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幕間・甲 門番

一.

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 精霊界の中央部、黄桜こうおうしゅうしきけんには精霊界最大の都――桃李とうりきょうがある。 
 全体を城壁で囲われたその都は北に雄大な黎瑞山れいずいさんを構えており、北からの侵入を困難にしている。その山から流れる巨大な川は碧寿江へきじゅこうと言い、まるで龍のような雄々しい曲線を描きながら都の東を悠々と通り抜け、最終的に都の南にある湖、丹燕湖にえんこに辿り着く。 
 これら三方に広がる大自然は都を守る砦であり、同時に人々の生活を支える基盤でもある。 
 残る一方、都の西には素鐘街道すしょうかいどうが隣の街まで延々と続いており、外交の要を担う。 
 この都は精霊界に古来より伝わる方位占術に基づいて造られていて、かれこれ二千年近く形を変えていないと言う。 
 都に入るための門は四方に一つずつあるだけで、通るには許可証が必要となっている。もし侵入しようとした場合、下水道を通るか、高々と聳える壁を乗り越えるより他にない。また、門は日の入りと同時に閉められ、原則として翌日の日の出まで開かないことになっている。 
 そう、原則として夜に門は開かない。良くも悪くも、何か特別なことがない限りは――……

「青龍門を開け!」 
 青龍門は四方にある門のうちの東に位置するものである。その名の通り、古に存在したという東の守護者たる霊獣――青龍にあやかってその名を付された。門には龍を象った青銅の装飾が柱と天辺に巻き付いている。門の各所に鏤められた玉はサファイアを主とした深い青の珠である。 
 銅羅がごわんごわんと鳴り響く中、簡易な鎧を身につけた中年の男が指揮を取り、門を開かせる。
 時刻は宵も深まる深更しんこうの頃、一日の中でも太陽の恩恵を一切受けることのない、最も闇に呑まれる時間帯である。こんな時間に門を開くとは何事かと、青龍門付近の居住区に住む人々が野次馬となって集まってきた。しかしそれすらも気にせず門が動き出したその時——群衆を掻き分けて一人の青年が前に出た。 
「待て」 
 良く通る凛としたその声に群衆は一斉に口を閉ざす。今の今まで隣の人の声すら聞こえないほど騒がしかったのが嘘のようだ。それと同時に僅かに開きかけた門は再び完全に閉ざされた。
 群衆の視線は当然のように声の主の方へと向かっていった。 
「誰の許しを得て青龍門を開く」 
 怜悧な顔立ちが美しい、やや線の細い青年である。竜胆りんどうのような紫の瞳に飾られる目許は涼やかで、優雅なまでの落ち着きを持っている。暗闇の中、街明かりによって僅かに照らされることで、その瞳は神秘的な輝きをも放つ。右目のすぐ下にぽつりとある小さな黒子はそれをより一層際立たせた。 
「お前の職は閽人こんじんではないのか。守るべきは王宮の金烏門の筈。何を思って此処に出向いた」 
 青年は静かでありながら強い声で男を責問する。その間も、前へと出る青年の歩は止まらない。
 年の功がどちらにあるかは火を見るよりも明らかであるにも関わらず、青年の纏う厳然たる空気に男は気圧され、押し黙った。
 冷たい夜風が通り抜ける。
 青年は男と互いの顔が認識できる位置まで迫り、そこでぴたりと歩を止めた。 
「それに……」 
 深い青の髪が風にさらわれる。さほど長いわけでもなく、寧ろ短いくらいのものではあるが、さらりと風を受け流す様は青年の持つ余裕にどこか似たものがある。 
 抑揚のない淡々とした声で青年は言葉を続ける。 
「青龍門に関する一切の事柄は我が青天目なばため家に一任されている。如何な理由があろうとも、青天日家当主、この青天目龍華たちばな椋杜りょうとの許可なくそれを破ることは許さない」 
「……っ!」 
 青年――椋杜のその名を聞き、男は思わず苦虫を噛み潰したような顔をした。 
 言い放つ椋杜の声音は、まるで研ぎ澄まされた刃のように鋭く、尚且つ玲瓏であった。一切の感情を排除したかのような表情と相俟って、その声はただ冷たい。芯は金属の如き硬さを持つが、それもまた無機質なものだ。無機質な冷たさと硬さをそのままに宿した視線は真っ直ぐに男を射抜いていた。
 男はざり、と砂利の音を立てながら半歩だけ後退る。 
 周囲の群衆が再びざわめき出す。しかし先程のものとは何処か様子が違う。コソコソと、息を含んだ話し声がそこかしこから聞こえて来る。 

