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五章
ある夏の夜の事実
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茜色と群青が溶け合い、刷毛で掃いたように薄く橙色の雲がどこまでも広がる。
突然視界に飛び込んできたのは、美しい夕焼け空だった。
……一体……僕はどうなったんだろう。
ぼんやりする頭でぐるりと周囲を見渡す。
そこは何処かの街の、薄暗い路地裏。
街灯の柔い光も喧騒も遠いその場所には、二人の人物が対峙していた。
二人とも深くマントのフードを被って顔を隠している。
ただ違うのは、背の高い方が布で包まれた何かを肩に掛けて片手を添え、胸の前に携えていること。
『断る』
布の塊を持つ背の高い方が低く言い放った。
薄い膜を一枚通したように不鮮明に聞こえるけれど、声からして若い男性だ。
『まあそう言うなよ。これで失敗したら魔術師の威信もがた落ちなんだぞ。あんたも困るはずだ』
『だからといってそんな仕事受ける義理もねえ』
『最近魔獣が異常発生してるのは知ってるんだろ?
こうしてのんびり交渉してる間にも、あちこちのダンジョンから溢れだしてる』
『だから何だってんだ、冒険者ギルドにも魔術師ギルドにも討伐依頼が出てるだろうが』
『討伐に向かった連中じゃ足りない。今回はいつもと違う。
魔獣の意思を統率してる親玉が居たんだよ。
もし魔獣が群を成して街やら城に向かったらどうなる?
今親玉を倒して防ぎ切れなきゃ、両ギルドの面子も丸潰れだ。被害は想像以上の規模になるだろうな。
なあ、その赤ん坊はあんたの子供か?
魔獣が世界に溢れて襲ってきたら守りきれるのか?』
『ーー何が言いたい』
『あんた、塔から逃げ出した魔術師だろ。有名だから俺みたいな新参でも知ってるよ。
上層部から見つけ次第通告するように通知が出てるよな。
黙ってて欲しいなら引き受けろ』
『ふん……脅しとは舐められたもんだな。
今この場でてめぇの記憶と口を封じれば問題ない』
『そう来ると思って、俺に何かあれば塔に報告するよう人に頼んである。
なに、あんたなら魔獣の制圧ていど朝飯前だろう?子供は仕事の間、孤児院にでも預けてりゃいいんだ』
会話はそこでいきなり途切れ、また視界が変わる。
現れた見覚えのある場所に目を見開いた。
……僕の育った、孤児院。
夏の走りのぬるい空気が頬を撫でていく夜。
先程のフードを被った男が、抱き抱えた籠の中にそっと白い紙を差し入れる。
少しだけ伺い見れた横顔の口許はきつく引き結ばれ、痛みを堪えるように唇を噛んでいた。
男は建物の前でしばし立ち竦んでいたが、意を決したように扉を叩く。
ややあってから、内側からドアが開かれて一人の女性が姿を現す。
ーー院長先生だ。
覚えている顔立ちよりもずっと若いけれど、僕がいた孤児院で、一番長くお世話をしてくれた人を見間違えたりしない。
男と院長先生は、小さな声で言葉を交わす。
聞き取れなくてもどかしく思っていると、院長先生は頷きながらはっきりとした声音で宣言した。
『事情は解りました。貴方が迎えに来るまで、責任と愛情を持ってお預かりしますわ』
そして両腕を差し出す院長先生に、男は瞬巡する。
男が左腕で抱き抱えた籠の中をそっと覗き込むと、中にはおくるみに包まれてあどけなく眠る、金色の髪をした赤ん坊がいた。
男の右手の指が赤ん坊の白い頬を撫でる。
大切な宝物を愛でるように、優しく。
赤ん坊はくすぐったいのか身動ぎをしたけれど、またすやすやと寝息をたて始めた。
そして男はぐっと籠を院長先生へと差し出す。
しっかりと院長先生が抱き抱えたのを確かめてから、よろめくように数歩後ろへ後退った男が駆け出した。
僕が育った街の夜の中を、男はどこまでも走っていく。
時折通行人にぶつかって罵声を浴びたり、店じまいした露天の空き箱に躓き蹴り倒したりしながら、それでも足は止まらない。
やがて大きな川の側まで来たその時、強い風が吹いて男のフードが飛ばされた。
闇夜を明るく照らす月光の許、現れたのは。
ーー襟足までの長さの、絹糸のような……紫色。
今にも泣き出しそうに歪められた秀麗な面。
その双眸は、闇の中でもなお光る、雫に濡れた金色。
「ーーーサーク」
突然視界に飛び込んできたのは、美しい夕焼け空だった。
……一体……僕はどうなったんだろう。
ぼんやりする頭でぐるりと周囲を見渡す。
そこは何処かの街の、薄暗い路地裏。
街灯の柔い光も喧騒も遠いその場所には、二人の人物が対峙していた。
二人とも深くマントのフードを被って顔を隠している。
ただ違うのは、背の高い方が布で包まれた何かを肩に掛けて片手を添え、胸の前に携えていること。
『断る』
布の塊を持つ背の高い方が低く言い放った。
薄い膜を一枚通したように不鮮明に聞こえるけれど、声からして若い男性だ。
『まあそう言うなよ。これで失敗したら魔術師の威信もがた落ちなんだぞ。あんたも困るはずだ』
『だからといってそんな仕事受ける義理もねえ』
『最近魔獣が異常発生してるのは知ってるんだろ?
