わせるに十分であった。
「四郎、おれは本当に良い友を持った」
重忠が、ぽつりとこぼす。それが嬉しくて義時は不器用にほほえんだ。
ややあって、背後から足音が聞こえてきた。父だろう。義時は意気揚々と振りかえった、次の瞬間――重忠の胸を太刀の切っ先が貫いていた。
大きく目を見開きながら、倒れ行く重忠の表情が、吹き出る鮮血の合間にくっきりと見えた。なぜ――しかしそれは言葉にならず、赤い泡となって口の端からあふれ出ているようだった。
「はっ」
血刀が容赦なく振りおろされる。避けようとして飛びすさるも、腹のあたりを鋭い一閃が薙いだ。義時は飛び散ったみずからの臓物の上に膝をついた。ただただ熱い。腹から迫り上がる血の塊が咳とともに吐き出され、磨かれた床板を染めあげた。茫洋と霞み狭まっていく視界の端で、義時がは見知った男の姿を捉えていた。
腹も、首も、身体中が悲鳴をあげていた。額が、背が、ぐっしょりと汗で湿っている。
「四郎、大丈夫か?」
目の前で時政が眉をひそめていた。
ああ、よかった。戻ってきた。義時は荒く息を吐き、父を睨めつけた。今際のきわに見た男の姿を、はっきりと覚えている、あれは。
「父上は、平賀の讒言を真に受けるのか!」
義時の叫びに、ギクリと時政が肩を震わせた。
平賀朝雅――牧の方の娘婿である。昨年ささいなことから重忠の息子と諍いを起こしていた。これはその報復なのだ。朝雅の訴えを聞き入れた牧の方に、時政は良いように操られているのだろう。
ああ、父はここまで耄碌したか――義時は怒りとも悲しみともつかない感情に支配された。それを振り払うように、単騎、多摩へと向かった。
「やっぱりダメだっただろう」
「平賀朝雅だ! あのクソ野郎のせいで次郎は」
義時の頬をとめどなく涙が伝う。見かねたのだろう重忠が、嗚咽をもらす義時の背をさすった。
「まあ、平賀殿のことについては息子がしでかしたこととはいえ、おれにとっては因果応報というやつのような気がしなくもないのだが」
そう言って重忠は頬をかいた。
「あの野郎、ブチ殺してやろう。おれとお前なら簡単だ」
「いや、四郎。もう義父上はおれが謀反を企てていると信じているのだろう? だったら無駄だろう。いや、わかる、わかるよ。繰り返しているとその辺アベコベになるわよね」
べそをかく義時をなだめながら、重忠がウンウンとうなった。
「でも、さっきのは新しかった」
「さっきの」
「ともに鎌倉に行こうと四郎が言ってくれた。というか、お前が多摩に現れることじたい、ここ最近のことだなぁ」
「次郎がおれに討たれて、おれが繰り返しに気がついたから」
重忠が曖昧な笑みを浮かべた。義時は、重忠がこの繰り返しをずっと一人で耐えていたのだということに、今になって気づかされた。どんなにか苦しかっただろうか。寂しかっただろうか。自分だったら、重忠のように気丈に振る舞うことなどできないだろう。
「とりあえず、お前、ここでおれを殺してみないか?」
重忠が懐から小刀を取りだし、軽い調子で嘯いた。
「できない」
「あそう」
義時の拒絶の言葉に、うなずくやいなや重忠はみずからの喉元に小刀を突き立てていた。頭のてっぺんから鮮血を浴びて、義時は呆然と立ちつくした。重忠の体から溢れ続ける赤が乾いた地面にみるみる吸い込まれていく。不覚にも、それがとても美しいもののように見えた。
草むらの中から、山犬が義時を狙っていた。
「戻ったのか」
重忠が、仁王立ちをして待っていた。
「え、なに、嫌がらせ?」
「いや、自害したら終わるかなと」
「おかげでおれはまた犬に食われましたよ?」
「喰われるのが癪ならば、自害して果てればいい」
飄々と言う重忠の肩を殴りつけた。
