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67話 大切な存在

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「どうしたんですか先生! 大丈夫ですか、何があったんです。先生、先生!」

 ステラが慌てふためき、と言うよりほとんど半狂乱で悲鳴を上げている。まあ気持ちはわかるけどね。ルン・ジラルドが連れて帰ってきたタクミ・カワヤはまるでボロ雑巾みたいな有様だったから。

 震えるリコットの右肩で、アタイは一部始終を眺めている。タルドマンの肩を借りて何とか立っているタクミ・カワヤは、ぎこちない笑顔を見せた。

「ああ、ステラ。大丈夫だから。全然大丈夫」

「そうでもないと思うよ」

 しかしこれをルン・ジラルドが呆れ顔で否定し、忠告した。

「打撲や骨折は一応手当してあるけど、脳へのダメージはいかんともし難いからね。しばらく安静にしといた方がいい」

「ご親切痛み入るよ。今回ばかりは本当に助かった。すまん」

 あら、いつになく素直ね。そんなタクミ・カワヤの言葉に、ルン・ジラルドは小さく苦笑する。

「なあに、こっちだって悪いと思っているのさ。せっかくのチャンスをふいにしたからね。あれは大失態だった、二度としないよ」

 それだけ言うと姿を消してしまった。何があったのか知らないけど、みんな気持ちの悪いこと。ルン・ジラルドのいなくなったハースガルド屋敷の食堂で、タクミ・カワヤは椅子に腰を下ろし、タルドマンは難しい顔で黙り込む。チャンタとチャンホは泣きべそをかいて、アタイを右肩に乗せたリコットはどうしたものかとオロオロしていた。

「あのね、リコット」

 ホントにもう、この子は優しすぎて。アタイがついてないとダメね。

「こういうときは、とにかく話しかけやすい相手に話しかければいいの」

「話しかけやすい相手……」

 リコットは真面目な顔でうなずいた。

「いない」

「いや、いるでしょ! なに大ボケかましてんのよ、チャンホとチャンタに声かけりゃいいでしょうが!」

 すると、さも意表を突かれたといった風に目を丸くしたリコットは、もう一度うなずいて駆け出した。

「そうする」

 いやあねえ、この子。マジ大丈夫なのかな。



 泣きべそをかいているというより、泣きじゃくっているという方が正しいのかな。チャンホもチャンタも唇をわななかせて悔しげに涙をボロボロこぼしてる。

「大丈夫? ケガはないの」

 たずねるリコットにチャンホはうなずいた。でも何か話そうとしても、震える声は嗚咽に変わり、言葉にならない。よほど悔しい思いをしたのね。その手の中には透明な小瓶が大切そうに握られている。中身は空っぽになっていたけど。

 弟のチャンタは少しだけ落ち着いていた。

「俺たち、何の役にも立たなかった。月の雫を全部使ったのに、アイツを倒せなかった」

 そう言葉を絞り出して唇をかみしめる。

 けど、それを聞いて、いまにも倒れそうなタクミ・カワヤは言った。

「役に立ったさ。君ら二人があの怪物を足止めしてくれていなかったら、僕はいまここにいないよ」

「先生、今日はもう休んでください」

 ステラとタルドマンに支えられて、タクミ・カワヤは何とか立ち上がる。そして覚束ない足取りで歩きながらリコットを振り返った。いや、その右肩に座るアタイを振り返ったんだ。

「キーシャ、何か起こらないか三日先まで見ておいて。あと、フェルンワルドの月の雫が使えないか、女王様に確認してくれないか」

 それだけ言い残してタクミ・カワヤは食堂から出て行った。何よ何よ、何でアタイがそんなこと聞かなきゃいけないのよ。面倒くさいことばっか押し付けて。

 ああ、ほらもう、チャンホとチャンタがこっち見てるじゃない。見えもしないくせに涙目で見つめてるじゃない。アタイいやなのよね、こういうの。

 チャンホが震える声でたずねた。

「キーシャ、フェルンワルドの月の雫って何?」

 チャンタの声は期待に満ちてる。

「他にも月の雫があるってことか?」

 リコットもこっちをうかがってる。要するにこの子らに力を貸せって言いたいんだろうけど、はあ、魔法使いの二人にはフェルンワルドのことから説明しなきゃいけないのよねえ、どうしたものかなあ。面倒くさいこと嫌なのに。


