追放から十年。惰性で生きてきた英雄くずれの私が記憶喪失の少年と出会ったら。

有沢ゆうすけ

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1st day

美人主従

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 アルカディア聖王国。

 大陸の三分の一を占める広大な国土と強大な軍事力を誇る世界最強の大国。そして人魔大戦時代において対魔獣世界同盟の盟主となった〝騎士の国〟。


 私が現在住んでいる〝ラルクス〟はその聖王国の東部アルゴーニュ州にある周囲を海と山に囲まれた観光都市の一つだ。


 西の山々とを隔てるように半円状に建てられた高さ四十メートルを超える外壁は人魔大戦以前から外敵の侵攻を阻み、今日に至るまでこの都市を守護し続けている。
 そんな物々しくも峻険たる外観とは裏腹に都市の内部は古都としての奥ゆかしさを残しつつも、綿密な都市計画に基づいて精緻に整えられていた。

 石畳のメインストリートの両端には観光客向けの新旧入り混じる多種多様な店が軒を連ね、適度に配置された街路樹とアンティーク調の街灯が景観を美しく彩っている。



 私は停留所のベンチに座ってバスを待ちながらそんな街並みをぼんやりと眺める。



 都市の中央に聳え立つアルフォンス大時計塔が正午の鐘を鳴らした。


 休日の昼だけあって人出も多く、メインストリートの端々に居を構える店たちはそれなりに賑わっていた。

 フラワーショップの店員と談笑する婦人に、住民と挨拶を交わしながら都市を見回る騎士たち。

 通りの角のカフェでランチをしている若い男女はカップルなのだろうか。穏やかなひと時を共に過ごす彼らの様子はどこか初々しかった。



 しばらくすると、定刻通りにバスが停留所に停車した。私はそれに乗りこみ、街の西区画へと向かう。そのままバスに揺られ、終点へと到着すると、私は運転手に料金を支払い、ステップから降車する。