「……そういえば、この前、次郎はおれを射たな」
「おう」
「あれ、なんで?」
「いやあ、試しに首を獲られてみたものの、やっぱりムカついたからかな」
義時はカラカラと爽やかに笑う重忠を撫で斬りにしてやった。
これで手打ちだ。
続けざまに自らの首筋に切っ先を向ける。前のめりに倒れこみながら、姿を現した山犬を睨みつけた。どうせまた戻るのだ。
「おい四郎。テメェどういう了見だ」
「うるせぇ。次郎だっておれを九百九十九回殺してんだろうがぁ。ああ?」
顔を合わせるやいなや、互いに胸ぐらをつかみあう。このころには義時にとって「死」というものは、別段恐ろしいものではなくなってきていた。ただしソレは死ぬほど痛い。
義時の言葉に、「まあ、それもそうだな」と重忠が手の力を緩める。二人は一度目を合わせると、深いため息をついた。
「和解もできない。自害もできない。お前に殺されてもダメ。あとはなんだ。合戦でもしろというのか、合戦で負けろと。確かにあのときおれは、『終われた』と思ったんだ」
「二俣川で?」
重忠が大真面目な顔でうなずいた。義時はうなだれた。てのひらに、あのとき手にした首の、ヒンヤリとした冷たさがよみがえる。
「もしかしたら、今度こそ本当に死ぬかもしれないんだぞ」
義時は言った。重忠を失いたくない――本音を言葉の後ろに隠す。
「おれはもう十分に生きたよ」
重忠がぽつねんとこぼした。
翌日、義時は軍勢を率い二俣川のあたりに陣を敷いた。そこに重忠があらわれた。どことなく、ウキウキとしているように見える。
期待で胸が躍っていますなぁ――義時はニヤけそうになるのをこらえた。
矢が飛び交い、馬が地を駆け、乱戦となる。そして重忠は愛甲三郎の矢に射貫かれて、首だけの姿となって義時の前にやってきた。
本当に死んでしまったのか。もう繰り返すことはないのだろうか。そう思うと、じわりと胸のうちが陰る。満足そうな重忠の顔を見ていると、悔しさとも哀しさともちがった、なんともいえない思いがあふれ出た。
こんなことならば、もっと重忠と話しておけばよかった。
つっと涙が頬をつたう。お前はいいよな、けれど残されたおれは、どうすればいい?
ざわりとした空気に振りかえる。
白い山犬がざっと河原を蹴っていた。低くうなり牙を剥き出し、義時めがけ馳せ来る。みずからを死に追いやる忌むべき存在に、義時は感謝していた。
「どういうことだ四郎、なぜおれたちは戻っている?」
「三峯の神は、一体なにを考えているんだろうねぇ」
苛立ちを隠さずに重忠が喚いていた。義時は実のところホッとした、ということを悟られないように、重忠の言葉に相槌をうった。
「おい、義時。お前、長男が生まれたとき、浮かれポンチでキツい名前をつけてたよなぁ」
「浮かれポンチて」
唐突な重忠の問いに義時は首を捻った。たしかに長男が生まれたとき、義時は喜び舞いあがって、神仏由来の名を子につけていた。
「名前、なんだっけ」
「金剛」
「金剛大将は、つまり伐折羅神だよなぁ十二神将の。お前、伐折羅神好きだもんな」
「そうだけど」
「伐折羅神は、つまり」
「戌神将――――ああ?」
「だよなぁ!」
すべてが腑に落ちたといった様子で、重忠が大きくうなずいた。
「三峯の眷族ってだけじゃねぇなって、ずっと思ってたんだよ。違和感というか」
「ではあの山犬は三峯の眷族でもあり、戌神将の化身でもあると」
「なるほど、なるほど。つまりおれたちがちょっと信仰心が厚すぎるがゆえに、神に愛されてしまったがゆえに、この繰り返しは起こっているのか。つくづく神の愛とは残酷なものだなあ」
