案山子の帝王

柚緒駆

文字の大きさ
52 / 132

52 金色の野

しおりを挟む
 深夜の森。虫の声。星明かりは届かない。その暗闇の中に降り立つ者。それはまるで陽光の下、野原でも進むが如く、夜の森を早足で進んだ。すべてが見えているかのように。いや、実際に見えているのだ。『宇宙の目』ヌ=ルマナはデルファイの森を進んだ。


 オーシャン・ターンはまたアミノ酸とカルシウムと鉄の錠剤を頬張り、水で流し込んでいた。ミミの肉体は小さすぎる。なるべく急いで大きくしたいのだが、どうにも時間がかかって仕方ない。ハーキイの体のような筋力もない。その代わり生体発火能力を手に入れたものの、さてどんな場面で有効に使えるのやら。

「オーシャン、オーシャン!」

 わめきながら部屋に入ってきたのは、ヴェヌ。オーシャンは錠剤を口に詰め込みながらたずねた。

「どうした。何かあったか」
「イ=ルグ=ル様の思念がざわめいているの」

 困惑した顔でそう告げるヴェヌに、口の中の物を水で一気に流し込んだオーシャンはこう言った。

「あのときと同じか」
「そう、同じような感じ」

 あのとき。オーシャンたちがグレート・オリンポス襲撃を決行した日にも「イ=ルグ=ルがざわめいている」とヴェヌが言ったのだ。そのときオーシャンはそれを凶兆とは取らなかった。だがいまは。

「……とりあえず、いま実行している計画は待機モードだ。何が起こるのか見定めねばな」

 そう言いながら、それでも吉兆の可能性はまだあるのではないか、とオーシャンは考えていた。自分たちがこの世のすべてを知っている訳ではないのだ。そこまで傲慢ではない。


 魔人ウッドマン・ジャックはパイプを手に、小屋から暗闇の中に踏み出した。森のざわめきに気付いたのだ。

「我が輩は夜型ではないのだね。できれば勘弁してもらいたいところなのだけれど」

 それはすぐに森から出て来た。枯れ葉を踏む音と共に。魔人の目は星明かりの中に見た。本物かどうかは知らないが、毛皮のコートをまとった人間の女。しかしその短い緑の髪の、驚くほど目の大きな女に対し、視覚以外の感覚が警鐘を鳴らす。これは人間ではないと。

 女はジャックを見て、落ち着いた表情でこう言った。

「イ=ルグ=ルのまがい物か」
「ぬほほほほっ、そういう言われようは慣れていないのだけれど」

「ここに人間が居るはずだ」
「はてさて、人間ねえ。あれは人間と呼んでいいのやらどうやら」

「こちらに渡せば、おまえは見逃してやってもいい」
「ふうむ」

 ジャックはパイプを一口ふかした。

「渡せと言われて渡すかどうか、その目には見通せないのかな、と思うのだけれど」

 言い終わった瞬間にはもう女、ヌ=ルマナの姿はジャックの眼前にあった。両脚を揃えた跳び蹴りをマトモに喰らう。だが鈍い音を発し、ヌ=ルマナは弾き返された。ウッドマン・ジャックの体は根を張った古木の如し。蹴られたくらいでビクともしない。

 地面から葉長一メートルはあろうかという大きな草が生え、ヌ=ルマナに絡みつこうとする。それを軽々とかわし、宙に浮かぶ毛皮の女が笑う。

「宇宙の目、宇宙の目、ここにあるのは宇宙の目。すべてを見通す宇宙の目。稚拙な策など通じない」

 ヌ=ルマナは急降下、ジャックの頭部に手刀を突き立てた。今度はまるで大根を包丁で切ったかの如く、さっくりと手刀が食い込んだ。しかし。手が抜けない。

 ヌ=ルマナの背後で草が揺れる。いつの間にか花が咲き、実がなっていた。世界でもデルファイにのみ生えるその草の名前は、バクダンホウセンカ。実を破裂させる事で種を飛ばす。名前通り爆弾級の威力で。

 取り囲んだ幾十もの実が、轟音を上げて一斉に弾ける。その種は数百の凶器となってヌ=ルマナへと向かった。全身が蜂の巣になる、かに思えた。

 だがバクダンホウセンカの種は、すべてウッドマン・ジャックの体にめり込んだ。

「だから通じないと言っただろうに」

 最初に現われた場所で、ヌ=ルマナは笑っていた。全身穴だらけになったジャックはしばし考え、自分の間抜けさ加減を理解した。

「なあるほどなるほど、要するに幻覚を見させられていたのだね」
「おまえはヌ=ルマナに触れるどころか、本当の姿を見る事すら出来ない」

「別にそんな物、見たくはないのだけれど」

 そう言いながらもウッドマン・ジャックは困っていた。さあて、これはどうしたものか。誰かに対処法を教えて欲しい。彼なら。もし彼がこの場に居たら、何と指示を出すだろう。それに従えば、この難敵を撃退出来るだろうか、と。


 金色の野原。輝く小さな黄色い花が、世界を埋め尽くしている。川を越え、丘を越え、地平線の向こう側まで金色だ。空も黄色く輝いている。

 どこだここは。何故こんなところに居る。早く行かなければ。早く……どこへ? 俺はどこに行くのだろう。何かをしなければならなかったはずだ。何かを……何をだ? 頭に霧がかかっているようで思い出せない。

