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11話 酔いどれ剣士

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 今朝は雨。それでも離れの外には早朝から人が並んでいました。忙しくなりそうで腕が鳴ります。

 でも先生を起こそうと寝室に入ってみて驚きました。いつも寝坊助の先生が、もうベッドの上に体を起こしていたからです。

「どうしたんですか先生、珍しいですね」

「いやいやステラさん、僕だってたまには早起きすることくらいあるって」

 先生は困った顔で笑いました。でもその「たまには」が起こったのを見たのは今日が初めてなのですから、そりゃあビックリもします。

「もしかして何かあったのですか」

 私の言葉に先生はちょっと目を丸くします。

「いい勘してるね。まあ何かあったと言えば言えるし、これから何かあるって言ってもいいのかも知れない」

「悪いことですか?」

「さあ、どうだろうね。まあ心配はいらないさ、たぶん」

 先生の笑顔には私に対する気遣いが見えました。本当はどうなのでしょう。でも私にできることは、先生を信頼するだけです。


 今日も占いの相談内容は失せ物探しに将来の結婚相手、楽なお金儲けの話がないか、そんな感じでいつも通りに先生はお客様に対応されていました。その五組目に若くて綺麗な女性のお客様が来られました。

 キシアの棋士をされているというイエミールさんは、先生の向かいの椅子に座るなり斬りつけるような目で先生をにらみつけます。

「礼を言った方がいいんだろうね」

「それは僕が決めることじゃないから」

 先生は平然と笑顔を見せていますが、イエミールさんはそれが気に入らないようで、威嚇するような低い声を発しました。

「でもおかげでアタシは裏切者だ。二度と組織の仕事はできないし、これから先ずっと組織の影に怯えなきゃならない。どうすりゃいいってのさ」

「それが占ってほしいことかい」

「ああそうだ。占えるもんなら占っておくれよ」

 先生はしばらくイエミールさんをじっと見つめると、「それじゃ」と話し始めました。

「まず組織の一番偉いヤツについて教えてくれないか」

「な、何でそんなこと」

 焦るイエミールさんでしたが、先生にこう言われて落ち着きを取り戻します。

「もうあんたは組織を裏切ってるんだ、いまさら組織について話したって何がどうなる訳でもないだろ」

「……そりゃそうだけど」

「総帥って呼ばれてるのか」

 その言葉を聞いてイエミールさんの顔は真っ青になりました。それでも小さくうなずく彼女に、先生は何かを読み上げるように続けます。

「帝国の貴族。ボイディア・カンドラス男爵、でいいのかな。そいつが黒幕か」

「そんなことまでわかるのか」

「男爵と直接会ったことはあるのか」

「会ったと言うか、壁一枚まで近付いたことはある。頭のなかを読もうとして失敗した」

「みたいだね」

 先生は残念そうに深くため息をつきました。それからしばらく真剣な顔で何かを考えた後、また笑顔を取り戻してイエミールさんにこう言います。

「すぐに刺客が襲ってくることはないよ。当分の間は安全だけど、まあ目立つことはしない方がいいね。あと家は引っ越した方がいい」

「わかった」

 イエミールさんはややあきらめ顔でしたが、納得はされたようでした。


 そこからまだ何人もお客様は続き、時刻はお昼前。午前中最後の相談者は、若い貴族の男性でした。でも外見はとても貴族には見えません。髪はボサボサで無精ヒゲを生やし、着ている物も薄汚れていますし、何よりお酒の匂いがプンプンします。

 タルドマン・バストーリアと名乗った男性は酔っ払い特有の据わった目で疑わしげに先生を見つめたかと思うと、突然腰に差していた剣を抜き、先端を先生に向けます。私は思わず間に入ろうとしたのですが、先生に腕をつかまれたので動くことができませんでした。

「貴様のような子供が占い師のはずがあるかぁっ! この私が正体を見極めてやる! さあ言え! 私が何を言いたいのか当ててみろ!」

 震える剣先を突きつけながらわめくタルドマンさんに、先生は椅子にかけたまま平然と笑顔でこう返します。

「あなた、人を斬りましたね」

「なっ」

 タルドマンさんは顔面でも殴られたかのように大げさに口を開け、剣の先を床に向けて一歩下がります。先生は微笑みながら追い打ちをかけました。

「盗賊に襲われた旅の親子を守るために、賊の一人を斬り殺したんだ。目撃者もいるし証拠もある、街の役人は罪に問うつもりなどないし両親からは家のほまれと褒められた。なのにあなたは盗賊の死が気に病まれて仕方ない。いや、気に病む自分の弱さに情けなさを感じてたまらない。どうです、何か間違ってますかね」

 タルドマンさんはヨロヨロとよろけると、そのまま倒れるように椅子に座り込みます。そしてしばらく顔を抑えてうつむき、やがてうめくような声を上げました。

「私は……私は剣に生きてきた。人生をかけて剣の腕を磨き、いつか誰よりも強い剣士になりたいと、武勲を上げ家名を天下に知らしめるのだと、それだけを考えて生きてきた。なのに。それなのに、悪党をたった一人斬り殺しただけでこの有様。あの盗賊の断末魔の声が耳から離れない。あいつの最期の顔がまぶたの裏から消えない。これでは仮に戦場に出ても、敵の雑兵一人斬り倒せるはずがあるまい。武勲を上げるなどあり得ない、私のこれまでの時間はすべて無駄だったのだ」

 先生は何も言わず様子をながめていましたが、タルドマンさんの口からすすり泣きが漏れ出したとき、静かに言葉を選ぶように告げました。

「確かに人を斬り殺す覚悟のない剣は弱く思えるかも知れません。でもね、だからって全部無駄にはならないと思いますよ」

「慰めなどいらん!」

「ただの慰めかどうか、試してみる気はありませんか」

 先生のその言葉に興味を引かれたのでしょうか、タルドマンさんは涙を浮かべた顔を上げました。

「試す?」

「ええ、僕はこの先イロイロと面倒なことに巻き込まれる模様でしてね、腕の立つ護衛が欲しかったんですよ。どうです、やってみませんか」

「いや、しかし」

「ああ、占い師の護衛なんてお家の方が反対するでしょうから、そこはそれ、ハースガルド公爵家から是非にと求められたという話にでもしてください。大丈夫大丈夫、何とかなります」

「はあ」

 タルドマンさんは狐につままれたような顔をしていましたが、とりあえずうなずきました。でも大丈夫なのでしょうか、先生の言うイロイロと面倒なことって何なのでしょう。
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