追放から十年。惰性で生きてきた英雄くずれの私が記憶喪失の少年と出会ったら。

有沢ゆうすけ

文字の大きさ
10 / 43
1st day

よろしく

しおりを挟む
 ……後から思えば、第一印象は正直あまり良いものではなかったと思う。


 線の細い少年だった。

 年の頃は十歳くらいだろうか。中性的……というよりは女性的な顔立ちで、もう少し髪が長ければ女の子に間違われてしまいそう。

 涼やかな漆黒の双眸と淡い顔立ち。
 その容貌は将来間違いなく美人になると断言できるほど綺麗に整っている。



 けれど、何よりも私の目を引いたのは、少年のその髪色だった。



 くすみの無い、真白い髪。

 一切の穢れを知らぬかのような綺麗な純白の色彩。



 まるで私の嫌いな―――雪の色。



「――おにいちゃん!」



 カレンと呼ばれた少女は弾かれたように少年に駆け寄り、力一杯に抱きつく。

 少年は少女を慰めるように、その背中をぽんぽんと優しく叩いた。



「いかないで! いっちゃやだ!」

「カレン」



 少年は少女の名を呼ぶ。けれど少女の叫びは止まらない。



「ずっとここにいて! カレンを一人にしないで!」

「カレンは一人じゃないよ。シスターもいるし、他のみんなもいるだろ?」

「でも! おにいちゃんがいないもん! おにいちゃんも一緒じゃなきゃイヤ!」



 少女のその言葉に、少年は困ったように苦笑した。



「ごめんな、カレン。僕はもうここから出発しなくちゃいけないんだ……最初からそういう約束だっただろ?」



 諭すように少年は言う。けれど、少女は少年の身体により強くしがみついた。



「……やだよう、寂しいよう……」

「うん。僕もカレンと別れるのは寂しい。だからさ、」



 少年は少女の体を離し、その肩に手を置いて、



「会いに行く」



 そう、宣言した。



「約束する。僕は絶対にカレンのことを忘れない。僕はカレンのことが大好きだから、どんなに離れても絶対にまたカレンに会いに来る。だからさ、カレン。笑って送り出してよ」