 ――あれが青天目家の……。
 ――随分と若いのね。可愛いじゃない。 
 ――大丈夫なのかしら? 門番として、頼りになるの? 
 ――結局どういうことなんだ? 開けるのか、開けないのか……。
 ――あんな若造に任せて、本当に問題ないのか?

 どよめきの中からときたま聞こえる言葉が、椋杜の鋼の面に小さな皹を入れる。眉間がぴくりと動き、その冷たい視線で周囲を睨みつける。しかし尚もその表情は崩されなかった。
 椋杜は静かに、ゆっくりとその瞼を下ろす。一息おいて、肺に吸い込んだ空気を口から長く吐き出すと、同じように静かに、今度は瞼を上げる。 
「……して、一体どのような了見を以ってして青龍門に触れる」 
「それは……」 
 椋杜はまた一歩男に近づく。 
「返答によっては……」 

 男の胸倉を掴もうと腕を伸ばしたその時――……

 ドゴッ!

 と、青龍門が鈍い音を立てた。全ての意識が一斉にそちらへ移る。椋杜もまた、伸ばしかけたその腕を所在なげに宙に投げたまま、注意を完全に門へと向けた。 
 何が起きたのかと門を凝視していると、門は再び鈍い、そして先程よりも余程大きな音を立てた。
 金属でできている門扉は、外からの何らかの衝撃によってその平らな側面を隆起させる。つい今しがたまで好奇の色さえ伺わせていた群衆の顔に、次第に不安とも恐怖ともとれる色が浮かび上がる。 
「何!? なんなのよ!?」 
「おい、門番! 何がどうなってやがんだ!!」 
 半ば恐慌状態に陥る群衆からは黄色い悲鳴や椋杜に対する疑念の声が上がる。
 椋杜はハッと我に返り、宙で行き場を無くした腕を本来の目的通りに、勢いをもって動かした。声を荒げることなく男を問い詰める。 
「貴様、何か知っているな?」 
「い、いや、な、何も知らない!」 
 椋杜に襟元を力任せに掴まれた挙げ句凄まじい剣幕で迫られ、男は恐怖に酷く顔を引き攣らせながら否定の言葉を口にする。声は心なしか震えている。 
「嘘を言うな!」 
「嘘じゃない……!」 
 語気を強め、初めて感情を出した椋杜を男は縋るような目で見た。だが、椋杜はその視線を軽くかわす。 
「では何故開こうとした! 理由がないなど有り得ない!」 
「そ、それは……」 
「やはり何かあるのか」 
「せ、千年桜が……」 
「千年桜……?」 
 椋杜が再び眉間に皺を寄せ男を訝しげに見るのとほぼ同時に、門は一際大きな音を立てる。
 群衆は混乱しながらも既に門から離れ、遠目に門と二人見ていた。 
「そうだ……! せ、千年桜が『金烏が最も遠く離れる時間に龍の守護を解け』、と」 
「千年桜は今、病に臥している筈だが? 何の目的が……」 
「そ、それが……『私の姫が私の為に帰ってくる』、と……。それと『門番の許可はいらぬ』と……」 
 次第に弱まる腕の力に男は少しばかり落ち着きを取り戻す。そしてやはり若干声に動揺を見せながらもはっきりと椋杜にことの次第を告げた。 
私の姫・・・……? 帝家の公主、雪晃せっこう様は宮中にいらっしゃるのではないのか?」 
「……雪晃様、いらっしゃいます」 
? ……まさか?」 
 何か思い当たることがあったのか、椋杜はハッと顔を上げた。その瞬間、門からこれで終わりと言わんばかりの轟音が響き渡った。かと思えば、椋杜と男の上に影が差す。それは、徐々に大きくなっていった。群衆から先程とは比べものにならないような甲高い悲鳴が上がる。 
「っ!」 
 差し迫る影をどうにかしなければ――
 椋杜は自身の持ちうる霊気を両腕と両足に集中させた。左腕の霊気は細長い形を為し、いつしか一本の槍を象る。それを左手に携えると、椋杜は目にも留まらぬ速さで大地を蹴り、倒れる門と地面の接点により近い場所に移動する。瞬時に槍を斜めに立て支柱とし、同時に右手で門扉を支えた。 
 決して軽々と、とは言えないものの、いくらかの余裕を持つ椋杜の様子に群衆はやがて静かになった。 