さっぱり理解ができない――義時は首を捻りすぎてもげて落ちるのではないかとすら思った。ただし、このような摩訶不思議なことは、神仏の力によってのみ引き起こされているのだろう、ということはわかっている。
「おまえ、なにを願掛けしてた?」
「願掛け?」
「おそらくおれたちの願いが叶わないゆえに、叶えるまで何度でも繰り返すだろう」
「はっ」
そんな馬鹿なと通常であれば一蹴するところだろう。しかし今の義時には重忠の言うことが正しいことのように思えた。
「次郎、お前の願いとは」
「一族の誇りを守ること。末永く後世に称えられる武人であること」
「あ、そ――」
重忠のまっすぐな言葉に義時は怯んだ。
思い当たる節がある。はじめは父親に呼び出される前に戻っていたのに、あるときから重忠の謀反を庇ったところに戻されている。つまり義時が重忠の名誉を守ったときに、時が進んでいるといえるのではないか。
重忠の言うことによれば、重忠の願いだけではなく、おのれの願いをも叶えなければ、また繰り返すということだ。
「四郎、お前は」
「言えない」
「言えないか」
「ああ、言えない。もしかしたら二人生き残る道があるかもしれない。次郎はこのまま秩父へ帰れ。おれは、ひとつ試したいことがある」
義時は鎌倉に駆け戻った。その足で父の屋敷に押し入って、時政と牧の方、平賀朝雅を片っ端から叩き切ってまわった。血にまみれた義時の形相を見て、時政の郎党たちは刃向かうことなく降伏した。
そのまま御所に向かうと姉の政子に対面を願った。
「姉上! 父上が謀反を。おれがこの手で討ちました」
血にまみれたまま額ずく義時を一瞥し、政子はすべてを察したようだった。一筋涙をこぼすと、かたわらに座る。そうして着物が汚れることも厭わずに弟の肩を抱くと、むせび泣いた。
姉は幼い頃から自分をなにかと可愛がってくれていた。だから、なにがあっても自分の味方でいてくれる。義時は姉を信じていた。
肩におかれた姉の手を握り互いに向き合った、次の瞬間、政子の懐刀で胸を突かれていた。
ああ、まさか。暗くなっていく意識に、姉の嗚咽がこだまする。姉はなにも悪くない。わかっている。けれど義時は絶望に打ちひしがれた。一番信じていたひとに裏切られた。ただ、悲しかった。
もう一度。もう一度、繰り返そう。少しずつ、終わりにしよう。
「四郎、大丈夫か?」
ずいぶんと酷い顔をしていたのだろう。重忠が心配そうにのぞきこんできた。
姉は自分を裏切ったわけではないのだろう。家族を大切にするひとだから、きっと混乱したにちがいない。義時は、そう自分に言い聞かせた。それでも幼いころから自分を可愛がってくれた姉に刺されたことが、姉の嗚咽が、脳裏にこびりついて離れなかった。
「さっき、親父を殺した」
「え」
義時のつぶやきに、重忠が目を剥いた。
「願掛けなど――そんなつもりではなかった」
くしゃりと顔を歪めた義時を見て、重忠が視線を下げた。しばし無言で地面に腰をおろす。
青々とした木々の葉が風に揺られている。隙間からこぼれ落ちた光が、重忠の肩を照らしていた。ひび割れた幹には蜜を求める虫けらが蠢いている。それを啄もうとして枝に止まっていた小鳥が、ひとつ鋭く鳴いたかと思うと大空に羽ばたいていった。
「ふむん、大胆な願いだな」
「言うなよ次郎。そのためにおれは親父に背かなければ。それも上手く」
「おれを殺してな」
重忠が笑った。
「なあ、どうしてもそれは避けられないのか」
「おそらくおれが生き残るとダメなのだ。今が一番輝かしくあるのだろう」
「合戦で」
「そうさ。お前たちにありあまる武勇を見せつけて、おれは逝くのだ」
風がそよぐ。義時は天を仰いだ。
「いやだ」
このまま時が、とまってしまえばいいのに。
「でも、おれはもう疲れたよ四郎。おれは何度、息子の死を味わえばいい」