「………うう」


 次々と溢れてくる涙を少年は優しく拭っていく。


「………おにいちゃん、カレンのこと、わすれない?」

「うん。約束する」

「……おにいちゃん、会いにくる?」

「うん。絶対に会いに行く」

「……カレンが笑ったら、おにいちゃん、うれしい?」

「うん。すごく嬉しいな」



 その言葉を聞いて、女の子は懸命に歯を食いしばった。



「じゃあ……がんばる」



 少女は少年から手を離し、クシクシと目を擦る。



「おにいちゃん、いってらっしゃい」



 それは、笑顔と呼ぶにはあまりにも中途半端なモノだった。

 乱暴に擦った目元は赤く、瞳も未だ涙で濡れている。

 けれど、それは少女にとって、精一杯の笑顔だったのだろう。



 少年はそれを見て、満足そうに頷いた。



「うん。いってきます」



 少年は最後に少女の頭をくしゃりと撫でつける。

 それからこちらへ歩み寄ってくる少年にセリアが声をかけた。



「もういいのか? 少しぐらいなら待っても構わないが」

「いえ、大丈夫です」



 少年は教会の方へと振り返る。

 視線の先には数人の子供たちがいた。

 泣いている者。懸命に笑おうとしている者。

 反応はそれぞれだったが、皆一様に少年との別れを惜しむように手を振っていた。


「昨日みんなに挨拶は済ませましたから。それに、会おうと思えばいつだって会える。だから『行ってきます』って、それだけ言えれば充分です」

「そうだな。生きてさえいればいつだって会える。向こうでの生活が落ち着いたらまた遊びに来ればいいさ。私も付き合う。菓子でも持っていけばいいだろうか?」

「あー……その、セリアさんが来るのは止めておいた方がいいと思います」

 たはは、と少年が苦笑した。

 うん、あの怯え具合を見るに私もそう思うわ。
 お菓子だけ持たせて、この子が一人で行く方が絶対に喜ばれる気がする。

 そんなことを考えていると、ふと少年の視線が私へと向けられる。

 漆黒の双眸が大きく見開かれた。



「――――――」



 少年が微かに、息を呑んだように唇を震わせる。

 それから、ほとんど無意識のようにこちらへ手を伸ばそうとしてきた。



 けれど、その手が私に触れる直前に、少年は、はっ、と伸ばしかけていた手を戻した。



「……? なんだ?」

「え? あ、すみません。なんでもないです。うん、なんでもない……です」



 少年は自分の行動を不思議がるように首を傾げている。

 でも不思議なのは私も一緒だ。

 掛ける言葉が見つからず黙っていると、やがて少年は納得したのか、それとも割り切ったのか、探るように挨拶をしてくる。


「はじめまして。貴女がアーラ……さんですか?」


 その言葉に、私はピクリと目を眇める。

 なんでもない挨拶。

 けれど、今の一言には聞き捨てならないものがあった。



「〝アウローラ〟だ。馴れ馴れしく略すな」



 私は胸に湧いた怒りのままに、少年を強く睨みつける。

 少年は驚いたように目をぱちくりとさせた。


 少年には特段悪意があったわけではないのだろう。

 名前の言い間違いなんてよくあることかもしれない。



 けれど、私にとって名前を言い間違えられることは――絶対に看過できないことだった。



 この名前はあの人がくれた最初の宝物。



 誰であろうと軽々しく扱われる謂われはない。

 私を「アーラ」と呼んでいいのは、同じ名前を分かち合った家族だけだ。



「アウローラ、お前な……」



 咎めるようなセリアの視線。



 見ればカレンと呼ばれた少女の眦がつり上がり、シスターも双眸を細め、銀色の魔力を揺らめかせていた。


 話を聞く限りだと長い付き合いというわけではないだろうに、どうやら彼女たちにとってこの少年はよっぽど大切な存在となったらしい。



「……まあ、どうでもいいけど」



 これで話が拗れて、この件がご破算になるなら、それはそれで構わない。

 セリアの心証は悪くなるだろうけど、必ずしもこの仕事を引き受けるのが私でなければならない理由はないだろう。



 そんな、どこか投げやりな態度で構えていると、



「ごめん、『アウローラ』さん。言い間違えました。悪気があったわけじゃないけど、嫌な思いをさせてすみませんでした」



 少年は今にも掴みかかってきそうな二人を手で制し、深々と頭を下げてくる。



 少年の謝罪に、私は内心で驚いていた。

 ……正直、その反応は私にとって意外なモノだった。



「お前、怒らないのか? 初対面の相手にいきなりこんな態度をとられて」

「僕が怒っていい理由はないです。名前は、大切なものだから。友達でも家族でもない初対面の僕が馴れ馴れしく呼んでいいものじゃないと思うから」



 だから、すみませんでした、と、少年がもう一度頭を下げてくる。



「……アウローラ」



 呆れたようなセリアの声。



 ……ああもう、自覚してるわよ。



 どっちが子供かわかったものじゃない。

 恐らくは自分の半分も生きてないだろう子供相手にムキになって、逆にその子供に気を遣われてしまったのだから。



 私は一つ息を吐いて、乱暴に髪をかき上げた。



「……お前、名前は?」



「え?」



「お前の名前だ。セリアに聞いたが、名前だけは憶えているんだろう? それとも、私に名前を教えるのは嫌か?」



 少し意地悪く訊ねると、少年は慌てたように、ブンブン、と首を横に振る。



「ソラです。憶えているのは、そう呼ばれていたことだけ」



「……ソラ」



 告げられた名前を反芻する。

 その響きは、なんとなく目の前の少年と合っているような気がした。



 私は地面に膝をつき、少年と視線の高さを合わせる。



「ついでにもう一つ訊くけど……お前、私でいいのか?」



 少年はきょとんと首を傾げる。



「いいって、何が?」



「私は騎士崩れの傭兵だ。為すべきことも為せなかった屑みたいな人間だ。誇れるものなんて一つも持ち合わせていないし……それに、優しくもない。ここのシスターたちのように、お前のことを大切にできるとは思えない……それでも、お前は本当に私でいいのか?」