こうしてのんびり交渉してる間にも、あちこちのダンジョンから溢れだしてる』
『だから何だってんだ、冒険者ギルドにも魔術師ギルドにも討伐依頼が出てるだろうが』
『討伐に向かった連中じゃ足りない。今回はいつもと違う。
魔獣の意思を統率してる親玉が居たんだよ。
もし魔獣が群を成して街やら城に向かったらどうなる?
今親玉を倒して防ぎ切れなきゃ、両ギルドの面子も丸潰れだ。被害は想像以上の規模になるだろうな。
なあ、その赤ん坊はあんたの子供か?
魔獣が世界に溢れて襲ってきたら守りきれるのか?』
『ーー何が言いたい』
『あんた、塔から逃げ出した魔術師だろ。有名だから俺みたいな新参でも知ってるよ。
上層部から見つけ次第通告するように通知が出てるよな。
黙ってて欲しいなら引き受けろ』
『ふん……脅しとは舐められたもんだな。
今この場でてめぇの記憶と口を封じれば問題ない』
『そう来ると思って、俺に何かあれば塔に報告するよう人に頼んである。
なに、あんたなら魔獣の制圧ていど朝飯前だろう?子供は仕事の間、孤児院にでも預けてりゃいいんだ』
会話はそこでいきなり途切れ、また視界が変わる。
現れた見覚えのある場所に目を見開いた。
……僕の育った、孤児院。
夏の走りのぬるい空気が頬を撫でていく夜。
先程のフードを被った男が、抱き抱えた籠の中にそっと白い紙を差し入れる。
少しだけ伺い見れた横顔の口許はきつく引き結ばれ、痛みを堪えるように唇を噛んでいた。
男は建物の前でしばし立ち竦んでいたが、意を決したように扉を叩く。
ややあってから、内側からドアが開かれて一人の女性が姿を現す。
ーー院長先生だ。
覚えている顔立ちよりもずっと若いけれど、僕がいた孤児院で、一番長くお世話をしてくれた人を見間違えたりしない。
男と院長先生は、小さな声で言葉を交わす。
聞き取れなくてもどかしく思っていると、院長先生は頷きながらはっきりとした声音で宣言した。
『事情は解りました。貴方が迎えに来るまで、責任と愛情を持ってお預かりしますわ』
そして両腕を差し出す院長先生に、男は瞬巡する。
男が左腕で抱き抱えた籠の中をそっと覗き込むと、中にはおくるみに包まれてあどけなく眠る、金色の髪をした赤ん坊がいた。
男の右手の指が赤ん坊の白い頬を撫でる。
大切な宝物を愛でるように、優しく。
赤ん坊はくすぐったいのか身動ぎをしたけれど、またすやすやと寝息をたて始めた。
そして男はぐっと籠を院長先生へと差し出す。
しっかりと院長先生が抱き抱えたのを確かめてから、よろめくように数歩後ろへ後退った男が駆け出した。
僕が育った街の夜の中を、男はどこまでも走っていく。
時折通行人にぶつかって罵声を浴びたり、店じまいした露天の空き箱に躓き蹴り倒したりしながら、それでも足は止まらない。
やがて大きな川の側まで来たその時、強い風が吹いて男のフードが飛ばされた。
闇夜を明るく照らす月光の許、現れたのは。
ーー襟足までの長さの、絹糸のような……紫色。
今にも泣き出しそうに歪められた秀麗な面。
その双眸は、闇の中でもなお光る、雫に濡れた金色。
「ーーーサーク」
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