追放から十年。惰性で生きてきた英雄くずれの私が記憶喪失の少年と出会ったら。

有沢ゆうすけ

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2nd day

夕焼けなみだ

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 アルフォンス大時計塔。



 この時計塔が建てられたのはおよそ二百年前。

 ラルクスのシンボルになるようにと天才建築家アルフォンス=ガル=アルキオスが当時の建築技術の粋を集めて建造した建物だ。

 天を衝かんばかりに聳え立ち、他を圧倒するその威容。

 時を刻む重厚な鋼の針の音や色褪せた外壁が積み重ねられた永い歴史を感じさせる。

 建築から二百年以上経った今で当時の様相を未だに保っており、ラルクスを世界でも有数の観光地へと押し上げる一因ともなった。



 その時計塔の屋上に二人。

 紅髪の美女と白髪の少年の姿があった。



「――すごい」



 眼下の街並みを塀の内側から見下ろしながら、ソラが感嘆の声をこぼす。

 ソラは塀に手をつき、呼吸さえ忘れてしまったかのように、その光景に見入っている。



 肌寒いはずの冬の寒気も、塔内の長い階段を登って火照った体には心地良い。

 視線を伸ばせば、地平線の先まで広がる海を紅い夕日が鮮やかに彩りはじめていた。



「そうだな。まあ、どちらかというと私は朝焼けの景色の方が好みだけど」



 風に煽られる髪を押さえながらアウローラが答える。

 ソラは少しだけ驚き、意外そうにアウローラに訊ね返した。



「アウローラ、ここに来たことあるの?」

「今年に入って一度だけな。新年の初日の出を見るんだってミリーに連れ出されたんだ」

「あー、なるほど。そういうことか」



 それなら納得だ、とソラが頷く。すると、隣のアウローラが怪訝そうにソラを見てきた。



「なんだ? なるほどって」

「いや、だってさ。ものぐさそうなアウローラがわざわざ初日の出を見るためだけに出かけるイメージが全く湧かなかったから。ミリーさんに連れ出されたっていうなら納得だなって」

「へえ?」

 ソラがそう言うと、アウローラは薄く笑う。

 ただし、その眼は笑みとは程遠く、人でも殺しそうなくらいに冷たい。



「いい度胸してるな、お前。誰がものぐさだって? あんまり舐めた口きいてると、ここから地上に放り出すぞ?」

「ははっ、冗談きつい……え、ちょっと待った。アウローラ、どうして僕の身体を持ち上げてるんだ? しかも片手って、すごい馬鹿力……あ、ごめんごめんっ! 冗談だって、アウローラ!謝るから!」



 本気で落とされるかと思い、ソラがアウローラの腕の中でじたばたと暴れだす。

 しばらくもみ合っていると、アウローラは興味を失ったようにソラの身体を、ぺい、と投げ捨てた。

 ソラは「いてッ」と、お尻を擦りながら、アウローラを恨みがましく睨みつける。

 けれど当の本人は無視しているのか、それともどうでもいいのか、ソラの方を全く見ようとせず、塀に頬杖をついていた。



 ソラは溜息をつきつつ立ち上がり、アウローラの隣で冷たいコンクリートの塀にもたれかかる。



 アウローラはただぼんやりと夕日を眺めていた。

 彼女が話さなかったので、ソラも無理に話そうとは思わなかった。

 少年は普段からよく喋るほうだが、かといって沈黙を苦とは感じない。



 しばらくそうしていると、やがて眼下の街では街灯が灯り始め、無邪気に走り回っていた子供たちが母親に手を引かれて帰路へとついていく。

 子供は母親にしきりに話しかけている。母親もまた子供に慈しむような笑顔を浮かべていた。



「アウローラはさ、どうして傭兵になったの?」



 気づけば、ソラはついそんなことを訊いていた。

 他者からの干渉を殊更嫌う彼女は案の定、少年の質問に不機嫌そうに眉を寄せる。



「……なんだ、藪から棒に」

「いや、これから一緒に暮らす相手のことくらい、ちゃんと知っておきたいなと思ってさ……言いたくないなら無理に訊こうとは思わないけど」



 アウローラが実力者であることは、ソラのような魔術の素人でも昨日一目〝視た〟だけで解った。

 それほどまでに彼女の強さは突き抜けたものだった。



 きっと、その強さを手に入れるためにたくさんの苦難があったのだろう。



 けれど、アウローラはそれをまるで何の価値も無いと切り捨てるように、自分のことを騎士崩れなどと貶めている。



 そのことがソラはずっと、引っかかっていた。



「……別に。他に能が無かっただけだよ」



 長くも短くもない沈黙の後、ひどく投げやりにアウローラは呟いた。



「昔、私にも守りたい人が一人だけいた。けど、結局私はその人を最後まで守り切ることができなかった。騎士をクビになって、宛もなくふらふらしていたところを先代のアークレイ当主に拾われて、その流れで傭兵契約を結ばないかって誘われたんだ。生きていくためには……食っていくためには働かなくちゃいけないから。私は戦う以外に能がなかったから、そのまま契約を結んでアークレイ専属の傭兵になった」