「……」
義時は頭を振った。そういえば重忠の嫡子は三浦の手で殺される。その報せを、何度も何度も繰り返し聞き続ける心境は、どのようなものだろうか。身を引き裂かれるような思いではないだろうか。
「なぜお前が泣く?」
「あまりにも」
「おれは四郎とこういう話ができて、それだけは良かったと思ってるよ」
義時は重忠の横顔を見つめる。迷いなく見える表情に隠された苦悩を垣間見て、寄り添うように、ただ涙だけがこぼれた。
言葉を交わす必要はなかった。二人、ただ黙って移ろいゆく雲を眺めている。
「ずいぶんと時をかけてしまった。仕切り直そう、四郎。もう次はここに来るな。二俣川のほとりで会おう」
やがて日がかたむいて、空が燃え山の端が黒く染まるころ、重忠が言った。そして腰の太刀を義時に手渡した。
「神も仏も残酷だ」
義時もうなずいて、みずからの太刀を重忠に手渡す。
「おれの名誉をお前に託す」
「ああ、任せろ。しかと心得た」
互いに切っ先を向けあう。
夕日を映しこんだ刀身が、なにもかもを切り裂いて美しくきらめいた。
「畠山次郎は忠義の士です。故右大将も彼を重用しておりました。また比企討伐のときも味方となってくれたのは、父上との親子の義理を重んじたからです。そのような男が謀反を企てるでしょうか。やみくもに討伐をすれば後悔します。慎重に、ことの真偽を調べましょう」
義時は時政にきっぱりと言った。側に控えている郎党らや、潜んでいるであろう平賀朝雅にも聞こえるように声を張りあげる。普段ボソボソと喋る義時が大きな声を出したことが意外だったのか、時政が目を見開いていた。
「謀反はもう発覚しているわよ。四郎殿は仲が良いからといって重忠を庇うのですね。私が継母だから讒言者にしようというわけですか?」
「あなたが父に、次郎の謀反を報せたのですね」
「そうよ。私では信用が足りない? 阿波局の告げ口のときは、みんなで寄ってたかって梶原を叩いたというのに」
「娘婿だからといって平賀殿の言うことを鵜呑みにするとは。阿波局は口の軽いところはありますが、あなたほど愚かではありませんよ」
「な」
「よさないか、二人とも」
一触即発といった義時と牧の方を、時政が慌て諫めた。
「謀反の嫌疑をかけられた時点で謀反人となる。わかっているだろう、四郎」
義時は無言で頭を下げると、立ち上がった。その足で御所へと向かい、政子に対面を願った。重忠謀反の噂は政子の知るところでもあるだろう。ややあって、政子が姿を現した。
「姉上、畠山次郎の件で」
「その件、聞いております。四郎、あなたは畠山殿とは親しくしてましたものね」
「はい。姉上、これは平賀朝雅の讒訴です」
「牧の方が父上を誑かしていると」
「はい」
「あの女、これだから」
政子は額に手をあてて、しばらく沈思していた。
「たしかに、畠山殿は誠実な方です。御家人たちにも彼を慕うものは多い。彼を討てば、世論は荒れましょうね。父上といえども無事ではすまないかもしれません」
義時は拝礼して御所を後にした。故右大将の妻であり、現鎌倉殿の母でもある権力者の後ろ盾は得た。やはり姉は自分の味方だったのだと、義時は感慨深く感じた。
翌日、義時は軍勢を率い鎌倉を発った。
二俣川にて対峙する。重忠はいつにもまして威風堂々としていた。
「そのような少数の兵でなんとするか」
義時は馬上で叫んだ。
「撤退は本懐にあらず。家を忘れ、親を忘れて戦うのが将の本来なり。重保が討たれたいま、本拠を顧みることもない!」
重忠が笑っている。そのまっすぐな言葉に、義時の率いる兵が感嘆を漏らした。
「畠山どのは、本当に謀反など企んでいるのだろうか」