 悪あがきのような最終確認。



 どう転ぶにせよ、この子の意思は訊いておかなければならない。



 この子が躊躇ったり不安そうな顔をするようなら、それを口実に身を引けばいい。



 けれど、そんな打算混じりの問いかけは少年によってあっさり返された。



「構わないよ。元々僕に選択肢なんて無いし……それに、なんとなくだけど、貴女の傍は暖かそうだから」



 少年は訳の分からないことを口にする。

 私は眉を顰めた。



「……意味が分からない。あたたかそうって、なに」



「えっと、自分でもよく分からないんだけど……ただ、なんとなく、そう思ったんだ。ああ、もしかしたら―――」



 言いながら、少年は私の髪にそっと触れる。

 ゆっくりと、大切な宝物に触れるように。



「貴女のこの紅い髪が、まるで夕焼けみたいに綺麗だったからかもしれないね」





「―――――――」





 その瞬間、目の前の少年とあの人の最期の姿が重なった。







 〝―――ああ、暖かい。まるで―――〟







 その声を、その温度を、鮮明に思い出してしまった。





 死の間際、あの人が最期に浮かべた笑顔。



 眼が眩むほどに白い雪の中で。

 最期の最期で、安心したような、ほっとしたような――そんな、笑顔。



 ―――それは。
    
 例えようもなく、胸の奥を締め付けた。
 



「……ああ。なんて、くだらない感傷」



 嘆息のように、口から言葉が零れ落ちた。



 この期に及んで赦されようとしている自分に呆れかえる。

 あの人が最期に笑ってくれたからといって、それで私の罪が赦されるわけじゃないのに。



 私は自分に言い聞かせるように深く目を閉じた。



 だって、この感傷は、目の前にいるこの子とは何の関係もないのだから。



「アウローラさん?」



 少年が不思議そうに私を見つめる。

 私はそれを無視して立ち上がり、後ろにいるセリアに声をかけた。



「セリア。依頼の内容はこいつの護衛。期間は一週間でいいんだな?」



 そう問いかけると、セリアは満足そうに頷く。



「ああ。その少年をあらゆるものから守ってやってほしい。見返りに、私はお前の望みを一つだけ叶えよう」



 私は振り向かずに、わかった、と一言だけ答えた。



「えっと、つまり」



「そういうことだ。これから一週間、私がお前を守る。お互い災難だとは思うが……まあ、運が悪かったと思って諦めるんだな」



 幼稚な悪態を口にする。

 けれど、少年は満面の笑みを浮かべた。



「ありがとう。よろしくお願いします、アウローラさん」



「『さん』はいらない。敬語も……堅苦しいのは好きじゃない」



 そう言うと、少年はもう一度無邪気に破顔して右手を差し出してきた。



「わかった。よろしく、アウローラ」



 差し出された右手を私は握り返す。



 年齢相応の小さな掌。

 けれど、繋いだ掌の温かさだけはどこか、あの人と似ていた。





 あの人がこの世を去って十年。

 あの人のいない十度目の冬。






 けれど――今年の冬は、どうやら独りきりというわけではないらしい。












しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます

腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった! 私が死ぬまでには完結させます。 追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。 追記2:ひとまず完結しました!

人質5歳の生存戦略! ―悪役王子はなんとか死ぬ気で生き延びたい!冤罪処刑はほんとムリぃ!―

ほしみ
ファンタジー
「え! ぼく、死ぬの!?」 前世、15歳で人生を終えたぼく。 目が覚めたら異世界の、5歳の王子様! けど、人質として大国に送られた危ない身分。 そして、夢で思い出してしまった最悪な事実。 「ぼく、このお話知ってる!!」 生まれ変わった先は、小説の中の悪役王子様!? このままだと、10年後に無実の罪であっさり処刑されちゃう!! 「むりむりむりむり、ぜったいにムリ!!」 生き延びるには、なんとか好感度を稼ぐしかない。 とにかく周りに気を使いまくって! 王子様たちは全力尊重! 侍女さんたちには迷惑かけない! ひたすら頑張れ、ぼく! ――猶予は後10年。 原作のお話は知ってる――でも、5歳の頭と体じゃうまくいかない! お菓子に惑わされて、勘違いで空回りして、毎回ドタバタのアタフタのアワアワ。 それでも、ぼくは諦めない。 だって、絶対の絶対に死にたくないからっ! 原作とはちょっと違う王子様たち、なんかびっくりな王様。 健気に奮闘する(ポンコツ)王子と、見守る人たち。 どうにか生き延びたい5才の、ほのぼのコミカル可愛いふわふわ物語。 (全年齢/ほのぼの/男性キャラ中心/嫌なキャラなし/1エピソード完結型/ほぼ毎日更新中)

