追放から十年。惰性で生きてきた英雄くずれの私が記憶喪失の少年と出会ったら。

有沢ゆうすけ

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The day before

ぐしゃり

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 空気がビリビリと振動する。



 雄叫びと同時に、魔獣の肉体から魔力が溢れ出した。



 その色彩イロは〝黒〟。



 魔獣が放つ黒色魔力はもはや瘴気に近い。魔力を纏えない一般人ならば、この場にいるだけで心身に重大な支障をきたすだろう。



 魔獣が身をかがめ、重心を低く落とす。四足獣が力を溜める時にする体勢だ。



 そして、次の瞬間――魔獣の足元の地面が、爆ぜた。



「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ‼」



 耳を劈くような咆哮を上げながら、巨躯が迫ってくる。
 二十メートル以上あった距離が一瞬にしてゼロとなる。



 通常ただの獣では本来ありえないほどのスピード。
 その速度は巨大な質量も伴って、もはや砲弾の領域だ。



 常人ならばそのまま潰され、無残な肉塊に成り果てるだろう。

 けれど、私は冷静に彼我の力量差を俯瞰する。



 敵が纏う魔力の量とその密度、そして突進速度から推し量れる魔獣本来の身体能力。敵魔獣の階級ランクは恐らくは中位級ミディアムの下位。



 敗北する可能性は―――絶無。



 迫りくる魔獣が右腕を振り下ろす。

 私は速やかに全身にあかの魔力を纏い、身体能力を向上。跳躍。目前に迫った魔獣の攻撃を難なく躱す。


 ドゴンッ‼︎、と強い衝撃とともに粉塵が舞い上がる。
 
 見れば一秒前まで私がいた場所は魔獣の剛腕によってクレーター状にごっそりと抉られていた。



「―――⁉」



 確信していた手応えが無かったからなのか、魔獣のが慌てたようにそれぞれ周囲を見渡す。

 魔獣の背後に着地した私は、最初の立ち位置と同じくらいの距離から無遠慮に声をかけた。



「おい、いつまでそっちを向いている」



 ビクリッ、と今度こそ意表を突かれた魔獣はこちらに振り返りつつ後方へと飛んだ。

 追撃はしない。

 私は手にしていた物を魔獣に向かって放り投げた。



「間抜け。落とし物だ」



 投げた物体は大きく放物線を描いた後、ドシャリと汚い音を出しながら転がっていき、やがて魔獣の足元でぴたりと止まった。

 足元の〝ソレ〟を見て、魔獣の四つの目が見開く。

 
 まあ、それはそうだろう。



 だって〝ソレ〟は、



「っ⁉ グギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ⁉」



 残った二つの首が絶叫を上げながら転げまわる。

 耳を塞ぎたくなるような汚い音色。

 魔獣は叫び終え、呼吸を乱しながら、こちらを血走った目で睨みつける。



「ガハアッ、ハッ、ハッ!」

「そう睨んでくるな。鬱陶しい。お前だって、こうなることが予想できなかったわけじゃないだろう? 殺し、殺される場所に立つのなら、これは当然のこと。これまでお前が多くの人間を食い殺してきたように、今度はお前が殺される番になった。それだけの話だ」



