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七幕 妖精の屋敷

一.

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 十一月某日――それは、謀叛が起こる四ヶ月ほど前のことである。

「なぁ、タカさん」
「はい、何ですか、颱良くん」
せんにんざくら・・・・・・・、って何?」
 毎年恒例とも言える皇宮内の書庫の虫干しの日。未だ白讃家の倅という肩書しか持たない颱良は言うなれば自由の身であり、やはりいつものように棕滋の下で雑用をしていた。彼にとってもこの行事は既に恒例となっており、慣れた手つきで古文書を始めとするあらゆる蔵書を開いていく。
 その時、ある一冊の本が棚から落ちた。随分と古びたそれは、変色したり虫に食われたりと様々な理由からところどころ読むことができない。
 そんなものは颱良にとってはただの紙以下の、もはや芥ともいえるような存在である。しかし、本という先人の知恵を棕滋が大切にしていることを颱良は知っている。だから持ち上げれば今すぐにでも崩壊しそうなものであっても、だからこそ丁重に扱わなければいけないということを肝に銘じていた。
 とはいえ、棕滋が何故このようなものをそこまで大切にするのかは正直よく分かっていない。よく分かってはいないが、尊敬するヒトが大切にしているものならばその片鱗でも理解したいと思うのは、ある種ヒトの性なのかもしれない。そもそもこの手伝いを始めたのもそうした理由なのだから、颱良が――棕滋が大切にしている――その本をたまたま読みたくなってしまうことも何ら不思議なことではなかった。
 いつもはさっさと仕事を終わらせようとする颱良が、今回ばかりは仕事をそっちのけに、碌に読めもしない本に齧り付く。そしてやはりそのほとんどは理解不能ではあったのだが、その中に一つ、気になる文言を見つけたのだった。
「せんにんざくら? せんねんざくら、ではなくてですか?」
 仕事を怠っていたことに関しては棕滋も別段気にしていない。この手伝いは彼の善意によって行われているものなのだから、彼が休みたい時は休めばいいのだと棕滋も思っている。だからこそ、本を懸命に解読しようと努める彼の姿を確認しながらも、特に口を挟むことなく放置していたのだが――その彼から不可解な言葉は飛び出してきたことで、棕滋の手もまた止まる羽目になってしまった。
「千年桜は流石の俺でも分かるよ。じゃなくて、せんにんざくら」
 言いながら、颱良は件の本を棕滋の下へ持っていく。棕滋は指差されたその一文を確認するように、何度も、何度も読み直す。
「確かにこれは、せんにんざくら、と書いてありますが……」
 誤字か、それともこれで正しいのか。その判別はつかなかった。
「ふむ……表音文字は辛うじて読めますが、象形文字の方が分かりませんね」
「そうなんだよなぁ。せんにんざくらって千人桜? 仙人桜?」
「それは私にも。しかし、何か気になりますね。ちょうど次の研究主題を探していたところです。この仕事を終えたら、過去の文献を改めて浚ってみましょう」

 まさかこの小さな発見が、後に精霊界史上に残る大謀叛のきっかけになろうとは、棕滋も颱良も欠片も思っていなかった。
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