追放から十年。惰性で生きてきた英雄くずれの私が記憶喪失の少年と出会ったら。

有沢ゆうすけ

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3rd day

大戦の英雄

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 ミリアリアに引率されて支部の中を見学して回る。

 アウローラがこの国では騎士団に対して予算が下りやすいと言っていたとおり、支部内の施設はとても充実したものだった。

 色々な器具が取り揃えられたトレーニングルームに二百人は入りそうな大会議室。食堂や売店、果ては遊戯室や映画館などの娯楽設備まであった。

 その光景は軍の施設というよりも、どちらかというと都会にある大学のキャンパスのイメージに近いかもしれない。


 ソラという部外者の子供を連れていたことで、途中すれ違った団員や職員たちに見咎められる場面も多かったが、彼らは一様にミリアリアと言葉を交わした後、笑顔で去っていく。


 その様子からミリアリアが騎士団内で信頼されていることが分かり、ソラはなんだか嬉しくなった。


「さて、これから見る場所はちょっとすごいわよ? トレーニングルームや会議室はどこにでもあるけど、第十七支部ここにはね、なんと貴重な歴史的文献や武具が保管された大史料室があるの」


 むふふ、とミリアリアが小鼻を膨らませながら重厚な扉を開ければ、古書特有の朽ちた樹木のような香りがソラの鼻腔をくすぐった。

 そこは中央にある巨大な螺旋階段を基点として、古今東西の書物がぎっしりと詰まった書架が放射状に立ち並ぶ広大な一室だった。

 ミリアリアはまずエントランスカウンターへ向かうと管理人と短いやりとりを交わし、受付書類にサインを済ませる。

 そして二人は迷路のように入り組んだ書架と書架の間の通路を進んでいった。


「はー、いやはやすごい数の本だね。人間は本当に研究熱心だ。ここにある本って全部で何冊ぐらいあるんだろうね?」


 ソラの後ろをふよふよと浮いていたアルカが感心したような呆れたような声をもらす。
 ソラも自分の身長の何倍もある書架の群れを物珍し気に見上げた。


「すごい眺めでしょ? この大史料室にはここにしかない貴重な文献もたくさんあるから、騎士団関係者じゃない外部の魔術士とか研究者なんかもわざわざ入館許可を取って足を運ぶことも少なくないの」


 ほら、とミリアリアが指さした方向を見れば、確かに書架と書架の間で熱心に史料を読み漁っている者がちらほらといる。

 団服も職員服も着ていないところを見るに、彼らがその外部の研究者たちなのだろう。


「本当だ……でもさ、図書館でもないのに、なんでこんなに本が多いんですか? そういうのってあんまり騎士団には必要ないと思うんだけど」

「普通はそう思うわよね。でも、一応この蔵書量にも理由があるのよ。とりわけ大きな理由としては研究開発の効率化ってやつね」

「研究開発の効率化?」


 首を傾げるソラに、ええ、とミリアリアは書架の間を歩きながら説明を続ける。


「例えば肉体の強度も魔力の貯蔵量も人間は魔獣よりもはるかに劣るわ。もちろん団長やアウローラみたいな例外は存在するけどね。とりわけ高位級ハイクラス以上の魔獣ともなれば人間と同等の知性を併せ持つ個体も出てくる。そんな魔獣たちに対抗するためには情報収集と技術の発展は不可欠。それらを効率的に進めるために、団長はこの大史料室を作ったのよ」


 立ち止まり、ミリアリアは書架に収められていた書物の一冊を無造作に引き抜き、ソラに手渡す。


「強固な外殻を持つのなら、その構造を徹底的に調べあげ、外殻を崩壊させる魔具を開発すればいい。目にも留まらない速さを持つのなら、その動きを封じる状況へと追い込めばいい。そういった情報を過去の戦史から紐解いて魔具開発の手助けにしたりするのよ……まあ、今では歴史文献や研究書以外にもいろんなジャンルの本が置かれるようにもなってとんでもない蔵書量になっちゃったんだけどね」


 たはは、と笑うミリアリアを横目に、ソラは手渡された本のページをパラパラと適当にめくる。
 その本は小難しいタイトルの学術書で、何が書いてあるのかソラにはさっぱり理解できない。