そのご寵愛、理由が分かりません

秋月真鳥
恋愛
貧乏子爵家の長女、レイシーは刺繍で家計を支える庶民派令嬢。 幼いころから前世の夢を見ていて、その技術を活かして地道に慎ましく生きていくつもりだったのに—— 「君との婚約はなかったことに」 卒業パーティーで、婚約者が突然の裏切り! え? 政略結婚しなくていいの? ラッキー! 領地に帰ってスローライフしよう! そう思っていたのに、皇帝陛下が現れて—— 「婚約破棄されたのなら、わたしが求婚してもいいよね?」 ……は??? お金持ちどころか、国ごと背負ってる人が、なんでわたくしに!? 刺繍を褒められ、皇宮に連れて行かれ、気づけば妃教育まで始まり—— 気高く冷静な陛下が、なぜかわたくしにだけ甘い。 でもその瞳、どこか昔、夢で見た“あの少年”に似ていて……? 夢と現実が交差する、とんでもスピード婚約ラブストーリー! 理由は分からないけど——わたくし、寵愛されてます。 ※毎朝6時、夕方18時更新! ※他のサイトにも掲載しています。

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

婚約者を奪った妹と縁を切ったので、家から離れ“辺境領”を継ぎました。 すると勇者一行までついてきたので、領地が最強になったようです

藤原遊
ファンタジー
婚約発表の場で、妹に婚約者を奪われた。 家族にも教会にも見放され、聖女である私・エリシアは “不要” と切り捨てられる。 その“褒賞”として押しつけられたのは―― 魔物と瘴気に覆われた、滅びかけの辺境領だった。 けれど私は、絶望しなかった。 むしろ、生まれて初めて「自由」になれたのだ。 そして、予想外の出来事が起きる。 ――かつて共に魔王を倒した“勇者一行”が、次々と押しかけてきた。 「君をひとりで行かせるわけがない」 そう言って微笑む勇者レオン。 村を守るため剣を抜く騎士。 魔導具を抱えて駆けつける天才魔法使い。 物陰から見守る斥候は、相変わらず不器用で優しい。 彼らと力を合わせ、私は土地を浄化し、村を癒し、辺境の地に息を吹き返す。 気づけば、魔物巣窟は制圧され、泉は澄み渡り、鉱山もダンジョンも豊かに開き―― いつの間にか領地は、“どの国よりも最強の地”になっていた。 もう、誰にも振り回されない。 ここが私の新しい居場所。 そして、隣には――かつての仲間たちがいる。 捨てられた聖女が、仲間と共に辺境を立て直す。 これは、そんな私の第二の人生の物語。

死に戻ったら、私だけ幼児化していた件について

えくれあ
恋愛
セラフィーナは6歳の時に王太子となるアルバートとの婚約が決まって以降、ずっと王家のために身を粉にして努力を続けてきたつもりだった。 しかしながら、いつしか悪女と呼ばれるようになり、18歳の時にアルバートから婚約解消を告げられてしまう。 その後、死を迎えたはずのセラフィーナは、目を覚ますと2年前に戻っていた。だが、周囲の人間はセラフィーナが死ぬ2年前の姿と相違ないのに、セラフィーナだけは同じ年齢だったはずのアルバートより10歳も幼い6歳の姿だった。 死を迎える前と同じこともあれば、年齢が異なるが故に違うこともある。 戸惑いを覚えながらも、死んでしまったためにできなかったことを今度こそ、とセラフィーナは心に誓うのだった。

婚約破棄? 私、この国の守護神ですが。

國樹田 樹
恋愛
王宮の舞踏会場にて婚約破棄を宣言された公爵令嬢・メリザンド=デラクロワ。 声高に断罪を叫ぶ王太子を前に、彼女は余裕の笑みを湛えていた。 愚かな男―――否、愚かな人間に、女神は鉄槌を下す。 古の盟約に縛られた一人の『女性』を巡る、悲恋と未来のお話。 よくある感じのざまぁ物語です。 ふんわり設定。ゆるーくお読みください。

悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる

竜頭蛇
ファンタジー
ある日、前世の記憶を思い出したシド・カマッセイはこの世界がギャルゲー「ヒロイックキングダム」の世界であり、自分がギャルゲの悪役令息であると理解する。 評判が悪すぎて破滅する運命にあるが父親が毒親でシドの悪評を広げたり、関係を作ったものには危害を加えるので現状では何をやっても悪評に繋がるを悟り、家との関係を断って出家をすることを決意する。 身を寄せた教会で働くうちに評判が上がりすぎて、聖女や信者から崇められたり、女神から一目置かれ、やがて最強の聖騎士となり、伝説となる物語。

処理中です...