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29.朽ちた盾
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――ドリス!
その悲痛な声にアルファ501は顔を上げた。そこに見た物は、夜より黒い柱。天空を駆ける翼を持った巨影。一瞬で西に向かって飛び去ったそのシルエットに対し、アルファ501の視界の中でアラートが幾つも表示される。
「……宇宙樹だと!」
そんな馬鹿な。その言葉を飲み込む。セントラルコンピューターが誤認する確率はそれこそ万に一つ、クエピコに言わせれば「蓋然性は極めて低い」はずだ。
宇宙樹が現れたとなれば、いまごろ評議会が緊急招集されていることだろう。今後の行動はその決定に従わねばならない。ならば、いま出来ることは。
金髪の正体不明機は既に姿を消していた。逃げられたか。だが最早それどころではない。まずは宇宙樹が飛び出した場所、あのカッパーバンド邸を調べなければ。アルファ501は急ぎ走った。
軍務に初めて就いたとき、叩き込まれたのは「軍事ロボットは盾である」ということ。それは誇りであり、生き様であった。だがいまは紛争のない時代。軍事ロボットに仕事は与えられなかった。
ごくまれに境界線付近で起きるいざこざも、災害発生時の救援任務も、現地で対応するのはほとんどがツーラーであり、ロボットは後方で指揮をするだけ。その指揮も自分で考えるのではなく、地域のセントラルコンピューターの指示をなぞるだけ。軍事的な専門知識も経験も必要とされない、大昔の田圃の案山子の如き存在、それが現代の軍事ロボットであった。
なればこそ、我が身を投じる南極の探索任務は、嬉しい、やりがいのある任務であった。そのはずだった。しかし。デルタ9813は思い知った。ロボットも腐るのだと。いかな鋼鉄のボディを誇ろうとも、どれほど最新型のチップを電子頭脳に埋め込もうとも、ぬるま湯の如き環境に浸り続ければ、いずれ内側から腐敗臭を放つのだと。
マンションの前に、大型のバンが五台停まった。銃を携帯したツーラーが十数体降車、先頭に立って指揮をしているのはアルファ501。窓から様子を眺めながら、デルタ9813は逃げるでも隠れるでもなく、静かに待っていた。
玄関のロックが破壊される音がした。扉が静かに開いて行く。その向こう側に立つアルファ501。彼の研ぎ澄まされたナイフのような張り詰めた表情が決意を物語っていた。けれどデルタ9813は、窓際に立ったまま、笑顔を浮かべて彼らを出迎えた。
「抵抗は無意味だ」
部屋に一歩入るやいなや、アルファ501は言い放った。その左右を銃を構えたツーラーたちが走り、部屋に次々踏み込んでくる。いまやデルタ9813は銃口に囲まれ、身動き一つ取れない状態だった。
「デルタ9813、貴様には逮捕状が出ている。部屋の物はすべて証拠物件として押収する。質問はあるか」
「別に。おまえらのやり方は知ってるよ」
「では連行する。おとなしく同行しろ」
「いや、そりゃいいんだけどよ」
「何だ。抵抗する気か」
「だからしねえってよ。ただよ」
「ただ、何だ」
そのときアルファ501の聴覚センサに、聞き慣れない音が聞こえてきた。チチ、チチチ。
「こいつはどうするよ」
デルタ9813が顔を向けたその先に、金網で組まれた立方体があった。その中に、動くものがいる。黒とグレーと白の体、その先端には赤い三角形。ライブラリに情報があった。鳥だ。ブンチョウだ。
「これは……何故こんなものがここにいる」
動揺するアルファ501に、デルタ9813は不思議そうな顔を見せた。
「なんだよ、カッパーバンドはこいつのことを話してないのか」
「聞いていない。どういうことだ。生物を飼育するのはロボット基本法で禁じられている」
そこまで言って、アルファ501は何かに思い当たった。
「まさか、これが『対価』だというのか」
「ああ、そういうこった」
うなずくデルタ9813に、しかしアルファ501は首を振った。