 ソラは眉を八の字に寄せて手渡された本を書架にそっとしまった。


「本が多い理由はまあ分かったけど。あのさ、ミリーさん……もしかしてこの後ずっとここで読書して過ごすんですか?」

「あら、ご不満?」


 苦い顔をするソラにミリアリアが揶揄うように言ってくる。

 薄暗い通路の向こうに視線を向ければ、書物がぎっしり詰まった書架の列がうんざりするほど延々と続いている。

 年頃の少年らしく、室内で読書をするよりも外で身体を動かす方が性に合っているソラとしては少しだけげんなりとしてしまった。


「別にそういうわけじゃないんだけど……」


 言葉を濁すソラに、アルカは分かりやすく嫌そうな顔を浮かべた。


「ボクはご不満だね。本を眺めてるだけなんてつまんない。断って。ねえ、ちゃんと断って」


 ミリアリアの手前、駄々をこねるアルカをソラは視線で宥める。

 アルカの姿が見えないミリアリアは黙ってしまったソラを見て、くすくすと笑った。


「ふふ。冗談よ、冗談。ま、確かにソラ君ぐらいの年頃の子に一日中本を読んでろっていうのは酷な話よね。君に見せたいのはこっちよ。ついてきて」


 そう言ってミリアリアは中央にある螺旋階段へと向かっていく。

 その後ろ姿を眺めながらアルカは不服そうに腕を組んだ。


「なんだ、それならそうと早く言えばいいのに。勿体ぶっといてこれでつまんないとこだったらどうしてやろうか」

「……アルカは少し黙ってなよ」


 切実にそう願うソラだった。




 コツ、コツ、コツ、と靴音を響かせながら階段を登っていくと、上階にはすぐに辿り着いた。


「ついたわ、ここよ」


 ソラへと振り返るミリアリアはまるで秘密の場所を自慢するように得意げだ。

 階段の先にあったのは、一階には及ばないまでも広々としたスペースだった。

 インテリア代わりに古めかしい剣や槍などの品々がいくつも展示されている。

 おまけに魔獣と思わしき獣の骨格標本に、歴史的に価値の高そうな化石までがあって、見ようによってはちょっとした博物館のようであった。


「へえ」


 ひゅう、とアルカが口笛を吹く。

 ソラはきょろきょろと見渡して、ミリアリアを見上げる。


「ミリーさん、ここは?」

「ここは歴史上の英雄たちが当時使用していた魔具や武具が保管された展示スペースよ。男の子ならこういうの好きかなって思って」


 どうかしら? と訊ねてくるミリアリアにぼんやりと相槌を打って、ソラは魅入られたようにガラスケースに近づいていく。

 ガラスケースには染みの一つもなく、床には埃だって落ちていないのに、その反面、ケースの中の武具は所々が欠け、錆ついていた。

 けれど、それらはソラの瞳に古びた遺物という以上に、折れ砕けるまで戦い抜いた誇りに満ちているように映った。

 ソラは珍しがってガラスケースの中の魔具たちに目を奪われる。それから、ふと奥の方で一際大切そうに飾られている剣に意識が向いた。


「あれは――」


 それは、とても綺麗な、不思議な剣だった。

 柄も鍔もなく、剣身の端が持ち手として削られたようなひどく原始的な形の黄金の刀剣。

 戦うための武器であるはずなのに、どうしてかソラの眼にはそれがどんな芸術品よりも美しく映った。


「――アルカディア」

「え?」


 ぽつりと、後ろについてきていたアルカが呟く。


「その剣の銘だよ。かつて、聖王と呼ばれた男が所持していた『聖剣』さ。剣身にちゃんと銘が彫られているだろう?」


 見れば確かに刃の中心に何か象形文字のようなものが描かれていたが、ソラにはそれがなんと書いてあるのか全く読めなかった。


「……読めないけど」


 少し憮然として言うと、アルカが今気づいたというように目を丸くした。


「ん? ああ、そうか。古い文字だし、今となっては読める方が少ないか。まあ、とにかくそれぐらい昔から受け継がれてきた貴重な骨董品というわけさ。もっともそこに飾られているのは単なるレプリカだけどね」

「レプリカ? そういえば他に飾られてるのと違って魔力の残滓みたいなものを感じないなとは思ったけど」

「目敏いね。ま、仮にも聖王国の宝器が一師団支部に保管されてるわけがないってことだね。本物は既にある者の手に委ねられているよ」

「ある者?」


 それは一体、と問おうとして靴音が一つ。

 ソラは慌てて口を閉じた。
 

「なあに、ソラ君? その剣に興味があるの?」


 自分が案内した場所に興味を持ってもらえたのが嬉しいのか、近づいてくるミリアリアはニヤニヤと上機嫌だった。


「ん、まあね。すごく綺麗な剣だったから気になって。これって聖王って呼ばれた王様が持っていた剣なんですよね?」

 
 訊ねると、ミリアリアはどこか眩しいものを見るように、その剣を見上げた。


「よく知ってるわね。ええ、その剣はかつて人魔大戦を終わらせた偉大な英雄が振るった宝器。ほら、後ろの壁に肖像画が飾られてるでしょ?」


 ミリアリアが指差した場所に目を向けると、そこには確かに九人の男女の肖像画が飾られていた。


「あの肖像画の中央の人物。あれが人魔大戦における最大の英雄。数多の騎士を従え、ついには魔王を討ち斃し、世界を平和へと導いた偉大な王――〝聖王〟カイラード=ロア=レイブルグ=フォン=アルカディア陛下よ」