 怨嗟の眼光を、私は淡々と見返す。

 そう。これはただ、それだけの話だ。

 殺し合いの場に善悪の概念が入り込む余地なんて無い。

 強い者が生き残り、弱い者が死ぬ。戦場の原理原則を私はただ履行するだけ。



 一歩、踏み込む。



 敵は怯んだように後退る。そして、ほんの少しの逡巡の後、敵は森へ向かって一目散に飛び込んだ。



「―――っ、ちっ!」



 魔獣の狙いを理解して舌打ちする。

 私に勝てないと判断し、逃走を選択したか。



 敵は巨体のくせに俊敏だった。

 たった一度の跳躍で十数メートル以上も距離を稼ぐ。森までおよそ三十メートル。この位置取りでは間に合わない。

 森の中は獣の領域。あそこに入られたら、おそらく逃げられる。



 私は腰のベルトに差し込んだ鞘から一息に短剣を引き抜いた。



「―――ッ⁉」



 魔獣の首の片方がこちらに視線を向ける。



 それは華麗な装飾が施された黄金の短剣。

 柄頭には〝Ⅸ〟の刻印。

 磨き抜かれた黄金の短剣は己の出番を待ち望んでいたかのように鼓動を刻む。



「―――起きろ。『第九の剣軍ザ・サウザンド』」



 手にした短剣に魔力を一気に叩き込む。

 瞬間、剣身に刻まれた魔術式が起動。

 黄金の魔具が待機状態ディアクティヴから戦闘状態アクティヴへと移行し、魔力が迸る。



「グルッ⁉」



 後方から放たれる尋常ならざる魔力に気づいたのか、魔獣はさらに速度を上げる……が、それでも遅い。



展開オープン



 紅い稲妻が虚空を奔った。



 稲妻は幾筋にも別れ、収束し、徐々にその質量を増していく。やがて稲妻は鋼の重みと頑強さを兼ね備えた〝武器〟へとその姿を変える。

 顕現したのは十振りの大剣。いずれも絢爛たる装飾が施された、それぞれが必殺の威力を持つ十の剣軍。

 まるで意思を持つかのように隊列を組み、逃げる魔獣に照準を合わせる。



剣軍配置完了セット――〝十剣剣舞テン・ブレイドダンス〟」



 号令一下。

 十の剣軍が怒涛の勢いで一斉に射出された。

 音速の壁を越えた速度で飛来する剣軍は彼我の距離を一瞬でゼロにする。



「ッッッ⁉ ―――――――――――」



 悲鳴さえも閃光が掻き消す。

 射出された剣軍は鋼の硬度を誇る魔獣の肉体をいとも容易く吹き飛ばし、なおも勢いを緩めず進路上のすべてを木々を木っ端微塵に消し飛ばした。





 ――――ドズゥゥゥゥゥゥンッ!





 轟音が夜気を震わせる。



 粉塵が晴れたそこはまるで絨毯爆撃を喰らったかのような有様だった。

 そして、その中で、かろうじて息のある魔獣の姿が現れる。



「……カヒュ、……カヒュー……」

「ち……仕留め損なったか」



 四肢は引きちぎられ、残った首の片方は砕かれ、胴体もところどころが欠けている。

 魔獣は残った最後の首でかろうじて生命活動を行っていた。

 まず間違いなく、数刻のうちに息絶えるだろう。



 だが、まだ生きている。

 私はゆっくりと魔獣に近づいていく。『第九の剣軍』から一振り剣を具現化。魔獣の傍らに立つ。

 止めを刺すべく、剣を振り上げた。



 月明りに剣が照らされる。



 そして魔獣は自らの命を絶つであろうその剣を見上げた後、まるで亡霊にでも出くわしたように目を見開いた。



「……ソ、ノ剣。ソノ剣……ソノ剣、ソノ剣……ッ!ガ、ガ、アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ‼」



 突如、魔獣が狂ったように叫びだす。

 魔獣が暴れる度に四肢の断面から血液が撒き散らされた。



「知ッテルッ!知ッテイルゾ、ソノ剣ッ‼〝アイツ〟ノ!アノ男ノ側ニイタ奴ラガ持ッテイタ剣ダッ‼ドウシテソノ剣ヲ持ッタ奴ガココニイル⁉」



 どうやら、この魔獣は言葉を話せるだけの知性アタマがあるらしい。



 すぐに察した。こいつの言う〝アイツ〟とはあの人のことなのだろう。

 魔獣はこの場にいないあの人への怨嗟の言葉を繰り返す。



「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ‼許サナイ!許サナイッ‼全部、全部アイツノセイダ!アイツガ魔王ヲ殺シタセイダッ!アイツガイナケレバ、コンナコトニハナラナカッタッ‼殺シテヤルッ‼殺シテヤルッ‼殺シテヤルッ‼」