 暫くして、傾く門がその状態を維持できることを確認した椋杜はゆっくりと右手を離す。槍一本でこの巨大で重い門を支えきれるのか、やや不安はあったものの、然したる問題はないようだ。
 念のため、たった一本で気張るその槍に右手を添え、槍に与えた霊気を増幅させる。ふっと一息ついて、椋杜は門の下から移動した。 

 蝶番を外れ、一本の直線によって支えられる門扉のなんと異様な光景か。 
 門を端から見た椋杜は改めて怪訝な顔をする。 

「だからぁ~……って……でしょ!」

 一つの高い声が、しんと静まり返った空間に響いた。群衆の一部が再びざわめき出す。金烏門の門番という中年の男は驚いたように目を見開いて固まってしまっている。
 椋杜は一層訝しげに眉を顰めながら呆れたように深いため息を落とした。ゆっくりと門の外に視線を送ろうとする、が、しかし、何か違和感があった。 

「……は、お前が……だろう……」

 次に低い男の声が聞こえ、その動作に制止がかけられた。今までとは違う種類の皺が椋杜の眉間に刻まれていく。次の瞬間、違和感の正体を全身で感じる。 
「あいつ、何を連れて来たんだ……」 
 それは、精霊界において、けっして知ることのなかったものである。 

 ――身の毛もよだつ、この神気は一体どうしたことか。

 もう一つ、肌に覚えのないものがある。しかしそれすらも偽装できてしまうほどの強大な神気を全身で体感し、身体は自然と硬直する。それはその場にいる全員が同じであるらしい。
 誰も口を開かない。ぐっと息を呑み拳を強く握る者や、今にも泣きそうな顔をしながら手を胸の前で組み、小さく震える者――取る行動こそ様々であるが、いずれもそれは恐怖の表れだ。

「大体、お前が『壊していい』って言ったから、壊すつもりでやったわけで……」
「だって本当に壊しちゃうとは思わないでしょー? いや、まぁ壊して良いんだけどさ。あたしにはもう関係ないことだし? 特に青龍門なんて見たくもないわけだし?」

 外から僅かに聞こえてくる会話を些か不思議に思いながらも、群衆の意識は恐怖の源が何かというところに集中している。
 傾いた門扉と、外れていない方の門扉との間からひょこっ、と小さな足が覗いた。次いで、その足の本体が現れる。 
小柄な少女だ。 
 それも、若葉の緑が鮮やかな、この桃李京においてとてもよく見慣れた――……

桜桃ゆすらうめ……」 
 椋杜は険しい表情をしながらぽつりとその名前を呼んだ。
 少女――皇木《すめらぎ》桜桃・琅果はそれに気付くとしゃんと立って椋杜を視界に入れる。 
「えへへ、ただいま」 
 一切の感情を含まないそのを細めた後、口角を軽くつり上げ、琅果は不敵にそう言い放った。
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