鬼の首 龍の首

柚緒駆

文字の大きさ
上 下
26 / 26

しおりを挟む
 あれから一か月が経った。聖天寺学園は授業を再開した。まだちらほら席は空いているが、クラスの空気は少しずつ元に戻りつつある。街はクリスマスに彩られ、年末のせわしない気配が近付いていた。しかし核の攻撃を受けた地域はまだ復興など遥か遠く、いまだに死亡者総数が増えて行く毎日。

 日美子は如意宝珠の力を得た事で、正式に神童のメンバーとなった。神童と呼ぶにはいささか歳を取り過ぎている感はあるが、政府が如意宝珠の力を管理する事を考慮すれば、まあ妥当な判断ではあった。有銘の後任はまだ決まらない。当面は日美子がその任を代行する事に落ち着いた。とはいえこの一か月、コトシロが託宣を受け取る事はなかったのだが。他のメンバーも特に仕事が与えられる事はなく、唯一スサノオだけが時折要人警護任務で駆り出されるだけ。

「要は使いにくいんだよ、あたしたちは」

 ハヤヒノはそう言う。さもありなん、と日美子は思う。超能力などというよくわからないものを使う、しかも子供が中心になっている部隊など、特殊過ぎて使い勝手が悪いのかもしれない。特に子供の人権については海外の目が厳しい。余程の異常な事態――それこそ恐竜が襲って来るような――にでもならない限り、使い辛いというのはあるだろう。

 でもこの先何があるのか、一寸先は闇である。万が一の時の為に神童のような部隊が存在し続けて、結果的にそれが使われずに終わったとしても、それはそれで良いのではないか、と日美子は思う。身贔屓みびいきかもしれないが、今回の異界との件で彼らは良く働いた。せめてもうしばらくは平穏な日々を過ごさせてあげたい、そう願っていた。



 雨が降り続いている。屋上の入り口でドアを開けたまま、庇から落ちる雨だれを右手のナイフで切りながら、左手のチョコバーを齧りつつ、スサノオは一人佇んでいた。

「こら、何でドア開けてるの。湿気が入って来るでしょうが」

 背後からハヤヒノに叱られて、スサノオは階段に入ってドアを閉めた。

「もう、びしょ濡れじゃん、階段濡らしたら後で拭いといてよ」

 階段を数段下りて立ち止まり、ハヤヒノは振り返った。

「何よ」
「何がだ」

「何がじゃない、そんな便秘みたいな顔して」
「そんな顔をしているのか」

「もう三日目みたいな顔してる」
「それは大変だな」

「で、何悩んでるのよ、らしくない」

 しばしの沈黙、そしてスサノオは思い切ったように口にした。

「ノコヤネと、もう一か月話していない」
「知ってる。あたしらだって喋ってないし。寮母さんくらいじゃないの、喋ってるの」

 ノコヤネはこの一か月、部屋に閉じこもりきりで、食事にすら出てこなかった。食事は寮母が部屋まで運んでいた。

「それで?」
「俺は雨野審議官を撃った」

「……撃ったときにはもう死んでたんでしょ」
「そのはずだ」

「状況的に仕方がなかったんじゃないの」
「他に選択肢はなかった」

「わかってるなら、何を悩む必要があんのよ」
「それでも俺が、仲間を撃った事には変わりない。ノコヤネにとって大事な相手を」

「だから?」
「ノコヤネがどう思っているのか、知りたい」

「知ってどうするの」
「どうする事もできない。だが知らないよりはいいと思う」

「……まったくもう」

 ハヤヒノはスサノオの腕を取ると引っ張った。

「来て」

 ずんずんと階段を下り、三階の廊下に入ると、ノコヤネの部屋の前までスサノオを引っ張って来た。そしてドアノブを引く。だが鍵が掛かっていて開かない。ハヤヒノはドアを乱暴に叩いた。

「こぉらノコヤネ! 聞こえてるんだろ、ドア開けろ!」

 と怒鳴る。

「さっさと開けろ、すぐ開けろ、ぶち破られたくなかったら直ちに開けろ! いつまで泣いてんだよ、ウジウジウジウジ気持ち悪い! そんなんじゃ有銘ちゃんだって成仏できんわ! 大体泣くんなら自分一人で泣け、周りに仲間がいる事忘れてんじゃないよこの唐変木! どんだけ心配掛けたら気が済むんだよ。あたしは心配してないけどな! だけどお前が心配で、落ち込んじゃってる馬鹿がここに一人居るんだよ、チョコバー齧りながらナイフ振り回しながら辛気臭い顔してる馬鹿がここに居るんだよ。この馬鹿だけじゃないよ、寮母さんだって日美子ちゃんだってフツヌシだってミカヅチだってトリフネだってナビコナだってツクヨミだってコトシロだって、みんなみんなお前の事心配してるんだよ、お前が笑って部屋から出て来るのを待ってるんだよ、何でそれがわからないんだよ。お前テレパシー使えるじゃん、人の心わかるはずじゃん、何でこういう時だけ届かないんだよ。そんなの、酷いよ」

 ハヤヒノはいつ気が付いただろう、自分の声が震えている事に。止めどなく溢れて来る涙が頬を濡らしている事に。

 鍵が開く音がした。ドアがゆっくりと外側に開いて行く。ハヤヒノとスサノオが息を呑んで見守る中、そのドアの向こうには、物凄く気まずそうな顔をしたノコヤネが立っていた。

「あ、あはは、は」
「ノコヤネ……」

「い、いや、さすがにもういいかな、って言うか、そろそろ出ようかなとは思ってたんだけど、何て言うか、一回引きこもっちゃうとなかなか外に出る切っ掛けがないと言うか、ほら、出動もかからなかったしさ、みんなに会うのも気まずいし、明日にしよう、明日にしようって思ってるうちに一か月経っちゃってて、その」

「もう、大丈夫なの」
「うん、随分前から大丈夫だった」

「スサノオの事は? 怒ってない?」
「怒る理由がないよ。僕がスサノオの立場でも、あの状況なら同じことをしたと思う」

「そう」
「うん」

「……最低」
「え」

 ハヤヒノはドアを強引に引き開ける。

「最低っつってんのよ、このボンクラ!」

 そして出て来たノコヤネの尻を蹴り上げた。

「さっさと寮母さんに謝りに行け、今すぐ行け!」
「は、はい、行ってきます!」

 階段に向けて駆けて行くノコヤネを見送って、ハヤヒノは一つ溜息をついた。そして涙を拭き、スサノオを見上げると微笑んだ。

「案ずるより産むが易し、ってね」
「ハヤヒノはいい奴だな」

 その言葉に、ハヤヒノはカチンと来たという顔でスサノオを睨みつけた。

「あたし、いい子とかいい奴って言われるの、大嫌いなんですけど」
「知っている」

「はあ? ちょっとふざけてる?」
「知ってはいるが、本当にいい奴だと思ったのだから仕方ない」

「何よそれ」
「わからないか」

「わからない」
「プロポーズだ」

「なっ」

 一、二、三秒間の沈黙。

「もちろん冗談だ」

 と、スサノオは真顔で答えた。ハヤヒノは顔を真っ赤にして叫ぶ。

「よ、余計な知恵つけるな、このおたんこなす!」

 外の雨はもうやんでいた。
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する


処理中です...