 バスから降りれば、すぐさま潮騒の香りが鼻腔をくすぐった。



 寄せては返す波の音を聞きながら歩道を歩いていると、やがて海を一望できる小高い丘の上に古めかしい洋館が見えてくる。



 もはや馴染みとなった屋敷の門を潜り抜け、私は敷地内へと入っていく。

 門に入ってすぐは広い庭園となっており、中央には噴水が据えられている。冬の寒さにめげず咲き誇る色とりどりの花の香りを感じながら私は玄関へと向かう。

 インターフォンを鳴らすと、それから数秒も経たないうちに内側から扉が開かれた。





「ようこそいらっしゃいました。アウローラ様」





 待ち構えていたかのように私の名を呼び、扉を開けたのはモノトーンの女中服を着た色白の端正な美女だった。


 氷のような薄い青色の髪と瞳。髪の長さは肩甲骨辺りで切り揃えられていて、それを仕事の邪魔にならないよう一つにまとめている。

 一流の人形師がその生涯を費やして造ったと思えるほど、完成され整った顔立ち。

 華奢でありながら優美な曲線を描く肢体は清楚な外見とは裏腹にいっそ蠱惑的ですらあった。



 彼女の名前はフェリシア=ルクス=リースベルト。



 幼いころからこの屋敷で仕える女中であり、また屋敷の主の幼馴染でもあるらしい。



「御足労をおかけして申し訳ございません。主に代わりお礼申し上げます」

「別に。大した手間じゃない……それよりセリアは?」

「執務室にいらっしゃいます。どうぞ中へ」



 世間話を一切挟まずに淡々と話を進めていく。



 フェリシアとは彼女の主を通してそれなりに長い付き合いになるけど、特に親しいというわけではない。

 例えば、私はフェリシアの笑った顔なんて一度も見たこと無いし、それは向こうも同じだろう。



 無関心……というのが多分一番近い表現なのだと思う。



 お互いに深入りせず、表面上の付き合いだけを愛想も気遣いもなく淡々とこなす。

 人によっては気疲れするのかもしれないけど、私にはこういった関係性の方が便利で都合が良かった。



 ステンドグラスから差し込む陽光を浴びながらロビーを抜け奥に設えられた階段を上っていく。

 そのまま毛足の長い絨毯が敷き詰められた廊下を歩いていき、すぐに私たちはこの館の主の執務室へと辿り着く。



 ―――コン、コン、コン。



 重厚そうな木製の扉をフェリシアがノックする。

 中から「どうした?」と返事が返ってきた。



「失礼致します、セリア様。アウローラ様がいらっしゃいました」

「ああ、もうそんな時間か。わかった。通してくれ」



 フェリシアがドアを開け、こちらへと振り返る。私はその横を通り過ぎ、室内へと入った。



 数日ぶりに来た執務室は相変わらず実務性重視のシンプルな模様だった。

 中央に来客用のソファーとテーブル、それと色々なジャンルの本が詰め込まれた本棚。唯一の遊び心と言えば、壁際に置かれた古めかしい柱時計くらいだろうか。



 パタンと後ろで扉が閉まると、部屋の奥……窓際に設えられたデスクで書類作業をしていた女性が顔を上げることなくソファーをペンで指し示す。



「悪いな、アウローラ。適当に座って待っててくれ。こっちが一区切りしたら話を聞くから」

「ああ」



 言われるまま私は棚から適当に本を選んで、ソファーで足を組んでそれを読み始める。

 すると、すぐに私の前に簡単なお茶菓子とミルクティーの入ったカップが置かれた。
 一口啜ると外の冷気でかじかんだ身体に温かな甘みがじんわりと染みわたっていく。


 仮にも貴族の執務室であまりに礼節を欠いた態度だったかもしれないけれど、目の前の女性にそれは不要だった。

 事実、部屋の主である彼女はさして気にした様子もなく書類にペンを走らせている。


 カリカリとペンの走る音だけが室内に響く。

 十分ほど経った頃、ようやく区切りがついたのか、彼女は仕事用にかけている眼鏡を外して、ふう、と息を吐いた。



「さて。待たせたな、アウローラ……フェリ、私にコーヒーを頼む」

「かしこまりました」



 ひとつ頷くとフェリシアはてきぱきとお茶の準備を進める。



 女性は執務机から立ち上がり、肩をコキコキと鳴らしながら気だるげに私の対面のソファーへと座り直した。

 彼女の見た目は二十代の中盤ぐらいだろうか。

 フェリシアよりも色素の濃い藍色のストレートヘアをショートにした美人で、今はワイシャツとスラックスをラフな形で着こなしている。

 抜群のプロポーションと怜悧な眼差し。さながらマフィアの若き女ボスとも言うべき貫禄を持つこの女性が現在の私の雇用主だ。


 名前はセリア=クルス=アークレイ。



 名門貴族ア―クレイ家の当主にして、このラルクスを治める若き市長。

 そして十年前、行く宛てのない私をこの街に迎え入れてくれた先代当主の娘でもある。



「相変わらずアンタは忙しそうだな、セリア。今日はオフじゃなかったのか?」

「色々とやることが多くてね。朝から晩まで書類、書類、書類の山。そのうちノイローゼになりそうだ。ただでさえ通常業務で忙しいっていうのに、街の中でも外でも問題ばかりが山積みされていく……まったく、領主なんて面倒な立場、そうそう引き継ぐものではないな」



 セリアが心底不愉快そうに領主にあるまじき悪態をつく。



 そんな主人の前に、かちゃり、とコーヒーが入ったカップが置かれた。



「……セリア様。仮にもお客様の前でその発言はいかがなものかと。人の口に戸は立てられぬとも申します。不用意な発言はお控えくださいませ」

「愚痴の一つぐらい許せ。それに零す相手くらいは選んでいるさ。恥部を晒したところで彼女にはそれを気軽に話す友人の一人もいな……くはなかったか。そういえばアウローラ、例の女騎士ちゃんとの関係は今も続いているのか?」