兵たちがにわかに騒ぎだす。そうだ、そうだ。これでいい。
「畠山重忠は一騎当千。まことの兵だ。かかれやものども!」
義時は吠えた。
軍勢が我先にと先陣を競って襲いかかった。大波のように襲い来る兵たちを前にしても、重忠は怯むことがなかった。むしろ嬉々として馬の腹を蹴り上げると、馳せ来るものどもを次々と矢で射貫いた。義時は、それを遠巻きに眺めることしかできなかった。
みずからの手で、という思いもある。しかし義時は生きねばならない。土煙の中でいきいきと戦う朋友の姿はとても眩しかった。やはり真夏の太陽のような男だと義時は思った。
日が西に傾きだしたころ、奮戦していた重忠の胸に矢が突き立った。弓の名手である愛甲三郎の矢だ。馬上の重忠の体がぐらりとかたむく。愛甲三郎が首を落とそうと駆け寄る姿が見えた。
ああ、ああ。やめてくれ。殺さないでくれ。
繰り返してきた重忠との日々を思いかえす。これが最上の手向けなのだとわかっている。朋友の望みなのだとわかっている。それでも――もっとともに、この先ずっとありたかったと願うのは、おこがましいことなのだろうか。
三峯の神よ。伐折羅神よ。御仏よ。どうか彼を救ってはくれないか。今生に叶わぬのであれば、せめて来世、再来世と。血にまみれたおのれが同じ蓮の花の上に還ることはないだろう。けれど、それでいい。それでいいから救ってください。
たしかにおれは、あの男に救われていたのです。
どうか、どうか、お願いします。
しん、と静まりかえっていた。それまで喚いていたすべての武者どもが、その勇敢な男の死を悼み口を閉ざした。
ひぐらしが鳴いている。
首だけの姿となった重忠を、義時はまともに見ることができなかった。ただただ涙がとめどなく溢れ続けた。
「畠山次郎は謀反なんて企てていなかった、そうだろう」
義時の問いに、だれもなにも言わなかった。
「親父はおれたちを騙して畠山次郎を殺させた!」
義時の叫びに、だれもなにも言わなかった。
彼らの無言は肯定だった。哀悼の意をもって。それは、しめやかに、すみやかに北条時政に対する反感となり広がっていったのである。
翌々月、北条時政と牧の方は謀反の嫌疑をかけられ、伊豆へ下向した。
義時は、ここに執権となる。
それから十四年。
音のない、しずかな日だ。しんしんと降り続けた雪が、鎌倉の町並みを白く染めあげていた。鎌倉殿である源実朝が鶴岡八幡宮寺に詣でるという。叔父として執権として、当然のように義時は奉行行列に加わっていた。
ふと、視線を感じて振りかえる。
犬がいた。山犬のような体格の白い犬が、金色の瞳でじぃっと義時を見つめていた。
「うっ」
ぞっと悪寒が走る。あの繰り返しの日々が、まざまざとよみがえった。臓腑がひっくり返るような不快感に襲われる。痺れるほどの寒さだというのに、額には大粒の汗がびっしりと浮いてきた。
「どうしました、お顔が真っ青です。ご気分がすぐれないのですか?」
隣を歩いていた源仲章が心配そうに義時の顔をのぞきこんでいた。
「あ、ああ――おれは少し外させてもらう」
捧げ持っていた実朝の太刀を仲章に手渡すと、義時は行列から外れた。
あの繰り返しの日々は、二度と味わいたくない。想像しただけで吐き気が止まらずに、築地塀に手を突いて嘔吐し続けた。腹が空っぽになり苦い液すらも吐き出して、それでも気分の悪さはおさまらなかった。
雪の中にへたりこんでいると、にわかに八幡宮寺のほうが騒がしくなる。なにか、あったのだろうか。
義時は虚ろな視線を空に向けた。降り注ぐ牡丹雪が、薄気味悪い虫の死骸のように見えた。
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