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第八話 僕は楽になれるんですか?
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「そんなこと言って、またとんでもないことするんでしょ?」
良人は既に思う存分懲りていて源蔵の善意を信じる事ができないでいる。むしろこの状態で信じるなら死神と手をつないだ方が余程生きた心地がするというものだ。
「まさか。人体に酷い影響があるような事を、私がするはずがないだろう。私は狂化学者だがその前に教師だぞ?」
「その教師は世を忍ぶ仮の姿とか言ってませんでしたか?」
良人の言葉に源蔵が笑顔のまま「これだから賢い子は」と呟いた。
――賢い子扱いされた!
褒められて勘違いした良人は立ち上がりガッツポーズをかます。金メダルでもとれたかのような喜びようだ。
ちょっとおだてれば復活するちょろい良人を見た源蔵の目が細くなる。
「そう、ちょっとその服にこの注射をするだけさ」
ごく自然な振る舞いで源蔵がエプロンのポケットから注射器を取り出した。余りにも自然すぎて良人もその行為が当然だと思い込まされてしまう。
注射器の針先が、イケメンの白い歯が光るが如く鋭く悪意満載で輝いても、だ。
「その注射をすれば、僕は楽になれるんですか?」
「ちょっと誤解を招く言い方だが、まぁ間違いではない」
聞く人が聞けばおまわりさんを呼び出しても文句を言えない台詞だが少なくとも間違ってはいなかった。
「強く突くてしまうと服を通り越して良人君の皮下に入り込んでそこに真空層を創りだすナノマシンが居心地よすぎて居座ってしまう可能性が、無いわけではない」
「あるんだかないんだか分らない言い回しって、小説では避けた方がいいって言われているらしいですが」
「その言い方をすると、なんとなく賢いキャラが醸し出せたりもするから困っているのだ」
「そんなこと言いつつ、そのめっちゃ危ないナノマシンを僕に注入する気満々ですね」
良人と源蔵の動きが、そこでハタと止まった。源蔵の手には何気ない動作でエプロンのポケットから取り出された注射剤が握られている。
西部劇でガンマンが向き合って威嚇し合うよりもコンマ五秒短い時間が経った。
暖房が消え、底冷えする何かが這い寄ってくる部屋で、良人の額から汗が流れる。
「生きるためには、仕方がないんだ」
今すぐ鮫に食われてしまうかのような深刻な顔で源蔵が良人を凝視してくる。犯罪じみたその黒い瞳には、覆す気がまったく無いダイヤモンドよりも固い決意が感じられる。
「何がどう仕方がないのかすんごい不明でどうしようもなく不安な僕がいるのですが」
ここで一応聞いておかないと、クーリングオフできそうもない片道切符な出来事が必ず起きるという予感がしていた。
いわゆる虫の知らせというやつだろうか。もちろん良人の体の中に日本住血吸虫のような寄生虫などいない。
余談だが、国内最大の感染地帯であった甲府盆地の富士川水系流域の有病地を持つ山梨県では、日本住血吸虫病流行の終息が宣言されている。
「やればわかるさ」
「ここに道はありませんし、後に通る人もいません」
「顎の長いレスラーの悪口は感心しないな」
良人の心配は、深海の底よりも深淵に近い場所にいる源蔵には響かないらしい。良人は自らの生存をかけて尚も食い下がった。
「万が一の時は?」
「万が一も京が一もあり得ないことだが狂化学者である私に不可能はない」
「その無駄に凄い自信がどのあたりから醸し出されるのかが理解不能なんですが」
「それは神代の時代からの歴史が証明してくれる」
「日本書紀には載ってませんでしたよ?」
「あれにはまだ別冊があるんだ。私の家にあるんだが、そこに載っている」
「それ、正倉院に返却しましょう」
――だめだ。理論とか超越して向こう側で昼寝してる魔王には何も効果がないや。
良人は通算何回目かの敗北を喫した。というか一度も源蔵に勝っていない。
棘のある言葉のドッジボールは源蔵に軍配が上がり、良人は哀れな実験動物となった。
注射器を構える源蔵は、今までにない慈愛に満ちた笑みを浮かべている。さながら仏だ。
「人間、素直が一番だ」
すでに源蔵秘蔵の注射剤は注射器になみなみと注入されており、良人に打ち込まれる時を、死刑執行台にあがる死刑囚を監視する立会人の様に待っていた。