 思い出したようにセリアが訪ねてくる。



「……まあ、向こうの休日に買い物に付き合わされる程度には。と言っても少し前に向こうが小隊長に昇進してからは色々と忙しいらしくて、最近はそうでもないけど」



 私の返答にセリアが、へえ、と口元を吊り上げる。



「昇進、ね。確かその女騎士ちゃんは平民の出だろう。周りの貴族騎士たちからの反発もあるだろうに。かの御仁も随分と大胆な人事をしたものだ」



 くく、と、可笑しそうにセリアが胸ポケットから出した煙草を咥えると、自然な動作でフェリシアがライターで火を点ける。

 セリアは煙草を一度深く吸いこむと、ふう、と吐き出す。煙草の芳香と煙が私たちの間にふわふわと漂った。



「ま、その話はひとまず置いといて……さっそく本題に入ろうか。アウローラ、頼んでいた魔獣討伐の件。報告を聞かせてくれ」

「別に。仕事は何事も無く終わったよ。標的の魔獣はきっちり仕留めたし、死体は見つけやすい場所に置いてきた。けど、セリア……犠牲者の数、聞いていたより多かったぞ」

「――なに?何人だ?」



 セリアが怪訝そうに眉を顰める。



「さあ。どれもバラバラになり過ぎていて正確な数は分からなかった。ただ、少なくとも十人はいたと思う。そういえば遺品の中に壊れた剣や鎧なんかもあったな」

「……近隣の都市で偵察から戻ってこない兵士が何人かいるという報告が入っていたが、恐らくはそいつらか。ラルクスの住人に被害が出る前に仕留めることができたのが不幸中の幸いだな。彼らの遺体はどうした?」

「どいつも回収できるような状態じゃなかった。血の匂いに釣られて他の魔獣や獣が集まってきても面倒だから、遺体はその場で燃やしたよ。遺品だけは手を付けずに一応そのまま残してあるけど」

「……そうか。フェリ、地図とペンを。アウローラ、おおよそでいい。場所はどの辺りだ?」



 フェリシアがテーブルの上に地図を広げる。私は受け取ったペンで地図上の一点に丸をつけた。



「南門を出て正面に真っ直ぐ……多分この辺りだ。森の木々が晴れた場所にある洞窟を棲み処にしていた。結構派手な戦闘になったから、行けばすぐに分かると思う」

「その魔獣が群れを成していた可能性は?」

 セリアの質問に少し考えを巡らせる。けれど私は首を振ってその可能性を否定した。

「いや、一応周囲を探してみたけど、それらしい痕跡は見当たらなかった。仕留めた魔獣は中位級ミディアム……それも下位だ。力はそれなりだったけど、知能はそれほど高くなかった。多分、群れを作らずに単独で動くタイプだったんだと思う」

「そうか」


 一つ頷き、セリアが灰皿に煙草を押し付ける。
 それから私に「ご苦労だったな」と労いの言葉を言うと、隣にいたフェリシアに地図を手渡す。 


「それじゃフェリ。騎士団に連絡し、情報の共有を。あそこの団長様は粗野な上に粗暴だが、この手のことに関しては迅速だ。早々に遺品の回収をしてもらおう」

「かしこまりました。すぐに」


 地図を手にしたフェリシアが一礼し、部屋から去っていく。バタン、という音の後、部屋には私とセリアだけが残された。

 一口ミルクティーを飲み、私はソファーから立ち上がった。


「じゃ用件は済んだし、私はそろそろ帰らせてもらうよ」

「なんだ、もう帰るのか? 久しぶりに屋敷に寄ったんだ。積もる話もあるだろうに」

「アンタは私の母親か。生憎だけど、話のネタになるような話題なんて持ち合わせがないよ。世間話がしたいなら他を当たれ」

「そう言うな。お前にはなくてもこっちにはあるんだ。実はもう一つ、お前に頼みたいことがあってね」

「……?」


 私は歩き出そうとしていた足を止めて、振り返る。セリアはにこりと笑ってソファーを指差す……なんだか面倒くさそうな予感がしたけど、結局私は溜息をつきつつ、再びソファーへと座り直した。


「……それで、頼みっていうのは?」

 怪訝な視線を向けながら話を促す。



 するとセリアは世間話でもするかのような軽い調子で、



「うん。その話をする前に一つだけ訊かせてくれ。先代が亡くなり、私がお前との契約を引き継いで十年。お前は言っていたな。生きる意味を失った、と。――今でもまだ、失ったままか?」





 唐突に――私の心に踏み込んできた。






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