白い服の人

海水

文字の大きさ
5 / 6

第五話

しおりを挟む
 梅の花が咲き始める頃になりましたが、まだ彼は帰ってきません。毎日が単調に繰り返されていきます。そんなある寒い日、私が洗濯物を干そうと庭に出た時、見覚えのある白い服の男性が立っているのが目に入りました。左の袖を風に揺らして立つその人は、間違いなく、彼でした。
 洗濯物を詰め込んだ籠をおき、サンダルのまま走りました。息をきらせて辿り着いた私に、彼は微笑みながら言います。
「ご無事そうで、良かった」
 それはこっちが言いたい事です。でも言いたいことがあったはずですが、その言葉は閉じこもってしまって口からは出てきません。辛うじて出た言葉は
「おかえり、なさい」
 でした。
 彼は右手を額にあて
「只今戻りました」
 と返してきました。
 戻ってきてくれて嬉しい気持ちの陰で、風に吹かれてそよぐ、彼の左袖が気になってしまいます。肘から先が見当たりません。私の視線に気が付いたのでしょうか、彼は気まずそうな顔をし、視線をずらしました。
「中でお茶でも飲みませんか?」
 ここでは人目もあるので彼を中にいれてしまいます。

「先生、終わりました」
 彼は仏壇の父に報告をしています。片手だけの合掌で。
「先生の言う通りでした。戦争は何も生みませんね」
 彼はじっと、父を見つめています。
「守る事はできましたが、失うの物ばかりで、得るものはありませんでしたよ」
 私も彼の報告を、静かに聞いています。彼が何を語るのか、私も聞きたいのです。
「この腕になってしまいましたが、まだ軍にいようと思います。得るものは無くても、失うものばかりでも、守らなきゃいけないって事を、教えていかないといけませんから」
「軍に、残るのですか?」
「えぇ。この体ですから内勤になるでしょう。ですので、先生の様に教官を目指そうかと思います」
 彼は満足そうな笑みを浮かべていました。

「あぁ、やはり落ち着きますね」
 小さなテーブルで、彼と二人でお茶を飲んでいます。お茶を口に含んで目を細めています。
「しばらく軍の病院に入院していたんです」
 任務を終えて港に戻る途中、機雷に接触して船が大破したそうです。その時の爆発で左腕を失ってしまったとか。勿論怪我はそこだけではないのでしょうけども、彼は何も語りませんでした。
「治療に、ふた月ほどかかってしまいました。ようやく退院の許可がおりたので、挨拶にと」
「……腕で済んで、良かったです……」
 もしかしたら、と思うと、声が詰まります。
「実は、船が機雷接触する直前、先生の声が聞こえたような気がして。そっちへ見に行ったんです。その直後に、私がいた場所で爆発が起こりました。あれは、先生が助けてくれたんでしょう」
 私がやかましくも祈るから、父が助けてくれたのかもしれません。仏壇の父を見ましたが、写真は、何も答えてくれません。

