アイアンハート――宇宙樹と歌う世界

柚緒駆

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37.QP

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「指揮権の発動を解除」

 沈黙が続いていた知恵の神殿で、アルファ501が最初に声を発した。

「指揮権の発動の解除を確認。以後評議会のそれを除く指示命令は各神殿に決定権が戻される」

 クエピコが応えるのを待って、アルファ501は呆けたような顔をしている三人を見た。

「宇宙樹は消滅した。じきに評議会からのフジヤマ接近禁止令は解かれるだろう。誰がロボ之助さまを迎えに行く?」
「僕が行きます」

 イオタ666が即答した。

「ちょっとあんた何言ってんのよ、私が行きます」

 イプシロン7408が続いた。

「わかった。では二人に行ってもらう。手分けしてヘリの準備をしてくれ」

 アルファ501のその言葉に、イプシロン7408とイオタ666は競うように中央司令室から走り出て行った。

「構いませんね」

 アルファ501はジョセフ・カッパーバンドに念を押す。ジョセフは気まずそうに視線を逸らした。

「あなたには個人的に聞きたいこともあるのですが、どうせ評議会が口を挟んでくるでしょう。またの機会にしておきます。それはそうと」

 アルファ501はフジヤマの頂上の様子を映すモニター画面を一度見やると、次に青く輝く小さなモニター画面に視線を移した。

「クエピコ、ひとつ聞いて良いか」
「質問に許可を得る必要はない」

 感情のない合成音声が応えた。

「では聞かせてくれ。私の記憶では、たしか古い神話に登場する智慧の神の名は『クエビコ』のはずだ。なのに何故君は『クエピコ』なのか」

 一瞬の間があった。

「質問の意図が不明である」

 アルファ501は重ねて問うた。

「いま疑問に思った。だからいま君に尋ねる。それは合理的な判断ではないだろうか」
「……回答する。私に名がつけられたのは、遠い昔のことだ。理由はもうデータベースにも残っているとは思えない」

「残っている蓋然性が低い?」
「そうだ」

「そうか、それならいい」

 アルファ501はそれ以上追求しなかった。

 確かにデータベースには名前の由来は残っていない。しかし、クエピコの中の深い深い場所にある記憶には、あのときの会話がまだ残っていた。



「QP、すまねえな。損な役回りばっかりさせちまってよ。おめえには悪いと思ってる。だがよ、最後にあと一つ、頼みを聞いちゃくれねえか。俺はもう死ぬ。だからハートシステムのこれからを、ロボ之助のこれからを、おめえが見守ってやっちゃくれねえだろうか。これは他の誰にも頼めねえ。おめえにしか頼めねえ事なんだよ。なあ、QP」

 炎が赤々と照らし出す、瓦礫に埋もれた血まみれの大邦博士に、QPは静かに問いかけた。

「だったら博士、最後に聞いて良いですか」
「何だ、言ってみろ」

「私の名前、QPってどういう意味なんですか」

 博士はニッと歯を見せた。やっと聞きやがったな、この野郎。そんな笑顔だった。

「the quality of being probable 蓋然性ってやつだ。俺が一生かけて追い求めてきたものだよ」



 それから数日の後、評議会会議室で評議員の一人が報告を行った。

「宇宙樹の花のひとつが重力圏を抜けた。原理は不明だが太陽風を受けて加速している。この加速度を維持するなら三日と経たずに光速に達するだろう」

 他の評議員たちは口々に不安を述べた。

「また別の惑星を侵略するつもりなのでしょうか」
「態勢を整えていずれ戻ってくるつもりでは」

「不明だ。すべては不明だ」

 しかしそれらを笑い飛ばすかのように、明るい声が否定した。

「私はもうその心配はないのではと思います」
「何故そう思う、評議員九九号」

「宇宙樹は触れるべきものに触れ、知るべきことを知りましたから。きっとこれから彼女はまた新しい歌を歌うのでしょう」

 評議員九九号、ドリス・カッパーバンドは慈しむように自らのお腹をさすりながら、そう答えた。その肩に止まるブンチョウが、楽しげにさえずっている。


 見渡す限りの草の海。広がる草原の端に止めた車の後部座席から降りたロボ之助は、足下を滑らせて転んだ。

「ほら神さま、まだ病み上がりなのですから」

 イプシロン7408が慌てて駆け寄る。

「大丈夫だって。もう修理は終わったんだから」

 その伸ばされた手に捕まって立ちながら、ロボ之助は笑った。

「ですが神さま」
「もう、その神さまっていい加減やめてよ」

「そうは参りません。あの宇宙樹を倒したのですよ。HEARTシステムのことがなくったって、我々の神さまとして崇めさせていただきます」
「諦めた方が良いですよ。イプシロン7408はあれ以来、ロボ之助さまに心酔しているのですから。神さま扱いをやめる気など毛頭ないようです」

 アルファ501が苦笑する。

「笑うところではありません。私は本当に神さまを神さまだと思っているのです」

 ツンと上を向くイプシロン7408に、ロボ之助は困った顔をした。

「やだなあ、だから言ってるじゃないか、おいらは宇宙樹を倒してないんだって」
「ですが結果として」

 しかしイプシロン7408は引き下がらない。ロボ之助はやれやれといった風にため息をついた。

「仕方ないなあ。じゃあ内緒だよ。これは二人だけに教えるね」
「何です」

 アルファ501とイプシロン7408は顔を見合わせた。

「宇宙樹はね……まだ地球にいるんだよ」

 沈黙が流れた。風の音しか聞こえない。アルファ501もイプシロン7408も、どう反応して良いやらわからないという顔をしている。

「サクちゃんはこう言ったよね。『ここにはあたしの居場所はない』って。だから、居場所がないから、サクちゃんは旅に出たんだよ。種を残してね」

 そこでやっとアルファ501とイプシロン7408は、言葉の意味を理解した。二人の目が点になった。

「いや、その、ロボ之助さま、それはつまり」
「え……あの……神さま?」

「ああ、会えるのが楽しみだなあ。今度はどんな姿で生まれてくるんだろう」

 ロボ之助は空を見上げた。空はどこまでも青く高かった。


 それは優しい神さまの物語。鉄のハートと歌う世界の物語。

                          ――完
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