「俎板の上の鯉の気分を満喫してます」
パイプ椅子に座った良人は、マヤ文明にある世界滅亡の予言が明日だという事を知った考古学者の様に、絶望に囚われた顔をしていた。
神は死んだ(通算五回目)
良人の頭には、その言葉がこびりついていた。
「俎板の寝心地はどうだい?」
「水も無くて固くて泳げないのでピチピチと鱗を飛ばすので精一杯です」
「ふむ、後でレポート提出をしてくれたまえ」
ここにいたっても源蔵は通常営業だ。
閻魔大王もかくやという笑顔のまま、源蔵の手にある注射器が良人のブレザーに突き刺さる。
ナイロンを食い破るワニの如く、注射器の針はあっさりと侵入した。ドクリドクリと謎の液体が良人のブレザーに染みを作っていく。
――これ、洗濯で落ちるかなぁ。
とうとう良人は悟りの境地に到達した。やけっぱちの先には涅槃がゴロリと寝っ転がっていたのである。
人生何があるか分らないというお手本みたいなものだ。
「さぁ、これで出来上がりだ」
昨日夕食の残りをレンジでチンしたくらいの気楽さで、源蔵が呟いた。ブレザーの染みはさようならも告げずに引っ越していったあの女の子ように、綺麗さっぱり無くなっている。
「三分クッキングよりもお手軽ですね」
体のチェックがてらに良人は腕を上げ下げしてラジヲ体操第一を行う。
――体に違和感はないな。
良人はその事だけでもホッとしてしまう。
だがその事で頭がいっぱいで源蔵に飼いならされてしまった事には気がつかなかった。
「その様子だと、人体には影響していないようだな」
ラジヲ体操第二に入りいよいよ佳境という所で背後にいる源蔵から声がかかり、良人は腕を大きく振った体勢のまま振り返る。
「雪を見た柴犬みたいに無駄に元気なようだな」
「注射を打たれる前よりも体が軽くて疲れが取れた感じです」
「どこかの通販番組の使用者の喜びの声みたいだが、そこまで喜んでもらえれば狂化学者冥利に尽きるという物だ」
源蔵が苦笑いを浮かべながらもまんざらでもない顔をしている。本来ならば喜ぶべきだろうが、良人は源蔵になにやら後ろめたいものを感じた。
感じたもののその正体と理由が分からない良人は、ひとまず心の内に秘めておくことにした。
「準備もできたことだし」
源蔵が腕時計を見て「ぼちぼちかな」と呟いた。
良人は既に思う存分懲りていて源蔵の善意を信じる事ができないでいる。むしろこの状態で信じるなら死神と手をつないだ方が余程生きた心地がするというものだ。
「まさか。人体に酷い影響があるような事を、私がするはずがないだろう。私は狂化学者だがその前に教師だぞ?」
「その教師は世を忍ぶ仮の姿とか言ってませんでしたか?」
良人の言葉に源蔵が笑顔のまま「これだから賢い子は」と呟いた。
――賢い子扱いされた!
褒められて勘違いした良人は立ち上がりガッツポーズをかます。金メダルでもとれたかのような喜びようだ。
ちょっとおだてれば復活するちょろい良人を見た源蔵の目が細くなる。
「そう、ちょっとその服にこの注射をするだけさ」
ごく自然な振る舞いで源蔵がエプロンのポケットから注射器を取り出した。余りにも自然すぎて良人もその行為が当然だと思い込まされてしまう。
注射器の針先が、イケメンの白い歯が光るが如く鋭く悪意満載で輝いても、だ。
「その注射をすれば、僕は楽になれるんですか?」
「ちょっと誤解を招く言い方だが、まぁ間違いではない」
聞く人が聞けばおまわりさんを呼び出しても文句を言えない台詞だが少なくとも間違ってはいなかった。
「強く突くてしまうと服を通り越して良人君の皮下に入り込んでそこに真空層を創りだすナノマシンが居心地よすぎて居座ってしまう可能性が、無いわけではない」
「あるんだかないんだか分らない言い回しって、小説では避けた方がいいって言われているらしいですが」
「その言い方をすると、なんとなく賢いキャラが醸し出せたりもするから困っているのだ」
「そんなこと言いつつ、そのめっちゃ危ないナノマシンを僕に注入する気満々ですね」
良人と源蔵の動きが、そこでハタと止まった。源蔵の手には何気ない動作でエプロンのポケットから取り出された注射剤が握られている。
西部劇でガンマンが向き合って威嚇し合うよりもコンマ五秒短い時間が経った。
暖房が消え、底冷えする何かが這い寄ってくる部屋で、良人の額から汗が流れる。