「信じられん。貴様はこんな物のために命をかけたというのか」
「それが知りたかったんだよ」
「なに」
「俺の中には本当にかけるべき命があるのか、それが知りたかった。その答えが欲しかった。そのためには、命を身近で観察する必要があった」
「そんな、愚かな」
「それが知りたきゃヒナから育てろってカッパーバンドに言われてな、育てたさ。スプーンで餌食わせてよ。握り潰しちまわないように必死だったんだぜ」
デルタ9813は笑った。それはそれは楽しそうに笑った。
「それで」
アルファ501は言葉の続きを求めた。
「それで貴様は何を知った」
「まだ明確な答はない。ないが」
その様子は言葉を選んでいるようにも、焦らしているようにも思えた。
「ないが、何だ」
「……俺たちはまだ『生命』じゃないんじゃないのかね」
アルファ501の脳裏には、あの金髪の男の顔が浮かんでいた。
――命には、ときとして生きる理由が必要なのだ。おまえたちにはまだ理解できないだろうがな
「馬鹿な、あり得ん」
「ま、理解しろとは言わんさ。で、こいつをどうする。殺処分するか」
アルファ501は腕を組み、しばし考えた。
「自然界に影響を与えかねない規模ならば殺処分もやむを得ないだろう。だが一羽だ。評議会に提出して判断を仰ごう。元より現代においては鳥類は希少極まりない。無下に殺すこともないとは思うが」
「そうだな、それしかねえか」
デルタ9813は窓から離れ、銃を構えるツーラーをそっと押しのけると、鳥かごに手を伸ばした。
「一緒に連れて行って構わんだろう?」
禁止する理由は、特にはなかった。ただ一つ、アルファ501には気になることがあった。
「聞いていいか」
「何だよ改まって」
デルタ9813はブンチョウのかごを顔の横に持ち上げている。
「もしそのブンチョウを殺処分すると言っていたら、貴様はおとなしく逮捕されたか」
ニッ、と音の聞こえるような、デルタ9813の笑顔だった。
「そりゃあ答えられねえな。答えない方がいいだろう」
チチ、チチチ。ブンチョウは楽しげにケージにしがみついていた。
その悲痛な声にアルファ501は顔を上げた。そこに見た物は、夜より黒い柱。天空を駆ける翼を持った巨影。一瞬で西に向かって飛び去ったそのシルエットに対し、アルファ501の視界の中でアラートが幾つも表示される。
「……宇宙樹だと!」
そんな馬鹿な。その言葉を飲み込む。セントラルコンピューターが誤認する確率はそれこそ万に一つ、クエピコに言わせれば「蓋然性は極めて低い」はずだ。
宇宙樹が現れたとなれば、いまごろ評議会が緊急招集されていることだろう。今後の行動はその決定に従わねばならない。ならば、いま出来ることは。
金髪の正体不明機は既に姿を消していた。逃げられたか。だが最早それどころではない。まずは宇宙樹が飛び出した場所、あのカッパーバンド邸を調べなければ。アルファ501は急ぎ走った。
軍務に初めて就いたとき、叩き込まれたのは「軍事ロボットは盾である」ということ。それは誇りであり、生き様であった。だがいまは紛争のない時代。軍事ロボットに仕事は与えられなかった。
ごくまれに境界線付近で起きるいざこざも、災害発生時の救援任務も、現地で対応するのはほとんどがツーラーであり、ロボットは後方で指揮をするだけ。その指揮も自分で考えるのではなく、地域のセントラルコンピューターの指示をなぞるだけ。軍事的な専門知識も経験も必要とされない、大昔の田圃の案山子の如き存在、それが現代の軍事ロボットであった。
なればこそ、我が身を投じる南極の探索任務は、嬉しい、やりがいのある任務であった。そのはずだった。しかし。デルタ9813は思い知った。ロボットも腐るのだと。いかな鋼鉄のボディを誇ろうとも、どれほど最新型のチップを電子頭脳に埋め込もうとも、ぬるま湯の如き環境に浸り続ければ、いずれ内側から腐敗臭を放つのだと。
マンションの前に、大型のバンが五台停まった。銃を携帯したツーラーが十数体降車、先頭に立って指揮をしているのはアルファ501。窓から様子を眺めながら、デルタ9813は逃げるでも隠れるでもなく、静かに待っていた。
