14 / 48
渡辺津
1
しおりを挟む
気品あふれる美しい青年といえば月並みかもしれない。だが、そうとしか言いようがなかった。色白のほっそりとした顔。賢そうな印象を与える切れ長の目。つんとすました鼻と口。整った眉。
通信は目の前に立つ男を見て、圧倒的な敗北感を覚えた。華奢な男には、葡萄色の洒落た直垂がよく似合っている。
「梶原殿。相変わらずの遅刻癖、なおしたほうが良いですよ」
少し困ったように眉を寄せてはにかむ。それがまた絵になった。
「おれはちゃんとと出迎えるつもりだったんですよ」
景時が烏帽子の上からわしわしと頭をかく。
「こいつ馬の扱いが下手くそで、思ったより進まなかったのよ」
「え」
唐突な景時の言葉に、通信は戸惑った。
「馬の扱いが下手とは。彼はもののふ武士ではないのですか。見た目は強き武者のようですが」
「いや、扱いが下手なのは本当だし、加えて馳射もろくにできねぇし」
景高の追いうちに通信は赤面した。目の前の美しい男に失望されてしまうのではないかと不安になる。それは、いままでに経験したことのない不思議な感覚だった。自分は、この男の素性もなにも知らないのだ。にも関わらず、まるで宿世の縁でもあるかのように、自然と敬う気持ちが湧いてくる。
「平次たちがおかしいんだよ」
通信は唇を尖らせた。
忠員と七郎を先に伊予に帰したあと、通信は景時に連れられて播磨国衙へと赴いた。
そこで通信は、景高をはじめとした景時の息子たちから多くのことを教えられた。
馳射――駆ける馬の背にて弓を扱う技である。坂東のものたちのそれは、自分たちの精度と比べると、もはや曲芸と言っても過言ではない。
的をはずす通信を指さして、景高はげらげらと笑った。そして言うのだ。坂東では武士はみな、これをこなすと。弓矢に対する感覚が、通信とは異なっていた。通信は、いかに力のある矢が放てるかということに重きをおいていたが、景高たちを見ていると、馬上でいかによくこなすか、いかに鋭く狙うか、といった点を重視しているように見えた。
また、馬の扱いかたも通信たちとは違った。坂東のものたちは、馬を愛し、家族のように大切に思っている。それゆえに組みしこうという気性の荒さ、理解しようという優しさもある。通信はいままで、そのような態度で馬に接するひとを見たことがなかった。
彼らにとって馬は、通信にとっての潮なのだ。腑に落ちたのは、つい最近のことだ。
「まあまあ、四郎殿が困ってますから、平次。そのあたりで」
景季が、景高の肩をつかんだ。
「三人張りの強い弓が引けるのは凄いことです」
源太景季――景高の兄だ。痩身の景高とは違い、体格も良く背も高い。しかし、どこかおっとりとした性格であった。短気な景高とは真逆と言ってもいい。
景季は性格とは裏腹に、通信の扱うような強い弓を、いとも簡単に馬上で扱ってみせた。弓矢も相撲も、景季が兄弟や郎等たちのなかでは一番の使い手だ。
そのくせ、まるで傲り高ぶることがない。おそらく自分に自信があるものの余裕だろうと通信は思っていた。しかしどこか、ちぐはぐとしているのである。目元の泣きぼくろなどは、妙になまめかしくすらある。
「兄貴が言うと嫌味にしかならねぇからな」
景高が、景季の手を乱暴に払った。
「そうですね。わたしは強弓を引けませんし」
それまでやりとりを黙って眺めていた男が、くすりと笑った。
「いや、そんなつもりは」
男のひやかしに、景季が慌てたように手を振った。
「四郎殿、というのですか?」
「あの」
「もしや、あなたが、あの河野四郎殿ですか」
「そうよ」
通信がうなずくよりも早く、景時が言った。
「ああ、そういう」
「だから判官殿。ひとまず、いまは屋島を攻めず、三河殿の動きを待ってもらえませんかねぇ」
この男が源義経か――通信は納得した。さきほど通信が男に抱いた感覚は、勘違いではなかった。いわゆる貴種の持つ圧だ。他人の上に立つもののまとう高貴さである。藤戸浦で会った範頼からはあまり感じられなかったが、義経からはそれをはっきりと感じる。
「どういうことです」
「とぼけたって無駄。それと判官殿はおれが三河殿のところにいるからって、ちょっと油断しすぎじゃないですか」
「ふふ、梶原殿は相変わらずだ」
義経が眉を寄せて、ほほえんだ。
「どうせ鎌倉にだって、なにも伝えてないんでしょ」
「梶原殿も今日ここにいることは、鎌倉に伝えていないでしょう」
「あら、ばれた?」
「あの心配性の兄上が、あなたを先鋒からはずすことを許すと思えませんし」
「どうかねぇ。おれの立場は検非違使なんて立派なもんじゃねぇからさ」
「ねえ。あんたたち! あんたらは積もる話があるんだろうけどさ。あたしはどうすればいいのさ!」
場をつんざく女の声に、そこにいるすべての男が海を見た。
直垂姿の年増女が小舟の上に立っている。女は腰に手を当て、頬を膨らませていた。つり上がった目や尖らせた口先――女のくせにみずからが怒っているということを隠そうともしていない。女は通信を見て少し首をかしげたようだった。