「生きるためには、仕方がないんだ」
今すぐ鮫に食われてしまうかのような深刻な顔で源蔵が良人を凝視してくる。犯罪じみたその黒い瞳には、覆す気がまったく無いダイヤモンドよりも固い決意が感じられる。
「何がどう仕方がないのかすんごい不明でどうしようもなく不安な僕がいるのですが」
ここで一応聞いておかないと、クーリングオフできそうもない片道切符な出来事が必ず起きるという予感がしていた。
いわゆる虫の知らせというやつだろうか。もちろん良人の体の中に日本住血吸虫のような寄生虫などいない。
余談だが、国内最大の感染地帯であった甲府盆地の富士川水系流域の有病地を持つ山梨県では、日本住血吸虫病流行の終息が宣言されている。
「やればわかるさ」
「ここに道はありませんし、後に通る人もいません」
「顎の長いレスラーの悪口は感心しないな」
良人の心配は、深海の底よりも深淵に近い場所にいる源蔵には響かないらしい。良人は自らの生存をかけて尚も食い下がった。
「万が一の時は?」
「万が一も京が一もあり得ないことだが狂化学者である私に不可能はない」
「その無駄に凄い自信がどのあたりから醸し出されるのかが理解不能なんですが」
「それは神代の時代からの歴史が証明してくれる」
「日本書紀には載ってませんでしたよ?」
「あれにはまだ別冊があるんだ。私の家にあるんだが、そこに載っている」
「それ、正倉院に返却しましょう」
――だめだ。理論とか超越して向こう側で昼寝してる魔王には何も効果がないや。
良人は通算何回目かの敗北を喫した。というか一度も源蔵に勝っていない。
棘のある言葉のドッジボールは源蔵に軍配が上がり、良人は哀れな実験動物となった。
注射器を構える源蔵は、今までにない慈愛に満ちた笑みを浮かべている。さながら仏だ。
「人間、素直が一番だ」
すでに源蔵秘蔵の注射剤は注射器になみなみと注入されており、良人に打ち込まれる時を、死刑執行台にあがる死刑囚を監視する立会人の様に待っていた。
「俎板の上の鯉の気分を満喫してます」
パイプ椅子に座った良人は、マヤ文明にある世界滅亡の予言が明日だという事を知った考古学者の様に、絶望に囚われた顔をしていた。
神は死んだ(通算五回目)
良人の頭には、その言葉がこびりついていた。
「俎板の寝心地はどうだい?」
「水も無くて固くて泳げないのでピチピチと鱗を飛ばすので精一杯です」
「ふむ、後でレポート提出をしてくれたまえ」
ここにいたっても源蔵は通常営業だ。
閻魔大王もかくやという笑顔のまま、源蔵の手にある注射器が良人のブレザーに突き刺さる。
ナイロンを食い破るワニの如く、注射器の針はあっさりと侵入した。ドクリドクリと謎の液体が良人のブレザーに染みを作っていく。
――これ、洗濯で落ちるかなぁ。
とうとう良人は悟りの境地に到達した。やけっぱちの先には涅槃がゴロリと寝っ転がっていたのである。
人生何があるか分らないというお手本みたいなものだ。
「さぁ、これで出来上がりだ」
昨日夕食の残りをレンジでチンしたくらいの気楽さで、源蔵が呟いた。ブレザーの染みはさようならも告げずに引っ越していったあの女の子ように、綺麗さっぱり無くなっている。
「三分クッキングよりもお手軽ですね」
体のチェックがてらに良人は腕を上げ下げしてラジヲ体操第一を行う。
――体に違和感はないな。
良人はその事だけでもホッとしてしまう。
だがその事で頭がいっぱいで源蔵に飼いならされてしまった事には気がつかなかった。
「その様子だと、人体には影響していないようだな」
ラジヲ体操第二に入りいよいよ佳境という所で背後にいる源蔵から声がかかり、良人は腕を大きく振った体勢のまま振り返る。
「雪を見た柴犬みたいに無駄に元気なようだな」
「注射を打たれる前よりも体が軽くて疲れが取れた感じです」
「どこかの通販番組の使用者の喜びの声みたいだが、そこまで喜んでもらえれば狂化学者冥利に尽きるという物だ」
源蔵が苦笑いを浮かべながらもまんざらでもない顔をしている。本来ならば喜ぶべきだろうが、良人は源蔵になにやら後ろめたいものを感じた。
感じたもののその正体と理由が分からない良人は、ひとまず心の内に秘めておくことにした。
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