 どうだ、つまらない話だろ?とアウローラは自嘲の笑みを浮かべる。

 その笑みを無視して、ソラはアウローラの最初の言葉を聞き咎めた。



「その守りたい人っていうのは、アウローラにとって大切な人だったの?」



「……大切だとか大事だとか、そんな言葉じゃ足りない。私にとってあの人は……生きる理由そのものだったから」



「…………」



 アウローラの静かな声がソラの鼓膜に染み渡る。



 初めて会った時から、アウローラの言葉は淡泊で空っぽのような印象だった。

 けれど、今の言葉には、彼女の胸の奥にある深い悔恨のようなものが感じられた。



 それから、アウローラは細く息を吐き出して、空を仰ぐ。



 ソラにはそれが、涙を堪えているように見えた。



「あの人は私に生きろと命じた。だから私は生きなくちゃならない。でも、あの人がいなくなって、私はもうどうやって生きればいいのか分からなくなった……きっとさ、人が生きていくためには原動力みたいなものが必要なんだと思う。夢とか希望とか、生きがいとか。そういうのを失くした空っぽの私はあの日からずっと、生きながらにして死んでいるようなものなんだろう」



 ギリ、と、アウローラは黒い手袋がはめられた左手に爪を立てる。

 その姿はまるで自分自身を呪っているようで、ひどく痛ましい。



「ただ息をしているだけの人生なんて、死んでいるのと何も変わらない……ずっと考えてる。本当は、あの時死ぬべきだったのは私だったんじゃないかって。その方が、きっと皆が幸せになれた。こんな無価値な私なんかより、あの人が生きていてくれた方がずっと………っ」



「――アウローラ!」



 ソラはたまらず彼女の名前を呼び、その手を掴んだ。

 そうしないと、夕焼けの中に彼女が融けて消えてしまいそうだったから。



 アウローラが、はっ、とこちらへと振り向いてくる。

 その瞳は、まるで親とはぐれた迷子のように寂しそうに揺れていた。



 ソラの胸の奥が、ずきり、と痛む。



 その瞳に、自分はどんな言葉をかけてやれば良かったのだろうか。



「……嬉しかったんだ」



 ぽつりと。迷った末に口から出たのは、そんな言葉だった。



「昨日、初めて会った時、アウローラは膝をついて、僕に視線を合わせてくれただろ? 僕はそれが、すごく嬉しかったんだ。だからさ……その時、思ったんだよ。『ああ、この人は優しい人なんだな』って」



 かっこいい台詞なんかちっとも出てこない。

 けれど、それでもとソラは続ける。

 結局のところ、自分が感じたことや思ったことしか伝えられないし、上っ面のセリフなんかでは彼女にはきっと届かないと思ったから。



 アウローラは目を逸らし、吐き捨てるように言う。



「そんなの、優しさの証明になんてならないだろ。あんなの、ただの真似事だ。あの人が私にしてくれたことをそのままなぞっただけだ」

「それでも、そうしてくれたのは、アウローラが僕のことを気遣ってくれたからだろ」



 間髪入れずにそう答えた。



 子供は自分より大きい大人に無意識に威圧感を感じる。

 あれはきっと、記憶を失くした自分をこれ以上不安にさせないためのアウローラなりの優しさだったのだろう。



 そんな優しい人が自分を傷つけるような姿を、ソラはそれ以上見ていたくなかった。



「その優しさが元々アウローラの中にあったのか、それともその人と一緒にいることで生まれたものなのかは分からない。でも、それは確かにアウローラの中にあるものなんだ……思い出だって消えない。だったら、アウローラは空っぽなんかじゃないだろ。アウローラはミリーさんのことを助けた。僕のことも気遣ってくれた。アウローラは自分が思っているよりもずっと優しい人なんだよ」



 だから、『私なんか』なんて言わないでほしい。そんなふうに自分を無価値だなんて見限らないでほしい。



 その人が生きろと言ったのは、苦しんでほしいっていう意味じゃないと思うから。



 自分が命懸けで守った存在が、幸せになることも笑うこともできず、ただ苦しみ続けるだけの人生を送るだなんて、そんなのはあまりにも悲しすぎる。



「……………」



 アウローラは答えない。



 鮮やかな夕焼けの光がアウローラの表情を覆い隠す。



 彼女が今どんな表情を浮かべているのか、ソラには分からなかった。



 やがて、アウローラはソラの手をそっと解いた。



「君は優しいね。でも、ごめんなさい……私は自分のことをそんなふうには思えないの」





 ―――私は、弱いから。





 泣き笑うような声で、アウローラはそんなことを呟く。





 その瞬間、ソラはある光景を幻視した。







 寒い寒い雪の中、届かぬ空に手を伸ばし、何かを――誰かを求める少女の姿を。









「―――――」









 それは体感では長く、けれど、ほんの一瞬の幻影。



 気づけば、夕日が地平線の向こうへと消えていき、夜空に星が瞬く。







 届かなかったもどかしさと、その光景がソラの心に深く刻まれる。







 ――届かせよう、と誓った。





 どうしてそう思ったのか、自分でも解らない。



 けれど。



 今にも涙しそうなその声を聞いた時、









 彼女の手を掴むのは己の役目だと――少年はそう確信した。















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