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「──旦那、様……? 今日はお戻りが昼過ぎになる、と……」
「ベル嬢……、シヴァンから聞いた。……イアンがここに来た、らしいな?」
ベル奥様は、旦那様の発した「イアン」様のお名前に怯えるようにびくりと体を震わせると私達を室内へと通して下さった。
旦那様と私はベル奥様のお部屋に通されると、ベル奥様に進められるまま旦那様はソファへと腰を下ろし、私はソファから少しだけ離れた場所に待機する。
ベル奥様も、旦那様の向かいのソファに腰を下ろすとそっと顔を上げて旦那様へと視線を向ける。
「ベル嬢……イアンと会った時に貴女が、その……普段とは全く違う様子だった、とシヴァンから聞いたのだが……それは本当だろうか? 何か、イアンと顔を合わせると体調に不具合でも出たり……?」
恐る恐ると言ったようにベル奥様に言葉を紡ぐ旦那様に、ベル奥様は悲痛な面持ちのまま肯定するように小さくこくり、と頷かれた。
「──分から、ないのです……。イアン様のお姿を見ると……イアン様のお声を聞くと……、何故か思考が霞掛かり、クリアだった頭の中がぼうっとしてしまい……気付けばイアン様の元に居るのです……」
「イアンの姿を見て、? 姿を見たり、声を聞いたりするとそのような状態に……?」
「はい。何故か……"お会いしなければ"と言うような気持ちに支配されている、と言いましょうか……」
ベル奥様の言葉に、旦那様はきゅっと眉を寄せるとベル奥様に向かって言葉を続ける。
「──イアンに、触れられたと聞いたが……その時ベル嬢は嫌悪感を抱いたり……、拒絶反応が起こったりはしなかったか……?」
旦那様の言葉にベル奥様は辛そうにご自分の首をゆるゆると力無く横に振る。
「全く……。寧ろ、イアン様に触れられている、と言う事にすら気付きませんでした……。まるで、イアン様とそうしているのが……そうあるのが正解なのだ、と言うような……何と表現すれば良いのか分からないのですが……」
「そう、か……。それは、……その感覚は私とは違うな……」
旦那様は難しい表情を浮かべ、ぐっと黙り込んでしまう。
ベル奥様はご自分の行動が信じられなく、異性に触れられていると言うのに嫌悪感を抱かぬご自分自身に混乱しているように、表情を歪める。
「今、は……? イアンと会っている時……イアンの声や姿を見た時に頭がぼうっとしてしまっているのだろうが……。イアンと関わりの無い今はどんな感じだろうか? 今も尚頭の中はハッキリとしない? それともクリアな状態だろうか?」
「いいえ、今は全く。……今は頭の中もハッキリとしておりますし、イアン様と接触の無い今は以前と変わらぬ状態です」
辛そうにきゅう、と自分の手のひらを拳を握り締めるようにして握り込むベル奥様の、テーブルの上に置かれた手に。
旦那様はそっとご自身の手のひらを重ねると、ベル奥様を気遣うように優しく握った。
「──っ、旦那様……?」
「不安になる事は、無い……。今日以降、イアンが訪ねて来ても、イアンを邸内には入れないように徹底しよう。ベル嬢の身に、何かが起きているのは間違い無いのだろうが……、今日はこの後ジョマルも邸にやって来る……。私も同席するので、ジョマルと一緒に対応策を考えよう」
優しく響く旦那様の声に、ベル奥様は今までお一人でその不安に苛まれていらっしゃったのだろう。
旦那様の優しさに触れて、ぶわりと瞳に涙の膜を張り、そしてその瞳から一筋涙を零した。
涙を流すベル奥様を見て、旦那様は考えるよりも先に、自然にお体が動いたのだろう。
ソファから腰を上げるとベル奥様の座るソファの横にご自身も移動すると、ぎこちなくベル奥様にご自身の腕を伸ばした。
「すまない、触れる──……」
ぽつり、と旦那様の声が響いて、旦那様はそっと遠慮がちにベル奥様の背中に腕を回してそっとベル奥様を抱き締めた。
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