白い服の人

海水

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第三話

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 その後、彼は毎週の休みの日になると、訪ねてくるようになりました。来る時は、大体あの白い服を着ています。家の傷んでいる所を治してくれたり、ネズミが出て困っていると、どこからか三毛猫ちゃんを連れてきてくれました。その猫は、うちに懐いてしまいました。おかげでネズミも見なくなりましたが。
 私が、父が気に入っていた庭の木を枯らしてしまった時には、土を掘り返して、木を抜き、処分もしてくれました。その時は植木屋さんの格好をして、頭にはねじり鉢巻きもしていました。とても可笑しくって、ケタケタ笑ってしまったのですが、後から思えば失礼だったなと、反省しています。
 兄も時々家に戻ってきます。食事後に彼の話をすると「白い服ねぇ」と顎に手を当てて考えています。
「海軍だな」
「海軍、ですか?」
「白い服は海軍と決まってる」
 兄は空軍だそうです。私はその辺の知識が無いので良く分らないのですが。
「海のやつらは、スカしてやがって、いけすかねえぁな」
 兄はそんな事を零しました。彼は別に悪い人ではないのですが。
 どうも兄は彼に良い印象を持っていないようです。会ったことも無いのに、と思ってしまいます。
「兄さん、それは偏見では?」
「なんだ、お前は、そいつの肩を持つのか?」
「だって、彼は家の雨漏りを直てくれましたよ? その他にも庭の手入れとかもです。親切にしてくれていますよ」
 そういうと兄は黙ってしまいました。仏壇をちらっと見て、難しい顔をしました。何を考えているのでしょう?
「歳は?」
「はい?」
「そいつの歳は幾つと聞いたんだ」
「えっと、二十六とか」
「年下か」
「えぇ」
 確かに彼は歳は下ですけど、私などよりも余程しっかりとした人です。ちょっと少年っぽいところもありますけども。
「大分遅いが、春が来たのか」
 兄は呟きました。もうとっくに春ですけど。兄は何を言っているのでしょう?
「今の内に言っておくが、北の国との関係がきな臭くなってきたから、備蓄とかの準備はしておけよ」
「はい?」
「海を挟んだ北の国が、戦争を吹っかけてくる予兆がある」
「戦争、ですか?」
「外交部が交渉をしているが、狂犬国家は話が通じないらしい。外交部にいる同期がぼやいてるのを聞いた」
 兄がちょっと暗い顔をしています。
 戦争、ですか。私には、良く分りません。
「ソイツが海軍だとすると、真っ先に呼ばれるな」
「そうなの、ですか?」
「相手さんが攻めてくるには、まず海を渡らないといけないからな。まぁ、俺達も行く羽目にはなるけどな」
 兄が腕を組んで唸っています。確かに島国だから海を渡らないと、どうにもならないのですが。
「戦争なんて、嫌です」
「俺だってやりたかねえけど、何もしなきゃ殺されるだけだ。それにお前も守らないといけないだろうが。だから戦うんだよ」
 兄は、私がいるから戦うのだそうです。兄も結婚していれば、私ではなくお嫁さんになるのでしょうけども。
 そうすると、彼は何のために戦うのでしょうか?
 彼のご両親は既に他界されていると聞きました。ご兄弟もいないとか。命令されるから、でしょうか?
 今度会ったら聞いて……もし戦争が始まってしまったら、会う事も無いのでしょうか。なんだか胸がチクチクします。
「食料とか、必需品は今の内に買い込んでおけ。政府から発表があると皆一斉に買うから品薄になる」
 心配してくれる兄の言葉も、今の私の頭には、すんなりとは入って来ませんでした。

 兄の言葉が頭から離れないでいる、そんなある日。休日でもないのに、彼が尋ねてきました。今日はあの白い服です。
 初めて会った時の様な、少し怖い顔をしています。
「あの、」
「突然すみません」
 私の言葉を遮って、彼は強い口調で話してきました。ともかくあがってもらいます。
 彼はまず仏壇に手を合わせます。うちに来る時は、必ず最初に仏壇へ行きます。私はその間にお茶の用意をするのです。
 お茶と茶請けを持って行けば、彼はテーブルについて待っていました。
「いつもお茶ですみません。紅茶は飲まないもので」
「いえ、出していただくお茶は美味しいです」
 彼はお茶を一口飲んで、小さく息を吐きました。そして向かいに座る私に視線を合わせました。
「ここは落ち着きますね」
「はい?」
 何が落ち着くのでしょう? 古い家だからでしょうか?
「来週からちょっと忙しくなるので、挨拶をしておこうかと」
 彼の言葉に、私の頭に浮かんだのは、兄の言っていた戦争のことでした。兄の言う事が正しければ、彼は戦争にいくことになります。
 来週から忙しくなる、という事は、そういう事なのでしょう。
「そ、そうですか」
 私には、かける言葉が思いつきません。部屋には沈黙が訪れてしまいました。
「では、そろそろ戻るとします」
 彼を見送りに、玄関へ行きました。庭の桜の木は、青々とした葉を、風にゆだねています。とても戦争など起こるなんて、私には思えません。
 彼は指を伸ばした右手を額に当て、微笑みました。
「失礼します」
「あの、御無事で……」
 彼は私の言葉に一瞬驚いた顔をしましたが、何事もなかったかのように手を下げ、歩いて行ってしまいました。
 北の国が我が国に宣戦布告したと、ラヂオで聞いたのは、翌日の事でした。
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