「ごめんごめん、浮夏御前さま。別にあなた様を蔑ろにしてたわけじゃないんで」
だれに対しても傲岸不遜な態度をとる景時が、顔の前で手を合わせ恐縮そうに詫びた。
「別にいいんだけど。ひとを呼び出しておいて後まわしにするのはどうなのさ。まあ、梶原殿だからね、いいけど。別に。というか、その前にうちらの舟を泊めさせてもらえます?」
浮夏と呼ばれた女が、不承不承といった様子で景時を睨めつけた。
「あ、そうねぇ。はいはい。気が利かなくてごめんね」
気まずそうに笑った景時が、義経を見る。
「ってことで、いい?」
「断れないじゃないですか、そんなの」
それまで義経の背後で黙っていた地味な男が、渋々といった様子で浮夏を港に導いた。
「立ち話もなんですから、仕切りなおしましょうか」
「ぜひ、そうしましょ。互いに腹んなかに持ってるもん、みせびらかしあいましょうや、判官殿」
景時が顎を跳ねあげた。
通信は目の前に立つ男を見て、圧倒的な敗北感を覚えた。華奢な男には、葡萄色の洒落た直垂がよく似合っている。
「梶原殿。相変わらずの遅刻癖、なおしたほうが良いですよ」
少し困ったように眉を寄せてはにかむ。それがまた絵になった。
「おれはちゃんとと出迎えるつもりだったんですよ」
景時が烏帽子の上からわしわしと頭をかく。
「こいつ馬の扱いが下手くそで、思ったより進まなかったのよ」
「え」
唐突な景時の言葉に、通信は戸惑った。
「馬の扱いが下手とは。彼はもののふ武士ではないのですか。見た目は強き武者のようですが」
「いや、扱いが下手なのは本当だし、加えて馳射もろくにできねぇし」
景高の追いうちに通信は赤面した。目の前の美しい男に失望されてしまうのではないかと不安になる。それは、いままでに経験したことのない不思議な感覚だった。自分は、この男の素性もなにも知らないのだ。にも関わらず、まるで宿世の縁でもあるかのように、自然と敬う気持ちが湧いてくる。
「平次たちがおかしいんだよ」
通信は唇を尖らせた。
忠員と七郎を先に伊予に帰したあと、通信は景時に連れられて播磨国衙へと赴いた。
そこで通信は、景高をはじめとした景時の息子たちから多くのことを教えられた。
馳射――駆ける馬の背にて弓を扱う技である。坂東のものたちのそれは、自分たちの精度と比べると、もはや曲芸と言っても過言ではない。
的をはずす通信を指さして、景高はげらげらと笑った。そして言うのだ。坂東では武士はみな、これをこなすと。弓矢に対する感覚が、通信とは異なっていた。通信は、いかに力のある矢が放てるかということに重きをおいていたが、景高たちを見ていると、馬上でいかによくこなすか、いかに鋭く狙うか、といった点を重視しているように見えた。
また、馬の扱いかたも通信たちとは違った。坂東のものたちは、馬を愛し、家族のように大切に思っている。それゆえに組みしこうという気性の荒さ、理解しようという優しさもある。通信はいままで、そのような態度で馬に接するひとを見たことがなかった。
彼らにとって馬は、通信にとっての潮なのだ。腑に落ちたのは、つい最近のことだ。
「まあまあ、四郎殿が困ってますから、平次。そのあたりで」
景季が、景高の肩をつかんだ。
「三人張りの強い弓が引けるのは凄いことです」
源太景季――景高の兄だ。痩身の景高とは違い、体格も良く背も高い。しかし、どこかおっとりとした性格であった。短気な景高とは真逆と言ってもいい。
景季は性格とは裏腹に、通信の扱うような強い弓を、いとも簡単に馬上で扱ってみせた。弓矢も相撲も、景季が兄弟や郎等たちのなかでは一番の使い手だ。
そのくせ、まるで傲り高ぶることがない。おそらく自分に自信があるものの余裕だろうと通信は思っていた。しかしどこか、ちぐはぐとしているのである。目元の泣きぼくろなどは、妙になまめかしくすらある。
「兄貴が言うと嫌味にしかならねぇからな」
景高が、景季の手を乱暴に払った。
「そうですね。わたしは強弓を引けませんし」
それまでやりとりを黙って眺めていた男が、くすりと笑った。
「いや、そんなつもりは」
男のひやかしに、景季が慌てたように手を振った。
「四郎殿、というのですか?」
「あの」
「もしや、あなたが、あの河野四郎殿ですか」
「そうよ」
通信がうなずくよりも早く、景時が言った。
「ああ、そういう」
「だから判官殿。ひとまず、いまは屋島を攻めず、三河殿の動きを待ってもらえませんかねぇ」
この男が源義経か――通信は納得した。さきほど通信が男に抱いた感覚は、勘違いではなかった。いわゆる貴種の持つ圧だ。他人の上に立つもののまとう高貴さである。藤戸浦で会った範頼からはあまり感じられなかったが、義経からはそれをはっきりと感じる。
「どういうことです」
「とぼけたって無駄。それと判官殿はおれが三河殿のところにいるからって、ちょっと油断しすぎじゃないですか」
「ふふ、梶原殿は相変わらずだ」
義経が眉を寄せて、ほほえんだ。