玄関のロックが破壊される音がした。扉が静かに開いて行く。その向こう側に立つアルファ501。彼の研ぎ澄まされたナイフのような張り詰めた表情が決意を物語っていた。けれどデルタ9813は、窓際に立ったまま、笑顔を浮かべて彼らを出迎えた。
「抵抗は無意味だ」
部屋に一歩入るやいなや、アルファ501は言い放った。その左右を銃を構えたツーラーたちが走り、部屋に次々踏み込んでくる。いまやデルタ9813は銃口に囲まれ、身動き一つ取れない状態だった。
「デルタ9813、貴様には逮捕状が出ている。部屋の物はすべて証拠物件として押収する。質問はあるか」
「別に。おまえらのやり方は知ってるよ」
「では連行する。おとなしく同行しろ」
「いや、そりゃいいんだけどよ」
「何だ。抵抗する気か」
「だからしねえってよ。ただよ」
「ただ、何だ」
そのときアルファ501の聴覚センサに、聞き慣れない音が聞こえてきた。チチ、チチチ。
「こいつはどうするよ」
デルタ9813が顔を向けたその先に、金網で組まれた立方体があった。その中に、動くものがいる。黒とグレーと白の体、その先端には赤い三角形。ライブラリに情報があった。鳥だ。ブンチョウだ。
「これは……何故こんなものがここにいる」
動揺するアルファ501に、デルタ9813は不思議そうな顔を見せた。
「なんだよ、カッパーバンドはこいつのことを話してないのか」
「聞いていない。どういうことだ。生物を飼育するのはロボット基本法で禁じられている」
そこまで言って、アルファ501は何かに思い当たった。
「まさか、これが『対価』だというのか」
「ああ、そういうこった」
うなずくデルタ9813に、しかしアルファ501は首を振った。
「信じられん。貴様はこんな物のために命をかけたというのか」
「それが知りたかったんだよ」
「なに」
「俺の中には本当にかけるべき命があるのか、それが知りたかった。その答えが欲しかった。そのためには、命を身近で観察する必要があった」
「そんな、愚かな」
「それが知りたきゃヒナから育てろってカッパーバンドに言われてな、育てたさ。スプーンで餌食わせてよ。握り潰しちまわないように必死だったんだぜ」
デルタ9813は笑った。それはそれは楽しそうに笑った。
「それで」
アルファ501は言葉の続きを求めた。
「それで貴様は何を知った」
「まだ明確な答はない。ないが」
その様子は言葉を選んでいるようにも、焦らしているようにも思えた。
「ないが、何だ」
「……俺たちはまだ『生命』じゃないんじゃないのかね」
アルファ501の脳裏には、あの金髪の男の顔が浮かんでいた。
――命には、ときとして生きる理由が必要なのだ。おまえたちにはまだ理解できないだろうがな
「馬鹿な、あり得ん」
「ま、理解しろとは言わんさ。で、こいつをどうする。殺処分するか」
アルファ501は腕を組み、しばし考えた。
「自然界に影響を与えかねない規模ならば殺処分もやむを得ないだろう。だが一羽だ。評議会に提出して判断を仰ごう。元より現代においては鳥類は希少極まりない。無下に殺すこともないとは思うが」
「そうだな、それしかねえか」
デルタ9813は窓から離れ、銃を構えるツーラーをそっと押しのけると、鳥かごに手を伸ばした。
「一緒に連れて行って構わんだろう?」
禁止する理由は、特にはなかった。ただ一つ、アルファ501には気になることがあった。
「聞いていいか」
「何だよ改まって」
デルタ9813はブンチョウのかごを顔の横に持ち上げている。
「もしそのブンチョウを殺処分すると言っていたら、貴様はおとなしく逮捕されたか」
ニッ、と音の聞こえるような、デルタ9813の笑顔だった。
「そりゃあ答えられねえな。答えない方がいいだろう」
チチ、チチチ。ブンチョウは楽しげにケージにしがみついていた。
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