 心臓から逆流した血が吐き出され、痙攣を繰り返しながら、それでも目前の魔獣は叫ぶのを止めない。


 そうして繰り返して、繰り返して。



 そして――唐突に、ネジの切れた人形みたいにピタリと止まった。



「デモ、死ンダ」



 ――瞬間、私の思考が停止した。



 魔獣は言葉を続ける。心底、可笑しそうに。



「死ンダ。死ンダ!アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ‼ソウダ、弱イカラ死ンダンダ!魔王モ言ッテイタ!コノ世界ハ弱イ者カラ死ンデイクト!弱者ハ強者ノ糧ニナルベキダト!ダカラ死ンダ!弱カッタカラダ!ザマアミロッ!ソウダ、アノ愚カナ人間ノ王ハ、初メカラコノ世界二必要ナカ―――」



 ぐしゃり、と、何かが潰れる音が響き、血しぶきが舞う。



 気づけば。

 私は最後に残った魔獣の頭に力の限り剣を振り下ろしていた。



「―――化け物風情が、気安くあの人のことを口にするな」



 激しい怒りが、そんな言葉を零させる。


 私は内圧を下げるように、長く息を吐きだした。

 顔に付いた返り血を拭い、物言わぬ肉塊から無造作に剣を引き抜いて、血糊を振り払う。





 魔具に纏わせていた魔力を解き、戦闘状態アクティヴモードを解除。

 手にしていた大剣は霧のように跡形もなく消え去った。



「……ふん」



 少しだけ冷静になり、最初の場所に戻る。改めて辺りを見てみると、そこには生物としての体をなしていない犠牲者たちの肉片と血だまりが広がっていた。



 酷い惨状ではあったけれど、犠牲者たちへの憐憫は沸いてこない。こんなことは今も昔もよくあることだったから。



 でも、このまま放置しておけば、いずれ血の匂いにつられて、他の獣や魔獣たちが集まってくるかもしれない。



 だから――〝これ〟はただ、それだけの理由だ。



「――貴方たちも、こんなニセモノで悪いけどね」



 片手に填めたグローブを外し、左手を外気に晒す。その手の甲には聖痕が刻まれていた。



 かつて、伝説の王が背負った、聖剣継承の証である剣十字。



「――〝聖焔〟よ。焼き祓え」



 黄金の焔が大地を奔る。

 焔はその場に存在したあらゆる不浄を浄化し、一瞬にして夜の闇を光に染め上げた。

 その光景はかつて幾度となく見てきたものと似ていたけれど、それでも何かが決定的に違っていた。

 その〝何か〟は、ニセモノの私にはきっと一生解らないままなのだろう。



 知らず閉じていた瞼を開ける。

 焔が立ち消えた後には、犠牲者たちの遺品だけが忘れ去られたように遺っていた。



「……はあ」



 白い吐息を吐いた後、再び左手にグローブを着け直す。

 しばらくの間、茫然と立ちつくしていると……ふと、冷たい何かが頬に当たった。



「……雪」



 夜空を見上げ、降り注ぐ冷たい雪をぼうっと眺める。



「……ああ。どうりで、冷えるはずね」



 は、と乾いた笑いが零れた。

 あの人を喪ってから時間の感覚も曖昧で、生きている実感も目的もない。

 なのに、死ぬことは許されない。


 あの人の「生きろ」という命令が私をこの世に縛りつける。



 まるで呪いだ。



 自責と後悔だけの灰色の日々を私はただ、漫然と過ごしている。



「見ていてくれましたか、カイル様。アーラは今日も生き残りました。今度もまた、貴方の命令を果たしてみせました……あと何度繰り返せば、アーラは貴方の下へ行くことが許されますか?」



 呟いた声は届かない。



 あの人はもう何処にもいないのに、あの日と変わらぬ雪だけがこうしてまた降り積もる。

 不意に、強い風が吹いた。

 今はもう腰まで届くほどに伸びた紅い髪が煽られる。



 あの人を喪って、十年。





 今年もまた同じ――独りぼっちの冬がやって来る。






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