「雨漏りはしませんか? 戸はちゃんと開きますか? ネズミはまだでますか?」
 彼は私の心配ばかりです。ご自分の事を省みて欲しいです。
「えぇ、大丈夫です。えっと、その」 
 その右手だけで、不便ではないのですか?
 何度か聞こうとしましたが、うまく口が動きません。聞かないまでも、不便なのは分かります。片腕では、服を着るのも大変なはずです。
「そろそろお暇致します」
 彼が腰を浮かせてしまいました。私は何も聞いていません。
「あ、あの、最近この辺りも物騒になって、夜一人では心細いんです」
 私は何を言っているのでしょう。別に物騒になったわけではありません。口が適当な事を喋っているんです。
「そんな物騒な事が起こっているんですか?」
 彼は眉を寄せ、怪訝な顔をしています。
「そ、そうです、ひ、一人だと不安なので、一緒に、住みませんか? そ、その片腕では、普段の生活も大変でしょう。代わりといってはなんですが、炊事とか洗濯とか、私がやります」
 彼は驚いたのか、口をぽかーんとあけてしまっています。
 だって、どうしているか分からない状況よりは、傍にいてくれた方が安心です。
「あ、あの?」
「ほ、本気ですよ! 今まで随分とお世話になってしまいましたしそのお礼もしたいんです!」
 彼は口を開けたまま固まっています。私が早口で声を張り上げているからでしょうか。
「しかしですね、ひとつ屋根の下に一緒にいるわけには」
「そこは、大丈夫です! 今までだって何も起こっていませんから」
 そうです、何も起こっていないのですから。彼にとっては、ここは世話になった先生の家なのです。私はそこに住んでいる、娘でしかないのです。考えていてちょっと悲しいのですが、事実ですから。
 ですが、彼はちょっとむっとした顔をしています。怒らせてしまったのでしょうか……
「何も起こっていないのではなく、起こしていなかったのですよ」
 彼は私の目の前に立ちました。思わず見上げてしまいます。
「片腕でも、男は力があるんです」
 彼の指に顎をつままれてしまいました。惚けている私の唇が、塞がれてしまいました。彼の顔がゆっくり離れていきます。
「まったく、貴女は不用心すぎる」
 彼の右手が腰に回され、強い力で抱きしめられてしまいました。私は呆然と抱かれているだけです。
「貴女を放っておくと、悪い男に引っかかってしまいそうです」
 彼は強く見つめてきます。私はその視線から目を逸らすことができませんでした。
 その日、彼は泊っていきました。

 桜の花が散るころ、私と彼は籍を入れました。責任がどうとか、男としてなんとか、などと彼は言ってます。
 彼は教官になるための勉強をしています。戦争での怪我で軍を辞めた人も多かったそうですから、直ぐに教官になれるとは思います。朝、見送る彼の背中は、どことなく父を思い出させます。
 私は縁側に座り、お茶を飲んでいます。風に舞う桜の花びらが、庭を桃色に染めていきます。
 綺麗です。
 綺麗ですが、掃除をしなければなりません。やりたくはないのですが、仕方ありません。
 世間は、すっかり元通りです。ただのお祭りだったのでしょうか。
 空を眺めれば、雲が所々にかかっています。戦争が起こったことなど、忘れてしまいそうな、のんびりした日々です。私はお茶を飲んで、空で見ているであろう父に、礼を言いました。
「お父さん、有難う」
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

冤罪で辺境に幽閉された第4王子

satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。 「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。 辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。

悪意のパーティー《完結》

アーエル
ファンタジー
私が目を覚ましたのは王城で行われたパーティーで毒を盛られてから1年になろうかという時期でした。 ある意味でダークな内容です ‪☆他社でも公開

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

🥕おしどり夫婦として12年間の結婚生活を過ごしてきたが一波乱あり、妻は夫を誰かに譲りたくなるのだった。

設楽理沙
ライト文芸
2026.1.4 73話見直した際、瑛士の台詞《本音/懺悔》を加筆しました。😇 ☘ 累計ポイント/ 200万pt 超えました。ありがとうございます。 ―― 備忘録 ――    第8回ライト文芸大賞では大賞2位ではじまり2位で終了。  最高 57,392 pt      〃     24h/pt-1位ではじまり2位で終了。  最高 89,034 pt                    ◇ ◇ ◇ ◇ 紳士的でいつだって私や私の両親にやさしくしてくれる 素敵な旦那さま・・だと思ってきたのに。 隠された夫の一面を知った日から、眞奈の苦悩が 始まる。 苦しくて、悲しくてもののすごく惨めで・・ 消えてしまいたいと思う眞奈は小さな子供のように 大きな声で泣いた。 泣きながらも、よろけながらも、気がつけば 大地をしっかりと踏みしめていた。 そう、立ち止まってなんていられない。 ☆-★-☆-★+☆-★-☆-★+☆-★-☆-★ 2025.4.19☑~

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

処理中です...