 俺は立ち上がろうとした。だが立てなかった。左脚がなかったからだ。何故片足がないんだ。そう言えば視界も狭い気がする。右目がないのか。何故ないんだ。思い出せない。

「おまえは頑固だの」

 振り返ると、金色の世界の中にポツンと青が。空色の服を着た、五、六歳の女の子。誰だろう。

「ワタイは、さら。水の神だ」

 水の……神? 神様? この子は何を言っているのだろうか。

「この世界では何でも自在だ。失くした脚を生やす事も、失った眼を見開く事も簡単に出来る。みなそうするのだ。なのに、何故おまえはその姿のままなのか。まったく、頑固よな」

 よく意味がわからない。この世界? ここはどこなんだ。そう思っていると、さらと名乗った女の子は、近くを流れる川を笑顔で指さした。

「ほれ、あそこに川があるだろう。あれを越えて向こうに行けば、死者の国だ」

 そして俺の顔をのぞき込む。

「つまり、おまえは死ぬ寸前だという事だな。人間は体が疲れても死ぬが、心が疲れても死ぬ。おまえは心を疲れさせ過ぎた。少し休まねばならん」

 休まねばならない。休むのか。休む……いや。俺は立ち上がろうとした。だがやはり立てない。花の群れの中に倒れ込む。それでも、俺は両手で前に進んだ。どちらが前なのか、この世界ではわからない。けれどここは俺の居場所ではない。進まねば。前に進まねば。

 すると、さらは俺の前に立ち、しゃがみ込んだ。その右手が俺の頭に伸びる。

「おまえは、本当に強い子だの」

 さらの右手が、俺の頭をなでている。

「おまえの事は知っている。正しくは、ワタイが知っている訳ではないが。ほれ、見えるだろう」

 さらは左手を俺の顔の前に差し出した。その手のひらに、輝く毛玉のような物が乗っている。

「この地に漂う小さな意思が、かつての神の欠片の一つが、おまえをずっと見守っていたのだ。これはすべてを知っている。おまえがこれまで何を見つめ、何を考えてきたのか。何が心を揺さぶり、何が傷つけたのか。いまのおまえの思いも、そして覚悟も、全部知っている」

 さらの声が震えた。

「つらかったな。しんどかったな。見守ってやるしかできんで、ごめんな」

 しかし見上げたその顔は、太陽のような満面の笑顔だった。

「でもワタイらは決めたのだ。おまえたち人間の力になろうと。できる事はわずかしかないが、それでも何かしようとな」

 さらは俺の顔を両手で包んだ。暖かい、春の日差しのような手だった。

「忘れんでおくれ。信じておくれ。おまえたち人類は、決して孤独ではないのだという事を。すぐそばに、見守る者が必ず居るという事を。ワタイはさら。東の端からおまえたちに会いにやって来た、水の神だ」


 ウッドマン・ジャックは目を閉じた。視界に頼れば幻覚を見せられる。目以外のすべての器官で敵を捕らえるしかない。だがそれは言うほど簡単ではない。ジャックは夜の森でも昼間のように見通せる視力が、大きな武器なのだ。それが封じられたとなると、あとは耳と鼻か。

 なるほど、宇宙の鼻と目と耳がワンセットなのも合点がいく。などと思っていると。

 ヌ=ルマナの気配が動いた。来るか。しかし気配が消えている。まさか退散した? そんなはずはない。どこだ、いったい何をしている。足音もしない。目を開けたい誘惑にかられたが、開ければまた幻覚を見せられるのは間違いない。

 それほどの高い攻撃力がある相手とは思えない。物理的に直接攻撃して来れば、耐える事は可能だし、上手くすれば捕まえる事も出来る。だが距離を取られると身動き出来ない。どうすればいい。……一人では勝てないのか。ジャックがそう思ったとき。

 不意に、何かが舞い降りた。雪が降るように、静かに、広く一面に。その途端、ジャックの感覚が警告を発する。すぐ目の前に何か居ると。思わず腕を振り抜く。

「ちぃっ!」

 悔しげに息を吐きながら、ヌ=ルマナの物であろう気配が遠ざかった。そこに、聞き覚えのある老婆の声が。

「加勢する気はないんだがね」

 天空からぶら下がる巨大なクモの下半身と老婆の上半身。ダラニ・ダラはこう続けた。

「うちの身内が関わってるんだ、放っとく訳にも行かないだろ」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

断罪まであと10分、私は処刑台の上で「ライブ配信」を開始した〜前世インフルエンサーの悪役令嬢、支持率100%でクズ王子を逆処刑する〜

深渡 ケイ
ファンタジー
断罪まで、あと10分。 処刑台の上で跪く悪役令嬢スカーレットは、笑っていた。 なぜなら彼女は―― 前世で“トップインフルエンサー”だったから。 処刑の瞬間、彼女が起動したのは禁忌の精霊石。 空に展開された巨大モニターが、全世界同時ライブ配信を開始する。 タイトルは―― 『断罪なう』。 王子の不貞、聖女の偽善、王家の腐敗。 すべてを“証拠付き・リアルタイム”で暴露する配信に、 国民の「いいね(=精霊力)」が集まり始める。 そして宣言される、前代未聞のルール。 支持率が上がるほど、処刑は不可能になる。 処刑台は舞台へ。 断罪はエンタメへ。 悪役令嬢は、世界をひっくり返す配信者となった。 これは、 処刑されるはずだった悪役令嬢が、 “ライブ配信”で王子と王国を公開処刑する物語。 支持率100%の先に待つのは、復讐か、革命か、 それとも――自由か。

処理中です...