◇ ◇ ◇


 もう少しだったのに。あと少しであの腹立つクソガキ二人を殺せたのに、何であのとき、あんな貴族なんかかばっちゃったんだろう。

 真っ暗な夜の森。でもその奥で燃える小さな火を、ボクの目は見つけることができる。焼ける木の葉の匂いを、ボクの鼻はたどることができる。

 木の密集した中にポツンと開けた空間で、木の葉を集めた上に貴族が寝転んでいた。ぼんやり目を見開いて。火の番をしているのは、レンズとかいうあの女だ。

「ギンガオー」

 火を見つめながらボクを呼ぶ。ムカつく。

「ボクの名前はガライだ」

「うちにとってはギンガオーなんだよ。それで。ここがどの辺りかわかったか」

 何だよその言い方。腹は立ったけど、とりあえずボクも火の前に腰を下ろした。

「帝国の文字を使って帝国のお金を持ってた。たぶん帝国領内だと思う」

「何人殺した」

「二人しか殺してない。村はずれの家の夫婦だけだ。ずっと裸でいる訳にも行かないだろ」

 服を盗みに入った家。気付かれなかったら別に殺さなくてもよかったんだけど、気付かれたしな。殺さなきゃ大騒ぎされてたろうし、あと使ってる文字とお金の確認ができたんだからボクは何もわるくないだろ。褒められていいくらいだ。

 けど火をいじくりながらレンズは言う。

「おまえ血の匂いがプンプンしてるぞ。ついでに風呂に入ってくればよかったのに」

「風呂は嫌いだ」

 ひざを抱える僕に、レンズは意外そうな顔を向ける。

「うちが風呂に入れてやったとき、嫌そうな顔してなかったじゃん」

「あのときは死にかけてたからだろ。おまえいきなり洗うからビックリしたんだからな」

「へーえ」

 ボクの抗議も笑ってやり過ごす。何だよこの女。

「おまえは……ビックリしないのかよ」

 レンズはうなずく。何でこんなに嬉しそうなんだ。

「うちは風呂嫌いじゃないからな」

「そういうこと言ってんじゃない。ボクがただの犬じゃなくて、その、こんなヤツだって知ってビックリしないのかよ」

「いいんじゃないの、そのくらい。世の中いろんなヤツがいるさ」

 そう笑って火をかき混ぜる。

「人を殺す化け物だぞ。平気なのかよ」

 ボクの言葉にレンズは困ったような顔を浮かべた。

「それを言い出したら、人間なんて人間なのに人間殺すんだぞ。化け物が人間殺す方が普通だろ」

「そりゃ、そうかも知れないけど」

 そうなんだろうか。え? そうなのか? 何か訳がわからなくなったボクにレンズはこう言う。

「うちはもう何人も殺してるからな、いまさらおまえが怖いとは思わないさ。このボイディアの大将だってそうだ」

 貴族は何の反応もせず横たわっている。こんなの見捨てりゃいいんじゃないか。

「この貴族は、おまえの、その、大切なのか」

「ああ、大将はうちには大切だよ。この世界をムチャクチャにしてくれる人だからね」

「そんなの」

 そんなの、ボクだってムチャクチャにできるのに。そう言いたかったけど、何だか言いづらくてやめた。昼間見たこの貴族の力、確かにアレは凄かった。組織にはいろんなヤツがいるけど、あんなのは見たことない。世界をムチャクチャにできる力ってああいうのなのかも知れない。

「だからさ」

 レンズは微笑む。

「うちにとって大将は特別に大切なんだよ。ギンガオーと同じくらいな」

 ボクの名前はガライなのに。まあいいや、今日のところは。

 ああ、お腹が空いたなあ。あの家には食べ物らしい食べ物がなかったから。そうか、あの夫婦を食べてもよかったんだ。うっかりしてたな。火に当たってたら何だか眠くなってきた。後のことは明日考えよう。

 でも何でだろう。母さんと一緒にいるみたいな気分になるのは。優しいときの母さんと。
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