 ミリアリアは強い憧れと敬意の篭った声でその名前を告げる。

 その様子を見るに、ミリアリアやこの国の騎士にとって彼はよほど特別な存在なのだろう。

 もっとも、記憶を失っているせいなのか、その名前を聞いてもソラにはいまいちピンとこなかったが。


「そうなんだ……えーと、なんていうか、イケメンですね」


 特に感想が思いつかずそんな愚にもつかないことを言うと、ミリアリアは一瞬きょとんとした後、ぷっと噴き出した。


「あはははっ! そ、そうね、確かにイケメンよね! 王侯貴族っていうのは基本的に顔立ちが整ってる人たちが多いけど、この国の王家の方々は特にそれが顕著ね。私も新聞とか写真でしか見たことないけど、カイラード陛下の妹君であられる、当代の女王陛下もとんでもない美人だしね!」


 お腹を抱えてミリアリアが笑い転げる。

 見れば後ろにいるアルカも口を押えてプルプルと震えていた。

 自分の感性の低さを馬鹿にされたような気がして、ソラは不貞腐れたように、ぷい、とそっぽを向く。


「……悪かったな、浅いコメントしか出なくて」

「え? いやいや、別に馬鹿にしたわけじゃないのよ? ただ個人的にツボに入っちゃったってだけで……ひょっとして怒っちゃった?」

「別に……ところで、下の八人は誰なんですか? なんだか騎士っぽい人たちですけど」


 自分でも子供っぽいなあと思いながら、ソラは唇を尖らせながら話題を切り替える。

 ミリアリアは特に気にしたふうもなく、質問に答えた。


「騎士っぽいんじゃなくて、実際騎士なのよ、その人たちは。彼らは『聖焔騎士団』。聖王国最強と謳われた八人の騎士たちよ。人魔大戦の英雄と言えば、〝聖王〟の次に名前が挙がってくる人たちだけど、実は彼らに関してはあまり史料が残されていないの」

「史料が無い?」

 英雄と呼ばれた騎士たちなのに?

 ソラが怪訝な視線を向けると、ミリアリアは気まずそうに頬を掻いた。


「ええ、まあ……『聖焔騎士団』の団員はそのほとんどが元は他国の人間だったり、平民や戦災孤児の出身だったりしたのよ。そのせいで当時の貴族主義の連中に毛嫌いされていてね。意図的に情報を歪められたり、あるいは遮断されてしまったの。その肖像画にしたって作るのに相当苦労したみたいだしね」

「なんだよ、それ。その人たちはずっと命懸けで戦ってきたんだろ? それなのに、そんな下らない理由で、」

 ミリアリアの言葉を聞いた途端、ソラはやにわに不機嫌な表情になる。

 しかし、そのことに憤りを感じているのは同じ平民であるミリアリアも同様だったらしい。

 ミリアリアはあからさまな侮蔑を含んで吐き捨てた。

「ええ。本当に、心底下らないと思うわ。ただ、そんな下らない連中の思惑に反して、彼らの実力と戦果はあまりにも大き過ぎた。それこそ、そんな小細工なんかじゃ隠し切れず伝説となってしまうくらいに……例えば、一番右端の彼女は、他国の出身でありながら、今ではこの国の女王の守護騎士ガーディアンを務めているわ」


 それは幼い少女の姿だった。

 翡翠色の髪と双眸を持った、とても美しい――端整な顔立ちをしている。

 ソラよりも四、五歳ほど年上のように見えるが、あれが十年前の当時の年齢のモノだとしたら、恐らく現在はアウローラと同じくらいだろう。


「彼女は『聖焔騎士団』結成以前からカイラード陛下と共に戦場を駆け抜け、弱冠十二歳で騎士となった天才魔術士。彼女に関しては、今でも現役っていうこともあって比較的情報が揃ってはいるけど、それでも未だに多くの謎が残されているのよ、『聖焔騎士団』には。噂じゃなんでも彼女と同年代の、なんてことも言われているわ」

「……九人目の騎士?」


 ミリアリアの口からさりげなく出てきた言葉をソラは聞き咎める。

(あれ? そういえばアウローラの短剣にもたしか〝Ⅸ〟の刻印が刻まれていたような………)


 一瞬奇妙な想像が脳裏を過ったけれど、ソラは思い過ごしだと、かぶりを振ってその考えを否定した。


「……もし本当にその九人目の騎士がいたんだとしたら、その人はどうして皆の前から姿を消してしまったのかな」

「さあ、その辺りのことに関しては本当に色々と噂が絶えないところなのよ――曰く、その騎士の正体は名もなき最下層の出身だった、とか。曰く、あまりにも残忍すぎて歴史に語ることができなかった、とか。曰く――、とかね」


「―――え?」


 思わず、ミリアリアを見返す。

 その言葉は、ソラが考える騎士のイメージからはおよそ考えられないことだった。

 ミリアリアは困惑するソラの瞳を見つめ返した後、大仰に肩を竦めてみせた。


「ま、言った通りこんなのはただの根も葉もない噂だからソラ君が気にするようなことじゃないわ。ただ、」


 ミリアリアの瞳が沈む。


 ――暗く。深く。重く。


 そして、ミリアリアは、彼女らしからぬ、嫌悪の篭った声と表情で、



「もしも、その噂が事実なのだとしたら、ソイツは〝英雄〟なんかじゃない。人々から希望を奪い、民のために戦い続けた偉大な王の想いを踏みにじった――〝悪魔〟だわ」






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