「どうせ鎌倉にだって、なにも伝えてないんでしょ」
「梶原殿も今日ここにいることは、鎌倉に伝えていないでしょう」
「あら、ばれた?」
「あの心配性の兄上が、あなたを先鋒からはずすことを許すと思えませんし」
「どうかねぇ。おれの立場は検非違使なんて立派なもんじゃねぇからさ」
「ねえ。あんたたち! あんたらは積もる話があるんだろうけどさ。あたしはどうすればいいのさ!」
場をつんざく女の声に、そこにいるすべての男が海を見た。
直垂姿の年増女が小舟の上に立っている。女は腰に手を当て、頬を膨らませていた。つり上がった目や尖らせた口先――女のくせにみずからが怒っているということを隠そうともしていない。女は通信を見て少し首をかしげたようだった。
「ごめんごめん、浮夏御前さま。別にあなた様を蔑ろにしてたわけじゃないんで」
だれに対しても傲岸不遜な態度をとる景時が、顔の前で手を合わせ恐縮そうに詫びた。
「別にいいんだけど。ひとを呼び出しておいて後まわしにするのはどうなのさ。まあ、梶原殿だからね、いいけど。別に。というか、その前にうちらの舟を泊めさせてもらえます?」
浮夏と呼ばれた女が、不承不承といった様子で景時を睨めつけた。
「あ、そうねぇ。はいはい。気が利かなくてごめんね」
気まずそうに笑った景時が、義経を見る。
「ってことで、いい?」
「断れないじゃないですか、そんなの」
それまで義経の背後で黙っていた地味な男が、渋々といった様子で浮夏を港に導いた。
「立ち話もなんですから、仕切りなおしましょうか」
「ぜひ、そうしましょ。互いに腹んなかに持ってるもん、みせびらかしあいましょうや、判官殿」
景時が顎を跳ねあげた。
0
あなたにおすすめの小説
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-
ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。
1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。
わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。
だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。
これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。
希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。
※アルファポリス限定投稿
ソラノカケラ ⦅Shattered Skies⦆
みにみ
歴史・時代
2026年 中華人民共和国が台湾へ軍事侵攻を開始
台湾側は地の利を生かし善戦するも
人海戦術で推してくる中国側に敗走を重ね
たった3ヶ月ほどで第2作戦区以外を掌握される
背に腹を変えられなくなった台湾政府は
傭兵を雇うことを決定
世界各地から金を求めて傭兵たちが集まった
これは、その中の1人
台湾空軍特務中尉Mr.MAITOKIこと
舞時景都と
台湾空軍特務中士Mr.SASENOこと
佐世野榛名のコンビによる
台湾開放戦を描いた物語である
※エースコンバットみたいな世界観で描いてます()
本能寺からの決死の脱出 ~尾張の大うつけ 織田信長 天下を統一す~
bekichi
歴史・時代
戦国時代の日本を背景に、織田信長の若き日の物語を語る。荒れ狂う風が尾張の大地を駆け巡る中、夜空の星々はこれから繰り広げられる壮絶な戦いの予兆のように輝いている。この混沌とした時代において、信長はまだ無名であったが、彼の野望はやがて天下を揺るがすことになる。信長は、父・信秀の治世に疑問を持ちながらも、独自の力を蓄え、異なる理想を追求し、反逆者とみなされることもあれば期待の星と讃えられることもあった。彼の目標は、乱世を統一し平和な時代を創ることにあった。物語は信長の足跡を追い、若き日の友情、父との確執、大名との駆け引きを描く。信長の人生は、斎藤道三、明智光秀、羽柴秀吉、徳川家康、伊達政宗といった時代の英傑たちとの交流とともに、一つの大きな物語を形成する。この物語は、信長の未知なる野望の軌跡を描くものである。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
対米戦、準備せよ!
湖灯
歴史・時代
大本営から特命を受けてサイパン島に視察に訪れた柏原総一郎大尉は、絶体絶命の危機に過去に移動する。
そして21世紀からタイムリーㇷ゚して過去の世界にやって来た、柳生義正と結城薫出会う。
3人は協力して悲惨な負け方をした太平洋戦争に勝つために様々な施策を試みる。
小説家になろうで、先行配信中!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる