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第一話
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とある東にある島国でのことです。
あの人がやってきたのは。桜のつぼみをちらほらと見掛けるようになった頃でした。今にも落ちそうな曇り空でも良く映える、真っ白い詰襟を着て、背筋がピシッと伸びている、背の高い男の方でした。
髪は短く切り揃えられて、冬の終わりには寒そうな頭をしていました。濁りの無い、真っすぐな瞳で、私を見てくる、ちょっと怖い感じの人でした。
庭の手入れをしていた私は、ちょっと人前に出られる格好ではなく、恥ずかしい思いをしましたが、その人は「突然お訪ねして、申し訳ありません」と頭を下げました。
この国では全てにおいて男性が優先されます。でもこの人は、躊躇なく、女性である私に頭を下げてきました。悪い人では、なさそうですが……
「実は」
彼は、先日亡くなった父の教え子だそうです。父は軍で教官をしていましたが、体調を崩して数年前に退官していました。彼は、父が退官するその年の最後の教え子だそうです。
彼は外国に駐在していて葬儀には間に合わず、急遽帰国して、真っすぐに我が家に来たそうです。折角なので上がって貰いました。
母は身体が弱く、私が小さい時に亡くなっておりました。父も亡くなり、唯一の家族の兄は軍に入っており、宿舎暮らしです。父の遺品の整理も終わり、ひと段落したところでした。
「散らかっておりますが」
「あ、いえ、お気遣いいただいてすみません」
二階建ての母屋に、倉庫代わりの離れが一つ。それと父の趣味だった小さな庭。それが私が住んでいる、家です。
彼は父の遺影のある仏壇の前に正座し、ゆっくりと手を合わせました。目を閉じ、静かにそこに佇んでいます。空気はピンと張り詰めて、緊張感を持っていました。微動だにせず、手を合わせていました。私はそれを横で見ているだけでした。
「先生には色々と教えていただきました」
「そうだったんですか……」
小さなテーブルにつき、お茶を出しました。私と父しか住んでいない家でしたから、大きなテーブルは必要なかったんです。
突然、タンタンと屋根を叩く音がし始めました。私と彼は同時に窓を見ました。ガラスに雨粒がぶつかって円を描いていました。
「あ!」
洗濯物を干したままです!
私は慌てて外に出ました。今日は天気がすぐれなかったけど、春物を洗って干したんです。これから直ぐに必要になりますから。
「手伝います」
彼はそういうと、大きな手でわしわしとタオルや服を手に取っていきます。私は真っ先に下着を回収しました。流石に見ず知らずの男性に、これを見せるわけにはいきません。
私が無事に回収した時には、彼は既に残り全部を集め終わって、縁側に持って行っていました。余りの手際の良さに驚いてしまいました。
「はやくこっちへ」
彼は屋根の下へ来るように呼び掛けてくれました。どうやら私は彼の手際の良さにぼけっとしていたみたいです。
パタパタとサンダルをつかっけて縁側に滑り込みました。途端に叩きつける音が勢いを増しました。
「なんとか本降りの前に中に取り込めましたね」
「ふぅ、あぶなかった。雲が低いとは思っていたのですが、こんなに早く降るとは……まだ乾ききっていませんねぇ……」
私が手に持った下着の乾き具合を確認していると、脇からコホンと咳払いが聞こえてきました。いけません、やってしまいました。まったく恥ずかしい事です。もう三十に手が届こうというのに、これだから貰い手がないのです。
彼の方を見れば、頬をちょっと赤くして、そっぽを向いていました。私が見ていることに気が付いたようで「と、ともかく、中に入れましょう」と言って、彼はさっさと中に入ってしまいました。私も慌てて後を追いかけます。
回収した洗濯物は乾いてはいないのですが、籠の中に入れておきます。彼が帰ったら家の中に干すことにしましょう。
「ん?」
彼が洗濯物を抱えたまま天井を見上げて、怪訝な顔をしています。
ポタン、と一粒水滴が落ちてきました。一粒、また一粒。ポタンポタンと続きます。
「あ!」
そうです、雨漏りです。どうやら二階の屋根に穴が開いているのか、そこから雨が入ってきて、どこを経由しているのか分かりませんが、丁度仏壇の前に落ちてくるんです。勿論、そこだけではありません。
「雨漏り、ですか?」
「あの、恥ずかしながら……」
我が家は築四十年は経っていますから、そりゃ雨漏りの一つや二つ、あるわけで。
「桶か何かはありますか?」
「え、あ、はい」
彼に促され、私は風呂場に桶を取りに行きました。急いで桶を取り、居間に戻ると、彼が湯呑をもって雨漏りの水滴を受けていました。しかも両手に持って、精一杯腕を伸ばして二か所の水を受けています。
私は不謹慎にも彼の様子に「ふふっ」と笑ってしまいました。彼は私に気が付いて、「いや、目についたのが湯呑でして」と苦笑いをしていた。
必要な場所に、桶と湯呑と茶碗を置いて、二人でふぅと息をつきました。同時だったので、思わず見合ってしまいました。
「はは、丁度合ってしまいましたね」
彼は頬を緩ませました。初めて見た時の、怖そうな顔は何処にもなく、いたずらっ子の笑顔でした。
「結構、雨漏りしてますね」
「えぇ、古い家ですから」
正直、雨漏りは仕方ないと思っています。父が亡くなって、私の稼ぎだけでは大工さんに頼んで修理するだけのお金が用意できないのですから。
彼は天井を見上げ、顎に手を当てて何かを考えているようです。私はくにっと首を捻りました。何を考えていらっしゃるんでしょうか。
「直さないと。ダメだなぁ」
彼はぼそりと零しました。不意に彼は私に振り返ります。随分と真面目な顔です。
「今日の所はこれで失礼いたします。また、近いうちにお邪魔させてもらってもよろしいでしょうか?」
彼は本国にいる間は、父の仏壇に挨拶に来たいそうです。まぁ、悪い人ではなさそうだし、断る理由もないので、承諾しました。
「有難う御座います」
彼は深々と頭を下げ、そのまま玄関に向かいました。
「あ、雨が降ってますけど、傘はお持ちですか?」
「これしきの雨は問題ないですよ」
彼はにこやかにそういうと、指を伸ばした右手を額に当て、出て行ってしまいました。彼は突然訪れて、急に帰っていきました。
あの人がやってきたのは。桜のつぼみをちらほらと見掛けるようになった頃でした。今にも落ちそうな曇り空でも良く映える、真っ白い詰襟を着て、背筋がピシッと伸びている、背の高い男の方でした。
髪は短く切り揃えられて、冬の終わりには寒そうな頭をしていました。濁りの無い、真っすぐな瞳で、私を見てくる、ちょっと怖い感じの人でした。
庭の手入れをしていた私は、ちょっと人前に出られる格好ではなく、恥ずかしい思いをしましたが、その人は「突然お訪ねして、申し訳ありません」と頭を下げました。
この国では全てにおいて男性が優先されます。でもこの人は、躊躇なく、女性である私に頭を下げてきました。悪い人では、なさそうですが……
「実は」
彼は、先日亡くなった父の教え子だそうです。父は軍で教官をしていましたが、体調を崩して数年前に退官していました。彼は、父が退官するその年の最後の教え子だそうです。
彼は外国に駐在していて葬儀には間に合わず、急遽帰国して、真っすぐに我が家に来たそうです。折角なので上がって貰いました。
母は身体が弱く、私が小さい時に亡くなっておりました。父も亡くなり、唯一の家族の兄は軍に入っており、宿舎暮らしです。父の遺品の整理も終わり、ひと段落したところでした。
「散らかっておりますが」
「あ、いえ、お気遣いいただいてすみません」
二階建ての母屋に、倉庫代わりの離れが一つ。それと父の趣味だった小さな庭。それが私が住んでいる、家です。
彼は父の遺影のある仏壇の前に正座し、ゆっくりと手を合わせました。目を閉じ、静かにそこに佇んでいます。空気はピンと張り詰めて、緊張感を持っていました。微動だにせず、手を合わせていました。私はそれを横で見ているだけでした。
「先生には色々と教えていただきました」
「そうだったんですか……」
小さなテーブルにつき、お茶を出しました。私と父しか住んでいない家でしたから、大きなテーブルは必要なかったんです。
突然、タンタンと屋根を叩く音がし始めました。私と彼は同時に窓を見ました。ガラスに雨粒がぶつかって円を描いていました。
「あ!」
洗濯物を干したままです!
私は慌てて外に出ました。今日は天気がすぐれなかったけど、春物を洗って干したんです。これから直ぐに必要になりますから。
「手伝います」
彼はそういうと、大きな手でわしわしとタオルや服を手に取っていきます。私は真っ先に下着を回収しました。流石に見ず知らずの男性に、これを見せるわけにはいきません。
私が無事に回収した時には、彼は既に残り全部を集め終わって、縁側に持って行っていました。余りの手際の良さに驚いてしまいました。
「はやくこっちへ」
彼は屋根の下へ来るように呼び掛けてくれました。どうやら私は彼の手際の良さにぼけっとしていたみたいです。
パタパタとサンダルをつかっけて縁側に滑り込みました。途端に叩きつける音が勢いを増しました。
「なんとか本降りの前に中に取り込めましたね」
「ふぅ、あぶなかった。雲が低いとは思っていたのですが、こんなに早く降るとは……まだ乾ききっていませんねぇ……」
私が手に持った下着の乾き具合を確認していると、脇からコホンと咳払いが聞こえてきました。いけません、やってしまいました。まったく恥ずかしい事です。もう三十に手が届こうというのに、これだから貰い手がないのです。
彼の方を見れば、頬をちょっと赤くして、そっぽを向いていました。私が見ていることに気が付いたようで「と、ともかく、中に入れましょう」と言って、彼はさっさと中に入ってしまいました。私も慌てて後を追いかけます。
回収した洗濯物は乾いてはいないのですが、籠の中に入れておきます。彼が帰ったら家の中に干すことにしましょう。
「ん?」
彼が洗濯物を抱えたまま天井を見上げて、怪訝な顔をしています。
ポタン、と一粒水滴が落ちてきました。一粒、また一粒。ポタンポタンと続きます。
「あ!」
そうです、雨漏りです。どうやら二階の屋根に穴が開いているのか、そこから雨が入ってきて、どこを経由しているのか分かりませんが、丁度仏壇の前に落ちてくるんです。勿論、そこだけではありません。
「雨漏り、ですか?」
「あの、恥ずかしながら……」
我が家は築四十年は経っていますから、そりゃ雨漏りの一つや二つ、あるわけで。
「桶か何かはありますか?」
「え、あ、はい」
彼に促され、私は風呂場に桶を取りに行きました。急いで桶を取り、居間に戻ると、彼が湯呑をもって雨漏りの水滴を受けていました。しかも両手に持って、精一杯腕を伸ばして二か所の水を受けています。
私は不謹慎にも彼の様子に「ふふっ」と笑ってしまいました。彼は私に気が付いて、「いや、目についたのが湯呑でして」と苦笑いをしていた。
必要な場所に、桶と湯呑と茶碗を置いて、二人でふぅと息をつきました。同時だったので、思わず見合ってしまいました。
「はは、丁度合ってしまいましたね」
彼は頬を緩ませました。初めて見た時の、怖そうな顔は何処にもなく、いたずらっ子の笑顔でした。
「結構、雨漏りしてますね」
「えぇ、古い家ですから」
正直、雨漏りは仕方ないと思っています。父が亡くなって、私の稼ぎだけでは大工さんに頼んで修理するだけのお金が用意できないのですから。
彼は天井を見上げ、顎に手を当てて何かを考えているようです。私はくにっと首を捻りました。何を考えていらっしゃるんでしょうか。
「直さないと。ダメだなぁ」
彼はぼそりと零しました。不意に彼は私に振り返ります。随分と真面目な顔です。
「今日の所はこれで失礼いたします。また、近いうちにお邪魔させてもらってもよろしいでしょうか?」
彼は本国にいる間は、父の仏壇に挨拶に来たいそうです。まぁ、悪い人ではなさそうだし、断る理由もないので、承諾しました。
「有難う御座います」
彼は深々と頭を下げ、そのまま玄関に向かいました。
「あ、雨が降ってますけど、傘はお持ちですか?」
「これしきの雨は問題ないですよ」
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